『僕は今、人生最大の危機を迎えている』
「おい・・・何シリアスぶってんだよ、そんな顔して」
そんな顔。コハクの顔。見事な下膨れになっていた。
メノウは笑いが止まらない。
「その歳で“おたふく”とは・・・」
オニキスも苦笑いの域を超え、爆笑したいところを必死で堪えていた。
「あぁ〜・・・ヒスイぃ〜・・・」
コハクが髪を掻きむしる。
「だめだよ。うつったら可哀相だろ。俺達はもう済んでるからいいけど」
「だってぇ〜・・・もう3日も顔見てないんですよぉ〜・・・発狂する〜・・・」
「馬鹿。夕べ話させてやったろ」
「ドア越しじゃないですかぁ〜・・・ヒスイ〜・・・ヒスイいぃぃ〜・・・」
コハクは目が虚ろになっている。
ゴホッ。ゲホゲホ。
赤面とは縁遠いコハクも熱で頬を染めていた。
「いくら呼んでも無駄だ。ヒスイは城で預かると言っただろう」
「そ。看病は俺達がしてやるから」
オニキスの言葉もメノウの言葉もコハクにとってはショックが大きかった。
(ヒスイに看病してもらいたかった・・・こんな時の為にナース服を用意しておいたのに・・・あぁ・・・)
バタッ。
ヒスイが家にいないと思うと起き上がる気力すら沸かない。
心が病気に負け、コハクは熱にうなされはじめた。
「45度だって・・・あり得ね〜・・・」
体温計を見たメノウが目を丸くする。
「頭パァになるんじゃん?」
「・・・もともと壊れてる」
「まあ、そうだよな」
二人頷き合って笑う。
「・・・コイツ歳くってるから。症状が半端じゃなく重よなぁ」
「死にはしないだろう」
「たぶんね」
メノウはコハクの額に氷嚢をのせた。
「・・・お前は今回休みだな。出番ナシだ」
モルダバイト城。研究室。
「どうしたの?難しい顔して」
机に向かうトパーズをヒスイが横から覗き込んだ。
「・・・教師が足りない」
「え?」
教育機関の最高責任者であるトパーズが、以前から頭を悩ませている問題があった。
学問のレベルが高いモルダバイト。
当然“教師”の敷居も高く、その数は万年不足気味だったのだ。
「・・・オレが行く」
「ええっ!?」
(トパーズが“先生”!!?)
ヒスイの妄想スイッチオン。
「それってまさか女子校じゃ・・・」
「女子校の数学教師だ」
「!!!」
(女子校なんてっ!!絶対キャーキャー言われる!!ファンクラブとかできちゃって!!ついでに生徒とデキちゃって!!)
息子に彼女・・・激しく複雑な心境だ。
(悪い女に引っかかったら大変だわ・・・)
ブツブツブツ・・・
「私も行くっ!!」
ヒスイは勢いよく手を挙げた。
「・・・お前、教師できるのか。教壇に立つんだぞ」
「!!」
(きょ・・・教壇!?)
ヒスイにしてみれば死刑台と一緒だ。
視線の集中する場所は耐えられない。
教える知識はあっても度胸がなかった。
「・・・・・・」
(どう考えても無理だわ。お兄ちゃんいないし)
諦めて口を閉ざすヒスイ。
「・・・まぁいい。ついてこい」
「・・・ちょっとコレ何よ」
清掃員スタイル。
前チャックのツナギに帽子。
瓶底眼鏡。トパーズに言われて髪を三つ編みにした。
ヒスイでもわかる。ダサイ。
「何で私がこんなカッコ・・・」
「お前が望んだことだ」
くくく・・・
邪悪な微笑み。実父であるコハク譲りだ。
「教壇に立てないヤツは校内の掃除でもしてろ」
「・・・・・・」
容赦のない物言い。ヒスイは何も言い返せない。
「ホラ、飲め」
「え?」
ポイッと口の中に放り込まれたタブレット。
ごくん。
「???」
「シトリンが飲んでいる薬を錠剤にしたものだ。髪と瞳の色を変えられる」
トパーズはヒスイと同じものを口の中へ放り込んだ。
みるみるうちに髪と瞳が黒く染まる・・・
「銀髪だと何かと面倒だ。モルダバイトの王家とは一切関係ないことにしておく。いいな?」
「うん」
ヒスイは鏡を覗き込んだ。髪も瞳も真っ黒になっている。
「シトリンの薬ってトパーズが作ってたのかぁ・・・」
(物心ついた頃から飲んでるって言ってたから、トパーズがコレを発明したのって・・・幼少時代!?)
