「え?」
夢。ヒスイはどきりとする。
「まだヒスイがうーんと小さい頃、今日みたいな爽やかな日に散歩にでかけた夢をね」
まさに今日、自分が見た夢とかぶる。
同じ? でも、まさか。
高鳴り続ける胸にそっと手をあて、今は自分をある場所に連れていくために前を歩くコハクを見上げた。
綺麗に整えられた金色の髪の毛が、陽の光を受けて星の瞬きのように煌めく。それはあの夢と同じ印象をヒスイに与えた。
「お兄ちゃ……」
私も似たような夢を見たの、と言葉を続けようとする前に、コハクがとびきりの笑顔でふり向きそれをさえぎった。
「ほら、ヒスイ、見てごらん」
その言葉でさえ夢と重なる。
コハクが体をよけ、ヒスイの視界を広げる。とたん、前から吹いた風が銀糸の髪を舞い上がらせた。
深く澄んだ翡翠色の瞳にうつるもの。
背の高い木々が作りあげている森にしては不自然な程にぽっかりとあいた空間に、陽の光がきざはしとなり降り注いでいる。真夏なのにもかかわらず、柔らかい印象を与えるそれはまるで妖精が戯れているようにも見えた。
それらの風景に一際存在感を放ちたたずむのは、細かい葉を従え枝を展開させる一本の巨木。風にさわさわ揺れることで奏でる音は、鳥達のさえずりと見事に共鳴し、まるで夢の中にいるように錯覚させた。
「わ……すごい、綺麗……」
 “きらきら輝く大樹”そんな言葉が一番当てはまる。
「こっち来て」
言うが早いかコハクはヒスイの手を引っ張り、有無を言わさず大樹へ向けて歩きだす。そして幹の少し手前に持ってきたブランケットを敷くと、その上にまず自分が座りすぐ前に座るようにヒスイを促した。
「なぁに?」
「いいからおいで」
微笑むコハクに吸いよせられるように、示されたままそこに腰かけ胸に深くよりかかる。背にあたる温もりが心地よかった。
「ねぇ、お兄ちゃん。これでどうするの?」
とりあえずヒスイの髪の毛にキスを落とし、ぬかりなく腰にしっかりと手を回してコハクは無言のまま後ろに倒れた。
「ちょっ! お兄ちゃんっ!」
コハクを下敷きにするように倒れるのだから衝撃がないのは百も承知だが、反射的に手で顔をおおい目をぎゅっとつぶる。寝転んだことで帽子も転がったのが、ふと感じた解放感から分かった。
「ヒスイ」
やんわりと優しい所作にて、その繊手が取り払われる。
「見て」
コハクの囁きに導かれ、ヒスイはそっと目をあけた。


