甘く漂う、ヒスイの匂い。

内側の温度。圧力。快感と征服感。

無理矢理合意させ、抉った二度目。

・・・今も。忘れられずに。



屋敷。リビングにて。

「むにゃ〜・・・」
床に転がり、ヒスイは昼寝中。
枕代わりのクッションに涎を垂らし、美少女の名が泣くダラけた寝顔だ。

ゴロゴロ・・・

「・・・・・・」
あまりの能天気ぶりに時折腹が立つ。
トパーズはソファーから立ち上がり、片足でヒスイの背中をぐりぐりと踏みつけた。
(オレの前で、どうしてこう無防備でいられるのか)
それが不思議でしょうがない。
「んふっ・・・おに〜ちゃぁ・・・」

実の息子に犯され、子供を産んだ。

それでも、ヒスイが口にする名前は変わらなかった。
「トパーズ、ちょっと」
コハクがキッチンから顔を覗かせ、手招き。
「・・・・・・」
呼ばれても、返事はまずしない。
しないが、コハクを無視するとかえって面倒な事になるので、とりあえず応じる。
トパーズはヒスイを踏み越え、キッチンへ向かった。
「離乳食の材料、買ってきてくれる?」
「だぁ〜・・・に〜ちゃ」
床を這ってきて、トパーズの足にしがみつく銀髪の赤ん坊。
「ジストも連れていっていいから、散歩がてら、ね?」



コハクが外出を促すもの納得。
麗らかな、春の日だった。
ジストを腕に抱いて、屋敷の門を出る。
子供を連れているので、煙草はしばらく我慢だ。
「煙草はやめた方がいいよ。体に悪いよ」と。
ヒスイの執拗な禁煙運動は今もなお続いている。
(面白い・・・)
だから、止めない。
愛故の、天の邪鬼。
ヒスイが懸命になればなる程、トパーズは禁煙から遠ざかるのだ。
「・・・春か」
白いモンシロチョウが過ぎ去り、季節を感じる。
ポカポカ陽気。
まさに“春眠暁を覚えず”で。
ジストはウトウト・・・トパーズもつい大欠伸。

・・・みんな、眠い。

トパーズはいつもより少し遅い歩調で町へ向かった。



モルダバイト城下町。とある豪邸前。

「ファントムだ!」
一般人Aの声。
「何が盗まれたんだ?」
「もう逃げたのか!?」
B、Cと続き、騒然とする現場を警官が忙しなく動いている。
『ファントム』とは、身寄りのない子供達を集めた義賊の呼び名だ。
不当な金品しか盗まない。
近年は主に人助けを目的とした万屋的活動をしていた。

ザワザワ・・・

見物人の群れから、不敵に笑う赤毛美女が出てきた。
いかにも野次馬の一人のように振る舞っているが、ひと仕事終えた『ファントム』の長、カーネリアンだった。
昔・・・幼いトパーズがまだオニキスの元で暮らしていた頃。
しょっちゅう離れの宮殿に出入りしていた女だ。
明朗快活。子供好きで、よく双子の世話を焼いた。
ちなみに吸血鬼・・・齢は100を超える。
同族のヒスイを妹のように可愛がっていた。


「トパーズじゃないか!ああ、ジストも一緒かい!!」


会うのは本当に久しぶりだった。
「ここで会ったのも縁だ。寄ってきな」
耳打ちで、カーネリアンにアジトへ誘われるトパーズ。
「急ぐ用じゃないんだろ」と、見抜かれ。
「・・・・・・」
早々に帰宅したところで、夫婦の濡れ場を見せつけられるだけだ。
(どうせ今頃・・・)
夢現のヒスイにコハクが襲いかかっている事だろう。
嵌められ、擦られ、喘ぐヒスイ。
・・・非常に不愉快だ。
トパーズはアジトへ寄る事にした。



ファントムのアジトは各地にある。

モルダバイトの樹海の古城もそのひとつだ。
結界魔法で常人の目には映らないようになっていた。
トパーズが数年ぶりに訪れた古城。
外観こそ古めかしいが、城内は割合手入れが行き届いており、他メンバーの姿もちらほら見受けられた。
遠目から頭を下げる者、気さくに話しかけてくる者、いずれも人間ではない。
カーネリアンの自室に通されると、ジストが目を覚まし、ソワソワしだした。


「ひしゅ〜ぅ・・・」


“ヒスイ”と言っているつもりらしい。
どうやらお腹を空かせているようだ。
「・・・・・・」
物覚えも滑舌も良いサルファーに比べ、ジストは乳離れも遅く、我が子ながら頭が弱そうだ。
・・・が、やっぱり親馬鹿。
トパーズにしてみれば、可愛い事この上ない。
「ぅ〜・・・ひしゅ〜・・・」
乳を欲し、ヒスイを探すが、ここは屋敷ではなく。
当然ヒスイは見つからない。
「アタシの乳が出りゃ、飲ませてやるんだけどさ」
カーネリアンは豪快に笑い。
「これしかご馳走してやれないよ」と、粉ミルク入りの哺乳瓶を持ってきた。


「ああ・・・可愛いねぇ・・・」


カーネリアンはジストの父親がコハクでない事も知っていた。
月日が経つのは早いものだとしみじみ語り、トパーズとジストを同時に見つめて。
「アンタもパパだもんなぁ」
「・・・・・・」
何を言われても黙秘するしかない。
自分はあくまで“兄”であり、実の父親であることは明かさない。
それが一家のルール。
ジストの幸せでもある、と。
「に〜ちゃぁ・・・」
「・・・・・・」


