黙示録が消えたからといって、それに纏わる出来事が白紙に戻る訳ではない。
歴史が大きく変わる事はあってはならないのだ。

神の親子が・・・
過去と現在に与える影響を最小限に食い止める為に、膨大な魔力を消費しながら調整作業にあたっていたのだった。




現在。スファレライト。

「決めるぞ!サルファー!!」
「了解!姉さん!」
熾天使の血を継ぐ者同士、シンクロ率の高いシトリンとサルファー。
二人が協力攻撃を繰り出した所で。

パッ!と。

ジンが抱えていた黙示録と共に赤の騎士の姿が消えた。そして。

ドコンッ!!

強烈な空振り音が都市に響いた。
二人の攻撃は都市中枢建物を破壊。
よりによって・・・王立図書博物館の一部分を跡形もなく吹き飛ばしていた。
過去組が黙示録の抹消に成功したのだと喜ぶのも束の間・・・
シトリンが両腕を組んで唸る。
「マズイぞ。これは。おい、ジン、何とかしろ」
「そう言われても、人工物は無理だ・・・」
整地緑化係、ジン。
植物の再生ならともかく、人工物に対しては精霊の力も及ばない。
事実、不可能な話だ。


上空を浮遊する赤の騎士が消えた瞬間を見たのだろう。
まばらではあるが都市の人間達が戻ってきた。
もはや言い逃れはできない。
下手をすれば事情聴取を受ける事になるかもしれない。
シトリンの口から溜息が洩れた。
「しばらくは帰れそうにないな」
こうなったら復興を手伝おう、と。
シトリンらしい結論に辿り着く。
「ジン、お前変装しろ」
「変装?何で・・・」
「モルダバイトの王だとバレたらどうする!!自覚が足りんぞ!!」
正体がバレるのは怖いが、超重要文化財を破損したまま逃げたら逃げたで問題だ。
「それを言うならシトリンだって・・・」
「忘れたか?私は“化け”られる」
本体は、猫なのだ。
今、この姿でさえ『シトリン』に化けているに過ぎない。
王妃とバレない程度に顔を変えるのも朝飯前だ。
実は万能な猫又の変身能力。
「ジン義兄さん!早く!」
姿をよく見られていないうちに、と、サルファーまでもが急かして。
「変装って言ったってどうすれば・・・」
「染髪してパーマでもあててこい!!」
シトリンの命が下る。
「そんな無茶な・・・」
「心配するな!お前がどんなに変わり果てた姿になろうと愛してやる!」
「シトリン・・・」
愛の言葉にも思えるが・・・要は、変わり果てた姿になってこいという事だ。
「いってきます・・・」
「ああ!行ってこい!!」




赤い屋根の屋敷では。

1階にある客間のベッドで、トパーズとジストが向かい合わせで丸くなり、昏々と眠り続けている。
魔力を使い果たした反動から、その場で眠りこけていた二人を運んだのは、過去から帰還したオニキスだ。
「こうして見ると・・・親子だな」
トパーズもジストも。
愛した女が産んだ子だ。
別々のベッドで寝かせるのも野暮な気がして、一緒のベッドに寝かせる事にした。
トパーズはぴくりとも動かず。
「むにぁ〜・・・ヒスイ〜・・・」
逆にジストは寝言を言いながらモゾモゾと。
トパーズが先に目覚めたら殴られそうな体勢で、眠りを貪っている。
「ゆっくり休め」
二人に一枚の毛布を掛け、オニキスは静かに部屋を後にした。


「おかえり、オニキス」
「スピネル・・・無事か」
うん。と、スピネルが頷く。
スピネルはスファレライトを経由した為、少し遅れての帰宅となった。
「サルファーもタンジェも無事だよ。勿論、姉さんと義兄さんも。ちょっと向こうでトラブって、しばらく滞在する事になるらしいけど」
「トラブルだと?」
「勢い余って、王立図書博物館を壊しちゃったんだって」
「あいつららしいな」
スピネルの報告に、安堵の苦笑い。


コハク・ヒスイ・オニキス。
メノウ・スピネル。
皆、屋敷へと帰還した。
今夜は揃って打ち上げという話になり、台所を預かるジョールとルチルが忙しなく動いている。
「んじゃ、俺も一眠りするわ」
気は元気なメノウも体は病に冒されていた。
咳はそれほど出ないが、熱は上がる一方で、休養が必要だった。
フラフラとした足取りで階段をのぼり、自室のベッドへダイブする。
それからすぐに。


