カーン。カーン。

弔いの鐘。
前王の埋葬は身内と一部の臣下達で密やかに行われた。
それが遺言だった。
国民に慕われた名君・・・国に人生を捧げた男の。



鐘の音が聞こえる・・・。
ヒスイとオニキスは最初に別れた場所にきていた。
オニキスの母親の氷壁は昔と全く変わらない。
「・・・お前に頼みたい。この氷壁を・・・溶かしてくれ」
オニキスが何を考えているのかすぐにわかった。
ヒスイは頷いた。
「・・・やっと決心がついた。これはもう、ここにあるべきではない」
オニキスは氷壁を見上げた。
「だが・・・その前に少し昔話をさせてもらう」
「?」
「あのとき、ここで誓った。お前を妻にすることを」
「そう・・・なの?」
ヒスイは他人事のような顔をしている。
オニキスは溜息をついた。毎回のパターンだ。
「あのあと・・・お前を随分恨んだ。オレを守ると言ったくせに、姿を消してそれっきりだ」
「・・・ごめん」
「・・・捜した。うんざりするほど」
「・・・・・・」
「出会ってみればお前は子供で、しかも余計なおまけまでついてくるし、散々だ」
「余計なおまけ?」
「・・・コハク」
ぷっ、と、ヒスイは吹き出した。
「・・・ここまで言ってもわからないなら、はっきり言ってやる。オレは、お前を・・・」
「わたしっ!!」
ヒスイは両目をつぶって大きな声を出した。
「お兄ちゃんしか好きにならないからっ!!」

訪れる沈黙。

こんなに長く感じたことはなかった。
ヒスイは耐えかねて自分から話し出した。
「・・・お兄ちゃんはね、ひだまりなの。ひだまりって、あたたかくて、安心するでしょ?お兄ちゃんは・・・優しくて、あたたかくて、いいニオイがするの。お日様と、石鹸と、甘いお菓子のニオイ。私、そのニオイが大好き」
「・・・・・・」
「・・・オニキスにも、ひだまりのような人が似合うと思う」
ヒスイは言った。オニキスの瞳を見て。はっきりと。
「・・・別に、お前をどうこうしようとは思っていない」
オニキスにとっては予想していた答えが返ってきただけのことで、特にショックを受けた様子はなかった。
(しかしまさか他の女を薦めてくるとはな。残酷なヤツ)
オニキスにとってのひだまりはヒスイであることを全く無視している。
お手上げだ。
「・・・始めてくれ」
オニキスは半ば自棄になり、抑揚のない声で言った。
「あ・・・。うん」
オニキスの態度があまりにも淡泊なので、ヒスイは逆に拍子抜けした。
(びっくりしたぁ〜。お兄ちゃん以外の人に好きだって言われると思わなかったし。ん?好き?あれ?まだ言われてなかった・・・。あのあとの言葉が告白とは限らないのよね・・・。ちゃんと最後まで聞けば良かった・・・)
ヒスイは、もしや自分は見当違いの返答をしてしまったのではないかと急に恥ずかしくなり、ほのかに頬を染めながら歌った。



オニキスは母親の骸を抱いて、父親の眠る場所へと向かった。
ヒスイも黙ってそれに続いた。
「オニキス・・・」
王妃・・・オニキスのもうひとりの母親は、棺を取り囲む人々の輪から少し離れたところにいた。
「・・・母上。どうか許して欲しい。この女性と父を共に弔うことを」
「・・・ええ。許します」
王妃はハンカチで目元を押さえた。
「・・・私の役目は終わりました。故郷の国に帰ります。やり残したことがあるのです。あなたは王として立派にやっていけるわ。何も心配はしていません。“銀”もついていることですし」
かつての王妃は隠居を申し出た。
「私の我が儘、許していただけますか?王よ」
「・・・母上の望むように」
オニキスは承諾した。そして最後に「どうか幸せに・・・」と、付け加えた。



「・・・オニキス・・・泣いてる?」
心で、の意だ。
ヒスイは気遣うような表情でオニキスを見上げた。
オニキスは瞳を閉じてじっとしている。
無事埋葬が済んだ。
並べられた真実。
二人は微笑んでいるようにさえ見えた。
古くから城に仕える臣下の中にはその姿に涙する者も多かった。
(・・・死んじゃってから一緒になったって・・・)
ヒスイは唇を噛んだ。
オニキスには絶対にそうなって欲しくない。
漠然と、強くそう願った。


