月の眩しい夜だった。
「ん・・・」
ベッドに横たわるヒスイの体に月光が降り注ぐ・・・
「やっぱり失神・・・しちゃった・・・」
うっすら目を開け呟くヒスイ。
本当に気持ちが良かった。最中の記憶があやふやになるほど。
まだ、足に力が入らない。ヒスイは寝返りを打ち・・・
「あれ?おにいちゃん?」
隣にコハクがいないことに気付く。
両手をついて上体を起こし、姿勢を高くして部屋中を見回すが、どこにもいない。
「おにいちゃん?どこ〜???」
もう一度、今度は大きな声で呼んでみる・・・返事の代わりに、流水音がヒスイの耳に入った。
「?」
ベッドから立ち上がり、その音を辿って歩く。すると、洗面所で。
「わ・・・なに!?」
湯気で鏡が曇っている。水道の蛇口から温水が出しっ放しになっていた。
そして、洗面台の下には・・・
「おにいちゃんっ!!?」
右手にタオルを握ったまま、コハクが絶命・・・はしていないが、それに近い状態で倒れていた。
傷口は塞がっても、体内の血液量はすぐには回復しない。失血し過ぎたのだ。
「な・・・にこれ・・・」
洗面台脇のダストボックスには、血だらけの服が捨ててあり、それを見たヒスイは益々動揺した。
「おにいちゃん、怪我・・・してたの?」
血の匂いはしていたはずなのに、セックスに夢中になるあまり、そこまで気が回らなかった。吸血鬼失格だ。
「もぉぉぉっ!!!お兄ちゃんはぁっ!!!」
靴も履かずに家を飛び出すヒスイ。
回復魔法の使えるトパーズを探しに出たのだ。
「いつもいつもどうしてこうなの!?えっちしてる場合じゃないでしょ・・・っ!!!」
走って息を切らしながら・・・それでも言わないと気が済まない。
「なによっ!!“官能に罪はない〜”とか言っちゃって」
激しく腰を振っていた。その時コハクがどんな顔をしていたか・・・わからない。
(もしかしてお兄ちゃん、青い顔してたのかな)
ペニスの方にばかり気を取られ、コハクの顔をまるで見ていなかったように思う。
「・・・・・・」
少なからず、反省、だ。
「トパーズ、あの家に戻ってるかな」
3階建ての家を目指し、猛ダッシュ。膣口から精液が戻り出ても構ってなどいられない。
そんなヒスイとは対照的に。
無人の街をのんびり歩く男がひとり。
「ここで暮らすことになるんだ、オレ」
移住を決めたジストだ。見学を兼ねて、コスモクロア内をブラついていた。その時。
「!!」「!!」
建物の間から飛び出してきたヒスイとぶつかり。両者よろめく。
「ヒスイっ!?」「ジスト!!」
ジストも回復魔法が使える。これ幸いと、ヒスイはジストに詰め寄り。
「助けて!」
「お兄ちゃんが・・・エッチで死にそうなの!!!」
「へっ?父ちゃんがエッチで・・・死にそう???」
一体どんなプレイをしたのか・・・首を傾げるジストと二人で家に戻り、協力してコハクをベッドまで運ぶ。
「父ちゃん・・・」(ホント死にそうだ・・・)
顔色は青いというより白い。意識も相当深く落ちている。冗談ヌキの瀕死だ。
(それでもヒスイとエッチするなんて・・・やっぱ父ちゃん、すげぇ・・・)
いのち<えっち。
徹底したヒスイ至上主義のコハクを尊敬せずにはいられない。
「お兄ちゃん、出血多量みたいなんだけど・・・元気になる?」
ジストの腕を掴み、ヒスイが不安そうに見上げた。
「大丈夫っ!!オレに任して!!」
ジストは、コハクの体に両手を翳し、血液を増量させる施術を行い・・・次第にコハクの容態は落ち着いてきた。
回復術に関しては、メノウ・トパーズの次に並ぶほどジストも腕を上げていた。
