「あにうえっ!そとへあそびにいかないか!?」
「行かない」
シトリンの誘いを容赦なくはねのけるトパーズ・・・5歳。
「そ・・・そうか・・・」
何度誘っても、トパーズから良い返事が返ってくることはなかった。
シトリンはがっくりと肩を落とした。
「どこかぐあいでもわるいのか?」
「別に。さっさと行け」
夏の暑い日だった。
「太陽の光は・・・嫌いだ」
麦わら帽を被り元気良く城を飛び出すシトリンを見送って、ぽつりとそう呟く。
「・・・トパーズ」
名前を呼ばれて振り向くと、すぐ後ろにオニキスが立っていた。
「こっちへ」
「・・・はい」
オニキスが抱き上げる。
「お前の好きな本を読んでやろう。何がいい?」
「童話」
本当は全く興味がなかった。
5歳の子供ならこう言うだろうと客観的に判断しただけだ。
オニキスはトパーズを膝に乗せ、穏やかな声で読み聞かせた。
窓から入る風さえも熱気を帯びて、息が苦しくなる。
そんな日はいつもオニキスの膝の上で過ごした。
「よっ!双子!元気にしてたかい?」
バルコニーからカーネリアンが入ってきた。
二人が産まれて間もない頃からちょくちょく城に顔を出していた。
実の母親であるヒスイよりもずっと双子の世話を焼いている。
(むむっ!)
オニキスと親しげに話すカーネリアンにライバル心を燃やすシトリン。
ぎゅっとオニキスにしがみついて離れない。
「あはは!いっちょまえに女だねぇ〜!」
「むぅ〜」
からかわれて顔が膨らむ。
ぎゅうぅぅ〜っ!
シトリンはしがみつく腕に力をこめてカーネリアンを見上げた。
「いよいよ似てきたねぇ・・・アイツに。こりゃ美人になるよ〜」
「・・・そうだな」
カーネリアンの言葉に苦笑いを浮かべて、オニキスはそっとシトリンの頭を撫でた。
「おっと、そうだ。ほら土産!」
威勢良くそう言って、カーネリアンが差し出したのは真っ白なうさぎだった。
耳の生え際を掴まれてだらんとしているが生きている。
シトリンの瞳が輝やいた。
「うわぁ〜・・・かわいい〜・・・」
「トパーズ、来な。これはお前にだよ」
カーネリアンはトパーズを呼び寄せ、うさぎを抱かせた。
そして囁く・・・
「うさぎの血はなかなか旨いよ。飲んでみな」
「いいなぁ〜。かうのか?かうのか?」
シトリンは羨ましがって何度もうさぎを覗き込んだ。
「お前さんにはこれだ」
カーネリアンからシトリンが受け取ったのは同じく白いうさぎ・・・しかしそれはヌイグルミだった。
「あにうえのうさぎはほんものなのに、なぜわたしのうさぎはぬいぐるみなんだ?」
指をくわえて不思議顔。
「それは秘密だよ」と、カーネリアンは意味深に笑った。
うさぎを腕に抱いて森を歩く。
ごくり・・・トパーズの喉が小さく鳴った。
喉が渇いていた。体が血を欲している。
牙が生えてからずっとそうだった。
「・・・うさぎの血は初めてだ」
味を想像して唇を舐める。うさぎは腕の中で震えていた。
数分後。
「・・・・・・」
気が付くとうさぎは死体になっていた。
体中の血を抜かれ、干からびている。
「・・・だめか」
トパーズはうさぎを地面に下ろして俯いた。
死ぬまで吸うつもりじゃなかった。
一旦牙を剥くと理性が保てなくなり、うまく加減ができない。
「・・・・・・」
「・・・埋めるぞ」
背後からオニキスの声。
トパーズは黙って頷いた。
二人並んで穴を掘る。
そこにうさぎを寝かせ、上から土を掛けた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
黙々と続く作業・・・そして小さな墓ができた。
オニキスと共に墓前で手を合わせる。
殺してしまった動物を弔う墓がまたひとつ増えた。
オニキスはトパーズの頭に手を乗せ、柔らかい銀の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「・・・行くぞ」