ジストは、オレが犯した罪の塊。


カタチとして残った、罪そのもの。


けれども・・・


これほど愛しい罪があるだろうか。


ジストを腕に抱く度、思う。


「ヒスイが欲しいなら、アタシが攫ってきてやろうかい?」
お手のものさ!と、カーネリアンが胸を張り。
トパーズがクールに返す。
「馬鹿言え。一緒に暮らしてる」
昔もよくこんなやりとりをした。
「・・・懐かしいねぇ」




十数年前・・・同場所。

「王子が来たぞ!」
「ホントだ!!王子だ!!」
ファントムのアジトに時折現れるモルダバイトの王子。
太陽の光が苦手なので、大抵それは雨の日。
銀の吸血鬼特有の美しさと、近寄り難い雰囲気で。
ファントムの子供達の間では有名だった。
「トパーズ!どうしたのさ?何かあったのかい?」
「・・・別に。暇だからだ」
盟友オニキスの息子でもあるトパーズ。
いつでも大歓迎だが、何かあった時しか顔を出さない事も知っていた。
(ったく意地張るんじゃないよ。子供のくせにさ)
「・・・ヒスイんとこ連れてってやろうか?会いたいんだろ?」
「いい」ムキになって否定するあたりが、まだまだ子供だ。


「オニキスに昔話をねだるのは気が引けたのか、よくアタシんとこ来たね」


“ヒスイ”の話が聞きたくて。

追憶は一旦そこで途切れ、それから改めてカーネリアンが言った。
「アンタに会ったらさ、話したい事があったんだ」




再び過去。回想。

「まったく!!我が子を放ったらかして何やってんだい!!」
一度ヒスイに釘を刺してやろうと、屋敷に乗り込んだ日。
ヒスイは・・・
本棚と向き合っていた。
「ん〜と・・・」
隙間なくびっちり詰まった本の並びから一冊の本を抜き取ろうと背伸び。
「わ・・・っ!」

バサバサバサ・・・

頭上から大量の本が降ってきた。
「いたっ!!」
(危なっかしいねぇ)
窓の外から様子を窺うカーネリアン。
現場に飛び込み、手助けしてやりたくなる。
(ああ、怪我してるじゃないか!)
「う〜・・・」
降ってきた本の角が当たったらしく、額を赤く腫らし。
それでも何かを探している。
「あった!!」
子供の頃、大好きだった本。
「トパーズも本をよく読むみたいだから・・・」


『オニキスの書斎にこっそり置いてこよっ!!』


「シトリンはどうだろ・・・本読むかなぁ・・・」
床に散らばった本の中から一冊。
文字の少ない絵本を選び。
ヒスイは家を抜け出した。


恥ずかしいから。


お兄ちゃんには内緒。


オニキスにも内緒。


(喜んでくれるかな)


本を二冊、抱えて、笑って。
軽快に駆け出すヒスイ。


「笑顔がひとつ、増えればいいな」


「・・・ってさ。時々、本持ってってたんだよ」
「・・・・・・」
すべてオニキスの所業だと思っていた。
書斎で見つけた、見慣れない本。
すぐ手にとって読んだ。
間に挟んであった四つ葉の栞を今もまだ持っている。
「あいつの仕業だったのか・・・」
「“お兄ちゃん病”のヒスイは、ちょっとズレてるとこあるけどさ。あんた達の事、愛してなかった訳じゃないんだよ」
「・・・・・・」


気付かなかっただけで。


愛は・・・ちゃんとそこにあったのに。


「強姦されてもヒスイがケロッとしてるのは、アンタの事愛してるからだ」
「・・・帰る。また犯りたくなってきた」
空っぽになった哺乳瓶をカーネリアンに突き返し、トパーズは身を翻した。



「アタシもしょうがないねぇ」
分の悪い方に味方したくなる性質で。
今日、あえてこの話をした。
「・・・親になってみなきゃ、わかんない事もあるだろうからさ」
コハクとの間に産まれた子をヒスイが愛さない訳がない。
「アンタがジストを想う気持ちと一緒だよ」
もう部屋に親子の姿はなかったが、カーネリアンは最後にそう呟いた。



早い歩調で帰路に着くトパーズ。

(・・・あの馬鹿女)

「に〜ちゃぁ?」
ヒスイを愛しいと思えば思う程、ジストも愛しく。
「・・・・・・」


抱き上げると頬に伸びてくる小さな手の温もり。


(これは・・・)


罪の塊・・・じゃない。


愛の塊・・・そう、思いたい。


昼下がりの、桜並木。



赤い屋根の屋敷。

ヒスイは朝と同じ場所で眠っていた。
服は変わっても、だらしない寝顔は変わらない。
「ひしゅ〜!!」
帰ってジストをリビングの床に離すと、すぐさまヒスイの側に寄ってゆき、乳をまさぐった。
「ん〜・・・ジス・・・ト?」
寝惚けた顔でヒスイが起き上がり、ジストに乳を与えようとするが、シャツのボタンを二つ外したところで深く俯く。

こくり。こくり。

半分・・・以上寝ている。
しまいにはズルリと崩れ落ち、再び夢の中・・・
貰えそうで、貰えず。ジストはガッカリ。
指を咥え、今にも泣き出しそうだ。
「・・・・・・」
普通の・・・男女の間柄ならば。
抱き締めて。“愛している”と言えばいい。


・・・が、現状は。


愛しさを伝える術もなく。


結局、これしかない。
「・・・起きろ。馬鹿」
ぐりぐりと。懲りないヒスイを、踏みつける。



今日も、愛を込めて。




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