バンッ!
ヒスイがホワイトボードを叩く。
そこには――
“愛するヒトは一生にひとり”
――と、書いてある。
「いい?初めてえっちしたコと結婚しなさいよっ!」
それが家訓だとヒスイが息巻く。
「?」「?」「・・・」
ジストとサルファーは、ホワイトボードの前で鮮やかな紫と緑の瞳をぱちくりさせている。
スピネルは全くの無反応。
「ヒ、ヒスイ、その心がけは素晴らしいと思うけど、まだ意味わかんないと思うよ?」
「こういうのは最初が肝心なの!」
鼻息荒く主張するが、やっとヨチヨチ歩きが出来るようになった幼児に理解できる筈もなかった。
「まぁ、まぁ、そうムキにならないで」
(ヒスイ、ひょっとして教育ママ?)
正しくは、性教育ママ、だが。
「その前に解決しておかなきゃならない問題がひとつ・・・」
スピネルだ。
(中出しできないのは絶対困る!!)
精液をヒスイの胎内に散布しないと、独占欲が満たされない。
絶え間なく注ぎ続けて、常にヒスイを自分のものにしておきたい、変態根性。
これにはこだわる。
しかし、射精寸前で気を取られているとはいえ、コハクを吹き飛ばすスピネルの能力は相当なものだ。
なにせ裸で数メートルも飛ばされるのだ。
「ね、ヒスイ、スピネルに話してみてくれない?」
「う〜ん・・・でもまだ意味わかんないと思うよ?」
先程コハクが言った台詞を今度はヒスイが口にした。
(ヒスイ・・・矛盾してるよ・・・)
「スピネル?パパの邪魔しちゃだめだよ?」
お腹を撫でて、ヒスイがやんわりと言い聞かせる。
眠っているのか、やはり返事はない。
「試してみる?」
ヒスイがコハクを見上げた。
「もちろん」
子供達にはおもちゃを与えて、時間を稼ぐ。
ちゅっ。
キスをして、パウダービーズのクッションに二人で埋まる。
「ん・・・おにいちゃ・・・」
スカートに手を入れて、ヒスイの太股をさするコハク。
「ヒスイ・・・」
「いいよ・・・すぐ入れて・・・」
服を着たままセックスするのも嫌いじゃない。
何より、子供達がおもちゃに飽きる前に済ませなければ。
好奇心いっぱいのジストとサルファー・・・目を離すと大変なことになる。
ヒスイはすぐに下着を濡らした。
愛用の紐パン。ゆえに布の部分は少ない。
「うん・・・夜はゆっくりしようね」
コハクがパンツの紐を解く。
「ん・・・んんっ!!」
そして間もなく・・・
「うわ・・・っ!!」
「おにいちゃんっ!?こらっ!スピネルっ!!」
数年後。
子供がいてもいなくてもヒスイの生活スタイルは変わらない。
コハクの選んだ服を着て、コハクの作った料理を食べて、コハクの傍で眠る。
子供達と一緒になって。
スピネルはまだヒスイの中。
あまり出しゃばる性格ではないようで、普段はとても大人しく、宿主のヒスイとも仲良くやっている。
とある日曜日。
「ヒスイっ!本読んでっ!」と、ヒスイに甘えるジスト。
人懐っこい笑顔でヒスイに擦り寄ってくる。
全身で“好き”を表現していた。
正統派のマザコン。
母ヒスイのことが大好きな少年だ。
父コハクの読み聞かせは、サルファーの予約でいっぱい。
しかもサルファーがコハクにねだる本は、専門的なものが多く、一緒に聞いていてもジストは全くつまらない・・・眠くなるばかりだ。
「ヒスイ、じゃないでしょ!“母ちゃん”って呼びなさい!」
まずはそうたしなめられる。
それからヒスイがズバッと言い放った。
「自分で読んだほうが勉強になるわよ」
もちろんヒスイに悪意はない。
「う〜っ・・・じゃあ、読めない字があったら教えてくれる?」
そんなヒスイの態度には慣れたもので、メゲずにそう切り返す。
甘くないところも好きなのだ。
「うん、いいよ」
ヒスイは自分の隣にジストの場所を空けた。
ヒスイお気に入りのクッションは、3代目。
やっぱりパウダービーズ。
色は明るい若葉色。
特大サイズのクッションは小柄なヒスイとジストを余裕で受け止めた。
