AM6:00


微かに香る緑の匂い。

頬に、額に、まぶたに触れるあたたかい唇。


ああ〜わたしったら・・

「・・・寝坊してしまいました?」


「・・してない・・・・。」


重たいまぶたのスキマからこぼれる、やさしい笑顔。

目覚めるとすぐに感じる甘いキス。


「...ええっと・・・おはようございます。」


「・・・おはようじょーる。」



いつも少し照れてしまう一日のはじまり・・。





AM7:30


「・・・・ねえどうしたらいいと思う?」


天幕に覆われたベッドの中から、ため息とともに聞こえる、この国の王ジンの声。

どうやら早くから目は覚めていたのだが、何やら考え事をしていたらしい。


「何か問題でも?」

朝食の準備をしているジョールは、何事かと手を止めて、うかない声の国王に尋ねる。


「ん〜・・ちょっとさあ来てごらんよジョール。」

「・・・ええっとさすがにご夫妻の寝室を覗くのはどうかと?」

「大丈夫、大丈夫!」

カーテン越しに見えるジンの姿は、ストライプのパジャマ姿。

赤い髪からのぞく端正な顔の表情も思ったよりは明るい。


じゃあ大丈夫かな・・・冷静沈着、有能なメイド長のたった一度の汚点。

再び大声をあげて、真っ赤な顔で城を掛けまわる心配はないようだ。


「失礼して・・・・っひゃあ!!」

「ね?」


そこには恐ろしいほど美しい眠れる天使がいた。


白い大きなシーツには、朝日に照らされ、キラキラと金の糸が零れ落ちている。

滑らかな白い肌の身体をうつぶせにし、この国の王妃シトリンは窓の方に顔を向けて眠っていた。


閉じられた瞼の睫にまで金の粒子が零れるかのよう。

うすく開いた唇の色は、春に咲く東洋の花の色。

すべらか頬は朝日に撫でられて、ほんのりとピンクに染まっている。

美しい曲線を描く身体のラインの肩甲骨には小さな白い羽根がふわりとシトリンの呼吸とともに動いている。


「・・・・・キレイ・・・。」

あまりの美しさにかすれた声しかでない。


「だよね〜・・・こんなさあ、豪奢で綺麗な美しいものが妻だなんて・・・困るよね。」

のろけにも聞こえるが、本当に困った感じのジンがつぶやく。

「今でも毎日ドキドキするのに、これ以上さあドキドキして心臓止まったらどうしよう?」


・・・やっぱのろけ?


「ええと・・・・そんなに心臓ドキドキですか?」

「信じてないの〜じゃあ!他の人に身体触らすの嫌なんだけど・・・」

「へ!わ!!おお!大丈夫ですか!?王?」


おもむろにジョールの手はジンの胸に触れる。

しかしびっくりしたのはその行動ではなく、手のひらに伝わる恐ろしいほどの鼓動。


どくどくどくどく・・・・・。途切れることなく脈打つ高速の振動。


「・・・だからさどうしようって言ったんだよ。」

ため息をこぼしながらジョールの手を離し、再びシトリンの姿を眺めるジン。


確かにこのままだと心臓停止!なんとかしなくては!