──まるでお花が咲いてるみたいだね──


フラッシュバックしたその言葉。まさしくあの夢の光景が広がっていた。
きらきら、きらきら。風で枝葉が揺れるたび、あらゆる形を見せる光の輝き。一つとして同じものはなく、全てが尊い煌めきを放っていた。
視界いっぱいに広がる光の花園に、ヒスイは無意識に手をのばす。
「綺麗でしょ? 緑が濃くて、生き生きと息づく今のこの時期が一番綺麗なんだ」
のばした手のひらに、今にも掴めそうな程降り積もる。
「昔、ヒスイがまだちっちゃい頃、ここに来たことがあるんだよ?」
一つでも多く綺麗なものを見せてあげたくて。そしてそれらはいつもすぐそばに在ることを、知ってほしかったから。
そしてそれらに負けないくらい、ヒスイは綺麗なんだって言いたかったから。
「覚えてないよね。まだ本当にヒスイはちっちゃかったからなぁ」
体に響くコハクの声。なんでこんなに胸が熱くなるのか。
「……てる……」
「え?」
「覚えてるよ……? んーん、思い出した……私も夢をみたから……」
夢。そのキーワードにコハクが何かを言う前にヒスイが勢いよく起き上がり、自分よりはるかにたくましい胸に肘をつくようにして、光を吸収しとびきりの色を見せる紫色の瞳をのぞきこんだ。
「きらきらの光っ! お兄ちゃんが見せてくれた木漏れ日の花っ!」
その勢いと、同じ夢を同時にみたことを知り、コハクはとても驚いた顔をしていた。
でも、すぐにまた、それが笑顔にかわる。
そしてのびてくる手が、そっとヒスイの頬を撫でた。
「お兄ちゃん……?」
「ヒスイは、とても綺麗になったね」
いきなりそんなことを言うので、ヒスイは目をしばたいた。
「本当に、綺麗」
そのまま柔らかく頬をすべらせ、耳をかすめて髪の毛に指をからめる。静かにおとずれた刺激に、ヒスイは思った以上に体の芯がうずくのを感じた。
じっと見つめられれば何だか落ち着かなくなり、どぎまぎしてしまう。いつも一緒にいて、見つめてくれることには慣れているはずなのに。
ヒスイは少しだけ頬を赤らめ、そのままコハクの胸に甘えるように顔をふせた。
「い、いつものお兄ちゃんじゃない、みた、い……」
声も上ずる。
コハクはくすりと笑うと、髪の毛を撫でながら華奢な体を抱きしめた。
「たまには、ね?」
また風が吹く。木の葉が鳴れば爽やかさは倍増し、大地に落ちる木漏れ日が万華鏡のように様々に変化する。
そのどれもが、いつもより綺麗だと思った。
「お兄ちゃん……」
「ん?」
「綺麗だね」
「うん、そうだね」
瞳をめぐらし、光を咲かせる木漏れ日を求めれば、透ける緑の向こう、紺碧色の澄んだ天空が広がっているのが分かった。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「何?」
「今度は私のお願いきいてくれる?」
「もちろん」
速答してくれるコハクにヒスイは本当に嬉しそうに再び顔をあげる。
「お願いって?」
「あの時みたいに抱っこして欲しいな」
まさかそのようなお願いをされるとは思わなかったので一瞬きょとんとするが、すぐに反動をつけ、ヒスイを抱いたまま勢いよく起き上がる。
「どうせなら、もっと近くに行こう」
言うやいなや、その黄金の翼を広げる。
金の羽根が舞い、また別の光を生むその神々しさにヒスイが見惚れる前に、コハクは飛び立った。
そしてたくましい枝に腰かけ、膝に座らせるのではなくきちんと腕にヒスイを座らせる。
「どう?」
「うん、すごく綺麗っ! ありがとうっ!」
世界の輝きを存分に楽しみ記憶に焼きつけると、ヒスイはにっこり笑いコハクの頬を包み込む。
「お兄ちゃんも綺麗。あの時と同じだね」
「僕はかわらないから」
「もう。そうじゃなくてっ」
ぷっと頬をふくらませると、でもすぐに元通りの笑みを浮かべてその額に唇をよせる。
それはほんのかするくらいの、かるーいキス。
「ヒスイ?」
続け様にまぶたに落とし、次はほっぺた。
意地悪するように唇は避けてヒスイはキスを繰り返す。
ものほしそうなコハクの眼差しを見て、ヒスイは勝ち誇ったように口角を吊り上げた。
「ヒスイぃ……」
「ダメ。おあずけっ」
そんなヒスイにコハクはむすっ。だが、いくら唇を求めても難なくかわされてしまう。
それを見てくすくす笑うヒスイをじーっと見つめてから、コハクは満面の笑みを向けた。
唇がだめなら。
「や、やだっ、どこに……っ!」
狙うは胸元。そのためのワンピース。
きめの細かいすべやかな白い肌に、コハクは唇を滑らせる。
ここは高い木の枝の上。大きく仰け反ればバランスを崩しかねない。
もちろん、ヒスイにも同じ金色の翼があるのだからもし落ちたとしても大丈夫なのだが、いきなりな展開にすっかり頭から抜け落ちてしまっているようだ。
「あ、も……お兄、ちゃ……っ」
一際強く感じた吸いつきに、そこが熱くなりすぎたことに耐えられず、コハクの首筋にうずくまるようにしてついに降参。
「光の花だけじゃ、淋しいからね」
今度はコハクがくすりと笑う。
解放されたことにヒスイが少しあがった息を飲み込みながら胸元を見ると。
そこにはくっきりとした紅い花。
「綺麗に咲いたでしょ?」
誰もこの笑顔にはかなわない。
何を言っているのかと怒りたくもなるが、でも無理で。
ヒスイはそのままコハクの首筋に腕をからめ、思いきり抱きしめた。


「お兄ちゃん大好きっ!」
「僕もだよ」


木漏れ日咲く空の下。
二人の幸せそうな笑い声が響き渡った。



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