「ひとりになりたい?」
「・・・そばに」
「・・・うん」
ヒスイはオニキスの頬を撫でた。
(・・・オニキスは泣かない。だけど心は違う。子供の頃からずっと泣きたいのを我慢してるだけ。たぶん今そうだろう)
「・・・いくか」
オニキスは頬に触れるヒスイの手を取った。
そしてそのまま指を絡めて、腕を下におろした。
「・・・うん」
二人は手を繋いで歩いた。
目的もなく、ただ、歩いた。
木漏れ日の射す森の中を。


オニキスは城に着くまで一度もヒスイの手を離さなかった。
あてもなく歩いた後、二人は城に戻った。
すっかり日も暮れ、夜になっていた。
「お前は先に寝ていろ」
オニキスはヒスイを離れまで送ってから、自分は会議室へと足を運んだ。




悲劇はその直後、起こった。

ガタン。

バルコニーのほうで物音がした。
「?」
ヒスイは音の正体を確かめようと、バルコニーに向かった。
部屋の電気をつけていないせいで、バルコニーから差し込む月光がやたらと明るく感じる。

ウ〜ッ・・・。

低い唸り声がした。
「!!!?」
狼に似た銀色の獣・・・。
初めて見るその獣にヒスイは驚愕した。
殺気を感じる。
声がでない。
助けを呼ぶことができない。

グアアーッ!!!

獣の咆吼。
次の瞬間、鋭い爪がヒスイの体を深く抉った。
「!!!」
あまりの痛みと衝撃にヒスイは意識を失った。
とどめとばかりにヒスイの喉元に噛みつこうと、獣が大きく口を開いた。

パーン!!

ヒスイの左のピアスが砕けた。

グアァァァーッ!!!

砕けた琥珀のピアスから光が溢れ出す。何もかもが見えなくなるほど濃い光だった。
銀の獣は悲鳴をあげ、光から逃げるように身を翻した。
ひらりとバルコニーから飛び降りる。
狼の三倍はありそうな体だが、身のこなしは軽やかだった。
残されたヒスイはぴくりとも動かない。
傷口からは止めどなく血が流れ出していた。



部屋中に溢れる光。
オニキスは本殿に向かう途中の道でその光を見た。
離れの異変に気付いてオニキスが戻ってきた時には、ヒスイの顔には全く血の気がなかった。
「ヒスイ!!!しっかりしろ!!」
全く反応がない。
回復魔法を施してみても“銀”であるヒスイの体にはほとんど効き目がなかった。
(とにかく血を飲ませなければ・・・。しかし意識が・・・。そうか!!)


『光よ・・・永遠なれ。』


オニキスの脳裏にコハクが残した言葉が蘇る・・・。
(・・・こういうこと・・・だったのか・・・。)


『闇よ・・・無限なれ。すべては愛し子のために――』


ピクンとヒスイが動いた。
(万が一の時はオレにこの呪文を使えということか・・・)
「早く吸え」
「・・・・・・」
ヒスイは血だらけのまま、オニキスに身を寄せた。
強力な呪文の力が働いているとはいえ、さすがにつらいらしく、傷口を手で押さえている。
ヒスイは口を開けた。
生命の危機に瀕しているからか、いつもより牙が大きく鋭い。
瞳孔が細くなり、今や完全に魔物の瞳となっている。
そして、肉を噛み切る勢いで、オニキスの首筋にかぶりつき血を吸った。
「・・・・・・」
(予想はしていたが・・・このままでは・・・死ぬな。オレが。だが、それでもヒスイを死なせる訳にはいかない)
オニキスは自分の体から大量の血が抜かれていくのを感じていた。
ヒスイに与えた血はもはや致死量に近かった。
「・・・お前は・・・生きろ・・・」
オニキスの意識は遠のいていった。

ゆっくりと。

あたたかな闇のなかへ。



「ヒスイ様!!?オニキス!!!?」
シンジュはオニキスよりも早く本殿の会議室にいた為、到着が遅れた。
二人を発見したシンジュは絶叫した。
ヒスイもオニキスも血まみれになって倒れている。
床も血だらけで、誰の血かすらわからない。
(ヒスイ様は生きてる)
自分の存在がそれを証明していた。
主を失うようなことがあれば自分もただでは済まない。
シンジュは先にオニキスのほうへ駆け寄った。
猛烈に嫌な予感がする。シンジュはじんわりと冷や汗をかいた。
「オニキス・・・」
シンジュは脈を測った。
(・・・脈が・・・ない・・・)
オニキスの胸元に耳を当ててみる・・・。
心臓は動いていなかった。


「・・・死んでる・・・」





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