軍事国家グロッシュラー。
「ほう、断ると?」
グロッシュラー王の瞳の奥が鋭く光る。
それに臆することなくオニキスは答えた。
「・・・第二王妃を娶る気はない」
「・・・その答えが何を意味するか、わからない訳ではあるまい?」
「・・・わからんな」
ドコーン!!ガラガラガラ・・・
近くの建物が崩れ落ちる音がした。
(・・・来たか)
素晴らしいタイミング。コハクだ。
数十分前・・・
名残惜しいひととき。
ヒスイを腕に抱いていたのはほんのわずかな時間だった。
このまま抱きしめていたら・・・力に任せて自分のものにしてしまいたくなる。
(そうすれば・・・何かが変わるだろうか)
「・・・・・・」
(・・・嫌われるだけだな。恐らく二度とこの関係には戻れまい)
魔が差した考えと、苦々しい想いが巡る。そして、腕を解いた。
(どのみちできるはずもないが)
結局最後は自嘲・・・意気地のない自分を笑う。
そもそも相手は妊婦だ。お腹の中には他の男の子供がいる。
「あのね、なんとなくひとりじゃない気がするの」
両手をお腹にのせて、少し照れ臭そうにヒスイが見上げた。
「そうしたら・・・手伝ってくれる?」
上目遣いの笑顔。悪戯に、甘く。
「・・・ああ。何人でも安心して産め」
胸を掻きむしる想いに駆られながら、オニキスは目を細めて笑った。
「うん・・・ありがと」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
優しい沈黙が訪れる。
それ以上言葉を交わすことはなく、二人はしばらくの間、黙って向き合っていた。
「・・・条件を飲む必要はないわ」
ヒスイが口を開いた。そこから毅然とした声が発せられる。
「もうすぐお兄ちゃんがくるはずだから」
魔界。洋館。
「ヒスイサン?サァ???」
サファイアが首を傾げる。
「絶対ここに来てるハズなんだ」
コハクは必死になって説明した。
廊下に点々と落ちていた羽根を辿ってここまで来たのだ。
間違いはない。
「先程マデ部屋を空けていまシテ。ホントに見てマセン~」
「・・・・・・」
ヒスイが消えた。
(まさか本気で怒って・・・まずい!まずいぞ!!)
顎に手をかけて・・・真面目顔。
その時ふとサファイアの室内からヒスイの香りがした。
「ヒスイの匂いがする」
「エ?エ?」
微かな残り香でも大きな出がかりだった。
コハクはサファイアの部屋に押し入り、今度は匂いを辿った。
「・・・ここ、開けてもいいかな?」
3つ並ぶ扉の真ん中を指差してサファイアを見る。
「別ニ構いませんケド・・・」
カチャ・・・
「これは・・・人間界への魔法陣?」
「そうデス~」
「・・・・・・」
(この時期にひとりで人間界へ行ったりなんかしたら・・・)
嫌な予感・・・心配が膨らむ。
「アレ~?お気に入りのパジャマがないデス~・・・」
(・・・ヒスイだ)
とりあえず裸で彷徨っている訳ではなさそうだった。
「・・・これ、どこに繋がってるの?」
「グロッシュラ~デス」
「!!なん・・・だって!?」
(グロッシュラーは軍事国家だ。捕まったら間違いなく利用される)
コハクは唇を噛んだ。
「コレ、借りるね」
サファイアの武器を手に取って、魔法陣へ飛び込む。
(ヒスイに怪我でもさせてみろ、国ごと消してやる・・・)
「ア!セラフィム!それハ・・・」
サファイアが声をかけるも、すでにコハクの姿はなかった。
「・・・持って行かれちゃうト、困るんですケドネ~・・・」
貴重な“日本刀”だった。この世界では非常にレアな武器だ。
「まったク・・・人騒がせナご夫婦デスネェ・・・」
そしてグロッシュラー。
「お兄ちゃんっ!!」
廊下の窓からヒスイが身を乗り出した。
ここにいるよ!と大きく手を振る。
「!!ヒスイ・・・っ!!」
挨拶がてら王城近くの建物を破壊したコハクが、一直線に飛んできた。
「お兄ちゃん!!」
「ヒスイっ!!」
二人はしっかりと抱き合った。
「ごめんね。痛いことして」
頭を撫でて、まず謝罪。
「ううん!怒ってないよ!」
コハクには何をされてもすぐ許してしまう。昔からそうだ。
惚れた弱みとはまさにこのことだと自分でも思う。
「ん~・・・っ」
小さなヒスイの顔を両手で包み込んでキスをするコハク。
「はむ・・・っ」
舌を絡めて上機嫌。
(少し前の僕ならこのぐらいの脅しじゃ済まないんだけど・・・まぁ、いっか)
壊すよりヒスイと愛を紡いでいるほうがいい。
ヒスイが腕の中にいれば、剣など無用だ。
神に仕えていた時代に培われた殺戮衝動もヒスイの前では息を潜める。
剣よりも愛。それが今のライフスタイルだ。
「・・・そろそろ姿を見せたら?」
唇を重ねた瞬間に揺れた・・・ヒスイの影。
コハクはそれを見逃さなかった。
「完璧な“影”だったけど、僕がヒスイに触れたんでカチンときたんでしょ?感情が乱れた」