トパーズを軽々と抱き上げ、城に向かって歩き出す。
「あにうえっ!」
シトリンがすぐ近くまで迎えに来ていた。
「あのうさぎはどうしたのだ?これをくびにまいてやろうとおもってな!」
自分がしていたお気に入りのリボンをうさぎにプレゼントすると言う。
「・・・うさぎは森へ帰した」
トパーズの代わりにオニキスが答えた。
「え!?そうなのか・・・ざんねんだ・・・」
露骨にがっかり。
「しろで、どうぶつをかっちゃだめなのか?」
「・・・だめだ」
しゅんとするシトリン・・・
以前から何度も動物を飼いたいと願い出たが、オニキスから許可が下りることはなかった。
「お前がもう少し大きくなったら、自分の部屋で飼うといい」
「!!ほんとか?おおきくなったらかってもいいのか!?」
シトリンに笑顔が戻る。
「ああ、そうだ」
オニキスも笑顔でゆっくりと頷いた。
夏も終わりに近付いたある日のこと。
シトリンの肌はすっかり小麦色になっていた。
一方トパーズの肌は雪のように白い。
殆ど外出せず、暇つぶしに勉強。
「あにうえ〜・・・そのとしでひきこもりはまずいぞ〜。そんなもののなにがおもしろいんだ〜??」
高校の教科書を読んでいるトパーズの周りをシトリンがうろつく。
よほどトパーズと遊びたいらしく、何度断られても懲りずに誘ってくる。
「あそぼう!あにうえ!かわでさかなをとろう!」
「・・・うるさい。一人でやってろ」
いつにも増して冷たい返答。
とても喉が渇いていた。
オニキスから血を与えられてはいたが、どれだけ飲んでも渇望が消えることはなかった。
目につく生き物はすべて食料。甘い誘惑。ひとりになりたい。
「オレに構うな。どっか行け。早く」
「あにうえはわたしのことがきらいなのか?」
「・・・嫌いだ。だからもう近寄るな」
しっしっとシトリンを追い払う。
「わたしはあにうえがすきなのにぃ〜・・・」
ついにシトリンが泣き出した。
うわぁん!
「・・・・・・」
トパーズはシトリンを放って部屋を出た。
「・・・父上?」
逃げ込んだ書斎の奥から話し声が聞こえる。
「吸っていいよ。ついでだし」
「・・・では、いただくぞ」
「ど〜ぞ。思う存分」
そこで初めてオニキスが牙を剥く瞬間を目にした。
相手は銀の髪の女・・・ヒスイだった。
トパーズからは後ろ姿しか見えない。
「この女は・・・」
母親だとすぐにわかった。
とくん・・・
強く打った心臓の音。
甘い血の香りに目眩さえ覚える。
「・・・トパーズ?」
吸血中のオニキスが気配を察して顔をあげた。
プイッ!
オニキスと目が合った瞬間、身を翻すトパーズ。
「おい、待て・・・」
「え?オニキス?もういいの??」
オニキスはヒスイから離れ、トパーズを追った。
逢い引き現場を目撃された・・・少々気まずく思いながらも放ってはおけない。
「・・・今のは・・・母親?」
トパーズが足を止めて振り返る。
「・・・そうだ」
オニキスは膝を折ってトパーズと目線の高さを同じにした。
「・・・舐めるか?」
唇に残ったヒスイの血を親指で拭い取り、トパーズに差し出す。
「お前の母親の血だ」
「・・・・・・」
トパーズはオニキスの親指に吸い付き、舌を這わせた。
初めて知る母親の味。
「・・・・・・」
あまりの美味さに言葉を失う。
身を焦がすほどの渇望がぴたりと止んだ。
喉が渇いて、渇いて、人間の食物を口にできない程だったのに。
たったひと舐めしただけで苦しみから解放された。
夢のような体験・・・
「・・・どうだ?美味いだろう?」
こくり。素直に頷く。
ヒスイの血に心まで溶かされて、現れる本性。
5歳児の話し方もいつもの敬語もすっかり忘れて。
「・・・なぜいつも一緒じゃないんだ?」
その質問はオニキスを困らせるだけだとわかっていても、答えが聞きたかった。
オニキスは怯むことなく率直に返答した。
