「ティンダロスの猟犬って聞いたことある?」
ヒスイの質問に首を傾げる兄弟。
「本来なら違う時間軸に棲んでいる魔物なんだけど、たまに迷い出てくることがあって。ここはその名所なの」
いよいよ試験内容がヒスイの口から明かされる。
「ティンダロスの猟犬は常に飢えているから、一度目を付けられちゃうとまず逃げられないの。もし遭遇したら“エクソシストだったらどうするか”よく考えて行動してね」
「“もし”も何も遭遇しなきゃ試験にならない」
何かと反発するサルファー。
わざわざ用意された試験会場なのだから、その辺りは仕組まれたことなのだろうと深読み。
サルファーの態度はいちいちヒスイの勘に障った。
(ホント可愛くない・・・)
不穏な空気を察したコハクが、慌てて説明役を交代する。
「猟犬と呼ばれる由縁はね、時間逆行魔法を使って時空を渡る時に術者が狩られてしまうことがあるからなんだ」
「時空の番人みたいなもの?」
ジストは真剣に話を聞いていた。
「うん、まぁ、良く言えばそんな感じだけど、彼等は時空を守る為に存在している訳ではなくて、己の飢えを満たすために通りかかった獲物を襲うんだ。追跡を振り切れずにこちらの世界まで連れてきてしまう術者が結構いて、その始末を依頼されることが多い」
「じゃあ、そのティンダロスの猟犬ってやつを倒せばいいの?」
ジストの質問が続く。
いまいち目的がはっきりしない。
ジストは不安げな顔でコハクを見上げた。
「ごめんね、これ以上は言えないんだ」
対してコハクは少し困った顔で肩を竦めた。
「頑張って。でも、無理はしないようにね?」



黄金色の翼を広げ、ヒスイを連れて飛び立つ・・・試験開始だ。


海に挟まれているだけあって、反射した青白い光に包まれた美しい神殿だった。
外の景色は水族館の水槽前に似ている。
「オレも、サルファーみたいに魔法が使えたらカッコイイのに」
道中の会話。まだティンダロスの猟犬には遭遇していない。
「そういえばお前って、一度も呪文成功したこと無いよな」
サルファーも常々疑問に思っていたことだった。
呪文そのものは一字一句間違っていない。
それなのに何度唱えても発動しないのだ。ジストの場合。
クラス全員が使える初級魔法でも、ジストだけは使えない。
「何だかよくわかんないけど、兄ちゃんが“魔法は覚えるだけ無駄だ。強くなりたいなら体を鍛えろ”って」
「兄さんが?」
「うん。オレ何で魔法使えないのかなぁ〜・・・」
「・・・・・・」
(魔力は僕よりもある。でも“質が違う”。上手く言えないけどそんな感じだ。そういえば兄さんも・・・)
「サルファー?」
「・・・・・・」
振り返ってみればジストには不可解な点が多い。
(吸血属性のくせに血吸わないし)
ヒスイがコハクの血を吸っているところはしょっちゅう見かける。
クオータとはいえ、牙を持つジストが全く血に興味を示さないというのもおかしい。


何故自分だけ魔法が使えないのか。
何故血を必要としないのか。


(僕だったらもっと考えるけどな)
ジストはあまり頭を使うのが得意ではないらしかった。
魔法が使えないことを嘆きながらも、大して思い悩んでいる様子はない。
覗きばかり熱心で、読書といえばエロ本。エロ漫画。何かと下ネタに走りがち。
(こいつの頭の中は、年中春だ)



その時だった。

ヒュッ!
斜め右上の視界から現れたのは、ティンダロスの猟犬。
「!!来たぞ!ジスト!構えろ!」
ティンダロスの猟犬は思った以上に大きかった。
犬と言っても、牛ぐらいの大きさで、外見はワニのようだ。
醜悪な魔物。独特の悪臭を纏っての参上だ。
ポタポタと涎を垂らし、獲物を見つけたことを悦んでいる。
そして、次の瞬間には襲いかかってきた。
「わ・・・っ」
慣れない武器を振り回す二人。
動きの素早い猟犬に当たる筈もなく、見事な空振りの連続だった。
「どうする!?サルファー」
「倒すに決まってるだろ!」