モルダバイト女子高等学校。1年B組。
「私語・居眠り厳禁。課題を忘れた奴は・・・殺す」
自己紹介もそこそこにトパーズがそう言い放つと、女生徒達が一斉に騒ぎ出した。
「キャーッ!!!殺されたいっ!!」
「センセー!!彼女いるんですか!?」
「超カッコイイっ!!」
教室は異様なまでの盛り上がりをみせている。
(トパーズはアイドルじゃないんだからっ!!キャーキャー言ってないで勉強しなさいよっ!!!)
廊下に面した教室の窓にベッタリと張り付くヒスイ。
かなり不審だ。ある意味教壇に立つより目立っていた。
「・・・・・・」
(あの馬鹿・・・ちゃんと掃除しろ・・・)
他人のフリで注意を促す。
トパーズは教室を出てヒスイに耳打ちした。
「オレの周りをウロウロするな。資料室に行ってろ」
資料室。
「何よっ!ちょっと若いからって!!」
女子高生が妬ましい。妙なライバル心が燃え上がる。
「私だってっ!あと20年若ければ・・・!!」
若ければどうだというのだろう。
張り合う意味がわからない。
「それにしても・・・読み応えのありそうな・・・」
棚には数学理論の本がズラリと並んでいた。
(私、数学ってあんまり得意じゃないのよね・・・)
理系か文系かと言われれば、間違いなく文系。
いくら読書が好きでも資料室の本棚には手が伸びなかった。
(・・・・・・暇だわ)
トパーズは授業に入ったようだった。
(お兄ちゃん・・・生きてるかな・・・)
最近ヒジョ〜につまらない。
コハクと顔を合わせることもできず、トパーズには放置され、すっかりやさぐれモードだ。
「私・・・何しにきてるんだろ。馬鹿みたい」
床の上で膝を抱える。
「・・・帰ろ」
ヒスイは立ち上がり、資料室の出入り口へと向かった。
扉を開けると丁度そこに授業を終えたトパーズが立っていた。
「どこへ行く気だ?」
「帰る」
「それは無理だ」
「何で?」
「これから監禁される」
「誰に?」
「オレに」
トパーズが口元を歪ませる・・・銜えた煙草から灰が落ちた。
「えぇっと・・・」
ジリジリとヒスイが後ろに下がる。
そのまま壁際までトパーズに追い詰められてしまった。
「・・・よく似合っているぞ?おあつらえ向きだな」
トパーズは手を伸ばしてヒスイの三つ編みを掴んだ。
軽く引っ張って、解く。
「?ト・・・パーズ」
「オレが何故お前にこの服を着せたかわかるか?」
「何でって・・・」
「・・・こうするのに便利だからだ」
前あきの作業着。いきなりチャックを下まで降ろされた。
「!!ちょ・・・トパーズ!!?」
「・・・要は入れなければいいだけの話だろう」
「な・・・」
(何でそうなるのよ〜!!!)
ヒスイ、汗ダラダラ。
「親子のコミュニケーションだ。何の問題もない」
(コミュニケーション!?そうなの!?)
トパーズの手が背中に回される。
器用にも片手でブラのホックを外し、もう一方の手でヒスイの胸を直に掴んだ。
「ま・・・待って!ほらっ!私オバさんだしっ!」
「・・・確かに年増だが、見た目が若ければいい」
「で、でもっ!!胸小さいからっ!ヤリ甲斐ないよ!!」
意味不明な叫び。
「・・・寄せて上げればなんとかなる。ホラ、こうだ」
「ちょっ・・・やめ・・・」
ああ言えばこう言う。言葉で決着はつきそうにない。
トパーズはヒスイの耳を噛んだ。
「あ・・・こらっ!!」
ヒスイの胸を揉みながら、舐めては噛み、噛んでは舐める。
(ダメ!ダメ!絶対ダメっ!これはNGよっ!!)
