同日――国境の家。
「ただいま」と、スピネル。
(オニキス、帰ってるのかな?)
仕事で遅くなるかもしれないと聞いていたが、玄関に明かりが灯っていた。
2階の部屋の扉は開いていて。見えるのは、オニキスの背中。
佇んで、プラネタリウムの模型を感慨深げに眺めていた。
プラネタリウムは明日が公開日となる。
思うところがあるのだろうと、背後から近づく一方で、声をかけるのを躊躇ったが・・・
「スピネルか」
視線を軽く後ろに流し、オニキスは言った。
「ごめん、邪魔しちゃったね」
「いや、構わん」
オニキスがそう答えると、次の瞬間、背中にスピネルの体温を感じた。
額を寄せているのだろう・・・首の後ろに前髪が触れる。
「・・・どうだった、夏祭りは」
「んー・・・楽しかったよ」
「そうか」
スピネルの異変に気付きながらも、オニキスはただ一言そう言って。
静かに話の続きを待った。するとしばらくして。
「カーネリアンに告白したんだけど、フラれちゃった」
失恋を報告するスピネル。
「今までは言う隙すらなかったから、結果はどうあれ、ちゃんと聞いて貰えて良かったと思う」
その口調はしっかりしていて、心配を煽るものではなかった。涙の気配もない。
「上手くいかなかったの、オニキスのせいだよ」
続けて、スピネルが冗談っぽくそう口にして。
「ああ・・・そうだな」
全面的にオニキスが話を合わせる。これもひとつの思いやりだ。
「くす、意味わかってるの?」
何の説明もなしにわかる筈がない。スピネルは笑って、オニキスの髪の匂いを嗅いだ。自分と同じ匂いがして、気持ちが安らぐ。
「顔が好みじゃないんだって。目の細い、三枚目じゃないと駄目らしいよ」
「それはどうしようもないな」
目の細い三枚目とは、カーネリアンの過去の恋人そのものだ。オニキスは苦笑した。
「ボク、オニキスに似て、カッコ良くなりすぎちゃったみたい」と。
父親であるオニキスの前では、スピネルも口が減らない子供に戻る。
「責任、とってくれる?」
「どうして欲しい?」
「・・・ずっとここで暮らせたら、それでいいかな。男の2人暮らしって、なんか誤解されそうだけど。それでもいいや」と、また笑うスピネル。
オニキスも一緒に笑った・・・が。
「・・・・・・」
こんな風に、男が男に甘えるくらいだから、少なからず失恋のショックはあるのだろう。それでも。
(人を笑わせようとするとは・・・大したものだな)
「そういえば・・・明日、ママとデートでしょ?」と、スピネル。
「ああ」
「オニキスも、頑張ってね」
翌日―プラネタリウム会場。
「オニキス!お待たせ!」
待ち合わせの時間より10分早くヒスイがやってきた。
一応デートと名のつくものだけあり、ヒスイ1人だ。
小花柄の水色サマードレス。緩く髪を編んだ姿は、オニキス好みでキュンとくる・・・しかし。
それどころではない、大きな問題が。
「・・・・・・」(どういうことだ、これは・・・)
もう何と言って良いか。
そこに立っているのは、1人と・・・2匹。
ヒスイと、阿形吽形の狛犬だった。
双方ライオンほどの大きさと獰猛さで。加えて恐ろしい形相をしている。
しかも、阿形と吽形が声を揃えて慟哭したので、周囲はパニックに。
「まだ調伏中だから」と、悪びれなくヒスイは言うが。
会場を一気に恐怖のどん底へと叩き落とした。
集まった人々は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、誰ひとり残らず。
オープニングセレモニーは延期せざるをえない。
「・・・・・・」(今日もやってくれたな・・・)
公開初日が、ヒスイのお陰でこの様だ。
「わ!貸し切りなの!?すごいね!!」
ヒスイは大きな勘違いをしたまま、マイペースで話を続けた。
「あ、この子達なんだけど」
阿形も吽形も見た目に反して大人しく、ヒスイには懐いている様子だ。
「うちで調伏引き受けたんだけど・・・お兄ちゃんのことすごく怖がっちゃって。あーくんとまーくんも悪戯ばっかりするし。なんて言うのかな・・・ん〜と、そうそう!“針のむしろ”なの!!」
「・・・・・・」(目に浮かぶな・・・)
「なんか食欲もなくなっちゃって、可哀想だから・・・」
「オニキスに預かって貰おうと思って連れてきたの」
「はい、お願い」
オニキス側の都合は無視で、渡される2本のリード・・・狛犬達は確かに元気がない。
