ヒスイはしばしの休息を終え、次の部屋へ進んだ。
鍵はかかっていなかった。
「えっ!?あれは・・・」
そこには大きな白い馬が座り込んでいた。額からまっすぐに角が伸びている。
太古の昔より一角獣と呼ばれる生き物・・・。
「ユニコ・・・ン?」
ヒスイは初めて見るその気高く美しい生き物に圧倒された。
ユニコーンは奥に続くと思われる扉の前に佇んでいる。
扉の上部には“museum”と記されたプレートが掲げられていた。
(あそこが・・・博物館・・・。と、いうことは・・・・)
「あなたがここの番人さん?」
「そうだ」
ヒスイの質問にユニコーンは人間の言葉で返してきた。
「・・・どうすればそこを通してもらえるの・・・?」
「愛を誓い合った夫婦か、清き乙女しかここは通さぬ」
(愛を誓い合った?じゃあ、オニキスときてもだめだったかもね・・・)
「それで・・・私は通して貰える?」
「何を言う。お前は清き乙女ではない。・・・穢れた者にここを通る資格はない。命が惜しくば、去れ」
「・・・心外だわ」
ヒスイはユニコーンの判定にカチンときた。
(なんで馬にそんなこと言われなきゃなんないのよ・・・。私、お兄ちゃんとしたことで穢れたなんて思わない)
「・・・じゃあ、力ずくで通してもらうわよ」
ヒスイは槍を構えた。
「できるものなら」
ユニコーンは立ち上がった。その姿はまさに圧巻である。
(う・・・大きい・・・)
ユニコーンの体は思っていた以上に大きかった。
「天の定めし秩序を乱す愚か者め!!」
ユニコーンが勢いよく床を蹴った。角先をまっすぐヒスイに向けて。
ガチイィン!!
ヒスイは槍の矛先で角を止めた・・・が、体格をみても力の差は歴然としていた。
力比べでは断然ヒスイが不利だった。
「く・・・っ!!」
ヒスイはぐいぐいと押され、どんどん後退して、最後には壁に押しつけられてしまった。
「他愛もない・・・」
ユニコーンは鼻を鳴らした。
(くやしい!!私、自分の力で何一つできないじゃない!)
歯を食いしばりながら、ヒスイは己の無力を呪った。
「こうなったら・・・っ!!」
大きく口を開けた。そしてガブリと思い切りよくユニコーンに噛みついた。
ヒスイの牙が深くユニコーンの体に食い込んでゆく・・・。
「!!!ヒヒ〜ン!!」
ユニコーンはあまりの痛みに嘶いた。
ヒスイは素早く離れた。
ユニコーンの血は一口飲んだだけだったが、それだけでヒスイの全身に力がみなぎってきた。
「ヒヒ〜ン!!」
ユニコーンは言葉も忘れ、猛々しい声を上げながらヒスイに突進してきた。
ガシッ!!
ヒスイはユニコーンの頭部に生えている角をがっちりと掴んだ。
かなりの間、押し合い圧し合いが続いたが先程のように力負けすることはなく、両者とも微動だにしない均衡状態に突入した。
(・・・ここままじゃ埒があかない。とにかく考えなくちゃ!!)
ヒスイは力を緩めることなく精神統一を試みた。
もしユニコーンが、十八年前・・・ううん、それより前にお父さんが召喚した幻獣だとしたら。
18年経った今、拘束力が弱まっている可能性が高い・・・筈なんだけど、そんな様子もない。
と、なると考えられるのは・・・自動召喚。
人がここに入ってきた時だけ自動的に召喚されるシステム・・・それなら18年繋ぎ止めるよりずっと少ない魔力で済む。
召喚の方法は色々あるけど、お父さんは好んで魔法陣を使っていた。
それなら・・・その魔法陣の構成をちょっといじれば、簡単にシステムを崩壊できる。
ヒスイは始めにユニコーンが座っていた場所を見た。
「あった!!」
(自動召喚ならもうひとつ魔法陣があるはず・・・)
ヒスイはユニコーンの角からぱっと手を離し、後ろに飛んだ。
お互い息があがっている。ユニコーンも深追いはしてこなかった。
(一体どこに!?)
はぁっ。はぁっ。
汗を拭いながらヒスイは四方を見渡した。
「!?まさかあれ!?」
ヒスイは頭上に広がる豪華なステンドグラスに視線を集中させた。
(なんとなく・・・だけど、魔法陣に見える気がする)
「よしっ!!」
ヒスイは自分に喝を入れた。
そして素早く足元の槍を拾い、ぶんっ!!とステンドグラスに向けて投げつけた。
槍は一直線に飛んでゆき、ステンドグラスの一角を貫いた。
パリィン!!