「ええっと、ああっとあ!!そうだわ!いい方法が!」

「ほんと!」

ジョールの明るい声に期待するジン。

「猫です!ずっと猫でいてもらいましょう!」

「は?」

「ですから、猫のままいらっしゃればこんなドキドキには・・・。」


ああ〜やっぱ困るかしら、猫の王妃だなんて。でも〜ほとんどは猫の姿だし・・・。


あれこれ考えるジョールをよそにジンは暫く唸った末こうつぶやいた。



「猫の姿でも結構ドキドキするんだけど?」



・・・・・・。


どんな姿になろうとも妻を溺愛する夫には打つ手なし。




AM10:45


「ふう。」

お城の窓を拭くのは嫌いな仕事ではない。

曇ったものがピカピカになるのは、心まで綺麗になるようで嬉しい。


綺麗といえば・・・。

「結局朝の王はのろけていたのかしら?」

「・・・・お父様がなんですって?」


背後から聞こえた突然の声にジョールはあわてて振り向き頭をさげる。

「申し訳ございません。タンジェリン様。ぼーっとしておりました。」

誤った先には、ジンと同じ真っ赤な髪の猫耳、眼鏡を掛けたこの国一人娘タンジェリンが、何やら両手に分厚い本を持って立っていた。


「まあ!どうぞその本をこちらへ。重いでしょう?」

「いいわ。そんなに重くないから。あなたよりわたしのほうが力はあるわよ。」

さすがあのシトリンの娘、騎士団にも入っていたほどだ、これぐらいはどうということではないらしい。


「ところで、お父様がどうかした?」

「ああ。いえ、その・・・・いつも王妃様と仲がいいなあと思っておりましたので・・・。」


まさか、娘に父のちょっとばかりおかしな朝の行動を伝えるわけにはいかず、ジョールは言葉を慎んだ。


「・・・そうね。お父様ってお母様のこと本当に好きなのよね。誰が見てもそう思うわ・・・。」

どことなく寂しげなタンジェリンの様子に、ジョールはふと気になり珍しく自ら声をかけた。


「いかがなさいました?何かご心配ごとでも?」


いつも控えめでしかし完璧な仕事をするジョールに、タンジェリンはいつも感心していた。

人に厳しい自分が認める数少ない人間なのだ。

その彼女が眼鏡越しに聡明な瞳で、自分を心配している。


「・・・・恋人とかって普通はあんな風よね・・・。」


最近思うことをポツリとつぶやいてしまった。


・・・・そういえば、タンジェリンの恋人サルファーは、ジンとまったく違うタイプで、ジンのように毎日好きだよと声をかけたり、少しでも仕事があくとシトリンに逢いに言ったりと、そういうことは、全然しそうにない・・・。ジンのようなベタ甘な感じはまったくなさそうだ。


「・・・・。」

「ちょっとね、お父様たちを見ていると私って愛されてるのかなって思うから・・・。今日もその・・・漫画の締め切りで朝からピリピリしてて、しかも必要だからって朝の7時に城にある本を取りに行けって・・・・。」


赤い髪の上にある猫耳がしゅんと下がっていく。


もともと黙示録によって、半強制的に恋人同士になったようなものだ。

あの当時はタンジェリンだってサルファーなど嫌いだったのだ。


でも今は・・・。


「・・・あの・・言葉で自分の感情を表現できる方ばかりではないと思います。」

控えめながらジョールはきっぱりとそう言った。

「え?」

「言葉に出さなくても、その方なりの愛情表現がきっとそれぞれあるのではないでしょうか?タンジェリンさまだって、そのかくれた愛情をお感じになっているから、一緒に居られるのでしょう?」


ジョールの聡明な紺色の瞳がタンジェリンを優しく見守っている。


そうなんだかんだいいながら、同棲生活は長く続いている。

お金の掛からないアシスタントやら、都合のいい女だとさんざんな言われ方をしているが、それでも一緒に居るのは、サルファーがサルファーなりに、自分を必要だと認めていてくれてるからだと思う。

しかも、子供の頃から女は面倒でお前一人で十分だって公言し、実際あの綺麗な見てくれに声を掛ける女の子は多いが、いつも冷たくていうか冷酷すぎるほどの接し方で女の子を寄せ付けない。



