少年は教会の床に座り込んでいる女性の美しさに息を呑んだ。
(銀の髪・・・人間じゃ、ない・・・)
生まれて初めて見る銀の髪・・・といっても、生まれてまだ六年しか経っていない。
少年はその美しさに心を奪われながらも、明らかに人間ではないその生き物を警戒して言った。
「お前・・・“何”だ?」
その質問に女が返した答えは、少年の名前だった。
「オニ・・・キス?」
「!?なぜ、オレの名前を・・・」
オニキスは子供ながらも訝しむような眼でヒスイを見た。
六歳のオニキス・・・子供特有のふっくらとした輪郭に、黒目がちの大きな瞳・・・天使さながらの可愛らしい顔立ちをしている。
(うわ・・・可愛い・・・)
ヒスイは身動きせず、じっとオニキスのほうを見た。
(時間って残酷よね・・・。こんなに可愛かったのに・・・。今じゃ、あれだもん)
オニキスは同じ質問を繰り返した。
「お前は“何”だ、ときいている」
(・・・何よ、子供のくせに偉ぶっちゃって。そうだ!)
日頃のお返しにこの小さなオニキスをちょっとからかってやろうと、ヒスイは思った。
「私の名前はヒスイよ」
名前を名乗りながら、よいしょと、腰を上げオニキスの近くまで歩いた。
ヒスイの足で十歩にも満たない距離だった。
オニキスはビクッとして二・三歩下がったが、逃げようとはしなかった。
「な・・・っ!?何をするっ!!」
ヒスイはいきなりオニキスを抱き上げた。半分人間ではないせいか、細い体の割には力がある。
「無礼なっ!!離せっ!」
「子供のくせに、なに堅苦しいしゃべり方してるのよ」
「うるさい!離せ!」
「ほらほら、暴れない」
ヒスイは更に強くオニキスを抱きしめてささやかな抵抗を封じた。
「・・・・・・」
観念したのかオニキスはおとなしくなった。赤い顔でむすっとしている。
(あのオニキスが赤面してる・・・ぷぷぷ)
思わず笑いが漏れた。
ヒスイの知るオニキスとのギャップを考えるとおかしくてたまらない。
今、目の前にいるオニキスが可愛く思えて仕方がなかった。
ますます調子にのったヒスイはオニキスの鼻先に軽くキスをした。
「!!!」
その瞬間のオニキスの顔・・・ヒスイにとっては最高に傑作だった。
写真というものがあるなら、是非一枚撮っておきたいと思わせる表情だった。
あはは!とヒスイは大笑いした。
オニキスはそれで緊張の糸が切れてしまった。
王子の仮面が完全に剥がれ、ヒスイの腕のなかで六歳の子供に戻った。
「・・・おねえちゃん、何でお母さんの服着てるの・・・?」
「ん?この服?」
「その服はお母さんの一番のお気に入りなんだ」
「え・・・?」
ヒスイはこのドレスを受け取った時のことを思い出した。
これでも着ていろと、オニキスが無造作に放り投げてきたドレス・・・。
(お母さんのだったんだ・・・)
「もう・・・いないけど」
「え!?だって・・・」
「一ヶ月前、病気で死んじゃった・・・」
オニキスはくしゃっと顔を歪ませたが、涙はみせなかった。
(!!?じゃあ、あの王妃様は後妻!?似てると思ったのに・・・)
「でも・・・父上はもうすぐお母さんの妹だっていう人と結婚するんだ・・・」
(!?じゃあ、あの人はオニキスの叔母さん・・・)
「そんなの・・・いやだ。父上はまだお母さんのことが好きなのに」
オニキスがとても真剣な眼をして話しだしたので、ヒスイはオニキスを地面に降ろした。
そして二人並んで床に座り込んだ。
「だって・・・お母さん、傍にいるんだ。ずっと綺麗なままだよ。氷に閉じこめられて・・・」
「氷に・・・?」
「うん。メノウっていうこの国一番の術士に頼んだんだって」
(お父さんが・・・)
「今まではお城にあったんだ。お母さんがいる氷のカタマリ。でも父上が・・・何処かに隠してしまった。お母さんに、会いたいよぅ」
オニキスの声が切なく響いた。
その声にヒスイの胸がちくんと痛んだ。
「・・・それで、お城を抜け出してきたの?」
「うん。お母さん探そうと思って・・・」
「・・・探すの手伝うよ」
「えっ・・・?」
「一緒に探そう」
ヒスイは立ち上がり、オニキスに手を伸ばした。オニキスは迷いながらもヒスイの手をとった。
二人は手を繋いで歩きだした。
