吸血鬼にとっての朝。人間界の夜。

「ん・・・」
メノウの指で絶頂を知った体は心地良い眠りにつき、サンゴが目を覚ましたのは日没後だいぶ経ってからだった。
「メノウ・・・さま?」
続けてアクアの名を呼ぶサンゴだったが・・・返事もなければ姿もない。
「・・・・・・」
未来から来た者がいつまでも過去に留まる訳がないのはわかっていた。
必ず訪れる別れ。その時が来たのだと、唇を噛んで俯く。すると。
ぼんやり涙で霞む視界に大きなリボンの掛かった大きな箱・・・メノウの置き土産だった。

“サンゴへ”

添えられていたメッセージカードに目を通し、リボンを解く・・・。
「これは・・・」


「っ・・・!!メノウ・・・さまっ」




満月の浜辺にて。

「お〜・・・きたきた」
海上に出現したのは幽霊船本体ではなく、小さな二人乗りのボートだった。
見た目はボロイが、時空を超える魔法の船だ。沈む事はない。
「・・・・・・」
メッセージカードにはこの場所を記した。
「まだ寝てんのかな・・・」
時間ギリギリまでサンゴを待ち、諦めて船に乗り込もうとして。
未練がましく振り返る・・・と。
「メノウ・・・さまっ!」
砂浜に現れたのは・・・ウェディングドレス姿のサンゴ。
「ありがとうございます・・・こんなに素敵な・・・」
「うん。すっげ〜綺麗」


ひとつだけ叶う願いがあるとするなら。
(たぶん・・・これしかないんだ)


真っ白なウェディングドレス。


生きてる時に着せてやれなかったから。


せめて、ここで。


「メノウさま、私っ・・・んっ・・・」
最後に・・・と。サンゴの唇を、奪う。
「・・・こんくらいは、いいよな」
離れる唇・・・サンゴの髪に軽く指を絡めて。
「・・・元気で」
それ以上は喉に詰まって何も言えなかった。
「メノウさま・・・また・・・逢えますか?」
サンゴも瞳に涙を湛えていたが、堪えて、笑って。
「・・・ん!きっと!」
息が苦しくなりながらも、メノウは笑顔で手を振った。




・・・遠くなるサンゴの姿。

もっと一緒に過ごしたかった。
連れてゆけるものなら、連れてゆきたい。
泣いている自覚もなく、澄んだ翡翠色の瞳から涙が溢れていた。
「おじ〜ちゃん?」
「・・・っ」
アクアに呼ばれても返事ができないくらい・・・悲しくて。
それでもなんとか堪えようと、俯き歯を食いしばる。
涙の雫はポタポタポタと・・・ボートの床板に落ちて、染みを作った。


時空を超える魔法は開発されていて。
逢おうと思えば、また逢える。でも。
今までそうしなかったのは・・・
もう二度とサンゴとの別れを味わいたくなかったから。


「おじ〜ちゃん」
ずっと下を向いたままのメノウを心配し、アクアが覗き込む。
「アクアも髪、伸ばすよ。おば〜ちゃんみたいに」
肩までの毛先を弄りながら、急にそんな事を言い出した。
「おっぱいだってきっと、おば〜ちゃんに負けないくらい大きくなるし〜」


『アクアが、おば〜ちゃんの代わりになってあげる』


「よしよし」アクアがメノウの頭を撫でた。
「ママが泣くとね〜、パパがこうやって〜・・・」

ちゅ〜・・・っ。

涙で濡れた頬に、キス。
「アクア・・・」
メノウが顔を上げた。
「コハクの真似とはね・・・あはは!」
孫娘の慰めが、嬉しいやら、恥ずかしいやら。
声を出して笑うと、呼吸が楽になって。
メノウは両腕でアクアを抱き締めた。
「・・・アクアは代わりになんかならなくていいよ」


そうだ。ここにもひとつ、サンゴの欠片。
いつも・・・一緒だよな。


「ママんとこ、かえろ。おじ〜ちゃん」
「・・・よしっ!ヒスイの顔でも見て元気出すかぁ!」




現在。幽霊船。

「え?ヒスイいないの?」
なんだよ〜・・・露骨にガッカリのメノウ。
ヒスイとトパーズがメノウ達同様に船から消えた事を説明したのはオニキスだ。
「ヒスイ達は今ハーモトームにいる」
ついさっきヒスイから連絡があったのだ。
スピネルとジストはそれぞれ部屋で“ヒスイと再会できる場所”を念じている。
アクアはジストの元へ向かい、今、甲板にはオニキスとメノウの二人だけだ。
「その顔は・・・」
「あ、コレ?」
真っ赤に充血した両目。
瞼もかなり腫れている。
メノウは自分の目元を指差し、ひと笑みしてから、オニキスに背を向け、伸びをした。
視線は船の外・・・過去の世界では夜にばかり気を取られていて、青空を眺めるのも久しぶりのような気がする。
カモメの鳴く声。焼け付く日差し。
現代の夏に戻ってきたのだ。
「いいオヤジなのにさぁ〜・・・泣いちゃったんだ、俺」
孫の前で号泣、と、自嘲する背中。
「サンゴに逢って、願いがひとつ叶ったから、ま、良しとするか」


「・・・冷やしておけ」


オニキスの声。
続いて、冷たい水の入った瓶が頭上から差し入れられた。
「サンキュっ」
瞼に当てると、切ない火照りが徐々に中和され。
「あ〜・・・効く〜・・・」
「・・・・・・」
オニキスは黙ってメノウの後ろ姿を見つめていた。
(最愛の女を、世界から喪失する痛みはどれほどのものなのか・・・)
想像もつかなければ、想像もしたくない。
「・・・・・・」


想いが届くか届かないかの前に。


愛する女と共に生きられるということは、それだけでひとつの大きな幸せなのだと。


ヒスイの鼓動を胸に感じて、思う。


そのままオニキスも言葉を失い。
二人、静かに海上の空を見上げていた。



しばらくしてメノウが言った。


「お前もヒスイに会いたいだろ?」
「ああ・・・会いたい」
会いたい。ヒスイに会いたい。
コハクと口論の末、船に残る事になったが、逸る気持ちは同じだ。
オニキスが素直に答えると、メノウは振り返り、いつものように笑って。
「んじゃ、会いに行こうぜ」
「ああ。会いに行こう」


「「ヒスイに」」




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