ジストはヒスイにぴったりとくっついて本を開いた。
本当は、外で遊びたい。
ブランコに乗りたかった。
しかし、サルファーはコハクにべったり。
だからといって、インドア派のヒスイに頼んだところで切り捨てられるのがオチだと思う。
(一人で乗ってもつまんないし)
それなら・・・大好きなヒスイの趣味に合わせよう。
健気な幼心。
「ね〜?ヒスイ、これ何て読むの?」
“青天の霹靂”
「ヒスイ〜?」
すぅ〜・・・。
返ってきたのは、寝息。
「ありゃ?寝ちゃってる・・・」
「・・・それはね“せいてんのへきれき”って読むんだよ」
読み方はスピネルが教えてくれた。
(スピネル・・・頭いいなぁ・・・)
ヒスイと行動を共にしているだけある。
「父さん、僕も手伝うよ」
「ジストと遊んできてもいいんだよ?ここは大丈夫だから」
「ううん!父さんといたい!」
「・・・・・・」
キッチンからコハクとサルファーの話し声が聞こえる。
サルファーは年がら年中コハクにひっついていた。
取られっぱなしなのだ。
でも。
(いいんだ。ヒスイがいるから)
サルファーがコハクを独り占めなら、ジストはヒスイを独り占め・・・
(スピネルがいるから独り占めって言わないかもしれないけど)
とにかくヒスイがいればご機嫌のジスト。
「あ〜・・・いい匂い〜・・・」
くんくんとヒスイの匂いを嗅いで安心。
これでもかと身を寄せて「オレも昼寝っ♪」と、瞳を閉じた。
その直後。
階段を下りる足音に、パッと両目を開ける。
「あっ!兄ちゃん!」
完全夜型のトパーズと顔を合わせる機会は少なかったが、自分やヒスイと同じ“銀”の属性。
それが嬉しくて、とても懐いていた。
トパーズを発見したジストの瞳は輝いている。
「兄ちゃんっ!おはよっ!」
「・・・・・・」
もう昼を過ぎているというのに、寝起き。
トパーズはいつもより更に目つきが悪くなっていた。
大抵の子供はビビって泣くか、逃げる。
「おはよっ!」
そんなことはお構いなしにジストが挨拶を繰り返す。
が、トパーズはちらっとジストのほうを見ただけで、何も言わない。
「おはよっ!おはよっ!おはよ〜っ!!」
ジストはヒスイから離れ、トパーズに突進していった。
猪突猛進が得意なのだ。
好きなモノには頭から突っ込んでいく性質。
「・・・・・・」
がしっ。
トパーズは片手でジストの頭を掴んだ。
ぴたっ。
ジストの動きが止まる。
「う〜っ!!!」
あと数十センチというところで、届かない。
もう少しでトパーズの服を掴めそうなのに。
コハクには簡単に決まる“おはようタックル”もトパーズには成功した試しがなかった。
「兄ちゃんはガードが固すぎるよっ!!」
「う〜ん・・・トパーズ・・・?」
ジストが騒ぐ声で、夢の世界から引き戻される。
ぼんやりとした視界にトパーズの姿・・・
ガバッ!
飛び起きるヒスイ。
「あっ!トパーズっ!どこいくの!?」
「・・・散歩」
「私も行くっ!!」
「・・・・・・」
ジストの頭から手を離して、トパーズが歩き出す。
そのすぐ後にヒスイがついていく。
「えっ?えっ?えっ?」
(ヒスイ・・・行っちゃった・・・)
いつもゴロゴロ・ダラダラしているヒスイの動きが、驚くほど素早かったのでジストは出遅れ、置いてきぼりをくらってしまった。
「ヒスイ〜!兄ちゃ〜ん!待ってよ〜!!」
一家の住む屋敷は村の一番奥にある。
随分昔に廃村となり、他に住人はいないのだが、祖父メノウの魔法で整備された美しい村だった。
建物もみんな新しい。
この村全体が一家の庭のようなもので、隠れんぼなどしようものなら日が暮れても見つけることができない。
「どこ行ったんだろ〜・・・あっ!」
散歩と言うから、どこまで行くのかと思いきや、二人はすぐ隣の民家の外壁に寄り掛かって話をしていた。
「朝ご飯は・・・」
「・・・いらない」
「まだ眠いの?」
「・・・眠い」
(え?あれれ?ヒスイ??)