「・・・・そうねそうかも・・・。」


少し気持ちが明るくなったのか下がっていた猫耳がピョンと上る。


「ところで、ジョール。あなたのお相手も言葉による愛情表現が苦手な方なの?」

「え!!っその・・・」

突然のタンジェリンの切り返しに、ジョールは驚き先ほどまで態度がおろおろと豹変する。


イズの場合愛情表現が苦手というか、言葉を発さないので、それ以前の問題なような・・・。

でも・・・。


「その・・・そうですね。国王のように言葉で表現するのは上手ではありませんが、一緒に過ごす中で私はたくさんの愛情を彼から受け取っていますよ。」


今朝のおはようのあいさつ思い出し、ジョールはふっと頬を赤らめ、いつものメイド長ではない一人の女性の姿に戻っていた。


「ふふ。あなたでもそんな顔するのね。・・・幸せなのね。」

「う。」


タンジェリンの言葉にますます頬を赤くしジョールは両手で頬を覆った。




「遅い!!なにやってんだよ!」



カツカツと急ぎ足で現れたのは、今朝見た王妃と良く似た顔だちの偉そうな男だった。

「・・・サルファー・・」

「遅いんだよ。明日の締め切りにその本の資料を使いたいのになかなか帰ってこないし。」

「ごめんなさい。」

イライラしているのかサルファーの強い口調に、タンジェリンの猫耳が一瞬でしゅんと垂れる。

「・・・はやくそれ貸せ。帰るぞ。」

「・・・先に帰っていてください。側にいると怒らせてしまうから。」


震える小さな声でタンジェリンは呟いた。

そんなつらそうなタンジェリンにジョールは何か声を掛けようと口を開きかけた時。


「・・・別に怒らせているわけじゃ・・・・・結構早くに出ていったのに、なかなか帰ってこないし・・・。」


さっきまでの口調と違いサルファーは戸惑うように言った。


その言葉にタンジェリンの猫耳がピクリと反応する。

「あの・・・その本あると思っていたところになくって、なかなか見つからなかったから・・・。」

「そうか・・・だったらいいんだけど・・・なんかあったのかって・・・。」

最後の言葉は聞き取れるかどうかの小ささだった。


「サルファー!」


しかし猫耳娘のタンジェリンには十分に聞こえたようだ。


「王と王妃様は今日はお忙しいので・・・どうぞお暇になった時に、ゆっくり又いらしてくださいませ。」


そんな二人の様子に追い返す言葉をジョールは優しく言った。


「じゃ・・その帰る。姉さん夫婦によろしくな。」

「お母様とお父様によろしく伝えてね。」


二人はそういい残しその場を後にした。

サルファーの少し後を歩いていたタンジェリンは、さっとジョールを振り向き、

「ありがとう!」

今日はじめての明るい声で言った。



「・・・・よかったですね。タンジェリン様。」


ジョールはそうつぶやいて、再び窓を磨きだした。




PM1:00



ジョールはお城の中に小さな部屋を持っている。


メイド長となれば、他のメイドのシフトやら、お城で必要な備品の管理など、内向きの仕事も多いのだ。


そんな6畳ほどの小さな部屋で、ジョールは昼食休みを兼ねながら、お城に届いたいくつもの手紙を管理していた。


「・・・えっと、これは洋服家さんの請求書。・・・・げ!!高い!!ジン様ったらまたシトリン様の洋服を〜〜〜。しょうがないか〜。先月お客様事が多かったから・・・。こっちは・・・・ん?!『あだるてぃーすとあ。ピンクハウス』・・・・」

首を傾げながら明細書を開くと、そこにはなにやら怪しげな言葉が・・・。

「『夜を長くする薬♪』げ!だれが購入を!!・・・・王妃様?!」

ジョールはこめかみを押さえながら、その明細書を破り捨て次の手紙を開いた。


「あら、コハクさんからだわ。しかも私宛・・・。」

品のいい白いすかし模様の入った封筒を開くと、写真が2枚と、カードが出てくる。


『ジョール様へ
先日はワンピースの作り方教えていただき、ありがとうございました。
ジョールさんデザインのワンピース、やはりヒスイに似合っています。
かわいいでしょ♪』


「え!もう作り終わったの??あ!わ〜ブルーもかわいい♪」


一枚の写真に写っていたのはブルーのワンピース姿のヒスイ。

ハイネック部分の首元と肘から先が大きく開く袖の部分は細かいすかし模様のレースで出来ており、ジョールが淡いグレーで作った同じデザインのドレスは、仕上がるのが3ヶ月も掛かった力作なのだ。