月夜の明るい晩だった。
「・・・で、心当たりはあるの?」
「城の中にはないみたいなんだ、もう。だけど城下から出すわけないよ。父上がそんなことするはずない・・・」
(それなら・・・城下を一望できれば・・・)
「そうだっ!」
ヒスイはぐいっとオニキスの手を引いた。
「あそこにいこうよ!オニキス!」
「え?あそこ?」
「?秘密の場所だよ」
「知らない」
「え?知らないの?」
「うん」
おかしいな、と思いつつヒスイは言った。
「じゃあ、私が教えてあげる!ついてきて!」
ヒスイはオニキスを離れの宮殿まで連れ帰った。
初めてオニキスの宮殿を訪れた時と同じで、人影はなく、しんと静まりかえっている。
ヒスイは迷うことなく、確かな足取りで宮殿の中へ侵入した。
「おねえちゃん、なんでここに詳しいの?」
「ヒミツ」
(・・・あんまり変わってないんだなぁ・・・。)
宮殿の二階は、家具もその配置もヒスイが暮らす部屋とほとんど変わりなかった。
(子供なのに・・・大人と同じ家具なんだ・・・。こうしてみると大きな家具ばかりじゃない。使いにくそう・・・)
ヒスイは自分の部屋を思い浮かべた。
思えば、子供用の小さな家具を当然のように使っていた。暖かい雰囲気のアンティークな家具。
可愛い花柄のカーテン。一目でどれくらいの歳の子供の部屋かわかるくらいすべてが統一されていた。
(やたらヌイグルミが多かったけど、あの部屋は私も大好きだった。それに比べて・・・)
現実に戻るとやたら殺風景だった。ヒスイの暮らす未来のほうがまだ物があったように思える。
(ひょっとしたらオニキスは子供扱いされることが少ないのかもしれない・・。王子様ってそういうものなのかな・・・)
ヒスイはオニキスをちらりと見た。するとオニキスもヒスイを見上げ、二人は目が合った。
「どこまでいくの?」
「キッチンよ」
ヒスイは広い部屋を横切ってキッチンへと急いだ。
「ここ。ここ」
キッチンは道具一式揃っていたものの全く使っている気配はなかった。
「ね、これ何だと思う?」
ヒスイはしゃがみ込んで床を指さした。
「チョゾウコでしょ?開かないけど・・・」
「実はね、ここが秘密の場所への入り口なの」
「えっ!?」
目を丸くして驚くオニキスをヒスイは穏やかな微笑みで見守った。
「開けることができないのは封印の魔法がかかっているからよ。これはね、合言葉で開くようになってるの」
ヒスイはオニキスから教わった合言葉を口にした。
「・・・プペプペ・ピロリン・パラペーニョ!!」
(・・・言っちゃった・・・)
ヒスイはカアァッと赤くなった。
(何なのよ、この合い言葉・・・)
しかし子供のオニキスは純粋に感動していた。
「カッコイイ合言葉だね!」
「・・・・・・」
(これ、オニキスが真顔で言ったときは爆笑したけど、もしかしてホントにカッコイイと思ってたりして・・・)
「う・・・わぁ・・・」
オニキスはヒスイが初めて訪れた時と同じ反応をした。
それを見てヒスイはくすっと笑った。
「ここからなら城下が一望できるよ」
「うんっ!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
深夜だった。建物の輪郭が辛うじて見えるだけである。
二人は眼を凝らして闇の中を探った。
「あ!あれ!」
オニキスが北の方角にキラキラと光るものを見つけた。
「氷に月の光が反射してるのね。さ!いってみよう!」
二人は手を取り合って城下町に繰り出した。
この晩は町にも人影がなかった。
二人しかいない世界を駆け抜けるようにして、氷の輝く場所を目指す・・・。
大きな月に追いかけられながら、二人は町を抜け、森へ入った。
オニキスはここが樹海として有名な森だということを知っていたが、ヒスイと一緒なら怖くはないと、繋いだ手に力を込めた。
「ひょっとして、あの場所って・・・」
少し進んだところから、カーネリアンたちがアジトにしていた古城が見えた。そこから光が漏れている。
(あそこに・・・オニキスのお母さんの氷壁が・・・?)
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