家では専ら“話しかけられる側”のヒスイが、一生懸命トパーズに話しかけている。
トパーズの返答が短いので、話が盛り上がっているようには見えなかったが、それでもヒスイは嬉しそうに笑っている。
(こんなヒスイ見たことないっ!!兄ちゃんずるいよ〜!!)
「・・・・・・」
「・・・トパーズ?」
「・・・ついてきた方が悪い」
「え?」
突然の出来事。
壁から背中を離し、トパーズがヒスイに顔を寄せる。
それから向かいの壁に手をついて、寸分の狂いも、迷いもなくヒスイの唇を、塞いだ。
「!!!!」
(ナニっ!?ナニっ!?コレっ!!)
ジストのショックは計り知れない。
飛び上がって、その場から逃げ去った。
駆け込むのは当然サルファーのところだ。
無我夢中でキッチンに転がり込む・・・
「サルファー!オレっ!!見ちゃった・・・っ!!ヒスイと兄ちゃんがキ、キ、キ・・・」
その先はカミカミで言葉にならない。
「落ち着けよ。ほら」
背伸びをして水道の蛇口を捻る。
サルファーはコップに水を汲んでジストに飲ませた。
コハクはトイレの掃除中。
キッチンにはサルファーとジストしかいない。
ごく。ごく。ごく。ぷはぁっ!!
「なんで?なんで?あの二人がキスしてんの!?」
飲み干したと同時に喋り出す。
「・・・そういう女なんだよ、アイツは」
「そういう女ってどういう女?」
サルファーの言葉の意味が、ジストにはさっぱりわからない。
目を白黒させて、大騒ぎが続く。
「おい」
散歩から戻ったヒスイをサルファーが呼び止める。
「ちょっと顔貸せ」
「・・・・・・」
息子の生意気な物言いに・・・ムッ。
何かにつけてサルファーとは相性が悪い。
サルファーに物心がつき、言葉を覚えだしてからずっとそうだった。
ヒスイを喜ばせる言葉を一度も使った事がない。
完全犬猿状態。
「・・・何よ、親子なんだからキスぐらいしたっていいでしょ!」
トパーズとの件をサルファーに責められる。
「なら、ジストにも同じことしてやれよ。親子なんだから」
(えっ!?)
ジストがパッと顔を上げる。
期待に満ちた表情で。
「く・・・」
(サルファー・・・ホントにタチの悪いコ・・・)
黙り込むヒスイに、勝ち誇った微笑みを向けるサルファー。
ヒスイにとってトパーズとジストは分類が違う。
それをちゃんと知っているのだ。
ヒスイはしばらく考えて・・・
「ジストはまだ子供だから、だめ」と、言った。
がぁぁ〜ん!
ジスト、大衝撃。ディープインパクト。
「ずるいよっ!兄ちゃんは良くて、オレはだめなんてっ!!うわぁぁ〜ん!!」
どばぁっ!とジストの菫色の瞳から涙が溢れる。
更に鼻水を垂らしながら、ヒスイの元を走り去った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・ジストを泣かせたな」
サルファーが下からヒスイを睨む。
「サルファーが変なハナシ振るからでしょ!」
負けじとヒスイも睨み返した。
「フン。自業自得だ」
(自業自得!?子供のくせに何でそんな言葉知ってんのよっ!!)
図星なだけに腹が立つ。
そして、沸々と湧き上がる闘争本能。
「何よ・・・ヤル気?」
「ジストの弔い合戦だ」
(弔い・・・って、ジストは死んでナイでしょっ!!)
覚えたての言葉を得意になって使うが、微妙に意味が違っている。
心の中でツッコミながら、バトル開始。
「?なんだか騒がしいな」
コハクはトイレの掃除中。
いかなる時も、便器をピカピカに磨いておかないと気が済まない。
「わぁぁぁん!」
トイレから顔を出したコハクの前を、ジストが泣きながら通過。
「え?ジスト??」
ドタドタ!ドスン!ガダッ!ガタガタッ!
