「オニキスが倒れたって?」
カーネリアンが手土産を持ってバルコニーから入ってきた。
「貧血です」
シンジュが書類を脇に抱えてカーネリアンを出迎える。
難しい顔をしているのはいつものことだが、今回は輪をかけている。
「はぁっ。しょうがないねぇ。ヒスイの血以外飲みたくないってか?」
「・・・どうやらそのようです。本人は何も言いませんが、ヒスイ様がいなくなってから一滴も口にしていない」
「そりゃ言えないよなぁ・・・。ガキじゃあるまいし、そんなことで駄々こねたってどうにもならないことぐらいわかるだろ」
「しかしオニキスは眷族になって間もない・・・」
シンジュはカーネリアンの厳しい意見に水を差した。
むしろオニキスを放って、天界でよろしくやっているヒスイに文句があるようだ。
「自分でもわかってるのに、どうにもならない・・・か。なんとかしてやらないとな」
「そうですね」
「これを乗り切らないとオニキスに未来はないよ」
「私もそう思います」
「コハクはもうヒスイを手放さないだろ」
「ですね」
「忘れるしかないんだ。ヒスイのことは」
「・・・・・・」
ヒスイが占領していたベッドに青白い顔で横たわるオニキス。
カーネリアンはオニキスの長い前髪に指で触れた。
「もっと頼ってくれていいよ。面倒見てやるからさ」
カーネリアンの人柄が窺えるあたたかい言葉だった。オニキスに聞こえていないのが惜しまれる。
「あっ!カーネリアンさん!そこ土足厳禁です!」
ひょっこりと顔を覗かせたインカ・ローズが開口一番に注意した。
「あ・・・わりぃ。忘れてた」
ここに訪れる度、注意されている。
ベッドを中心にふかふかの絨毯が敷いてある、そこは土足禁止なのだ。
カーネリアンは慌てて靴を脱いだ。
「しかしなんで絨毯なんか・・・昔はなかったよなぁ・・・」
「ヒスイ様は床に座り込むのが好きだったんです。それでオニキス様が・・・」
ヒスイが床に転がって本を読んだり昼寝をしたり・・・それが少し前までの日常風景だった。
「ヒスイのため・・・ね。こいつなりに大事にしてたんだなぁ・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
三人は輪になってしんみりムードだ。
「なんかホント報われないというか・・・」
「ここまで愛してくれる男を放って、他の男のトコにいけるもんかね・・・」
「それ以前に歯牙にもかけていませんでしたよ」

インカ・ローズ・カーネリアン・シンジュが順番に話す。

「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

「いや、ホントに幸せになって欲しいよ、こいつにはさ」
誰か紹介できる娘はいないかと、ファントムのメンバーの名前を次々に挙げるカーネリアンにシンジュが言った。
「・・・しばらくは無理だと思いますよ」
すぐ傍で見てきたのだ。オニキスがヒスイを想う様を。
(オニキスは本当にヒスイ様を大切にしていた・・・)
「大切にし過ぎだったのよ」
辛口のインカ・ローズ。
「無理矢理でも子供作っちゃえば良かったのに」
「それはさすがにやり過ぎでは・・・」
とてもそんなことができる男ではない。見た目よりずっと心が優しいのだ。
シンジュは冗談でもあり得ないことだと思った。
(コハクじゃあるまいし。オニキスがそんなことをするはずがない)
「夫婦なのよ?何の問題もないじゃない」
インカ・ローズはけろりとした顔で言った。
「よく言った!」
カーネリアンはインカ・ローズの肩を抱いて笑った。
「そんぐらいやっときゃ、多少は変わっていただろうに」
「ですよね〜」