「・・・オレは選ばれなかった。お前の母親に」
「・・・・・・」
本当の親子ではないことは聞かされていた。
だからこそこの関係に疑問を抱いていた。
「父上・・・」
「何だ?」
「愛した女と他の男の間にできた子供をなぜ育てる?」
「他の男?」
オニキスが少し驚いた顔で聞き返した。
「ああ、そういえばそうだったな。忘れていた」
そして笑う。
「そんなことを気にしていたのか?」
「・・・・・・」
「お前はお前だ」
オニキスが頬を撫でる。
「オレの血を引いていたら、それは“お前”ではないだろう」
「・・・・・・」
「オレは・・・今、ここにいるお前が愛しい」
静かで力強い口調だった。
「何も気にすることはない。お前達から与えられるもので、むしろオレのほうが育てられているのだから」
「オレ達が?与えてる?何を?」
「・・・そのうちわかる。お前も」
歩いて揺れるオニキスの腕の中。
甘い血の匂いがして、とても心地いい。
トパーズは黙って瞳を閉じた。
「子供の頃、心から笑った記憶がない」
「お袋さんが死んじまったのは6歳の時だったっけか」
「ああ」
オニキスとカーネリアンの話し声に意識が引き戻された。
トパーズはそのまま寝たフリをして二人の話に耳を傾けた。
「国を継ぐ者として周囲の期待に応えようと必死だったのかもしれん。いつの間にか自分が愛に飢えた子供だということを忘れていた。オレには子供の気持ちがよくわからん」
「・・・アンタはよくやってるよ。トパーズが笑わないのは牙のせいだろ?子供のくせに大層なの持ってるもんなぁ。コイツ。牙は笑うと目立つからね。気持ちはわからないでもないけどさ」
トパーズは人前で笑うことがなかった。
オニキスもカーネリアンもそれを気にかけていた。
「・・・笑わせてやりたいねぇ〜」
「・・・育児書をいくら読んだところで、結局オレはこうすることしかできない」
オニキスはトパーズを抱く腕に力を込めた。
「子供の頃、オレが一番欲しかったものだ」
「・・・ぬくもり、か。確かに余計な気遣いや褒め言葉よりずっと心が満たされるかもしれないね」
バルコニーから並んで空を見上げる。
鰯雲が鮮やかなオレンジ色に染まっていた。
愛しくて。愛しくて。
共に生きたいと願うから。
全力で守り、慈しむ。
「この想いは・・・お前にちゃんと届いているか?」
オニキスはトパーズをしっかりと抱いて、銀の髪に顔を埋めた。
後日。
「ホラッ!ちょっとは笑いなよ!」
強行手段。
カーネリアンがトパーズをくすぐっている。
不感症。
どこを触られてもトパーズはピクリともしなかった。
「誰も見てないって!」
そう言ってにかっと笑ってみせる。
カーネリアンの口から鋭い牙が覗いた。
「八重歯みたいなモンだよ。チャームポイントだ」
「・・・・・・」
「頑固だねぇ・・・ホラ、ホラ、笑いな!」
トパーズの笑顔見たさに我を忘れて指を動かす。
「・・・ウザイ。オバサン」
ボソッとトパーズが呟いた。
「オバサン・・・だって?」
カーネリアンの顔がアップになる。そして・・・
あはは!至近距離で笑い出した。
「お前のほうがシトリンよりずっとアイツに似てるよ!こりゃ、将来が心配だ!」
笑いながらバシバシと背中を叩く・・・
「まぁ、色々あるだろうが、アタシもオニキスもお前の味方だ。
ひとりで抱え込むのはやめな!ガキはガキらしくだ!いいね!?」
「・・・オレを産んだ女・・・名前を何と言う?」
トパーズはカーネリアンの激励を軽く聞き流して訊ねた。
「“ヒスイ”だよ。んで父親は・・・」
「そっちはいい」
ゆるやかに流れる銀の髪。
忘れられない味と共にヒスイの姿を思い出す。
あの女の血が・・・欲しい。
いつか必ず手に入れる。
オレの渇きを止める、ただ一人の女。ヒスイ。
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