「やった!命中!」
砕け散ったガラスの破片がパラパラと降り注いだ。
キラキラと光を反射し、得意顔のヒスイを美しく彩る・・・。
「!?お前っ!何を・・・っ!?」
ユニコーンがハッとして叫んだ。
「お疲れ様!バイバイ!」
ヒスイはにいっと笑ってユニコーンに手を振った。
「・・・この・・・システム・・・が・・・破られるとは・・・。お前・・・何・・・」
言葉半ばにユニコーンの体は大量の光の粒子となって消え去った。
「・・・それほど難しい仕掛けじゃなかったわよねぇ・・・」
ヒスイは腕を組んでステンドグラスを見上げた。
見事に打ち抜かれた一角から星空が見える。
その一角こそがすべての“鍵”であり、無数に組み合わされたカラフルなガラスなかから他の場所を選んでいたとしたら、システムの崩壊などありえなかったということをヒスイは知らなかった。
ましてやその“鍵”がまるで生き物のように、いろとりどりのガラスの中をランダムに移動する仕掛けになっていたことも、今となってはどうでもよいことだった。
「これが・・・セイレーンの血?」
ヒスイは小さな小瓶を手に取った。
香水でもはいっていそうな洒落たデザインの瓶に赤い液体が詰まっている。
「ちょうど喉乾いてたのよね。いただきま〜す」
ヒスイは迷わず瓶の蓋を抜いた。
ぽんっ!という音が館内に響いた。
ごくり。
「うん。なかなかいけるわね。お兄ちゃんの血のほうがずっと美味しいけど」
ヒスイはぺろりと唇を舐めて瓶の蓋をもとに戻した。
「空の瓶にこれを」
「ん?」
突然背後から差し出された腕・・・。ヒスイは振り向いた。
「あれ?オニキス。なんでここに?」
「・・・何でもクソもあるか」
オニキスは苦々しい表情で言った。
「あ・・・そっか」
ヒスイは自分が行き先も告げぬまま、ここに閉じこめられていたことを思い出した。
そして何一つ帰りのことを考えていなかったことに気付く。
「ごめん・・・なさい」
ヒスイはオニキスから受け取った瓶の中味を入れ替えながら、素直に謝った。
「それにしてもよくここがわかったね。途中すごい迷路だったでしょ?」
「吐かせた」
「え・・・?」
「戻ればわかる。さっさといくぞ」
図書館の扉は開いていた。その先に人影が見える。
一人、二人・・・全部で三人いる。
「あっ!シンジュっ!!」
オニキスの後ろを歩いていたヒスイはシンジュの姿を見つけると、オニキスを追い越してシンジュに駆け寄った。
オニキスがロザリオに特殊な術式を施して、なんとかシンジュは人型を保てるようになっていた。
「ごめんね。黙ってでできちゃって」
「まったくですよ!!ヒスイ様はもう少し警戒心というものを持って・・・」
延々と続くシンジュの説教はいつものことだったが、何となく今はそれが心地良かった。
(ああ、戻ってきたんだ・・・)
ほんの二・三時間の出来事だというのに随分な冒険をしてきたように感じる。
「ご苦労だったな。ローズ」
「いえ」
残り二つの影はインカ・ローズとルビーだった。
ルビーは両手を後ろで縛られ、青ざめた顔で立っていた。
「?どういう展開なの?これ。どうして彼女が縛られてるの?」
「どうして・・・って!?騙されて閉じ込められたんですよ!?」
シンジュが信じられないと言わんばかりの甲高い声を上げた。
「ズレたことばかり言わないでください!!」
「まぁ・・・それはそうだけど・・・。ちゃんと生きてるし。結果良ければすべて良し、でいいんじゃない?」
ヒスイはけろりとした顔で言った。
「縄を解いてあげて。そんな罪人みたいに扱うほどのことでもないでしょ」
シンジュはあんぐりと口を開けた。
オニキスとインカ・ローズは顔を見合わせて肩をすくめた。
「・・・お前がそう言うのならば、そうしよう」
オニキスは腰に携えた剣でルビーの縄を切り落とした。
「・・・・・・」
ルビーは俯いたまま、じっと動かなかった。
ヒスイはルビーの前に立った。
「あれにはちょっとビックリしたけど、いろいろ・・・為になったわ。今にしてみれば逆にお礼を言いたいくらい」
「!!」
「私も、あなたと同じ立場だったら同じ事してたかもしれないし。好きな人が他の女と結婚なんてしたら・・・。うん。たぶん、許せない。仕方がないってわかっていても腹が立つわよね・・・」
ヒスイは自分の言葉に自分で笑って、最後にごめんね、と付け加えた。
「う・・・っ」
ルビーはぽろぽろと涙を溢した。
「・・・・・・」
オニキスは黙って二人の様子をみていたが、インカ・ローズにルビーを連れて戻るよう目で合図した。
「わたし・・・」
ヒスイはルビーの背中に声をかけた。
「あなたみたいに心に正直な人って嫌いになれないの。だって私もおんなじだから。」
「・・・ごめんなさい・・・」
ルビーは肩を震わせながら、そう言い残してインカ・ローズとともに迷路の中へ消えていった。
「はぁ〜っ・・・。だから騙されてばかりなんですよ、あなたは」
シンジュはほとほと呆れたという顔でヒスイを見た。
ヒスイはその視線をよそに両手を頭の後ろで組んで、軽く伸びをしながら言った。
「罪を憎んで人を憎まず、よ。それでいいじゃない」
「よくありません!それとこれとは別問題ですから」
シンジュは重ねて溜息をついた。
(ヒスイ様って・・・頭がいいのか悪いのか・・・わからない・・・)
「ねぇ、オニキス。」
「なんだ?」
「さっき、吐かせた、って言ったでしょ?まさか彼女に手荒なマネしたんじゃ・・・」
ヒスイは先程のオニキスの言葉が気になって尋ねた。
「ああみえても、インカ・ローズは幻術・催眠術の使い手だ」
「へぇ〜っ・・・じゃあ、催眠術で?」
「そういうことだ」
「ルビーは・・・オニキスのこと好きだったんだよ、ホントに」
「・・・お前には関係のないことだ」
「・・・そうだね。ごめん」
二人の間に沈黙が流れた。
「・・・お前が無事で良かった・・・」
「え?」
ぽつりとオニキスがもらした言葉を、ヒスイは聞き返したが、二度目はなかった。
「オレ達も戻るぞ」
「うん」
‖目次へ‖‖前へ‖‖次へ‖