オニキスの問いかけに返事はなかった。
しかし確かに何者かがそこにいる。そこで息を潜めているのだ。
「?誰かいるの?」毎度のことながら警戒心の薄いヒスイが岩の裏側を覗き込む・・・と。
「え?」
いたいけな少女が震えていた。
白い肌にそばかす。歳の頃は12〜14くらいで、身長はヒスイとどっこいどっこいだ。
そして、少女はヒスイを見るなり・・・
「ヒッ・・・!!殺さないで!!」
「殺す?なんで??」
月光の下、際立つヒスイの美しさがかえって恐怖を煽るらしく、少女は取り乱し。
首から下げていたロザリオをヒスイに向け翳した。更には。
「化物っ!!」
ポケットからニンニクを取り出し、ヒスイへと投げつけ。
「痛っ!!」
ニンニク丸ごとヒスイの眉間辺りを直撃した。
「ヒスイ!!」
驚きよろけるヒスイをすかざすオニキスが抱き止める。
「な・・・なんなの??」
逃げる少女の後ろ姿を見送りながら、呆然としているヒスイ。
「・・・・・・」
オニキスも一時言葉に詰まった。
愛する女を“化物”呼ばわりされるのは不快極まりない。
とはいえ、子供が相手ではどうすることもできず・・・何かの間違いであって欲しいと祈るばかりで。
思わず、ヒスイを強く抱きしめる。
「化物って・・・私、そんなに怖い顔してたかな?」と、ヒスイ。
「いや・・・そういう問題ではないと思うが・・・」
「・・・ニンニクなんて、効かないのにね」
オニキスの腕の中で、ヒスイにしては珍しく苦笑いを浮かべた。
「ヒスイ」
「んっ?」
「ここを離れるぞ」
村の子供に見つかってしまったのだ。追手がくるかもしれない。
シロツメクサの丘陵はもはや安息の地ではなかった。
二人は移動を余儀なくされ・・・手を取り合いながら丘陵を走り抜けた。
10分後。
「これは好都合だ」と、オニキス。
二人の目前には河川があった。
長さは計り知れないが、川幅は10m弱といったところだ。
“吸血鬼は、川を渡れない”
伝承では、そう示されている。
「あ、なんかそれ本で読んだことあるよ」と、ヒスイは他人事のように言った。
村人全員がロザリオとニンニクを常備しているような、吸血鬼伝承の色濃い土地では恐らくそう考えられている。と、すれば。
対岸に渡ってしまえば、追っ手を撒ける。
「じゃ、渡ろ」
「ああ、そうだな」と、言うなり。オニキスはヒスイを抱き上げた。
「!?いいよっ!自分で渡るからっ!」じたばた、ヒスイが暴れる。
「お前・・・沈むぞ」
「う・・・」
水深は1m前後と思われる。
身長145cmそこそこのヒスイ・・・流されるのは必至だ。
「少し濡れるかもしれんが、しっかり掴まっていろ」
それから・・・河原にて。
対岸の様子をしばらく窺っていたが、追手の気配はなく。
ひとまず安全と判断したオニキスは、冷えたヒスイの体を温めるため、火をおこした。
パチパチ・・・薪の燃える音を聞きながら、二人並んで星空を見上げ。
沈黙のまま、だいぶ経ってから、ヒスイが口を開いた。
「今、何時ぐらいなんだろ?」
「21時過ぎといったところか」
星の動きから、おおよその時刻をオニキスが告げる。
「へー・・・まだ9時なんだ」
なんか不思議、とヒスイ。
「お兄ちゃんと過ごす時間はすごく楽しくて、いつもあっという間だけど。オニキスが隣にいると、時間の流れがゆっくり感じる」
「・・・・・・」(それは一緒にいてつまらんという意味か?)
