「ひしゅいね、おにいたんとおぷろはいりたい」


兄コハクの三つ編みを引っ張り、幼女ヒスイがねだる。
このところ毎晩だ。
(可愛いぃぃ~!!!けど・・・)
コハクは嬉しくも困っていた。
ヒスイ入浴の際はシャツの袖とズボンの裾をそれぞれ捲り上げて付き添っていた。
それもこれも・・・背中にヒスイには見せたくないものがあるからだ。
ヒスイと生きる為に刻んだ禍々しい紋様。
デザインはメノウだ。
(ヒスイの好きなクマさん柄にでもして貰えば良かった・・・)
しかも・・・右手の中指に嵌められた指輪は下心に反応してコハクの体を硬直させるのだ。
それもメノウによるものだった。
(ヒスイと一緒にお風呂入ったらガチガチになっちゃうだろうなぁ・・・)
何かと都合の悪い事ばかりで、ヒスイの頼みとはいえOKできなかった。
「う~ん。お兄ちゃんはとっても恥ずかしがり屋だから」
苦しい言い逃れ・・・
「はじゅかしがり?ちがゆでしょ!」
3歳のヒスイにも信じて貰えず、しかも怒られた。



それから数日後。

「た・な・ば・た?」
「そう。七夕」
世間に遅れを取らないよう、人間の習慣、行事や流行は常にリサーチしている。
今年から導入を決めた新たなイベント。七夕。
「この短冊に願い事を書いて、笹に吊るすんだ」
「そうしゅると、どうなるの?」
「願い事が叶うよ」
「なんでも?」
「なんでも」
何を書いてもいいからね・・・と、ヒスイにペンを持たせる。
「何枚書いてもいいよ。欲しいものとか、行きたいところとか」
(全部叶えてあげる、僕が)
短冊はアンケート用紙のようなもので、今後ヒスイの笑顔を増やす為の参考にするつもりだった。

ところが。

「ひしゅい、これだけでいい」
ヒスイが書いたのはたったの一枚。
短冊を裏返し、両手で隠していた。
「何て書いたの?」
コハクが尋ねるも・・・
「ひみちゅ!おにいたんはみただめっ!!」
ヒスイは短冊を持って逃げ、リビングの角に設置された笹の葉の一番下に結んだ。



その夜。

「どれどれ・・・」
ダメ押しされても、こればかりは見ない訳にはいかない。
ヒスイを寝かし付けた後、コハクは短冊を手に取った。


おにいたんと、おぷろにはいれますように。


(僕だって・・・一緒に入れるものなら入りたいけど・・・)
「さて、どうしようかな」



そして、七夕の夜。

「ヒスイ~おいで~」
「あ~い」
シャツの袖とズボンの裾を捲り上げたコハクが呼んだ。
ヒスイの願いに応える事はできなくても、なんとか喜ばせたい。
「ほ~ら。ヒスイ専用のお風呂だよ」
浴室の隣の部屋を大改装したのだ。
全長1m程の小さなバスタブ。
内装はピンクと白を基調に、金具は金で統一した。
メルヘンな縁取りの掛け鏡もミニサイズ。
雰囲気作りには徹底的にこだわった。
湯船には花びらが浮いていて、芳しい香りを漂わせている。
「おひめしゃまのおぷろみたいっ!!」
ヒスイは大喜びだ。
「そうだよ。ヒスイは僕のお姫様だから。気に入ってくれた?」
「うんっ!!」
(よし、これでしばらく誤魔化せるぞ)

お風呂の国のお姫様。

ヒスイの頭に載るのは、冠ではなくシャンプーハット。
高級なバスローブも用意してある。
いざ、プリンセスの湯へ!と、ヒスイの服を脱がせたところで、事態はコハクの予想と反し。


「でも、ひしゅいやっぱりおにいたんといっしょがいい」


どうちてダメなの?と、見上げる様は途轍もなく愛らしく。
(可愛いぃぃぃ!!!)
萌えるあまり、返答を怠ったのが不味かった。
ヒスイはたちまち不機嫌になり・・・
「おにいたんのばかっ!!」
「あ!ヒスイ!!」



ふて腐れたヒスイは、裸のままベッドによじ登り、タオルケットへ潜り込んだ。
すぐにコハクが追ってきて謝る。
「ごめんね、ヒスイ」
「・・・・・・」
「天の川、見に行こうか」
「あ・ま・の・が・わ?」
ヒスイがタオルケットから顔を覗かせる。
コハクが天の川にちなんだ織姫と彦星の話をすると、ヒスイは興味津々・・・怒りはどこへやら。
間もなく二人は夜の散歩に出かけた。
誰もいない村の夜道。
コハクがヒスイをおぶって歩く。
「見てごらん。あれが天の川だよ」
コハクの指が天空を示した。
「わ・・・ぁ」
青白い星屑の群れ・・・ヒスイはコハクの背中で、生まれて初めて天の川を見た。
感動で言葉にならない感覚も、この時知った。
「・・・ヒスイの願い事はちゃんと叶うよ」
「ほんちょ?」
「すぐじゃないけど、いつか必ず」
ヒスイが願い続けてくれる限り、そのチャンスはあると思うのだ。
するとヒスイは・・・
「わかった!およめしゃんだ!」
「え?」
ヒスイの発言に驚くコハク。
「おにいたんのおよめしゃんになったら、いっしょにおぷろはいってくれゆ?」
「・・・うん。その時は一緒にお風呂入ろうね」
指切りで約束を交わし、“一緒にお風呂”はしばらく封印。
けれども、帰り道は揃って笑顔で。