その手の込んだドレスがあまりにもヒスイに似合っていたので、コハクが興奮してジョールに作り方を教わりにきたのだった。


「とても良く似合ってる♪けど・・・ヒスイさんの顔が・・・」

ジョールはくすりと笑って、もう一度写真を見た。


窓際のカーテンに隠れようとしたのか、片手でぎゅっとカーテンを持ち、上目使いと尖った唇ででこちらを睨んでいる。

コハクが顔を覗かせた一瞬を撮ったのか、銀色の長い髪がハラリと流れていてとても綺麗だ。


「・・・きっとすごく恥ずかしかったのね〜」

写真を撮るまでのバタバタした様子がまるで目に浮かぶようだ。


それにしても、

「このドレスをたった2週間で完成しただなんて、コハクさんすごいわ。」

そういいながらもう一枚のヒスイとコハクの二人で写った写真を見た瞬間、

「!!ひっ!!」

ジョールは写真を持つ手を震わしながらおびえた声を上げた。


逃げようとするドレス姿のヒスイの肩をコハクが優しく抱いている。

しかしそのコハクの表情は・・・。


両目の下に真っ青を通り越しどす黒いくまが見える。

頬もげっそりとこけてまるで病人のよう、しかし、なにより驚くのはそんな状態にも関わらず、ヒスイの姿に完全にイッちゃってる血走った目。

心なしかコハクを見るヒスイの目が怯えて見える。


「・・・・・こ・こわ!・・」


さすがのコハクでも2週間続いた徹夜は厳しかったようだ。



「・・・・魔よけにしようかしら。」



ジョールは指先でその写真をつまみ引き出しの奥にその写真を隠した。




PM3:00



応接間の重厚な木の扉の前、ジョールはさりげなく身なりを整えノックをする。

コンコン。

「お茶をお持ちしました。」


いつもはご夫婦の部屋で三時のティータイムを過ごすことの多いジンとシトリンだが、今日は珍しく応接間にお茶の用意を頼まれた。


しかも、ティーカップは5客。

今日は来客予定はなかったはずだが、ここのお城には秘密の出入り口があるらしく、気付けば、ご夫婦の親族の方がうろうろなさっていることもしばしばある。


今日はどなたがお見えなのかしら。


国王夫妻の親族の方々は、みな面白い方が多くたのしい。

ジョールは自然と笑みをこぼし、ドアを開けティーセットの乗ったカウンターを部屋の中に入れた。


ドアが開くと同時に優しい風がジョールに吹き付ける。

どうやら、緑の森へと続くベランダへ抜ける窓を全開にしているらしく、大好きな森の優しい香りが部屋に充満している。

しかも何故だか嗅ぎなれた爽やかな甘い香りもする。


ふと気になり窓の方を眺めると、


「イズさん!」

「じょーる。」


緑の森が広がるベランダの手すりにエクソシストの衣装を身に着け、ブルーのざっくり結ばれた髪を風に流しながらゆったりとイズが座っている。

もちろん彼の肩や頭、腰掛けた膝の上には、さまざまな色の小鳥が止まっていて、どうやらジョールの側に駆け寄りたいらしいが、いつものように動けず少しこまったような瞳でジョールを見ている。

