“あずかり屋”


狭い店だった。
カウンターの奥にいる主人は、体は人間だが顔が犬だ。
なかなかのお洒落で、愛想もいい。
(アヌビス・・・じゃないわよね??)
ヒスイは以前本で読んだ生き物を思い出した。
アヌビス・・・死者の国の入り口で魂を選別する怪物・・・
魂の重さを量る天秤を司ると言われている。
(・・・ある)
カウンターの端には天秤が置いてあった。
(まさか私達・・・池に落ちて・・・死んじゃったとか・・・)
ヒスイはごくりと唾を飲んだ。
(まさかね・・・)
「いらっしゃいませ」
店主が頭を下げた。
そしてヒスイとコクヨウを交互に見て「確かにお預かりしていますよ」と言った。
「少々お待ちを」


ヒスイが店主から受け取ったのは厚い皮表紙の日記だった。
「最近は美しい魂が少なくて」
店主が肩を竦めた。
「?」
「?」
ヒスイとコクヨウは顔を見合わせた。
「この店は美しい魂を持った者しか利用できないので・・・いや、あなた方のことではないですよ。あずける側の話です」
魂の美しさをアヌビスに否定されたが、ヒスイは気にも留めずに訊ねた。
「それでこれを預けたのは・・・」
「故人との契約は果たされました」
「え?ちょっと!?」
すぅっと店が消えた。
3人はまた見知らぬ街角に立っていた。
「何だったのかしら・・・」
ヒスイは日記を抱えて首を傾げた。
コクヨウは黙っている。
「・・・死者から生者へ、生前渡せなかった思い出の品を預かる店があると聞いたことがある。我も実際に見たのは初めてじゃが」
チャロが言った。
「じゃあ、もしかしてこの日記は・・・」
「うむ。亡くなった母上のものであろう。どういう条件でここに繋がったのかはわからぬが、あずける側の望む形と一致していなければ、あの店の入り口は開かないはずじゃ」
「・・・これ見てもいいのかな」
「見ろ、ということじゃろう」



ヒスイは近くの建物の塀に寄りかかって、日記の表紙を捲った。
上からコクヨウが覗き込む・・・
そこにはメノウとの幸せな日常や記憶を無くすことへの恐怖、これまで犠牲にしてきた者への償いの言葉などが記されており、3人は一言も話さずにそれらを読んだ。
空白のページに次々と文字が浮かび上がる不思議な日記だった。
そして最後のページ・・・


冒頭は“見知らぬあなたへ”


この命は多くの犠牲の元に成り立っている。
けれど、罪を重ねながらここまで生きて、メノウさまと出会えた。
私はそれに感謝してしまう。償えない程の罪なのに。

今の私と以前の私。

記憶を無くしてしまうと、まるで違う生き物のように思えます。
あなたはきっと私の知らない私を、大切に想ってくれた人なのでしょう。
そしてたぶんそれがあなたを縛っている。
私はもう還らない。
今度こそ本当にあなたを自由にしてあげられる。
これからは心囚われず自由に生きて・・・あなたも犠牲者なのだということを忘れないでください。

ありがとう。

ごめんなさい。

どうか幸せに。

「・・・っ・・・サンゴ・・・」
コクヨウは眉を寄せ、唇を噛み締めた。
泣きたい気持ちを無理矢理抑え込んでいるように見える。
誰も何も言わず、更に浮かび上がってくる文字を目で追った。


“ヒスイへ”

お父さんにたくさん笑いかけてあげてね。
あなたにはお父さんを幸せにするチカラがある。
滅びの運命を辿るだけの私が、ただひとつ世界に残せたもの。

愛しい我が子よ。

どうか健やかに。

「お母さん・・・」
ヒスイは目頭が熱くなるのを感じた。
(泣くのは・・・最後までちゃんと読んでから)
文字はまだ浮き上がってくる・・・


・・・お父さんのことよろしくね。
明るく強いひとだけれど、根はとても寂しがり屋なひとだから。

私にすべてを教えてくれたひと。

世界を与えてくれたひと。

愛しい・・・愛しい・・・ひと。

もしも生まれ変わることが許されるのなら・・・

もういちど・・・逢いたい。


日記はそこで終わっていた。
「・・・切ないね・・・」
ヒスイはぽろぽろと涙をこぼしたが、すぐにぎょっとなった。
「うぉぉ〜・・・」
チャロが号泣している。涙と鼻水がそれこそ滝のように流れ出していた。
「なんと悲しき運命じゃぁ〜・・・」
「チャ・・・チャロ??」
「我はこういう話に弱くてのぉ・・・うぅ・・・」
その傍らでコクヨウはじっと俯いていた。
右手で顔を覆ったまま。



