「お兄さん!どう?これ彼女に」

オニキスは不意に呼び止められ、足を止めた。
ダイオプテースの闇市。
非公認の市場の様子を潜入調査していた夜のことだ。
テントが並ぶ森の中。
どの店も人目を避けるように薄暗いランプ一つで営業している。
脱獄犯や指名手配犯などが隠れて利用するとも言われる無法地帯だ。
店主の一人がオニキスに声をかけ、商品を勧めた。
当然オニキスがモルダバイトの王とは知らない。
「・・・・・・」
(首飾りか・・・)
太めのチェーンに小さなプレートが付いているだけのシンプルなデザイン・・・
兵が認識票として首から下げるものに似ていた。
(魔石?)
プレート部分に石がはめ込まれている。
その下には見たこともない文字が刻まれていた。
魔石・鉱石に詳しいオニキスでも知らない石・・・強く興味を惹かれた。
「喜ぶよぉ〜、彼女」
「・・・・・・」
“彼女”と言われてヒスイの顔が思い浮かぶ。
そんな自分に咳払い。
不思議な首飾り・・・ヒスイが喜ぶだろうと思った。
渡せるはずもないと思いながら、オニキスはその首飾りを購入した。



数日後。

買ったはいいが、渡す口実もなく、首飾りはまだオニキスの手元にあった。
(コハクに見つかったらうるさい・・・)
そう考えるとますます渡せない。
「だからといってオレがする訳にも・・・」
思案に暮れた果ての、無意識の行動だった。
オニキスは首飾りを自分の首に掛けた。


カッ!!


瞬間発光。
「・・・どうなって・・・いるんだ・・・?」
床が近い。目線が低い。
「な・・・」
犬の足が見える・・・どうやらそれは自分の足らしかった。
(・・・犬に・・・なっている・・・)
例の首飾りが首輪のようにしっかりと巻き付いている。
自分では外せない。
(・・・まさかこの首飾り・・・)
タッ!とオニキスは走り出した。
(以前確か図書館で・・・)



(・・・ヒスイ)
図書館にはヒスイがいた。
ずらりと並んでいる本のタイトルを目で追っているところだった。
「え?何?犬?」
真っ黒な大型犬がヒスイの瞳に映る。
ヒスイが動物を可愛がるタイプとは思えない。
オニキスは後ろに下がった。
「・・・おいで」
ヒスイが手を差し伸べる。
それが嬉しくて考えるより先に体が前に出る。
「大人しいわねぇ・・・お前」
ヒスイはオニキスの頭を撫でた。
(・・・・・・)
不本意ながら、尻尾がここぞとばかりに喜びを表現している。
(それよりも本を・・・この首飾りについて調べなければ・・・)
オニキスはヒスイから離れ、本を探した。
幸い目的の本は低い位置にあり、自分で取ることができた。
鼻先を使って本を開き、ふむふむとまるで人間のように読み始める。
「この犬・・・ひょっとして天才?」
ヒスイは、図書館で出会った黒い犬・・・オニキスをとても気に入った。
「おいで。部屋いこ」



部屋にオニキスを連れ帰るなり、ヒスイは服を脱いだ。
「洗ってあげる。一緒にお風呂はいろ」
犬を室内で飼う気のようだ。
まずは汚れを落とさなくてはと、オニキスを無理矢理バスルームに連れ込む。
(・・・まさかこんなことになろうとは・・・)
ヒスイの体が見放題・・・しかしオニキスは目を閉じてじっとしている。
ヒスイはシャンプーでオニキスの体を洗っていた。
時折、胸や髪がオニキスに触れる・・・とにかく気持ちがいい。
(・・・いかん。理性だ。理性を保て)
ヒスイは鼻歌・・・上機嫌だ。
「くすっ。なんかオニキスに似てるかも」
(!!!)
止まりようのない心臓でも止まる思いがした。
オニキスは一刻も早くこの時間が過ぎることを祈った。