「退屈、とかじゃないよ?」ヒスイが笑う。
「こういう時間も悪くないな、って思っただけ」
そう言ってから、再び星空を見上げ。
「夜って、こんなに長かったんだね。ちょっと得した気分」
「でもお兄ちゃん、心配してるだろうな」結局、そこに行き着く。
「・・・・・・」
コハクと離れれば離れるほど、ヒスイの口から出る“お兄ちゃん”が増える。
こんな時。もう“お兄ちゃん”と、言えないように。
ヒスイの唇を塞いでしまいたくなる。
星空の下、昂る一方的な恋愛感情・・・
「ヒスイ」
「ん〜?」
「オレが今、何を考えているか、わかるか?」
「ん〜と・・・眠い、とか?お腹へった、とか?」
・・・それはヒスイ自身の頭の中だ。
こんなものだろうと思いながら、オニキスは隣にいるヒスイの顔を覗き込んで言った。
「お前とキスがしたい」
「だめ」ヒスイ、即答。
当然の答えに、苦笑するオニキス。
昔は奪うことばかり考えていたヒスイの唇・・・それはもう許されない関係なのだ。
唇が「だめ」、だとしたら。
(今のオレは・・・どこまで触れることが許されるのか)
ヒスイを前にする度、思う。
「オニキス?」
「・・・・・・」
ヒスイに手を伸ばし、肩から髪へ・・・順に触れて・・・探る。
「?」
ヒスイはゆっくりと瞬きをしながらオニキスを見上げていたが・・・その手が頬に触れた時、不意に。
「ねぇ、オニキス」
「・・・何だ」
「吸血鬼の何が悪いの?」
ヒスイの口から突如難しい質問が飛び出した。
「・・・あの村の話か」オニキスはヒスイから手を引き、話に耳を傾けた。
「うん。何だかすごく吸血鬼のこと怖がってるみたいじゃない?」
「それも仕方のないことだ。吸血鬼は人間を殺すこともある」
あの村で犠牲者が出たのだろう、と、オニキスが答えた。
「吸血鬼が・・・人間を殺す?」
コハク一人の血を飲み続け、肉や魚を一切食べないヒスイにとっては、本の中の出来事のように思えた。
「そうだ。仮に命を奪うつもりがなかったとしても、渇きで理性を失い、加減を違えることがある」
「渇き・・・」ふと、思い当たる過去。
(私が・・・オニキスにそうしたみたいに・・・)
死ぬまで、血を吸い尽くして。
「・・・・・・」
(吸血鬼は、人間を殺す・・・そうかもしれないわね)
ヒスイは何も言えなくなってしまった。迫害される理由も今ならわかる。
「・・・少し眠れ」
「うん・・・」
オニキスの肩を借り。
(これ以上考えててもしょうがないし)
もう眠ってしまおうと、目をつぶる。が。
「・・・・・・」
(どこでも眠れるのが特技なのに・・・なんだか眠れそうにないよ)
「おにい・・・ちゃん・・・」
夜が明けて。
「・・・ヒスイ、そろそろ起きろ」
オニキスに軽く額をつつかれ、目覚めるヒスイ。※しっかり寝てました。
「んぁ・・・?」
うっすら、視界にオニキスの姿が入り込み・・・
「あ・・・れ?オニキス・・・雰囲気変わった?」
寝ボケ半分、目を擦る。
「え!?ちょ・・・どうしたの!?それ!!」
「・・・目覚めたらこの有り様だ。お前もだぞ」
「あ・・・!!」
一晩で、30cm。二人揃って髪が伸びていた。
もともとロングのヒスイはともかく、オニキスは変化が目立つ。
精悍な顔立ちに長い黒髪・・・妙に艶っぽく、浮世離れした感じになり。
ヒスイは真面目な顔で言った。
「なんかオニキス、本物の吸血鬼っぽいよ」
「・・・吸血鬼だ」やれやれといった顔のオニキス。
「あ、そっか」と、ヒスイは頷いてから。
「ねぇ、これってまさか・・・」
「ああ・・・そうかもしれん」
そして、二人は気付く。
ここが・・・何処であるかを。
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