「も〜・・・お父さんはぁっ!不摂生してるんじゃないの?」


ヒスイの声がして。
額に、ひんやりと冷たい手が触れた。
(あ〜・・・気持ちい〜・・・)
「・・・あれ?コハクは?」
「ラリマーとイズを迎えに行ったよ」
「お前は?一緒に行かなくて良かったの?」
「うん。初めはそのつもりだったんだけど・・・」
人間界の風邪薬を処方すべく、薬学の本を広げるヒスイ。
メノウの部屋は常にゴチャゴチャしているが、大抵の物は揃っている。
「お父さんがこんなんじゃ、放っておけないじゃない」
ヒスイはメノウの看病をする為に屋敷へ残ったのだった。
(やっぱ娘はいいなぁ〜・・・)


こんな時間が用意されているのなら。

たまには寝込むのもいいかな。


(って・・・何考えてんだろ。俺、今日ちょっと変かも)
「・・・ま、いっか」


全部、熱のせいにして。

少しだけ、甘えてみよう。


「な〜・・・ヒスイ」
「ん〜?」
「出産祝いさ、船でいい?」
「はぁ?」
(出産祝い?まだ妊娠もしてないんだけど・・・それに“船”って?)
ツッコミ所が多すぎて、何と答えればいいかわからない。
「・・・・・・」
ヒスイは床に腰を下ろし、ベッドに軽く寄り掛かった。
「・・・お父さん。しばらく家で一緒に暮らそうよ」
お祝いならそれでいい、と。話を合わせ。
「お父さん、すぐどっか行っちゃうんだもん。たまには家でのんびりして・・・そうだ!」
閃きに手を叩いた。
「元気になったら、チェスして遊ぼっ!」
トパーズがコハクと同じくらい強いなどと、ヒスイが懸命に話をしているが、だいぶ遠くに聞こえる。
「あ〜・・・そうするかぁ〜・・・」
(家に居たら、喧嘩の仲裁ばっかだろうけど・・・)


賑やかで、楽しい。


「うんっ!」
元気良く立ち上がったヒスイがベッドを覗き込む。
「ちょっと待っててね。今薬を・・・お父さん?」
メノウの意識はもう眠りに沈んでいた。
寝顔を眺め、ヒスイが呟く。
「お父さん・・・なんで笑ってるんだろ」



ひとりじゃないって、いいなぁ・・・。



そんな事を考えるのも、きっと、熱のせい。





スファレライトへ続く荒野にて。

翼を持つ智天使ラリマーと座天使イズ。
おおまかな任務は、羊と花嫁の身柄確保と黙示録の回収。
それに加え、もうひとつ。
羊崇拝の天使達の鎮圧だ。
羊と黙示録の気配を感じ、スファレライトへ向かう途中の事だった。
反悪魔主義のメンバーを軸に構成された数十名の天使と出くわした。
同じく、羊と黙示録を追って行動していたのだ。
上空からラリマーが説得にあたっていたが、暴動寸前の雰囲気だった。
“諦めて手を引くように”というラリマーの意見に反発し、“羊と黙示録を守る”事を主張。
「邪魔をするなら戦いもやむを得ない」そう言ってきた。
“羊”というシンボルを通し団結した彼等は、上級天使の言葉にも耳を貸さなくなっていたのだ。


「・・・話すだけ無駄だ」


ラリマーの隣にコハクが並ぶ。
「!!セラフィム!!その怪我は!?」
過去で受けた胸の傷はまだ残っていて、上着にはべっとりと血が染み込んでいた。
自身の回復力で充分カバーできる傷だと言い張り、コハクは治療も受けずに屋敷を出てきたのだ。
「ここにいる大半は天界の喪失を嘆く天使だ。つまり、僕を恨んでる」
天界を破壊したのは、ハッキリ言って、私情。
敵を作るのは当然承知の上だった。
正当化するつもりもない。
「僕に復讐したいなら、いつでも」
今、ここでまとめてかかってきてもいい、と、剣を翳す。
「傷を負ってるんだ。今なら僕を殺せるかもしれないよ?」
血で汚れたシャツを脱ぎ、傷口を晒して挑発する、が。

・・・かえってそれが怖い。

天使は本来血を嫌う種族だ。
数十年やそこらで本質は変わらない。
集団で息巻いていた天使達も、放り投げられた血染めのシャツに怯む。
「ああ、その前に・・・」
ゾッとする冷笑を浮かべ、コハクが言い足した。