(・・・ヒスイとられた・・・なんだこの犬・・・)
コハクが打ち合わせから帰ると、ヒスイとオニキスがベッドの上で本を一緒に読んでいた。
ヒスイの手はオニキスの体に添えられていて、綺麗になった毛並みの手触りを楽しむようにずっと撫で続けている。
「あ!お兄ちゃん!おかえり!」
「・・・その犬・・・飼うの・・・?」
「うん。だめ?」
「だめじゃないけど・・・」
例え相手が犬でも、ヒスイの愛情が分散するのが嫌だ。
あまり賛成したくないのが本音だ。
「お願いっ!お兄ちゃん!」
ヒスイが両手を合わせる。
「・・・いっぱいサービスしてくれる?」
「うん!する!」
「・・・じゃあ・・・」
コハクの手がヒスイの服に伸びる。
(・・・・・・)
オニキスはひらりとベッドから降りた。
そのままスタスタと部屋を出ていく・・・
コハクはヒスイにキスをしながらその様子を横目で見ていた。
(犬のくせにわざわざ席を外すあたりが・・・あやしい・・・)


「あ・・・ぅ・・・ん・・・」

「はぁっ・・・おにい・・・ちゃん・・・」

「あ・・・っ!う・・っ・・・!!」


ドアの外にいてもヒスイの激しい息づかいが聞こえてくる。
(・・・サービスを・・・させられているのか・・・?犬を飼う為に・・・?)
オニキスは耳を塞ぎたい気持ちになって深く顔を伏せた。
(・・・鬼畜な男だ・・・オレならもっと・・・)



翌朝。

「やぁ。おはよう」
コハクの挨拶・・・同時に剣が突き立てられた。
鼻先スレスレだ。オニキスは黙って顔を上げた。
「・・・僕が気付かないとでも?あなたもこれで変態の仲間入りだ」
(・・・・・・)
認めたくはないが、一部反論できない節もある。
「その首飾りが外れない限り、元には戻れませんねぇ。お気の毒に」
コハクが外してやれば済むことなのだが、どうやらその気はないらしい。
「ドック・ライフ。楽しんでくださいね」

コハクが出かけた後部屋に入ると、ヒスイがベッドの中からオニキスを手招きした。
まだ服も着ていない。
ヒスイの体からはうんざりするほどコハクの匂いがした。
「おいで。おいで」
ふいっとオニキスが顔を背ける。夕べのことなど思い出したくもない。
「?どうしたの?こっちおいで」
オニキスがあまりにも動かないのでヒスイは起きあがり、自分からオニキスの側へ寄った。
(・・・早く服を着ろ。裸で歩くな)
そう言ってやりたかったが、言葉は一切通じない。
(はぁ〜っ・・・)
「あれ?今、溜息ついた?」
ヒスイに覗き込まれてドキッとする。
「ホントにオニキスみたい」
間近で見たヒスイの笑顔がとても美しかったので、オニキスはついヒスイの顔を舐めてしまった。
完全に犬のノリだ。
「あ・・・こら!くすぐったいよ!」

ちゅっ!

お返しとばかりにヒスイがオニキスの鼻先にキスをする。
二人は少しの間じゃれあって、それから図書館へ出かけた。



(まずい・・・これでは本当に変態だ・・・)
そろそろ城に戻らなければ公務に支障をきたす・・・そう思っても、犬の生活がやめられない。
一国の王としてあるまじき行為だと、何度も自分を蔑むが、ヒスイの側を離れたくない。
こんなに強く何かを望むことが今まであっただろうか。


「う〜ん・・・なんか面白い本ないかなぁ・・・」


ヒスイが言うと、オニキスはすぐさま走り出し、本をくわえて戻ってきた。
ポトリとそれをヒスイの前に落とす。
「うん?これ?」
ヒスイの本の好みは知っている。
「そうそう!こういうのが読みたかったの!ありがと!」
ヒスイは感激してオニキスの頭を何度も撫でた。