キッチンのほうから不審な物音。
「??」
コハクは便所ブラシを持ったまま、キッチンを覗き込んだ。
「だいたいねぇっ!いつもお兄ちゃんにべったりでキモイのよっ!!!ホモ!?」
「下品な女だな。もう少し言葉の勉強すれば?」
「なによっ!!ワカメ頭のくせにっ!!」
「それは僕のせいじゃないっ!!」
「!!わぁぁぁっ!!ヒスイっ!?サルファー!?何やってんのっ!?」
毛のむしり合いバトル。
引きちぎられた銀髪と金髪が床にもっさり。
「やめなさいっ!!二人ともハゲちゃうよっ!!」
ブラシを放り投げて、コハクが仲裁に入る。
クシャクシャ。バサバサ。ヨレヨレ。
「はぁ〜・・・っ。どっちが先に手を出したの?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
同時に相手を指さす。
コハクが問いただしても、真実はわからずじまいだった。
「とにかく二人ともこっち来て・・・髪梳かすから」
絡まり合って膨張した銀髪と金髪。
元のサラサラ状態に戻すにはかなり骨が折れそうだった。
「・・・・・・」
スッ・・・とヒスイがコハクの脇を抜ける。
「ヒスイ?」
「先、サルファーやってて。ジスト迎えにいってくるから」
「ん・・・いっておいで」
コハクは朗らかに微笑んでヒスイを見送った。
くすん。
誰もいない村。
誰もいない公園。
目に染みる真っ赤な夕焼け。
ひとりでブランコに乗る気にはなれず、砂場付近でしゃがみ込むジスト。
「ジスト」
小さく丸まった背中にヒスイの声が掛かる。
「ヒスイ!」
ヒスイが迎えにきてくれた。
それが嬉しくて飛び跳ねる、単純思考。
「母ちゃん、でしょ」
「・・・・・・」
むすっ。
今ので気分が台無し。
「帰るわよ」
「やだっ!」
ヒスイが手首を掴んで引っ張る・・・しかし、その場で踏ん張る。
「なんで兄ちゃんはヒスイって呼んでも怒られないのに、オレはだめなの!?ヒスイ、オレのことキライ!?」
「・・・・・・」
純粋すぎて扱いに困る。
口下手なヒスイは、ジストに何と言ってやればいいのかわからなかった。
「・・・ブランコ、乗る?」
「え?」
「懐かしいなぁ・・・お兄ちゃんとよくこのブランコ乗ったんだよ」
コハクの膝の上で、一緒に揺れていたあの頃。
「楽しかったなぁ・・・」
思い出に浸りながら、ジストを膝に乗せ、前後に揺らす。
「オレもっ!楽しいっ!ブランコ大好きっ!」
ジストはすっかり元気になって、明るい笑い声を響かせた。
「でもねっ!ヒスイはもっと好きっ!」
「・・・ねぇ、なんで“ヒスイ”なの?」
逆にヒスイが訊いてみた。
「だって、ヒスイ“母ちゃん”っぽくないんだもん!」
「・・・・・・」
言われてみれば、そうだった。
家事も子育てもコハクに任せっきりで、自分は何もしていない。
(産んだだけで、“母親”っていうのはちょっと甘かったわ・・・)
子供は正直。ジストは特にそうなのだと思う。
(私も“母ちゃん”って呼ばれる努力、しなくちゃダメなのね)
「ヒスイ!帰ろうっ!」
20分程揺られて満足したのか、ジストから言い出した。
ぴょん!と、ヒスイの膝から飛び降りて、満面の笑み。
「父ちゃんが夕飯作って待ってる!」
「うん、そうだね」
長く伸びる影を引きずって、二人、手を繋いで歩く。
お揃いの銀髪が、夕日の色に染まっていた。
「ヒスイっ♪」
「母ちゃん」
「ヒスイっv」
「母ちゃん」
名前で呼ぶ度、ヒスイが諫めるのでなかなか話が先に進まない。
「ねっ!ヒスイっ!また二人でブランコ乗りにこよっ!」
「うん、いいよ」
「でねっ!オレが大きくなったら、今度はヒスイを膝に乗せてあげるっ!」
「・・・それは、遠慮しとくわ」
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