ジョールは自分からイズに近づこうとし、慌てて動きを止め周りを見渡した。



壁際の暖炉の側。

なんだか身を潜めるように、ジンがニヤニヤして立っている。


「・・・・・・こほん・・・。国王様お茶はこちらでよかったでしょうか。」

ジョールはさりげなく咳払いをし、テーブルの上にお茶の用意をし始めた。


「え〜〜なんか普通だなあ〜」

・・・・やはり私の反応を確かめたかったのね。・・・まったく〜〜。

「仕事中ですので・・・。」


お茶の用意を手際よくしながらも、ベランダの方に意識を傾ける。

すると、


じょーる、こっちきて・・・


の気配。


ごめんなさい。仕事中だから・・・。

・・・じょーる・・・。


イズとジョールならではの言葉のない会話が続く。

するとジョールの少し冷たい態度に、イズの気配がだんだん哀しみを漂わせる。


うう・・・・そんなに寂しがられたら・・・。


ジョールは顔を少し上げ、ジンを見た。

ジンは諦めていないのか、何かを期待する目をして二人の様子を覗っている。


・・・ジン様ったら。


その間もイズの哀しい気配がだんだん大きくなる。


ああ・・・。だめだわ。


「・・・・・少しあちらへ行ってもかまいませんか?」


できるだけさりげなく、ジンに断りをいれる。

すると、

「うん!!」

何故だか嬉しそうになんども首を縦に振られた。


ジョールは一つため息をこぼしベランダの方に歩み寄った。


「じょーる。」


小鳥のたくさん止まった見た目、のほほんとした言い方はさっきと全然変わらない。

が、ジョールには彼の喜びが身体中に伝わる。


「イズさん。」


普段お城の中では出会うことのないイズの姿。

朝さよならしたばかりなのに、夕方には又逢えるのに・・・。


でも嬉しい。


言葉に出さないでイズのブルーの瞳に語りかける。


名前を言ったきり何も言わない二人にじれたのか。


「ねえ〜もっとさあぎゅーとかちゅーとかないの。」

「・・・来ること私に隠してたんですね・・・・」

「うん。」

「・・・・。」

そこまであっさり肯定されると怒る気力もわかない。

「だってさ〜ジョールっていつも落ち着いてるしさ〜あわてるところって見ないしさ〜。

今日はちょっとイズさんに聞きたいことあったから、来てもらったんだ。

だったら内緒にしてジョールをびっくりさせようってシトリンと話してたのに・・・。

全然びっくりしないし、いつもとかわらないし、イズさんだってまったく変わらないんだもん。」


すっごくびっくりしましたよ!・・・・イズさんも!


「ああ〜つまんないなあ〜」

そういえば・・・。シトリン様の姿が・・・。

「まだどなたかお見えになるんですか?」

「うん。トパーズだよ。来ないからシトリンが迎えに行ってる。

ちょっとねイズさんとトパーズに話があって・・・。

せっかくだからジョールも含めて5人でお茶しようと思ってたんだけど・・・。」


トパーズさまとイズさん・・・・。

う〜ん。なんだか妙な取り合わせだわ。

あの氷を思わせる怜悧な銀色のトパーズとイズが並んだ姿を想像すると・・・。


「・・・・・とぱーずくる?」

「ええ。出会われたことありますよね?」

「うん。」


あら?なんだかイズさん嬉しそうだわ。

まったくもって見た目にはわからないが、どうやらイズはトパーズが気に入っているらしい。


「にしても遅いなあ〜せっかくのお茶が冷え・・。」


バタン!!!!


部屋を震わせるような音を立てトパーズがシトリンを片手でひっつかみ、もう片方の手に分厚い紙の束をもってあらわれた。



PM4:30



カリカリカリカリ。

途切れることなくペンの走る音が応接間に響く。


音をさせているのは、ジン様、トパーズ様そして・・・・私。

ふ〜う。わたしはきりのいいところで、張りの出てきた首を左右に伸ばし、先ほどの出来事を思い浮かべていた。




バタン!!!

部屋中に響き渡る扉の音にびくりと身体が反応した瞬間、私の身体は温かいものと真っ青の羽にふわりと包まれる。


「ト、トパーズ〜〜びっくりするだろう!!」

ジン様の声がする。

「・・・・すまん。」

まったくもって悪いと思っていないトパーズ様の声。

心なしかいつもより黒いオーラがこもっている気が・・・。


「あの・・・イズさん。少しだけ羽を下げていただけません?」

このままだといつまでたっても視界は青い。

「ごめん・・・。」

そう言ってイズさんは、私の身体を巻きつける腕をそのままに、羽だけをパサリと後ろに閉じた。


「わ!!ジョールのラブシーンだ〜」

トパーズ様に首を掴まれぶらぶらしているシトリン様の場違いな明るい声がする。

「おお〜やっと見られた!これぞ天使の花嫁!」

ジン様も私たちを眺めながら嬉しそうにつぶやく。



後ろに広がる緑の森と爽やかな風。

羽を広げた名残なのか青い小さな羽がふわりふわりとただよう中、イズの黒いエクソシストの衣装が鮮やかに目立つ。

トパーズたちをじっと見ているどこまでも澄み切った蒼い瞳。

彼の両腕はしっかりと自分の花嫁を包みこんでいる。

風になびく蒼い髪までも、両腕では足りないと、ジョールを優しく包んでいるかのようになびいていた。


腕の中に包まれるジョールも、なんだかほっとしているのか、今までにあまり見ないような柔らかな表情をしている。


「うんうん。素敵だにゃ〜」



(あ!しまった!わたしったら・・・仕事中なのに・・。)

「・・・・新しくお茶を入れなおしてまいりましょう。」

眼鏡のふちをつっとあげ、なんとかイズさんの腕から逃れ仕事に戻ろうしたとき、


「茶なんてどうでもいい。」

先ほどからなにやら不機嫌なトパーズ様が言った。


「なんだよ〜その言い方!だいたい・・・。」

「ジン手伝え。喋っている暇などない。」


ジン様の言葉をさえぎり、お茶の用意がしてあったテーブルに、ばさりと紙の束を投げ捨てる。


「なんだよ・・・これ・・・!これこの間やった大学試験の答案用紙!

