空が白んできた頃、二人は宿についた。
あの後、無事抜け出せたものの、馬車では目立つので結局二人は歩いて帰る羽目になった。
ヒスイに至ってはフラフラの状態で、部屋に入るなりベッドに倒れこんでそのまま眠ってしまった。
コハクはヒスイに毛布をかけた。
「お疲れ様」
コハクはぐっすりと眠り込んでいるヒスイの額に軽くキスをした。
「夜明けまではまだ少し時間があるな・・・」
コハクは壁に掛かっている時計と窓の外を交互に見た。
「約束どおり、これから埋め合わせをするからね」
コハクはそう言ったあと、ヒスイに向かって何か呟いた。呪文のような何かを。
すると、ぐっすりと眠っているはずのヒスイの体がピクリと動いた。
むくりとベッドから起き上がる・・・。焦点の合わない虚ろな瞳で。


「おいで」


コハクは隣のベッドに腰かけ、ヒスイを呼んだ。
「・・・・・・」
ヒスイはゆっくりと歩いてコハクの傍へ寄った。
「食事だよ」
コハクはそう言って微笑むと、ヒスイを自分のほうへ抱き寄せた。
ヒスイは立ったままコハクの肩に手をかけ腕を絡ませた。
そしてコハクの首筋に顔を近づけ、軽く口を開く・・・真っ白な牙がのぞく。
小さいが鋭く尖った牙。昼間のヒスイには見られないものだった。
ヒスイはその牙で躊躇いもせず、コハクの首筋に噛み付いた。
コハクはヒスイの体を優しく抱きしめたまま瞳をとじてじっとしていた。
ゴクンと美味しそうな音をたててヒスイが喉を鳴らす。

ゴクン、ゴクン。

そうしてしばらくの間、ヒスイはコハクの首筋に唇をあてていた。
ペロッ。ヒスイは舌でコハクの傷口をなめた。
それを何度か繰り返し、流れ出す血を止めた。
コハクの首筋に残った2つの穴。紛れも無くヒスイの牙の痕だった。
「もういいの?」
ヒスイはコハクから離れ小さく頷いた。
「・・・血付いてるよ」
コハクはとても愛おしそうな顔をして軽く指でヒスイの唇に付いていた血を拭った。
ヒスイはただじっとされるがままになっている。
ゆっくりとまばたきをしながらコハクをじっと見ていた。
それはただひたすら美しくそこに佇む完璧な人形のようだった。
「・・・またね」
コハクはヒスイの頬をゆっくりと何度か撫でてから呟いた。
そしてヒスイの目の前で両手を叩いた。

パンッ!

その瞬間、ヒスイはどさりとコハクの腕の中に崩れ落ちた。まるで催眠術が解けるかのように・・・。
コハクは、呪文をかけられる前と変わらず気持ちよさそうにすぅすぅと寝息を立てているヒスイを抱きあげ、向かいのベッドに寝かせた。
「おやすみ。ヒスイ」
コハクはもう一度ヒスイの額にキスをした。




数時間後。
太陽の光が燦々と降り注ぐ正午にヒスイは目を覚ました。
「ん〜っ!なんかすごく体が軽い〜!昨日あんなに疲れてたのが嘘みたい!」
ヒスイは窓辺に立ち、大きく伸びをした。
「おはよう。ヒスイ」
「あ!おはよう!お兄ちゃん。あれ?」
「ん?」
「どうしたの?お兄ちゃん顔青いよ。また貧血?」
ヒスイはコハクの顔を心配そうに覗きこんだ。
「え・・・そう?そんなことないと思うけど」
コハクは否定したが足元がフラついていた。
「夕べちゃんと寝たの?」
「まあ・・・一応・・・」
「まだ寝てなよ。ほら」
ヒスイはカーテンを閉め無理やりコハクを横にならせた。
「お兄ちゃんはよく貧血起こすんだから。無理しちゃだめだよ」
ヒスイはコハクに毛布をかけ、ポン、ポンと軽く上から叩いた。
「お兄ちゃんが眠るまでこうしているから」
そう言ってヒスイはコハクの手をとった。
「こうすると安心して眠れるの。お兄ちゃん昔よくやってくれたよね」
「じゃあ、お言葉に甘えて・・・」
コハクは青白い顔に精一杯の笑顔を浮かべてからゆっくりと瞳をとじた。







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