思い出に残る夜となった。



翌日のおやつの時間。

「ば・な・な?」
「そう。バナナ」
コハクは、市場でとても珍しい果物を見つけた。
少々値は張ったが、果物好きなヒスイの為、迷わず買い占めた、バナナ。
「南国の果物なんだって」
食べ方も店頭でしっかり聞いてきた。
「こうやって、黄色い皮を剥いて・・・」
白く柔らかそうな、バナナの実。
「わぁ・・・おいちそう」
ヒスイの目が輝く。
「食べてごらん。甘いよ」

はむはむ。もぐもぐ。

コハクに与えられたバナナを懸命に頬張るヒスイ。
その口元にコハクの視線は釘付けだった。
(バナナって・・・カタチがちょっと男のアレを思わせる・・・僕の方が断然立派だけど!!)
密かにバナナと張り合うコハク。
(ヒスイが僕のを咥えたら、こんな感じなのかな・・・ああ・・・可愛い・・・)
恍惚と、ヒスイに見とれる・・・怪しい。
「おにいたん?どうちたの?」
「え!?な、なんでもないよ。なんでも・・・」


だめだ。だめだ。
ヒスイにとって僕は“兄”なんだから。
僕は兄、僕は兄・・・まだ幼いヒスイ相手にソレはマズイ・・・


『僕は兄』自制心を強化する呪文だ。


コハクは心の中で何度も繰り返した。


なんとか下心を追い払い、優しい兄の顔で小さなヒスイの頭を撫でる。
「バナナはね、すごく栄養があるんだって」
「たくしゃんたべたら、おおきくなる?」
「うん。そうだね」



おやつタイムの最後に交わした何気ない質問と答え。
それがきっかけとなり、深夜、事件は起きた。
「あれ?ヒスイ??」
入浴を済ませたコハクが部屋に戻ると、いつもならヒスイの愛らしい寝顔が見えるベッドにその姿がない。
「どこいったんだ?」
廊下を走り、片っ端から部屋を覗いていく。
ヒスイはすぐに見つかった。
台所でゴソゴソ・・・小さな影が動いて。
「ヒスイ?」
「う~・・・ん」
暗闇の中から苦しそうな返事が返ってきた。
「ヒスイ!!」
慌てて灯りをつける。
するとそこにはお腹を抱えて苦しんでいるヒスイが。
そして周囲は・・・バナナの皮だらけだった。
この状況からして、食べ過ぎだ。
「ヒスイ!!どうしてこんな・・・」
「たくしゃんたべておおきくなったら、おにいたんのおよめしゃんになれるでしょ」
「ヒスイ・・・」
「およめしゃんになったら、いっぱいだっこしてくれゆし、いっしょにおぷろはいれるもん。だから、はやくおおきく・・・うぷっ・・・」
「ヒスイ!?」
「きもちわるぅ~・・・」
お腹の皮が破けそうと苦しむヒスイを、コハクはベッドへと運んだ。



「よしよし・・・」
「う~ん。う~ん」
一晩中、ヒスイのお腹を撫でて。
時折、手の甲にキス。
「お・・・にいたん」
「ん?」
朝方、ヒスイは薄っすら目を開けてコハクを見た。
「およめしゃん、ひしゅいがおおきくなるまでまっててくれゆ?」
「うん。待ってるよ」
コハクがそう答えると、ヒスイはホッとしたように笑って、再び目を閉じた。


なんて・・・愛しいんだろう。
(涙、出そ・・・)
愛しさが、鼻にツンと込み上げる。


「おにいたぁ~・・・」
寝言でヒスイの唇が動いた。
穢れを知らないその唇に、キスしたくなる。


僕は兄・・・僕は兄・・・


「こんな気持ちでいっぱいなの、バレたら嫌われちゃうかな」
明らかにこの感情は“兄”が抱くべきものではない。


愛しくて。愛しくて。


ヒスイはまだ子供だとわかっていても、触れたくなってしまうから。
「コレがあって良かったのかも」
右手の中指に光る欲望抑制リング。
「もう少しだけ、しててもいいかな」


僕は兄・・・僕は兄・・・


今は・・・まだ。




∥目次へ∥