部屋に戻ると、ヒスイはめずらしくキッチンに立った。
「お腹空かない?今、ミルクを温めてあげる」
(・・・嫌な予感がする)
ヒスイの調理は科学的なのだ。
簡単なものでも驚くべき変化を遂げる・・・オニキスはそれをよく知っていた。
「ええと・・・ついでだから私も何か・・・」
ヒスイはミルクを火にかけたまま、棚をあさりはじめた。
ミルクはたちまち沸騰し、熱い湯気が吹き出した。
「わわっ!早く火を止めなきゃ・・・」
コンロに手を伸ばす・・・が、つまずいて鍋をひっくり返した。
「きゃ・・・!!」
(!!!)
オニキスが飛び出す。
ヒスイにかかるはずの熱いミルクはオニキスが代わりに浴びた。
(・・・絶対・・・何かやると・・・思って・・・いた・・・)
猛烈に熱かった。そして鍋が頭に直撃・・・オニキスは意識を失った。



「ごめんね・・・怪我させちゃって・・・」
ヒスイはオニキスの火傷の手当をした。
オニキスの意識はまだ戻らない。
「守ってくれて・・・ありがと・・・」
ぐったりとしているオニキスの頭を膝に乗せて撫でる。
「あ・・・これ・・・」
オニキスの首輪が目に留まる。
「変わった首輪をしてると思ってたのよね・・・もしかして誰かの飼い犬で、名前とか住所とか書いてあったりして・・・」
そう思ったら不安になってきた。
(急にいなくなったりしないよね・・・?)
「ちょっと外して・・・確認を・・・」
頭を撫でるその指で留め金を外す・・・

パチッ。

ボンッ!

「・・・オ・・・オニキス!?」
人間に戻ったオニキスは全裸で膝枕状態だった。
「!!!?」
意識を取り戻したオニキスが飛び起きる。

ごちんっ!!

オニキスを膝に乗せたまま覗き込むヒスイと、膝から起きあがろうとするオニキス。
額と額がぶつかった。
「い・・・ったぁ・・・」
ヒスイが転がって呻く。
オニキスも同じぐらいの痛みを感じたはずだが、それどころではなかった。
(・・・弁解の余地なしだ・・・)
コハクのせせら笑う顔が浮かぶ。
「はい。お兄ちゃんのだけど」
ヒスイはオニキスにシャツを渡した。
オニキスは黙って袖を通した。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・すまなかった」
すべてを失う覚悟でオニキスは潔く謝罪した。
ヒスイを愛するが故にしてしまった事を弁解するつもりはない。
「?なんで謝るの?」
(・・・こいつは・・・こういう女だった・・・)
決死の覚悟もヒスイの前では意味を成さない。
いつものことだ。
「・・・一緒にいてくれてありがと。お兄ちゃん、昼間いないこと多いから・・・ちょっと寂しかったの。少しの間でも素敵な友達ができて嬉しかった」
「寂しい時は呼べ。犬と同じにはいかないが・・・付き合ってやる」
「うん!」
今日のことは二人だけの秘密にしておこうと、どちらからともなく指を絡める・・・
「そういえば・・・ひざまくらしたのってはじめてかも。お兄ちゃんにもしたことなかった。あ!これも秘密ね!」
ヒスイが笑う。
その笑顔が・・・愛しい。気が触れるくらいに。
もしまだ犬だったら、ちぎれるほど尻尾を振るだろう。
「・・・たんこぶできてるな」
「オニキスだって」
二人はお互いの額を見て笑った。
「・・・じっとしていろ」
オニキスの唇がヒスイの額に触れる・・・すると腫れも痛みも一瞬で消えた。
「ありがと・・・ん?」
額の次は頬・・・そして鼻先・・・耳たぶ・・・唇以外のあらゆる場所にキス・キス・キス・・・キスが止まらない。
「こらっ!まだ犬のつもり?」
ヒスイが両手でオニキスの頬を包む。
オニキスは瞳を伏せて笑った。
「・・・そうだ。お前の・・・犬だ」

狼には、なれない。

オレは・・・犬だ。

いつまでも・・・お前だけの・・・黒い犬。




‖目次へ‖