どういうことだ?まだ採点してないじゃないか!明日が発表だろ!」

「だから遊んでいる暇はないと言っている。」

トパーズ様はそういって左手で掴んでいたシトリン様をぽいっと放り投げた。

「うにゃ〜〜〜!!」

思いの他力いっぱい放りなげられ、ぐるぐるまわるシトリン様。

「シトリン様!」

私はあわてて猫を抱きとめようとするが、

ぽとり。

「あ。」

シトリン様はイズさんの頭の上に落ちていった。



そんな中、トパーズ様とジン様の会話は続く。

「ゆっくり一人で採点するつもりだったが、思わぬアクシデントがあってな・・。」

「アクシデント?」

「・・・。」

秀麗な顔に眉間のしわがふかぶか刻み込まれる。

「・・・君がそんな顔するっていうことは・・・コハクさん絡み?」




イズさんは自分の頭の上に降ってきた猫を、片手でつかみじっと見つめる。

「にゃ、にゃんだ〜。」

そしておもむろにふわりと漂っていた自分の羽を一つつかみ、猫の目のまえでゆっくり左右に振った。

「にゃ〜!!遊んでくれるのか!いいぞ!遊ぶぞ〜〜〜〜〜」

「・・・・。(にっこり)」

二人はそのまま森の方へ消えていった。


(・・・・・・・。)

言葉もなく二人(正しくは一人と一匹だが・・・)を見送っていたジョールの耳に、聞き捨てならない言葉が入ってきた。


「・・じゃあコハクさんヒスイさんと喧嘩しちゃったの?ドレス作りが元で?」


「あの!ドレスって・・・これですか?」


私はポケットから、シトリン様に見せようと思っていた写真を取り出した。


「あ!かわいいなあヒスイさん。・・・ってなんでジョールがヒスイさんの写真もってるの?」

「ええ。その・・。」

「お前があの男の言う『師匠』だったのか。」

氷のような微笑を浮かべトパーズ様がつぶやく。

『師匠』?

それにしても・・・・微妙に笑っているその表情が怖い!


「師匠・・はわかりませんが・・。このドレスの作り方をコハクさんにお教えしたのは私です。」

「・・・ふんなるほど・・・。『師匠』のことをあまりにも褒めるから、ヒスイが珍しくへそを曲げてな。それはそれでおもしろかったんだが・・・。」


ヒスイの機嫌が一向に良くならず焦るコハクの姿を見るのは楽しかったのだが、いつまでも喧嘩をしている二人ではない。

そして喧嘩をした後には・・・・・。

「コハクさんがヒスイさんの機嫌(=えっち)をとるのに忙しく、家事やら雑用、エクソシストの仕事まで君に回ってきて、採点する暇がなくなったと・・・。」


トパーズ様の言葉を引き取るように、ジン様が腕を組みながら呟いた。


「どっちにしろ・・・やるしかない。」

「だね。」


私は素早くテーブルを片付ける。

二人はすぐに解答用紙を広げ赤ペンを手に持った。

私は邪魔にならないようにお部屋を下がろうとした時、


「ジョール。君たしか有名大学卒業のエリートだったよね〜」

なんだか嫌な予感のジン様の声。

「あの・・・それは昔のことで・・・。」

「一体誰のせいかな・・・『師匠』」

「手伝わせていただきます!!」


氷の礫を投げられたかのようなトパーズ様の言葉に、私は思わず椅子に座り、採点用紙を手に取った。





あれからもうすぐ2時間。

解答用紙はまだ半分も片付いていない・・・。


さて、気合をいれないと!



カリカリカリカリ。





PM6:00


応接間を覗く猫と蒼い男。



カリカリカリカリ。

カリカリカリカリ。


声を掛けれないほどの緊迫感。



「腹へらないのかにゃあ〜私は腹がへったぞ〜」

「(うん。)」

ぐ〜きゅるきゅるきゅる。

先ほどから止まない二人の腹の虫。


「しかたにゃい!私が作ろう!」

「・・・・・。」

「なぜそんな不安げに私を見るのだにゃん。大丈夫だ!これでも私は人間になれるんだぞ!