「・・・・・・」(気の毒にな)
かつては人々に愛され、持て囃されていただろうに。
いつしか忘れられ。その悲しみから、荒ぶる九十九神が増えているのだ。
オニキスがリードを握ると、ヒスイは阿形吽形の首元を撫で、言った。
「オニキスは、変わらない愛をくれるヒトだから、安心していいよ」
「・・・・・・」(変わらない愛・・・か)
それに関しては自信がある、が。
「そうだとしても・・・昔と同じようにはいかんがな」
「なんで?」と、振り向くヒスイ。
狛犬達をよそに、いきなり痴話喧嘩へと発展する・・・
「昔と同じでいいじゃない」
口を尖らせ、ヒスイが言うと。
「それでは正しい愛し方と言えんだろう」
眉を顰め、オニキスが言い返す。
「正しい愛し方?何それ?」
「・・・オレがいくらお前を好きでも。お前には子供がいて、幸せな家庭がある。それを壊してどうする」
勢いとはいえ、何故こんなことまで説明しなければならないのかと思う。
「???」
ヒスイは難しい顔をして、考え込んでしまった。が、間もなくこう言った。
「何だかよくわからないけど・・・ちょっとくらい間違ったっていいんじゃないの?私達は、長い刻を生きてくんだから――」
「もっと気楽にいけば?」
「・・・・・・」(そうだ、こういう女だった・・・)
思い出したところでもう遅い。毎回このパターンなのだ。
“オニキスに似てカッコ良く〜”などとスピネルは評したが。
愛しては、迷って。迷っては、愛して。
そんな堂々巡りを繰り返している自分が、カッコ良い筈がない。
「お前は、オレに間違いを犯せというのか?」
そう言いながら、自身の不様さに笑ってしまった。そして。
「・・・お前にもっと会いたいだけだ」
オニキスが実直にそう告げると。
「あれ?私、言わなかったっけ?いつでも呼んで、って」※WJ14話参照。
「・・・随分前の話だろう」
「だから、私は変わらないんだってば」
晴れやかに笑って、ヒスイが断言する。
「ヒスイ・・・」
「うん?」
見つめ合う、2人。
オニキスの瞳はヒスイだけを映し。
ヒスイの瞳もまた、オニキスだけを映し・・・たのは一瞬で。
「ほら、お兄ちゃんだって、変わってないでしょ?」
ヒスイが後方を指差す。そこにはコハクが立っていた。
仕事帰りの・・・エクソシストの黒衣のまま、現場に直行したのだ。
「どうもお久しぶりです」(よし!間に合ったぞ!!)
コハクは余裕の笑顔で挨拶したが、その実、嫉妬心メラメラだった。
(オニキスとは付き合いも長いし、多少は僕も大目にみよう。でも!!)
プラネタリウムといえば・・・ロマンチックな暗闇だ。
(星空の下で、絶対いいムードになるに決まってる!!)
断固阻止せねば!と、無理矢理、デートに割り込んだのだ。
「ん?何か言いたげですね」
「・・・ヒスイのこととなると、なりふり構わずだな、お前は」
するとコハクは、小声でオニキスに耳打ちした。
「ヒスイの前では、カッコイイとこだけ見せたいんですけどね」
実際はそうもいかない、と。
「カッコつけてちゃ、恋愛なんてできない・・・でしょ?」
「ああ」
こればかりは、オニキスも頷くより他ない。
「同感、だ」
プラネタリウム、ドーム内。
とりあえず3人並んで席に座ってみたものの、一向に上映されない。
それもそのはず・・・先程の狛犬騒動で、係員も皆、逃げてしまったのだ。
「仕方があるまい。コハク、こっちへ来い」
男2人、裏方へ。オニキスが投映機の操作をするという。
それから、「お前はナレーションをやれ」と、コハクに指示した。
何千年と生きているだけあって、コハクも星座や神話には詳しい。
話上手でもあるので、即席でも充分こなせる。
「ヒスイのためなら、喜んで」
コハクが二つ返事で引き受け。
こうして・・・男達の共同作業による上映が開始された。
「わ・・・ぁ・・・」
初の人工天体にヒスイは大感動。瞬きも忘れるほど、夢中になっている。
「よくこれだけのものを作りましたね」
ナレーションの合間に、賞賛するコハク。
「ああ、力を尽くした」
「くすっ。ヒスイのために、ですか?」
「まあ・・・そうだろうな」
映す者と。説く者と。見る者と。
星空は・・・3人で。
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