バシィッ!!
「よし!当たった!」
最初は空を斬っていたサルファーの攻撃が次第に当たり始めた。
戦闘のセンスが良く、実践を通して武器の扱いがメキメキと上達してゆく。
ジストの出番はなくなり、気が付けば観戦者と化していた。
「サルファー強ぇ〜!」
「コイツの首を獲れば、試験は終わりだ」
調子に乗ったサルファーはそんな事を言い出した。
「え!?ちょっと待てよ、首、斬っちゃうの?」
「当たり前だろ。殺すんだよ」
「殺す!?ただの試験でそこまですること・・・おい!サルファー!!」
ジストの言葉は熱くなったサルファーの耳に届かなかった。


「サルファー!怪我してる!!すっげ〜血ぃ出てるよっ!!」
「構うもんか」
獰猛なティンダロスの猟犬に尻尾で叩き飛ばされても、サルファーはすぐに立ち上がった。
何度かやられているうちに頭部に裂傷を負ったらしく、額を伝って血の雫が落ちている。
麗しい金髪にもべっとりと血が付いて・・・
それでもサルファーは痛くも痒くもないと冷笑を浮かべている。
更に、頬を伝ってきた血をベロリと舐めて、ニヤリ。
(サルファーやっぱ怖ぇ〜!!)
尋常とは思えないサルファーの姿に兄弟でもゾッとしてしまう。
己の怪我も顧みず、戦いに没頭していくサルファー。その姿はまさに戦鬼。
「そんなのだめだっ!」
ジストが叫ぶ。
「うるさい!邪魔するなっ!」
血気盛んにサルファーも吠える。
しかし、サルファーの攻撃がティンダロスの猟犬にダメージを与えているようには見えなかった。
負けていないのは気迫だけだ。
「退けよ!今のオレ達じゃ勝てない!!」
「何言ってんだよ!男が逃げるなんて格好悪い真似できるかっ!!」
「お前、血の気多すぎ!!」
「なんだとぉ!」
サルファーの標的がジストに移った。
同時に、攻撃してくださいと言わんばかりの隙が生まれ、そこにティンダロスの猟犬が飛び掛かる。


「!?サルファーあぶな・・・」


隙だらけの背中が餌食になる、寸前。

ドスッ!

“誰か”の横蹴りが決まり、ティンダロスの猟犬が視界から消えた。
代わりに立っているのは黒髪の少女。
すらりと背が高く、右手には古びた木の杖を持っている。
「!!!」
(ヒスイに似てるっ!!!)
ジスト、恋する瞬間。
不憫にも、少女が実は男で、しかも自分の兄弟だということを知らない。
ぼぉ〜っと、ただ見とれて。ときめく、胸。
「ジストの言うとおりだよ。今の君じゃ、アイツは倒せない」
スピネルはサルファーに回復呪文を施しながら、そう言って聞かせた。
「これ以上ボクが手助けすると、失格になっちゃうだろうし。ティンダロスの猟犬の動きは少しの間封じたから、その間にどうするかよく考えるんだね」
「あ、ありがとう・・・」
スピネルの笑顔にサルファーまで赤面する始末で。
場の雰囲気がガラリと変わった。
「じゃ、頑張って」
「「待って!君の名前は?」」
ジストとサルファーの声が重なる。
「・・・秘密♪」
スピネルは嬌笑し、ひらひらと手を振った。
「「また逢える?」」
ことごとく被る兄弟の言葉。
「うん。きっとまた逢えるよ」
バイバイ。と最後の言葉を残して、スピネルは現れた時と同じように忽然と姿を消した。



「決めたっ!オレっ!あの子にするっ!!」


“愛するヒトは一生にひとり。初めてえっちした子と結婚すること”