いくぞ!キッチンへ!」

「・・・。」


だから心配なのかも・・・。



あっというまに・・・PM7:00


応接間。


カリカリカリカリ。

カリカリカリカリ。




台所。


ぎゅ。ぎゅ。

ぐゎし。ぐゎし。


台所に並ぶ大きな蒼い男とテーブルに乗った金色の猫。

そして・・・。

いかにも高級そうな大皿にならぶいびつな形のご飯の塊。

・・・・・・。

これが二人の精一杯。



それからそれから、PM8:00


応接間。


カリカリカリカリ。

カリカリカリカリ。



テーブルの真ん中にはいびつな形のご飯の塊。

猫と蒼い男は、それを手に持ち集中している三人に食べさせている。


「ほれ。口をあけろジン。」

手も視線も解答用紙から離れないが、言われたとおり口をあけるジン。

そこにねじ込まれるご飯の塊。


もぎゅもぎゅ。

「よし!」

満足げな猫の声。


「じょーる。」

「まあ!イズさんありがとう!」

左手でイズのおにぎりを受け取り齧るジョール。

「おいしい。」

「・・・・・。」

ジョールの言葉にも何故か嬉しそうではないイズ。


あ〜んがしたかったようだ。


「では次は兄上だ。・・・口をあけろ兄上。」

ジンにするより嬉しげなシトリンの声。

だが・・・。

がぶり!!

「ふぎゃ〜〜〜〜!!!手まで噛むなあ〜!!」

猫はふーふーと手に息を吹きかけながら涙目で叫んだ。





PM11:00


応接間のソファーの上。


すぴー。すぴー。

すー。すー。


ソファーに大きな身体を丸め蒼い男が眠っている。

その頭の上にはこれまた金色の猫がすやすやと眠っていた。


カリカリ・・・・・。


「「終わった!!」」

ジン様と私の声が応接間に響き渡る。

一拍おいてトパーズ様のペンの音も止む。

「・・・・終わったな・・・。」

さすがに疲れた。一言もなく放心状態。

「なんとかこれで明日の発表には間にあったね。」

目頭を抑えながらジン様がつぶやく。

「ああ。」

「それにしても、今年の大学生は粒ぞろいみたいだね〜

モルダバイトの未来は明るい。」

ジン様の言葉に私も深く頷く。


基本記述式の問題の試験。その回答も多種多様。

だからこそ採点には時間が掛かったのだが、そのぶん生徒の実力、考え方など分かりやすい。


「中には珍回答もあるけど、案外そんな子は伸びる気がするね〜」

「・・・・・お前の回答もおもしろかったぞ。『・・・・戦場に花を咲かす。』」

トパーズ様が首を回しながら言う。

「な、なんで?!そんなこと知ってるんだ!」

椅子にだらしなく伸びていたジン様ががばりと起き上がる。

「当時からオレが試験官だからだ。」

「ええ!!お前当時いくつだよ〜」

花?