頷き合う二人。

(・・・全く・・・女性というのは恐ろしい・・・)
シンジュはこの二人を見てつくづくそう思った。



「カーネリアンさんって意外と甘党なんですね〜」
カーネリアンの土産は和菓子だった。あんこがたっぷりのぼた餅。
お茶の時間だ。
「今、緑茶いれます」
インカ・ローズはテキパキとお茶の準備をした。
(そうそう。甘党といえば・・・)
「シンジュ。メノウ様は?」
「恐らく上でお昼寝されているかと」
ヒスイの昼寝好きは遺伝かもしれなかった。
メノウもよく寝る。
更に“別の目的”が加わって近頃は眠る機会が増えていた。
「呼んできてくれる?起きていたらでいいから、メノウ様の好きなぼた餅ありますよ、って」
「そうですね、ちょっと様子を見てきます」
そう言ったシンジュはすぐに戻ってきた。
「お昼寝中でした。やはり」
「そっかぁ。メノウ様、一度寝ちゃうと起きないもんね」
「お先にどうぞ。私も後ほどいただきます。メノウ様と一緒に」
シンジュも和菓子は好物だった。ちゃっかり自分の分も予約する・・・。
インカ・ローズは惚れた弱みで、そんなシンジュを可愛いと思いながら、ぼた餅を取り分けた。




その夜。

「・・・ん?あれ?」
(景色が・・・違う・・・?)
壁のない神殿からはいつでも空が見えるはずなのに。
ヒスイは目をこすりながら大きな欠伸をして辺りを見回した。
「あれ?・・・私まだ酔ってる・・・?」
(イズのところでヤケ酒飲んで、それからお兄ちゃんが迎えにきて・・・そのあと・・・どうしたっけ)
記憶の糸が切れている。思い出せない。
「夢でもみてるのかな・・・ここってまるでオニキスの宮殿・・・」
(やっぱりどう考えても夢だわ、これ)
「・・・顔でも洗ってみようかな・・・」
ヒスイはベットがら転がり落ちるようにして床に足をつけると、洗面所へ向かった。
(三階は確かこの奥に洗面所があったはず・・・)
「・・・え・・・?」
鏡に映る自分の姿。
「お・・・とうさん!?」
バッと鏡に張り付いて、何度姿を確認しても同じだった。
「な・・・なんで???なんで私がお父さんに・・・ってことは、お父さんが私になってるの・・・?」


「!!!まさか!」


(お兄ちゃんとえっちした後、時々意識が飛ぶのって・・・このせいなんじゃ・・・)
おかしいとは常々思っていた。
いくら気持ちが良いからと言っても、小一時間も意識不明になるのはどう考えても変だ。
「どうなってるのよ!もう!お父さんまで!!」
ふつふつと怒りが込み上げてくる。
「私の意識がないときにお兄ちゃんと何こそこそやってるの!?お兄ちゃんも知ってて黙ってたわねぇ・・・」
いつものことでも腹が立つ。
「!!じゃあ、前にオニキスのところで裸になったのも・・・」
疑問が次々と解決してゆく。
犯人はメノウ。実の父親だ。
「お兄ちゃんといい、お父さんといい・・・一体何なのよ!!二人して騙すことないじゃない!もうっ!もうっ!もうっ!!」
メノウの柔らかい髪をくしゃくしゃにしてヒスイが怒る。


「メノウ殿?そこにいるのか?」


「!!?」
(オニキス!?)
メノウを探すオニキスの声にヒスイは肝を潰した。
(ど・・・ど・・・どうしよう。お父さんのフリしなきゃ・・・)
メノウの心臓を激しく脈打たせ、ヒスイは恐る恐る洗面所から顔を出した。
「オニキス・・・」
一瞬、我を忘れた。
びっくりする程、顔色が悪い。
それは明かりを灯していない部屋のせいではなかった。
罪悪感がヒスイを襲う。
「大丈夫?」
慎重にメノウが使いそうな言葉を選んで話す。
「ああ」
オニキスは短く答えた。明らかに無理をしている。
「早く血を吸って・・・」
メノウの体であることはこの際無視して、強く吸血を促す。
「・・・・・・」
オニキスは気怠そうな瞳でヒスイを・・・メノウを見つめている。
(私・・・人を騙すのって上手くいった試しがないのよね・・・)
「・・・血を」
「えっ?あ、うん!どうぞ!」
ヒスイなりにメノウっぽさ意識する。
「・・・いただく」
「うん」
オニキスはメノウの肩に手をかけ、首筋を舐めた。
噛みつく前の確認作業。ヒスイもしていることだった。
「・・・・・・」
オニキスの牙が食い込んでくる。
初めて吸われた時より、痛みは少なかった。
「どう?美味しいでしょ?」
メノウならそう言うだろうと思った。
「・・・ああ」
(良かった・・・。お父さんの血、美味しいんだ・・・)