年端もいかない頃からヒスイに言い聞かされ、育った。
これが家訓なのだ。
実を結ぶ筈もない恋だというのに、ジストはその相手を“決めた”と宣言。
「ヒスイそっくりなの!すっげぇ可愛かったよな〜・・・」
お前もそう思うだろ?と、サルファーに話を振る。
「・・・まぁ、少しは」
素直には認めないが、少々照れ気味だ。
第三者に“勝てない”と指摘され、サルファーの頭も冷えた。
「作戦練り直すぞ。お前、足引っ張るなよ」
「おうっ!」
まずはこの場を切り抜けるのが先だ。
ジストも気を引き締めて返事をした。
「なぁ、サルファー」
「何だよ」
「ヒスイが“一度目を付けられたら逃げられない”って言ってたよな。勝てないし、逃げられないんじゃ、このままアイツの動きを止めるしか・・・閉じこめるとかしてさ・・・」
「閉じこめる・・・そうか!その手があった!」



くすくすくす・・・
「二人ともボクのこと女の子だと思ってるよ」
「・・・その格好では当然だ」
別件で海底神殿を探索中のスピネルとオニキス。


“愛するヒトは一生にひとり。初めてえっちした子と結婚すること”


「ってママが言うから」
肉体を得たスピネルと再会した夜、耳元で明かされた計画を再確認。
「“女の子”がどういう生き物かもっとよく知りたいんだ。周りはみんな男ばっかりだし。ママはちょっと・・・特殊でしょ?」
ヒスイでは“女の子”の見本にはならない、と鋭く見抜く反面、無茶苦茶とも思える家訓に従おうとするところに幼さが残る。
「一生にひとりだって言うんなら、ボクは“世界で一番いい女”を見つけるんだ」
「それはまた壮大な計画だな」
何とも微笑ましい。オニキスの表情もつい緩む。
「“女の子”をすぐ傍で見極めたいから、この件が片付いたらボクを女の子として入学させて。で、ゆくゆくは女子校に・・・あなたならできるよね?」
「・・・・・・」
(合理的な考えだとは思うが・・・倫理の面ではどうなんだ・・・)

はぁ〜・・・っ。

子育ての悩みは尽きない。
「今はその予行練習。学校で男だってバレたら大変だからね」
「そういう訳だから、人前では女の子として扱って」と、オニキスに注文して話を締め括るスピネル。
「ねぇ、オニキス」
「何だ?」
「あなたの“世界で一番いい女”は、ママ?」
「・・・ああ、そうだ」
(こいつはまだ知らないのだろう)


“世界で一番いい女”だから愛するのではなく、自分が愛した女こそが“世界で一番いい女”なのだと。


(無理もない。まだ10歳だ)
「わかった。お前の“世界で一番いい女”探しに力を貸そう」
いつか気付くその時まで。


“世界で一番いい女”


それはきっと、恋に落ちた瞬間に・・・見つかる。





エクソシスト正員寮。イズとトパーズ。

「・・・インフルエンザだ。これしきでは死なない」
魔法医師免許こそ持っていないものの、医学に精通しているトパーズが面倒くさそうに診察結果を述べた。
イズのパートナーである年若いエクソシストの少年は、ベッドの上で高熱にうなされている。
症状が重いらしく、死にそうに・・・見えなくもないが、イズの大袈裟な解釈によるところが大きい。
「でも・・・くるしそう・・・」
心配顔の座天使、イズ。
「どうすれば・・・いい?」
「放っておけば治る」
「まって・・・いかないで」
足早に部屋を去ろうとするトパーズの腕を再びイズが掴む。
「たすけて」
「・・・・・・」
「なんとかして」
イズが迫る。短い言葉に有無を言わさぬ響きをもって。
「・・・・・・」
(ち・・・厄介なのに捕まった・・・)
インフルエンザは他国で流行した病で、モルダバイトでは殆ど発症例がないため、普通の町医者に診せたところで、まずわからない。
このまま放置して感染者を増やすのも愚かというものだ。
(確かジジイの研究室にワクチンが・・・)
いつまでも腕を放そうとしないイズを説き伏せ、一旦屋敷へ戻る。

にゃ〜ん。

すると玄関前で金色の猫がうろついていた。


「・・・シトリン」






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