「あの、それってどんな問題で?」

「・・・・・『戦争を終結させるに必要なものは?』」

トパーズ様は珍しく柔らかい表情をしてつぶやいた。

「みんなが、『対話』だ『今より強力な兵器』だ、『金』だと書いている中で、『花を咲かす』オレにも浮かばない考えだったぞ。」

「・・・・本当にそう思ったんだよ。花が嫌いだなんて言う人間は居ないよ。

血なまぐさい戦場を覆い尽すぐらいの花が咲いたら、その上で戦争なんてできないだろ。」


照れているのかそっぽを向きながらジン様が答えた。



ああ。

だからこの人が王様なんだ。

トパーズ様ではなくシトリン様でもなく。



先代の王に比べて地味だとか、王妃様の方が頼りがいがあるとか、国民に色々言われる事は多い。

けれど、誰一人として悪意をもってそれを言う者は居ない。

そればかりか、誰もがこの王の力になろうとするのだ。

みんな優しい笑顔を浮かべながら、率先して王を助けようとするのだ。


それはきっと、この人がとてつもなく優しい人だから。

ただそこにいるだけで、その優しさが外にこぼれるほどに・・・。

そのこぼれおちた優しさがみんなをもっと優しくさせる。


くすり。


この冷酷で情がないと言われるトパーズ様だって・・・。

王の前ではとても穏やかな表情になる・・・。


結局この双子は揃ってジン様が大好きなのね。


「オレは帰るぞ。明日の準備もあるしな。」

トパーズ様が紙の束をもってドアの方へ向かう。

「おい!トパーズ!」

「・・・なんだ。」


振り向きざま銀色の髪を掻きあげトパーズ様が答える。

さすがに疲れたのか、普段から白い顔色がますます蒼白くなっている。

「・・・体調大丈夫か?」

ジン様も顔色を気にしてか気遣わしげに聞く。

「・・・・一晩寝たらましになるさ。」


その時ふと部屋の空気がふわんと暖かくなった気がした。

私には馴染みの空気。

その空気に触れるだけで心も身体も癒される。

「イズさん・・。」

眠っていたはずのイズさんがソファーから起き上がって、トパーズ様のほうをボンヤリと眺めている。

かと思ったら、す〜っとトパーズ様の元に移動し、彼を覆うかのように4枚の青い羽を広げた。


その瞬間トパーズ様の顔が険しく歪む。

「貴様!いらんことをするな!」

その場を逃れようとするトパーズ様の肩をイズさんが両手で掴む。

「!くっそ〜このばか力が〜放せ!」

トパーズ様は渾身の力を込めて、イズさんの手を放そうとしているようだが、イズさんは微動だにしない。

「だめ。じっとして。もうちょっとだけ・・・。」

イズさんはかすかに眉をよせ、暴れるトパーズ様を両手で捕まえている。


何をしているのかわからないけど、氷のような鋭い瞳でイズさんを睨んでいたトパーズ様の顔色が、すこしづつ良くなってきているようだ。

じたばたしてもイズさんには敵わないと思ったのか、トパーズ様は他の者なら凍えそうな視線でイズさんを睨みながらしばらくじっとしていた。


「もういい!!」

トパーズ様がそう言ってイズさんの両手を力いっぱい振りほどく。

どうやら力も回復したようだ。

「いらんことをしやがって!」

「・・・・・よかった。ちょっと元気になった。」


怒鳴るトパーズ様をみながら、イズさんはほんわり微笑む。

「っく。」

もっと怒鳴りたかったのだろうが、イズさんのそんな表情にトパーズ様は一瞬目を見開いてすぐに顔をしかめ、そのままバタンとドアを開き応接間から出て行った。



「くすくす。・・・・さすがのトパーズもイズさんにはちょっと敵わないのかもね〜」

そんな様子をじっと見ていたジン様が一言つぶやく。


意外な感想。でも・・・。


あの誰にでも冷酷で情け容赦ないトパーズ様のあの様子と表情。

むきになって暴れる姿は、まるで駄々をこねる子供のようだったわ。

まあ、けっしてご本人には言えないけど・・・。

でもやっぱりイズさんはトパーズ様が気に入っているのね。


イズさんはじっとトパーズ様の後を視線で追っていたが、くるりと私に振り向き、


「かえろう。じょーる。」


そういつもの笑顔で微笑んだ。

ああ・・・。ほっとする。

あたたかくほんわりする優しい笑顔。


「・・・そうですね。今日はほんと長い一日でした。」


私はそう言って安心する彼の腕の中に、自らそっと身体を寄せた。


「わ!!ジョール大胆!」

ジン様のからかう声がするが、そんなのどうでもいいわ。


だって今日は色々疲れたんですもの。


朝にはジン様のおのろけに驚き、

タンジェリン様を心配し、

コハクさんの写真にのけぞり、

イズさんの登場にどきどきして、

そして最後はトパーズ様・・・。


なんだかいつもより長い一日だったわ。

だから、はやく帰りましょう、イズさん。

わたしたちのお家に・・・。


ね、イズさん。




「・・・じょーる?」

「あれ?ジョールもしかして寝てるの?」





メイドジョールの長い一日がやっと終わった。





おまけ♪

AM0:00



「・・・あのばか力天使が!」

機嫌悪げにつぶやくトパーズ。

さすがに採点が終わった後は倒れそうになった。

だからといって、他のものの力など借りようとは思わなかったのだが・・・。



体調面が回復したと思ったら精神面でイラつく。



タバコを取ろうとしてポケットをまさぐった瞬間、カサリと音がした。


手に出して見た瞬間、トパーズの顔がゆるむ。

それは、カーテンに隠れるヒスイの写真。


「ふん。」


再びポケットに写真をもどし、トパーズはにやっと笑って歩き出した。



さあ、どんな風にいじめてやろう?






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