しかし抵抗しようにもがっちりと押さえ込まれ、全く身動きが取れなかった。
相変わらず容赦がない。
「センセ〜?いる〜??」
女生徒の声。足音が扉の前で止まる。
「!!!!」
更に硬直。全身から冷や汗。
「・・・大丈夫だ。鍵をかけてある」
トパーズが耳元で囁く。そしてまた噛む。
「センセ〜!?いるんでしょ!?」
ガチャガチャとドアノブを捻る音・・・
「おかしいなぁ・・・ココ入るの見たのに」
「・・・何か用か?」
ドア越しにトパーズが答えた。
「さっきの授業でどうしてもわかんないトコあって」
「・・・どこだ。言ってみろ」
カリッ・・・
「!!やっ・・・」
乳首を強く噛まれ、思わず声をあげそうになるヒスイの口をトパーズが右手で塞いだ。
「声を出すな。バレるぞ?」
意地悪な表情。憎々しい小声。
「因数分解で・・・」
女生徒が質問を述べる。
指数法則・乗法公式・平方根。
見た目はギャルっ子でもレベルの高いクラスの生徒だ。
頭は悪くない。
「・・・それは基本対称式の応用問題で・・・」
説明をしながらヒスイの肌に舌を這わせる。
「与式-{x+(y+z)}{(y+z)x+yz}・・・・・・別解としては・・・」
(し・・・信じられない・・・なんでそんなに平然としてるの・・・)
トパーズの神経についてゆけない。
「えっとじゃあ・・・」
生徒の質問は続いた。
「・・・割る式が2次式で因数分解が可能な場合は剰余の定理を用いて・・・」
ヒスイの頭上で数式が飛び交う。
「P(3)=3a+b= -2・・・」
(んむっ・・・!?)
トパーズの指が下の穴を探る。
(!!だめっ!だめっ!だめぇ〜っ!!)
ヒスイはブンブンと頭を振って猛烈に抵抗した。
「・・・で、連立方程式を・・・」
ブンブン!プルプル!
(お願いっ!やめてっ!!)
涙目でヒスイが哀願する。
「・・・・・・」
「センセ〜?それで?」
「・・・答えは-3x+7だ」
「あっ!わかった!ありがと!センセ!」
また明日ね!と生徒の足音が遠ざかる。
「・・・・・・」
最後のひと噛み。
ヒスイの二の腕を強く噛んで、トパーズはヒスイから離れた。
「・・・手伝え」
「え?」
「課題のプリントを作る」
「あ・・・うん」
乱れた衣服を直してヒスイが見上げる。
「・・・教えるの上手いね」
「これが仕事だ」
(トパーズって“教える”のに向いてるのかも・・・さっきの説明も丁寧だったし・・・)
「モルダバイトの沽券にかけて赤点は1人も出さない」
「・・・・・・」
(熱血教師だわ・・・)
「・・・そういえば今週の土曜だが」
「土曜日?」
「校外学習がある」
「校外学習?どこか行くの?」
「レクリエーションだ。遊園地へ行く」
「遊園地!?いいなぁ・・・新しくできたトコでしょ!?当然トパーズも行くのよね?引率で」
「・・・お前も来い」
「うんっ!お兄ちゃんが行ってもいいって言ったら行く!」
そして土曜日。遊園地。現地集合。
「えっと・・・メリーゴーランドの前でいいのよね」
流石に今日は私服だ。
お気に入りのキャミソールにカプリパンツ。
帽子と瓶底眼鏡は軽い冗談で着用していた。
「トパーズまだかな・・・」
「・・・・・・」
その時、背後から手が伸びた手に突然抱き締められた。
「ひゃ・・・っ!?ト、トパーズ!」
「・・・よくアイツが許したな」
「お兄ちゃん、まだ寝込んでるの。“トパーズと出かけるなんて言ったらまた熱が上がるからこっそり行っておいで”ってお父さんが・・・」
「・・・成る程。いい気味だ」
「つまんないよ。お兄ちゃんいないと」
ヒスイが口を尖らせる。
コハクに会えないことはヒスイにとっても結構なストレスになっていた。
「あっ!アレ乗ろうよ!!」
ふと目に付いたジェットコースター。
あまり乗り物には強くないヒスイでも、一度は乗っておきたい遊園地名物。
“身長140cm以上”の注意書きがしてある。
「・・・乗れるのか?」
「失礼ね!乗れるわよ!」
開園してすぐだった為、まだ空いていた。
二人は短い列の最後尾に並んだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ゴォォォォォオーッ!!キヤァァァーッ!!
