一番最初に覚えている感情は、何かを求める渇望だった。


ちょうだい!早く!
喰いたいんだ!もっと!もっと!
お願いだからそれをくれ!!

何度も繰り返し、願い、祈り、のたうちまわる。


自分が何を求めているのかわからないまま・・・・。


そして、すぐに気が付いた。

自分がいかに忌むべき者か。

この世界での自分の姿を。



「・・・っく、おも・・い・・・。」

太陽が西に傾きかけた時刻、いつものようにトパーズは最悪な機嫌で目覚めた。

なんだか、嫌な夢を見ていた気がする。
しかも・・・
なんだか胸のあたりが重たく、暑い。

ふっと、凶悪な顔に銀の髪を貼り付け、首だけ起き上がり胸元に感じる不快の原因を探る。
「ちっ・・。シトリン!」

そこには、気持ち良さそうに丸まって眠る猫の姿があった。


半分身体を起こしタバコを咥えるトパーズ。その動きで自分の上から猫が、「にゃ〜」とシーツに転げて落ちるが、
目覚める気配はない。

「・・・バカ女。」
トパーズは吐き出した煙とともにそうつぶやいた。

たしか、今日はヒスイがコハクと子供たちを連れて、ジジイの所に行くと言っていた。
遊びに来たが誰も居らずここにきて、いつのまにか眠ってしまったのだろう。

ふと、ベットの端を見ると、色違いのパイル地の小さな熊のぬいぐるみが3個入ってあるかごがある。
ジストたちへのおみやげだろうか・・・

(見覚えがある。)

その中のブルーの熊のぬいぐるみをトパーズは取り出した。

「同じ・・・ものか。」

それは、たしかオニキスが自分とシトリンのために与えてくれたぬいぐるみと同じものだった。

ふわふわで触り心地がよく、2歳か3歳ぐらいだった頃の二人のお気に入りだったのだ。このぬいぐるみがあれば、二人の機嫌は良く、お昼寝も愚図らずできたものだ。

けれど、トパーズのブルーの熊はすぐにぼろぼろになってしまった。
トパーズがずっとかじり続けたために・・・。

「・・・・。」

毎日噛みつづけた熊は、手と足はもげ、頭の部分も外れそうになり、そのうちその形が何か分からないほど、ぼろぼろになってしまった。
そのため、ある日突然、ブルーの熊のぬいぐるみはトパーズの前から姿を消したのだ。

メイドたちが修復困難なほどぬいぐるみが壊れたために・・・・。


今、同じ熊のぬいぐるみを触ってみる。懐かしいような優しい触れ心地。

でも、
齧りたいとは思わない。あの頃のように・・・。


トパーズはじっと隣に横たわる猫を眺めた。
手をかざし、人型に戻す。

黄金色の髪がうねるようにシーツに舞い落ちる。
筋肉質だが、白く女らしい柔らかな肌をもつ身体が現れる。
菫色をした瞳は今もまだ、まぶたの奥に閉ざされているが・・・。


そっとトパーズはシトリンの背中に手をすべらせる。

滑らかな吸い付きそうな肌。

舞い落ちる黄金色の髪にも触れる。

シルクのような冷たい感触。


(もう・・・・。大丈夫だ。)

トパーズはきつくまぶたを閉じそっとシトリンの背中に顔を埋めた。



もう、飢えはない。
齧りたいという欲求も沸くことはない。


あの熊のぬいぐるみは、自分の心の中に戒めとしてずっと残り続けた。


気に入れば、気に入るほどそれが欲しくなる。
もっと!もっと!もっと!
形が崩れようと、どうなろうとそれが欲しくてたまらない!

喰いたくて!喰いたくて!喰いたくて!
己の一部にしたくなるほどの、歪んだ渇望!

自分の飢えの恐ろしさを、初めて理解した出来事だった。


だから・・・
シトリンを出来るだけ遠ざけた。


いつか、ぬいぐるみの熊のように、壊してしまうのが怖くて・・・。


トパーズはふとまぶたを開いて触れているシトリンの肌を眺めた。

ところどころに残る桜色の痕。

首のうしろの骨の出っ張りの下。
肩甲骨のくぼみ。
なだらかにカーブする、背中と臀部の境目。

他にも、さまざまなところにある印。

「やってくれるな・・・ジン。」


トパーズは自分の中に湧き上がる不愉快な気配に、凶悪な笑顔を見せ、

その桜色の痕にそっと口付けた。

唇が離れたその場所には、何もなかったかのように元の白い肌がのぞいていた。


「・・・んん。」

何度も何度も繰り返すトパーズの口づけにシトリンが身じろぎする。
目覚めかけているのかもしれない。かまわず、まだ残る背中の桜色の印に口付ける。
そして手をベッドとシトリンの身体の間にねじ込み、横向きにし、豊かな胸に残る桜色の印にも触れて消してゆく。