もう命の心配はない。ヒスイはホッとして。
「なんか最近助けてもらってばっかりだね。ありがと」
「そんなことっ・・・」
ヒスイに笑顔を向けられ、ジストの顔が赤くなる。
「あっ・・・あのさっ・・・」と、慌てて話し出す。
「ん?なに?」
ジストはヒスイを夜の散歩に誘った。
親子二人で、無人の街に繰り出す。大通りからは月だけでなく星もよく見えた。
街路樹の並ぶ歩道を歩きながら・・・ジストが。
「オレさっ!兄ちゃんと一緒にここ住むことにしたんだ!」
努めて明るく、そう打ち明ける。
「・・・え?ジスト・・・も?」
足を止め、ヒスイが聞き返す。
ジストは月を見上げ「うん」と、答えた。
「なん・・・むぐっ・・・」
理由を聞こうとして、口を押さえるヒスイ。
トパーズ同様、引き止めてはいけないと思ったのだ。理由がどうであれ。
とはいえ、ジストとは一緒に過ごした時間が長いだけに、別れを受け入れ難く。
急に突き放された気がして、正直寂しい。
ヒスイは、「そっか」と言うのが精一杯だった。
「ヒスイ」
「うん?」
「告白、していい?」
「告白?なに、いきなり・・・」
「最近オレ、ヒスイに変なことばっかしてるから・・・やっぱちゃんと言っとこうと思って」と、ジスト。
指輪をしているからといって、気持ちが変わる訳ではないのだ。もう誤魔化しきれない。
「ヒスイが好きなんだ。エッチなことしたいっていう意味で」
「へぇ〜・・・そうなんだ」ヒスイは軽く聞き流し。
(あれっ?)と、思う。(今、なんて・・・んんっ!?)
「エ・・・エッチなことしたいの!?」遅れて驚く。
「うん」ジストは包み隠さず頷いた。
「・・・・・・」
さすがにそこまで言われれば、ヒスイでもわかる。
「ん〜と・・・」言葉を選び。「それは困る」と、言った。
「うん、わかってる」ジストは再び頷き。
「今の関係に不満がある訳じゃないんだっ!」
度重なる挙動不審の言い訳をしたかっただけ、と、いつもの口調で語った。
「大丈夫っ!!オレはずっとヒスイの息子で・・・」
それ以上になりたいなんて、言わないから。
「だから・・・嫌いにならないでくれる?」
しゅんとしたような、らしくない表情でヒスイを見つめるジスト。
「あたりまえでしょっ!!親子・・・なんだから」
ヒスイはそう答えるしかなかった。
「ジスト、しゃがんで」
「んっ?こう???」ジストが膝を曲げる。
「そうそう」と、ヒスイ。
年々、身長の差が開き、こうして貰わないと、ジストの頭のてっぺんに手が届かないのだ。
ヒスイは、ジストの銀髪を両手でくしゃくしゃにして。
きゅっ、抱きしめた。すると・・・
「・・・大きくなって、ごめんね」ジストが言って。
「謝ることないでしょ」ヒスイがそれを否定する。続けて・・・
「嫌いになんてなるわけない。今も昔もジストはジストなんだから」
「・・・うん」ジストは小さな声で返事をした。
「・・・・・・」(ちんちん痛てー・・・)
ヒスイの抱擁で、ペニスが不本意に育ってしまい、ズボンを突き破りそうだ。
(こんな時に・・・オレ最悪・・・)
情けなくなってくる。ヒスイの純粋な愛情に、不純な愛情しか返せない。
だからこそ、移住という決断は間違っていないと思う。
(ごめん、ヒスイ・・・)
ジストは瞳を閉じ、心の中で謝罪。そして。
「手、つなごっ!」久しぶりに自分からそう言った。
「オレ達、親子だもんなっ!」と、右手を差し出す。
今できることと言えば、“親子”という言葉でヒスイを安心させるくらいで。
「うん、親子だもんね」と、ヒスイもジストの手を取った。