「・・・ねぇ、やっぱり人間でいたかった?」


メノウの体だから聞けたこと。
「・・・考えるだけ無駄だ」
オニキスは答えた。
「オレはこの体で生きる。ヒスイと共に」
「・・・・・・」
ヒスイの胸がぎゅっと掴まれたように痛む。
牙の痕を舐めるオニキスにかける言葉が見つからない。
「・・・あ・・・おわり?」
わざとらしく話を逸らせた。
「・・・・・・」
オニキスは何も言わず、メノウの肩にのせた手に力を込めた。
「?」
そしてまた首筋に舌を這わせた。
しかし牙を突き立てる様子はない。
「??」
いつしかそれはキスに変わり、オニキスの唇が、メノウの首筋から頬へ、頬から鼻先へ、順に触れる。
「???」
(なんか変なムードになってない??)
愛おしげにオニキスが頬を撫でる。
(お父さんとオニキスって・・・まさか・・・)

それからゆっくりと唇を重ねた。

(こ・・・こういう関係になっちゃったのぉ〜!!!?)
ヒスイは心の中でダラダラと汗をかきながらオニキスのキスに応じた。
(ど・・・どうしよう・・・。抵抗したら変よね。っていうかキスで済まなかったら・・・・。男同士なのにどうすんのよ〜!!!)
ヒスイの頭の中は思考回路が経たれるほどの“どうしよう”でいっぱいだった。
「・・・するか。バカ」
「・・・え?」
耳を疑う言葉。
まるで心を読まれたようだ。ヒスイは焦った。
「・・・天界はいいところか?ヒスイ」
「!!!」
(バレてる!?なんで!?)
ヒスイは表面でもダラダラと汗をかいた。
(今回は完璧だと思ったのに。どうする!?シラを切る?ひょっとしたらカマをかけているだけかもしれない)
「な、なんのことかな?俺、メノウだよ?」
「・・・そうか。メノウ殿か。」
オニキスがくっくっと笑いを洩らす。
(そういえば前にもこんなことがあったっけ・・・)
完全にバレている。オニキスはすべて承知の上だ。ヒスイは半ば諦めた。
「では続きをするか・・・」
「ちょ・・・ちょっとまって・・・」
オニキスがもう一度キスをしようとしてきたので、ヒスイは慌てて止めた。
「あの・・・ごめん」
「・・・何がだ?」
「喉、渇いてたんでしょ?ずっと我慢してたの?」
「別に。気が乗らなかっただけだ」
「・・・オニキスをどんなにつらい目に合わせても、私はきっと何度でもお兄ちゃんを選ぶから・・・もうオニキスの前には姿を見せないって決めてたのにな」
「・・・・・・」
「だから正直ちょっと合わせる顔がないっていうか。まぁ、これはお父さんの顔だけど・・・」
「何を今更、わかりきったことを」
「へ?」
「・・・ついでだ。もっと吸わせろ」
「え?あ・・・うん」
オニキスは一言もヒスイを責めなかった。
そして先程とは反対側の首筋に牙をたて、長い時間をかけて少しずつ、ゆっくりとヒスイの味がするメノウの血を味わった。


『ヒスイの負担になりたくなかったら、オレの血を吸うしかないよ』


昨晩、メノウに言われた言葉・・・覚悟は決めていた。もう、ヒスイの血を吸うことはないだろうと。
(・・・残酷な運命だ。こんな形で再会させることもないだろうに)
“中身”がヒスイなら、それはヒスイなのだ、オニキスにとっては。
瞳に焼き付いているヒスイの仕草、表情。メノウの体でもそれは変わらない。
「“愛”はなくとも“縁”はあるようだな」
(もうしばらくこの“縁”に振り回されるのもいいだろう・・・)
むせかえるほど甘い血の味に目眩を覚えながら、オニキスは静かにそう思った。



「オニキス様・・・ついにやっちゃった・・・」
インカ・ローズは扉の隙間からメノウに絡むオニキスの様子を覗き見していた。
「やっぱり・・・こうなると思ってたのよね。でもまぁ、仕方ないわよ、うん。あんなに似てちゃ・・・」
インカ・ローズはそっと扉から離れた。
(道ならぬ歪んだ愛だけど。私は応援します!オニキス様っ!!)






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