コースターの滑走音と乗客の悲鳴を背中に受けながらフラフラと歩く二人・・・
「す・・・ごかったね・・・」
「・・・・・・」
ヒスイもトパーズも青い顔をしている。
「トパーズ・・・?大丈夫?」
「・・・・・・吐く」
トパーズが深く項垂れた。
いつもの生意気はどこへやら・・・衰弱しきっている。
「ええっ!?」
ヒスイはもたれかかるトパーズを引きずって、男子トイレを探した。
「あっ!あった!トパーズ!しっかりして!!ほらっ!あそこで思う存分吐いてきて!!楽になるから!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
遊園地を散策するどころではない。
最初に乗ったコースターで二人ともすっかり意気消沈してしまった。
芝生広場に腰を落ち着け、トイレから戻ったトパーズを膝枕。
トパーズはぐったりとして、一言も話さない。
大人しくヒスイの膝に頭を乗せている。
「ねぇ、ひょっとして夕べ一睡もしてないんじゃ・・・」
トパーズの徹夜は日常茶飯事。
連続で完徹することもしばしばあった。
「・・・甘く・・・みていた・・・」
トパーズはそれだけ口にして、また黙ってしまった。
(相当まいってるわね・・・)
頭を撫でても怒らない。怒る余裕がないのだ。
「あ・・・いい風」
深呼吸。広場を吹き抜ける風が気持ちいい。
「集合時間までこのまま寝ててもいいよ」
「・・・・・・」
やっぱり答えはない。
ヒスイはそっとトパーズの頭に手を乗せた。
「先生いないね〜」
「あ〜ぁ、一緒に回りたかったのにぃ〜」
「先約がある、って断られた子いるみたいだよ」
「何ソレ〜!!」
ぞろぞろと1年B組の生徒が通る。
「!!ねぇ!ちょっと!アレっ!!」
「先生と・・・チビダサ!?」
チビダサ。
清掃員ヒスイのアダ名だった。
トパーズと一緒にやってきて数日・・・奇行が目立っていた。
ろくに掃除もせず、トパーズの周囲をウロウロ・・・女生徒に目を付けられていた。
瓶底眼鏡がトレードマーク。
そして、遊園地にわざわざ瓶底眼鏡をしてきたのがアダになった。
「チビダサっ!」
「え?」
ヒスイが顔を上げた。
(チビダサ?それって私のこと??チビ?ダサイ??)
ぐるりと女生徒達に囲まれている。
肝心のトパーズは熟睡していて全く無反応だった。
「センセ〜とどういう関係なワケ!?」
「え・・・?関係??」
詰め寄られても返答に困る。
「親戚というか・・・何というか・・・」
口ごもるヒスイに迫る1年B組。
大人数。大迫力。
「恋人じゃないの!?」
(どっ・・・どうしよう・・・)
「コラコラ。苛めちゃダメですヨ〜」
「サファイア!?」
「先生!」
(えっ?先生!?まさか・・・)
生徒達の間を抜けてサファイアが近付いてくる。
「もしかしてサファイアも?」
「エエ。臨時デ駆り出されましテ。外国語の方を少シ」
「サファイア先生!その女何なんですか?」
サファイアに生徒の質問が飛ぶ。
クスッ。
「・・・この方をドナタと心得ますカ」
サファイアの口上。
「???」
訳がわからない内に、瓶底眼鏡を取り上げられてしまった。
ヒスイの素顔を見て周囲がザワつく。
「すっごい美人!!」
「ウッソ!?こんなのアリ!?」
「でもこの顔どこかで・・・」
「その通〜リ♪モルダバイトの王妃様であらせられマス」
サファイアがヒスイの額に手を翳す・・・
すると、黒く染めていた髪が一瞬にして元の色に戻った。
銀髪。モルダバイト王妃の証だった。
「!!おっ・・・王妃様ぁ!?」
生徒達の間に萎縮のムードが広がる。
「ちょっと若すぎない!?」
「神隠しに遭ってたんだって!」
ヒソヒソヒソ・・・
(もうっ!サファイアってば!)
ピンチを切り抜けたはずが、逆にピンチ。
弁解がかなり難しくなってきた。
「・・・行くぞ」
「え?」
目を覚ましたトパーズがヒスイの手を掴んだ。
二人、走って逃げる。
はぁっ。はぁっ。
「・・・ここで解散だ。お前は帰れ。もう学校へは来るな」
遊園地の出口前でトパーズはヒスイの手を離した。
「・・・ん。その方がいいみたいだね」
「・・・ホラ、手を出せ」
「?」
チャリン。
硬貨が3枚。ヒスイの手の平に落ちた。
「・・・これまでのお前の働きに対する報酬だ」
日本円にして300円。子供の小遣いにしても安い。
「わぁ・・・」
それでも嬉しかった。
現金をあまり持ち歩くことのないヒスイには、思いがけない収穫。
硬貨を握り締め、喜びに浸る。
使い道はもう決まっている。
ヒスイは笑顔でトパーズに手を振った。
「ありがとっ!!お兄ちゃんにお土産買って帰るね!」
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