「お兄ちゃん??え?」
己の影が勝手に動き出す。ヒスイは驚きで口が半開きになっている。
平面から立体へ。
影が長く伸びて立ち上がる・・・その輪郭はトパーズのものだった。
「ト、トパーズ!?」
「・・・・・・」
露骨に“面白くない”という顔で、トパーズが姿を見せた。
「一応お礼を言っておくよ。ヒスイのこと守ってくれてたみたいだし」
ヒスイの“影”になりすましていた。
洋館の廊下を裸でうろつくヒスイを見つけてから、ずっと。
「・・・・・・」
「何か考えがあるようだから、後は君に任せることにしよう」
あてつけのようにヒスイを抱き締めて、コハクは挑発的な笑みを浮かべた。
トパーズは不機嫌極まりない。
話をするのもうんざりという態度で、何も言わずに二人の元を去った。
「・・・あれは“警告”だ」
オニキスは崩れ落ちた塔を顎で指して、グロッシュラー王を見据えた。
「降伏しろ」
「降伏?馬鹿な」
グロッシュラー王も多少のことでは動じない。
「戦の準備は出来ている。一国に匹敵する“情報”をみすみす手放すか」
<・・・煉獄より出でよ・・・マインドイーター・・・>
何の前触れもなく、トパーズの淡々とした声が響いた。
ズルッ・・・ズル・・・
呼び出された魔物が地を這う。
ドラゴンが半分溶けて腐ったような姿をしていた。
二つの赤い目をギョロギョロと動かして、命令が下るのを待っている。
見たこともない闇よりの使者。
しかし武勇に秀でたグロッシュラー王は怯むことなく、腰に携えた剣を抜いた。
「・・・なかなか威勢がいいな」
ククッ・・・
トパーズは声を押し殺して笑うと、マインドイーター・・・“精神を喰うモノ”に命令を下した。
<そいつの“記憶”を喰え・・・>
マインドイーターでグロッシュラー王の“精神”を支配した。
銀の悪魔に関する記憶を消し、野心を殺す・・・
結果的にそれでモルダバイトを救った。
「・・・グロッシュラーの他国への侵略は最近目に余る。内側から動きを止めるのに丁度いい機会だと思った・・・ので」
オニキスとは目を合わせずに、トパーズが言った。
白々しい敬語。
オニキスの前ではうまくやってきたつもりだったが、ヒスイとの一件で本性はとっくにバレている。
隠すのも馬鹿らしくなったのか、作り笑顔は止め、愛想のない地顔を披露していた。
「・・・いい傾向だ。無理に取り繕う必要はない」
性格の悪い男には慣れている。
トパーズの素顔を見てオニキスは苦笑いした。
それから、昔と変わらぬ仕草でくしゃくしゃとトパーズの頭を撫でた。
もう身長差は殆どない。
「・・・子供扱いはこれが最後だ。これからはひとりの男として好きに生きろ」
「父上・・・」
「・・・少し話をしないか。お前の声を、もっと聞きたい」
大陸の中央部に位置する精霊の森。
さわさわさわ・・・
鬱蒼と茂る森の入口で、ジンは爽やかな葉擦れの音を聞いていた。
「あ~・・・久しぶりだなぁ・・・ここに帰ってくんの」
木漏れ日の差す方を見上げてメノウが言った。
「・・・聞こえる?」
「あ、はい。なんとなく」
「何て言ってる?」
問答が続く。
「“おかえり”って・・・」
「正解。コレが聞こえるなら話は早い」
メノウは調子よく何度も頷いた。
「こちらのご出身なんですか?」
何気なくジンが尋ねた。
「ん~・・・まぁ、そんな感じかな。赤ん坊の頃親に捨てられて、ここで育ったんだ、俺」
「あ・・・すみません」
「気ぃ遣わなくていいよ」
頭の後ろで両手を組んでメノウが笑う。
「サファイアも親に捨てられたらしくてさ、ホント言うと、気持ちはわからないでもないんだけどね」
「メノウさん・・・」
「育った環境で考え方って変わってくるモンだと思うし。この場合戦いになるのは仕方がない・・・けどさ」
肩を竦めてメノウは話を続けた。
「手合わせして気付いた。今でこそ使いこなしてるけど、あの剣術は相当無理をして身につけたものだ。生きてくために。苦労したんだろうなぁ~・・・」
堕天使の血を引く子供は各地にいた。
腹違いの兄妹。母親はすべて違う。
その中でもサファイアはとりわけ高い能力を持っていた。
「昔はちょっと変わった力があるだけで気味悪がられてさ、風当たり強かったんだよね~・・・人外との混血は大抵捨てられた」
「そんな・・・子供に罪があるわけじゃないのに・・・」
「うん、だからサファイアが世界より育ての親を選ぶのは当然といえば当然で。コハクもその辺わかってるから味方してるんだろ~なぁ・・・」
「・・・戦わずに済む方法はないんですか?」
「う~ん・・・」
メノウが腕を組む。
「まぁ、あいつ次第ってトコかな」
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