「それにしてもどうやったら帰れるのかな・・・」
ヒスイはサンゴの日記をしっかりと抱えて歩いた。
しかしアテはない。先程のように本能が示す道もなかった。
「なに、心配はいらぬ。ここでの用は済んだはずじゃから、じき自然と戻れるわ」
ヒスイの疑問にチャロが答える。
「・・・・・・」
コクヨウはサンゴの日記を読んでから一言も発していなかった。
日記に綴られたサンゴの言葉ばかりが繰り返し脳裏をよぎる。

(ただひとつ世界に残せたもの・・・)

ヒスイを見下ろした。
能天気な頭のつむじが見える。
(サンゴが・・・残したもの)
「・・・ちっ」
舌打ちをして、コクヨウはヒスイの頭を叩いた。
「痛っ!何するのよ!」
ヒスイは頭をおさえて上を睨んだ。
「・・・今日のところはこれで勘弁してやるよ。けどな、諦めた訳じゃないからな!」
「え?なに??」
どういう流れでそうなったのかヒスイにはわからない。
そして帰還の刻は訪れた。



「ヒスイっ!!」
コハクの声が聞こえて、ヒスイの心臓が温かく脈打った。
「・・・・・・あれ?」
体も服も水に濡れている。
(そういえば池に落ちたんだった・・・)
横を見るとコクヨウは獣で、ヒスイと同じようにびしょ濡れだった。
チャロの姿はない。
「ヒスイィ〜・・・ごめんねぇ〜・・・」
コハクは何度も謝って、ヒスイを強く抱き締めた。
池からヒスイを引き上げたコハクもまた同じように濡れていた。
髪からポタポタと水滴が落ちる。
「おにいちゃん〜・・・ごめんねぇ〜・・・」
慣れたぬくもりに安堵して、ヒスイも素直に謝った。
コハクにぎゅっとしがみつく・・・


「良かったじゃん。仲直りできて」
コハクの後ろにはメノウが控えていた。コハクの肩越しにメノウがヒスイを覗き込む・・・
「おとうさん・・・これ」
ヒスイはコハクの腕の中から手を伸ばしてメノウに日記を手渡した。
「これ・・・どうしたの・・・?」
メノウが驚く。
「いくら探しても見つからなかったんだ。サンゴの日記」
「・・・“あずかり屋”で受け取ったの」
「“あずかり屋”・・・そっか。ヒスイに読ませたかったんだな。これ」
「お父さんのことばっかり書いてあるよ」
ヒスイは少し寂しそうに笑って続けた。
「見たら泣いちゃうよ。お父さんも」
「だろうなぁ・・・。後でこっそり読むよ」
ポンと軽く表紙を叩いてメノウが笑った。



「・・・でね、アヌビスがでてきて・・・」
お風呂に入りながら、ヒスイは自分が体験した出来事をコハクに話して聞かせた。
コハクは仲直りできたのが嬉しいらしく満面の笑みで相槌を打っている。
心も体もあたたまるお風呂だった。
二人は湯気の中で抱き合って何度も仲直りのキスをした。


「あのね、ヒスイに見せたいものがあるんだ」


ヒスイの髪を乾かしてパジャマに着替えさせた後、コハクが言った。
「なあに?」
軽く首を傾げるヒスイ。
「目をつぶって」
「?」
素直に目を閉じるヒスイを抱え込むようにしてコハクがカウントを始めた。
「いち・にい・さん・・・っと」
パッ!二人の姿が一瞬にして消えた。
瞬間移動の魔法だった。



実家にて。

「う・・・わぁ・・・綺麗・・・」

ヒスイの瞳に映るのは純白のウエディングドレス・・・
月の光が差し込むコハクの部屋でヒスイが最初に目にしたものだった。
レースをふんだんに使用した可愛らしいデザイン、丁寧に細部まで作り込まれているのが素人でもわかる。
どこからどう見てもこだわりの逸品という感じだった。
月の光を浴びたドレスは暗闇に浮かび上がり、とても幻想的に見えた。
ヒスイは感嘆の声を洩らし、ドレスに見とれた。
「ヒスイのウエディングドレスは僕が作るって決めてたんだ。色々あって予定より随分遅れちゃったけど・・・完成したよ。我ながら会心の出来」
コハクが誇らしげに微笑む。


「・・・だから、そろそろお嫁においで」







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