「オニキスはどこにいるの!?」
張りつめたヒスイの声。
普段からは想像もつかない緊迫した表情でコハクに詰め寄る。
「・・・そんなに会いたい?」
「当たり前でしょっ!!」
「あそこだよ」
それはヒスイも初めて知る場所だった。
天界から人間界へ繋がる扉があるように、魔界へと繋がる扉も存在していた。
扉を抜けた先にある魔界の洞窟。
その奥に放置してきた、とコハクは言った。
「行ってもいいよ。ここに戻ってくるって約束するなら」
コハクと約束を交わし、ヒスイは神殿を飛び出した。
魔界への扉はヒスイ一人が通れるくらいの細い隙間が開いていた。
「オニキス・・・っ!!」
洞窟の深い闇。
両目は開いているのか、自分でもわからなくなるほどに。
ヒスイは、次第に濃くなる血の匂いでオニキスの所在を探った。
「どこ!?返事してっ!!」
「・・・こっちへ来るな」
「オニキス!?」
「・・・まだ完全に再生していない」
「そんなの・・・っ!!」
オニキスの制止を聞かず、ヒスイは更に足を速めた。
「オニキス!!」
目もだいぶ暗闇に慣れ、近付くにつれオニキスの輪郭がはっきりとしてきた。
足元の土には大量の血液が染み込んでいる。
オニキスは突き当たりの岩壁にもたれて座り、首を押さえていた。
「ヒスイ・・・来るなと・・・」
「もぉぉっ!!バカぁ!!!」
怒り、そして涙。
オニキスの膝に伏し、ヒスイはわんわんと泣き出した。
「・・・すまん」
空いている方の手をヒスイの頭にのせて。
「泣くな・・・石はまた掘りにいけばいい。いくらでも付き合ってやる」
失った結婚指輪に使われていた鉱石、ペリドット。
鉱山を探索するヒスイの隣に、オニキスもいた。
「指輪のことじゃないよっ!!」
泣きながらヒスイが怒鳴った。
「・・・気にするな。放っておいても治る」
主を守るため、無限に再生を繰り返す肉体。
“眷族”がどういうものなのか、ヒスイはこの時初めて知った気がした。
(一緒に生きて、一緒に死ぬ。ただそれだけの事だと思っていたのに)
「・・・ごめんっ!痛い思いさせて・・・っ!!」
首を切られてしまっては、痛いどころの話ではないが・・・
「いや。大した事ではない」
オニキスは即座に否定した。
「いつでも喜んでお前の盾になろう」
「盾になって欲しくて眷族にしたわけじゃ・・・!!」
「わかっている。オレの・・・我が儘だ」
えっ・・・うっ。
ヒスイの泣き声は、止むことがなく。
「・・・・・・」
意外だった。
(笑顔も涙も・・・全部あいつのものだと思っていた)
ヒスイが、オレの事で泣くとは。
それこそ思いもしなかった事で。
膝の重みがにわかに信じ難く。
それでも。
・・・オレのために流した涙なら。
堰き止めていた想いが溢れ出す。
常にいっぱいっぱいなので、些細なきっかけで決壊してしまうのだ。
オニキスは、見上げたヒスイの肩を掴み、押し倒した。
「オニ・・・キス?」
(もう変態だろうが構うものか)
翡翠色の瞳からこぼれ落ちる涙に唇を寄せ、啜っては、飲み込む。
次から次へと溢れる涙の粒を啄んで。
奪いたい訳じゃない。ただ、与えたいだけ。
己の定めた教訓を繰り返し、(冷静になれ、流されるな)と、止めても。
押し寄せる情熱に飲み込まれ、一瞬途切れる理性。
そして・・・
「・・・ヒスイ」
涙味のキス。
オニキスは瞳を伏せ、涙で濡れた唇同士を強く重ね合わせた。
「んっ・・・うっ」
抵抗というよりは戸惑いに近い動きで、ヒスイの唇が微かに震えた。
それを唇越しに感じ、我に返ったが手遅れだ。
「・・・すまん」
触れた唇を指で拭い、本日の二度目の謝罪。
ヒスイに対しては、訳も分からず謝っていることがある。
しかし今回の理由は明白。自己嫌悪の大嵐だ。
ところがヒスイは。
「・・・涙って・・・なんでしょっぱいんだっけ?」
いきなりそんな疑問を口にした。
「・・・ナトリウムが含まれているからだろう」
真面目に答えるオニキス。
「あ、そっか。食塩と同じ成分ね」
ヒスイは何度も瞬きをしながら体を起こした。
「一説だが、感情によってナトリウムの分泌量が異なる事があるそうだ」
「へぇ・・・涙の味って変わるんだ」
「今日はしょっぱかったね」
「ああ・・・」
涙の原料は血液。
愛するヒスイの涙を欲したのは、吸血鬼の性だったのかもしれない。
「首、繋がったね」
オニキスの首筋をヒスイの指先がそっと撫でた。
傷口は跡形もなく消え、すっかり元通りになっていた。
「血、飲む?」
「いや・・・今はいい」
確かに貧血だが、今吸血行為に及んだら確実に発情する。
涙に誘われてキスをしてしまうくらいだ。
まず我慢できない。
渇きを堪え、情熱の刻をやり過ごす。
再びオニキスの膝に頭をのせ、眠るヒスイ。
涙の跡は残っているが、安心しきった寝顔だ。
「・・・・・・」
ヒスイの眷族として。
生命の法則に反しても構わない。
滅びることのない体。
それは心も同じで。
いつでも。どんな時でも。
果てなくヒスイを愛している――
「ヒスイ・・・」
「んっ!おにぃちゃっ!!」
ガバッ!!