「ん〜ん。・・・」

触れられる手が気持ちいいのか、小さく甘い声がもれる。

トパーズはその声に微笑んだ。
その表情は誰も見たことがないほど、穏やかで優しい。

桜色の印はありとあらゆる処に残る。
引き締まった太腿。
筋肉のついた腕の内側。
形のいいへその横。

トパーズの手がその上をゆっくり優しく触れ、消していく。
(へんな、気分だ。)
抱きたいという欲情は全く起こらない。その証拠に男の部分になんの反応もうかがえない。
それよりも、もっと、もっと優しく触れていたい。

「んん。・・・じ・・ん?」
シトリンは自分の背中に触れる優しい唇と、体中を優しく撫でる指の感触に目を覚ます。

(ん〜あ・・・れ?たしか、今日は・・・母上の・・・。)
ぼーっとしながら、頭をあげて周りの様子を見てみる。
(・・・ここは・・・。)

「起きたか。」
「あ、兄上!」

シトリンはがばっと起き上がり、なにやら妙に機嫌の良いトパーズの姿を確認する。

「あれ。な、なんで。・・・わあああ!!」
真っ裸の自分の姿に慌ててシーツを巻きつける。
「い、いつもいつも!なんだって兄上は人型に戻すんだ〜」
顔を真っ赤にして、シトリンが叫ぶ。

「・・・・意味はない。」
トパーズはいつものごとく、タバコの煙を吐き出しながら冷たく答える。

「っく〜」
(意味なく人の裸をみるな!)
そう叫びたいが、叫んでみてもどうにもならないことは、十分わかっている。

唸っているシトリンを横目にブルーのぬいぐるみを、かごに戻す。

「・・・よくあったな。」
トパーズの手元をみて、
「・・ああ〜うん。懐かしいだろう!わたしのぼろぼろの熊をみて、ジンが探してくれたんだ。」
すっかり機嫌を良くし、シトリンは笑う。

「どこぞの限定ものだったそうだが、なんとか3個見つかったんだ。・・・・兄上。これ、好きだっただろう!」

「・・・・・なぜ、そう思う。」
「だって、ずっと齧ってたじゃないか。」

「・・・・・・。」
トパーズは何も言えずシトリンの話を聞く。
「兄上はなあ、昔から大好きなものを齧る癖があるからな・・・。母上も齧ってボロボロにしただろう。」
シトリンはそう言って、ブルーの熊のぬいぐるみの頭を撫でた。

「兄上がぬいぐるみを好きで噛んでるのに、メイドたちは虐めていると思っていたようだな。反対なのに。」

確かに、当時のトパーズがあまりにもひどく齧るので、メイドたちはそう思っていたようだった。

「兄上がぬいぐるみを欲しいんじゃないかと思って、私のを持っていったら、窓から放り投げられるし。
よほど、あのぬいぐるみが好きだったんだと思っていたんだ。」
「・・・・・・。」

「兄上にあげようか?」
シトリンはそういってトパーズの前にブルーの熊のぬいぐるみを差し出す。


窓から放り投げたのは、自分からシトリンを遠ざけるため。
そんなことも知らず、その後もなにかと側にいたがったが・・・・。

トパーズは頭を下げそっと溜息をつく。
だれも気づかなかったことを、シトリンはあっさり見抜く。

普段は鈍感な頭の悪い女なのに・・・・。

「・・・3個しかないんだろう。」
「そうだな、ケンカするもんな。」

シトリンもそっとぬいぐるみをかごに戻した。


「・・・ところで、兄上・・・。」
シトリンがなぜか赤い顔でトパーズを睨む。

「なんだ。」

「い、いや、あのさ、さっきな。・・・・私に何かしたか?」
触れられた感触があちらこちらに残るのだろう、小さな声でそう聞いてくる。


「ああ。虫にたくさん刺されていたから、消毒をな・・・・」

ニヤリと笑ってトパーズが答えた。

「しょ・・・しょうどく・・・。」
何がなんだかわからないが、目の前の兄はかつて無いほど、機嫌がよさそうだ。
それなら別にいいだろう。

「うん。ありがとう。」

城に帰ってから、ジンに受ける報復の一夜のことも知らず、シトリンはにっこりと笑った。




喰いたいとも、犯したいとも思わない・・・・ヒスイのように。
あれはもう俺の一部。
喰おうが、犯そうが、なにをしようが、あれは壊れることはない。
例え壊れてしまおうが、ヒスイはヒスイのままそこにいる。

あの印がヒスイの肌に残るものならば、上から血がにじむほど重ねて印を残すだろう。


けれど、
シトリンには・・・。

喰う欲望も無くなった。犯す欲望も浮かばない。
ただただ守りたいと、強く願うだけ。
自分に出来ない幸せな姿を。
永遠にこのままのシトリンでいて欲しいと。


だけど、多少の歪みは許してもらおう。たとえ自分が選んだ、男であっても。

この女の身体には誰の印も見たくない。


この女も俺の一部なのだから・・・・。





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