「君達が崇めていた“羊”は、僕の息子だ。世話になったね」


ザワッ・・・
“羊”が熾天使の血族であった事を知り、天使達の間に裏切られたという空気が満ちた。
「天界を返せ!!」
人間界で戦う事を覚えた数名の天使が魔法攻撃を仕掛けてきたが、コハクはそれを物ともせず、鞘に収まったままの剣でそれぞれ一発ずつ殴った後、再び上空へと引き返した。
取り巻きの天使達はたじろぎ、口々に文句を言うばかりだ。
「・・・・・・」
様子を見下ろすラリマー。
(結局は口だけ・・・)
「私も同じ・・・」


変革を望んでも、自ら罪や過ちを犯すのが怖いから、代行者が欲しい。


(我々は今までもそうだった・・・)
セラフィム一人に罪を背負わせ、自分達は穢れなき天使として。


セラフィムには、天界を滅する権利があったのだと思う。
栄えさせるも、滅びさせるも、セラフィムの心ひとつ。
神に許されていたのだ、と。


それは、これまでの働きに対する当然の報酬ではないか。


・・・天界が消えたあの日から、ずっと考えていた。




「天界を返せ!」「返せ!」
「しつこいなぁ・・・」
天使達の訴えを、コハクはうんざりした顔で聞き流していたが・・・
「おだまりなさい!!」
突然、ラリマーが叫んだ。
「そんなに天界が欲しいなら、自身の手で創り上げれば良いでしょう!!」
「ラリマー・・・君・・・」
“慈悲の天使”の熱弁にコハクが目を丸くする。
「失ったものを嘆くばかりでは何も始まらない。そうでしょう?セラフィム」
「まぁ・・・ね」
コハクは肩を竦めて笑い、ラリマーの前へ出た。
「後は僕に任せて」


「範囲は5×5・・・くらいかな」
地上を目測するコハク。
傷口に触れ、手の平を血で染めてから、斜め上空より天使達へと標準を合わせた。
「・・・我が血を以て封じる・・・」
「セラフィム!?何を・・・!!」
驚愕の瞬間。
掲げたコハクの右手を中心に魔法陣が現れ、広がってゆく。
それはほぼ5×5の大きさにまで拡大した後、標的へと放たれた。
一枚の大きなベールを被せるような光景だった。
ふわり・・・柔らかな魔法陣に頭上を覆われる天使達。


『・・・魔石“Angel”』


5×5の地上から天使の姿が消え、後には大粒の丸い宝石が天使の数だけ散らばっていた。
それが“魔石”と呼ばれるものだ。
魔石封印は人間が編み出した特殊魔法。
人間以外の生物を宝石にしてしまうことができる。
宝石には封じられた生物が宿り、所有者と血の契約を結ぶことにより、その姿を現すことが可能になるが、一体を魔石化するだけでも並大抵のことではないのだ。
それなのに。


「あなたという人は・・・」


コハクの強引なやり口に茫然とするラリマー。
(一度にこれほどの魔石を生み出すとは・・・)
自ら羽根を折り、魔力の大半を失ったコハクにできる芸当とは思えない。
(あの魔法陣に仕掛けが?)
いずれにせよ、この事態を想定し、術式を用意していたに違いなかった。


「魔石として、種族も考えも違う相手と生きてみれば、これまで見えなかったものが見えてくるかもしれない・・・なんてね」
魔石を拾い集め、ラリマーに渡す。
「君が認めた相手に一つずつ託していくといい」
ごっそりと、ラリマーの両手いっぱいに。
そして。
最後の一個を落とし、コハクが言った。


「良く言えば、“意識改革”」
「悪く言えば、“矯正”だ」




「セラフィム、傷を・・・」
一段落したところでラリマーが傷の治療を申し出たが、コハクは辞退した。
「跡でも残ったら・・・」
「それでもいいよ」
“自分”から受けた傷だから、教訓としてとっておく、と笑って。
「さあ、屋敷へ戻ろう」
一足先に上空へ。
「セラフィム!」
下からラリマーが見上げていた。
「何?」
「あなたを恨んでいる天使ばかりではありません。感謝している天使だってたくさん・・・」
コクコクとイズも頷く。
コハクは二人に背を向けたまま、視線だけ軽く後ろに流し、一言呟いた。
「・・・ありがとう」






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