ゴンッ!!
「・・・・・・」
小一時間程で目を覚ましたヒスイは、オニキスの顎に頭突きを決めた。
それはデジャヴ・・・ではなく、つい先日もくらったばかりだった。
「あ、ごめん」
「・・・・・・」
直情的なヒスイは昔からよく泣くが、立ち直りも早い。
泣くだけ泣いて一眠りすれば、スッキリ。ケロリと。
「私、神殿に戻るね。お兄ちゃんと約束したから」
「・・・・・・」
結局コレだ。
けれどもそれがホッとする。
一番ヒスイらしいと思う。
「・・・気をつけろ。あいつは“お兄ちゃん”ではない」
例のコハクの元へ帰すのは気が進まないが。
(約束したというのなら、ここで逃げては逆効果だ)
コハクはヒスイを殺さない。
剣を交えた末、そう確信していた。
(凶悪な剣だが・・・無差別という訳ではない)
“黙示録”の名を口にしなければ、オニキスも殺される事はなかった筈なのだ。
「くれぐれも深入りはするな。ここは“過去”だ」
「・・・ん」
“現在”と“過去”の混同を諫め、オニキスは洞窟を後にするヒスイを見送った。
熾天使の神殿へ引き返すヒスイ。
「・・・・・・」
ふと足を止め、涙味のキスを思い出す。
「オニキス・・・」
人差し指を唇に置き、しばし想いを巡らせ・・・
「うんっ!次は女の子産もう!次も!その次も!」
きっと、そのうちの誰かがオニキスを幸せにしてくれる。
「まずはお兄ちゃんよねっ!」
精がなくては始まらない、という事で。
(えっちしたいなぁ〜・・・お兄ちゃんと)
カラダが癖になっていて、股の間が寂しい。
『好きだよ、ヒスイ』
深く奥まで探る指。
粘膜を撫でる舌先。
そして・・・二人を繋ぐコハクの陰茎。
「ハッ!ダメダメ!えっちな事考えてる場合じゃ・・・」
(でもお兄ちゃんは・・・)
「私が赤ちゃんの頃から、たくさん、たくさん、愛してくれた」
記憶を失った時も。
ジストを産んだ時も。
変わらず愛してくれたから。
「今度は私が愛すよ」
過去のコハクがどんなに残虐非道でも、愛せる。と。
雲の上、時折転びそうになりながらヒスイが走る。
「お兄ちゃん・・・っ!!」
現在。白の騎士出現ポイントへと向かうジスト&スピネル。
二人が告げられた場所は10年前コハクとトパーズが対決した森の渓谷だった。
「サルファー大丈夫かな」と、神槍を担いだジスト。
「黙示録の方が後悔してると思うよ、サルファーを選んだこと」
肩を竦め、意味深な微笑みを浮かべるスピネル。
「スピネルって・・・予言者?」
「何で?」
「だってさ!みんなスピネルの言うとおりになるんだもん!」
少し先の未来を的確に言い当てる、不思議少年。
「くすっ・・・気のせいだよ」
杖を口元にあて、やんわりと笑うスピネルにジストがポッ。
(やっぱスピネルって可愛い・・・)
スピネルが男じゃなかったら。
兄弟じゃなかったら。
迷わず結婚を申し込むのに。
つい、そんな事まで考えてしまう。
「で、どう戦う?一応打ち合わせしといた方がいいと思うけど」
「えっ!?あっ!うんっ!!」
やましいところを覗き込まれて、慌てる。
「オレが前に出るよ!スピネルは後ろから魔法で援護して」
「うん」
「オレ、成人化してられるの1時間ぐらいだけど・・・その間に倒せるかな?」
「大丈夫。倒せるよ」
ここでもまたスピネルは意味ありげに微笑んで。
「ボクも杖の封印解くから」
「封印?ソレの??」
「そ、見た目はだいぶ古いけどね。これでも凄い魔力を持ってるんだよ」
コンコンと軽く叩いてから、スピネルは木杖を高々と掲げた。
「目覚めよ・・・!!フェンネル!!」
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