「親子、親子」「うん、親子、親子」
壊れかかった関係を修繕するかのように、その言葉を繰り返し。
繋いだ手を大きく揺らしながら歩き出す二人・・・
・・・その様子をコハクが窓辺から見ていた。
「・・・・・・」
(こうして見る分には、仲のいい親子なんだけどね)
内情はちぐはぐしていることを知っている。
「同族を愛する習性・・・か」
銀の吸血鬼一族は、血縁を異性として愛することに抵抗がない。
(息子で銀髪なら・・・ヒスイに対する恋愛確率はほぼ100%・・・か)
思うことは色々あるが。
「・・・まぁ、ここは温かく見守ろう。今日、僕、いいとこないし」
4人の自分と張り合って、ムキになってセックスをして。
散々エロいセリフを吐いて、ヒスイを失神させて。
「その挙句、ぶっ倒れるなんて・・・カッコ悪いなぁ・・・」
ヒスイが戻ったら、間違いなく怒られる。
「怒った顔も好きだからいいけど」苦笑いで肩を竦めるコハク。
「とにかく今は・・・」
ゆっくりお散歩しておいで。
それから1週間が経ち。巣立ちの日がやってきた。
赤い屋根の屋敷、門前。
コハク・ヒスイ・メノウ・それから、トパーズとジスト。だが・・・
トパーズは別れを惜しむ様子もなく、さっさと行ってしまった。
コハクが予言した通り、メノウも一緒に。
しばらくは、孫達と共に暮らすという。
門前に残るは、コハクとジスト・・・
「あれっ?ヒスイは???」と、ジスト。
見送りの場にヒスイの姿がない。
ジストにとっては、最後に一番見たかった顔で。不在ではがっかりだ。
と、その時。
「よいしょ、よいしょ」と、言いながら、ヒスイが前進してきた。
両手で特大のクッションを抱えている。
よく昼寝に使っていた、若草色のクッション。
かなりの年代物で、ヒスイのお気に入りだ。ジストもずいぶんお世話になった。
ヒスイはジストの前で足を止め、「これ、あげる」と、クッションを突き出した。
「え・・・でもっ・・・」
「いいの。持ってって」ぐいぐい、ジストにクッションを押し付けるヒスイ。
「・・・っ!!ありがとっ!!」ジストはそれを両手で受け取った。
顔を埋めればヒスイの匂い。一緒に暮らした思い出がぎっしり詰まったクッション。
どんな餞別より嬉しかった。
(やばい・・・オレ泣きそうっ・・・)
大きく鼻を啜るジスト。ヒスイも少し鼻声で。
「寝る前はちゃんと歯磨くんだよ?」
「うん」
「毎朝寝坊しないようにね?」
「うん」
「トパーズの真似して煙草吸っちゃだめだよ?」
「うん」
この時ばかりはヒスイも母親の顔をして。あれやこれやと口を出す。
「それから、夏休みの宿題は早目に・・・」
「宿題はもうないよ、ヒスイ」
ヒスイの肩に手を置き、コハクが諭すと。
「あ、そっか」
ヒスイが笑って。ジストも笑った。
「ん〜と・・・元気でね」
「うんっ!ヒスイもっ!!」
こちら、コハク。
(てっきり泣くと思ったけど・・・)
ヒスイは泣かなかった。泣かずに、最後は笑顔でジストを見送った。
その横顔は、意外なほど晴れやで。コハクを驚かせた。
「ヒスイ、大丈夫?」
コハクが声をかけると、ヒスイはコハクの手を握り。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「新しいクッション、買いにいこ」
「・・・うん、そうだね」
コハクは目を細めて笑い、強くその手を握り返した。
「じゃあ、今からいこうか」
「うんっ!いくっ!!」
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