「ご機嫌だね、お兄ちゃん・・・」
宿に戻った二人は浴室にいた。
決して豪華とは言えない宿だったが、部屋にバス・トイレが付いていることとそれらが比較的清潔で広さもあることからコハクが選んだ宿だった。
そこでコハクは化粧を落とし、シャツとズボンの軽装に着替え、ヒスイの髪を洗っている。
これもコハクの欠かせない日課だった。
「だって、ヒスイがコンテストで優勝したんだよ?嬉しいじゃないか」
「そんなの・・・お兄ちゃんのほうが綺麗だったよ」
ヒスイは少々ふくれた顔で言った。
「こら。もっと自信をもちなさい。こんなに・・・綺麗なんだから」
コハクはヒスイの髪を一束とり軽く口づけをした。
ヒスイはそれを鏡越しに見た。そして妙に照れくさい気持ちになって鏡から視線をそらした。
「そ、そうだ!私もお兄ちゃんの髪洗ってあげる。一緒に入ろうよ!」
ヒスイは照れ隠しか、ふと思いついたことを口走った。
「う〜ん・・・。それは無理じゃないかなぁ」
コハクが困ったように笑う。
「なんで?」
「・・・お兄ちゃん、男だよ?忘れて・・・ないよね?」
「忘れてた。だって本当に女の人みたいなんだもん。この際お姉ちゃんでもいいかな〜なんて思っちゃった」
ヒスイは無邪気に笑った。
「これからもお姉ちゃんって呼んでいい?折角綺麗なんだからもったいないよ」
ヒスイはいつも自分が言われている言葉をコハクに言ってみた。
「もっと女装すればいいのに」
「でも、それじゃ変態に・・・」
コハクは一応わかっているらしくそう言いかけたが、「何を今更」と、ヒスイに一蹴されてしまった。
「う〜ん。でも自分よりヒスイにおしゃれさせるのほうが楽しいから」
コハクはえへへと笑った。
その顔が年甲斐もなく可愛らしかったので、ヒスイは鏡越しに笑ってしまった。
更に夜がふけた。
ヒスイは古びたソファーでうとうとしていた。
そのわきでコハクが明日ヒスイに着せる服をあれやこれやと楽しそうに選んでいる。
その時だった。二人の部屋をノックする音が聞こえた。
「はい〜」
コハクは人当たりの良さそうな柔らかい声で返事をした。
「夜分遅くにすみません。城下町美人コンテストの優勝者の方が泊まっているというお部屋はここでしょうか?」
ドア越しからハキハキとした若い女の声が聞こえた。
「私、城の使いの者でインカローズと申します」
「お城の・・・」
コハクはゆっくりと扉を開けた。
インカローズは薄い桃色の髪が肩より短く、毛先に強いウエーブがかかった活発そうな顔立ちの若い女性だった。
コハクを見るなり一瞬顔を赤らめたがそれでもすぐ気を取り直して言った。
「銀の髪の少女・・・ヒスイ様はいらっしゃいますか?」
「・・・誰?お兄ちゃん」
ヒスイがうたたねから目を覚ました。
コハクに隠れるようにぴったりとくっつくとそこからひょいと顔を覗かせ、不機嫌そうな表情でインカローズを見た。
「あぁ!こちらが!なんて愛らしい・・・!」
インカローズはヒスイの機嫌などお構いなしに興奮した様子で言った。
「でしょう?」
コハクはヒスイの肩に手をかけ、誇らしげにしている。
「・・・何か用なの?」
ヒスイは訝しげな表情で言った。面倒なことに巻き込まれるのはごめん、と顔に書いてある。
「あ、すみません。本題に入ります。ご存知かと思いますが昼間のコンテストは王家主催のイベントでして」
インカローズは明らかに仕事用スマイルでそういったあと「優勝者の方には・・・一緒にきていただきます」と、続けてパチンと指を鳴らした。
すると廊下からぞろぞろと従者と思われる男達がぞろぞろと現れた。
「さあ、下に馬車が用意してありますので、お乗りくださいませ」
「こんなに手荒な真似をしなくても言っていただければこちらからお伺いしたのに・・・」
コハクは全く慌てる様子もなくやれやれといった感じで言った。
「お荷物のほうはちゃんと運ばせますからご安心を」
インカローズはにっこり笑った。
「いえ、お構いなく。すぐに戻ってくることになると思いますから」
コハクは丁寧にインカローズの申し出を断ると、ヒスイをひょいと抱き上げて歩きだした。
「・・・ちょっと、お兄ちゃん」
ヒスイはコハクに抱えられながら怒りの声を上げた。
「もしかして・・・こうなることも知っていたんじゃないわよねぇ?」
「まさか」
コハクは笑って誤魔化そうとしたが、ヒスイの怒りはおさまらなかった。
「また騙したわねぇ〜・・・!!」
コハクの頬を思いっきりつねる。
「いた・・・いたた・・・いたいよ〜、ヒフイ〜・・・」
そして二人はインカローズと共に馬車に乗り込み城へと向かった。
城は意外な程近かった。
クリソコラ大陸の数ある国家の中でも、国家は国民の為にあれ、の思想が強く王家と国民が一体となって国を盛り立てていく・・・それがこの国、モルダバイトだった。
「モルダバイト城です」
馬車が城門をくぐると、インカローズが言った。
「只今、お部屋にご案内致します。もう夜も遅いですから今夜はこのままお休みになっていただいて・・・」
「ヒスイ。まだ起きていられる?」
コハクはふてくされているヒスイの耳元で尋ねた。
「平気だよ。怒りでしばらく眠れそうにないもん」
「ごめんね。この埋め合わせはあとでちゃんとするから」
コハクはすまなそうな顔をしてヒスイの頭を撫でた。
(埋め合わせ?どうせロクなことじゃないんでしょ)
ヒスイはそう思いつつも、コハクに撫でられたことが嬉しかったようで態度が少し和らいだ。
「あの、もしまだ王子様が起きておられるようでしたらお会いしたいんですけど。僕が言うのも何ですが、夜のほうが何かと都合が良いのでは・・・?」
それを聞いてインカローズは少し驚いた顔をしたが、またにっこりと笑って言った。
「ええ。そうしていただけると助かります。オニキス様は書斎にいらっしゃいますので。今、ご案内を」
「お願いします」
コハクもインカローズに負けないくらいの笑顔で答えた。
(ん?オニキス?)
ヒスイはここ何日かの出来事を思い出していた。
あの店で会ったのもオニキス。コンテストでヒスイにロザリオをくれたのもオニキス。そしてここでも・・・
「オニキスって・・・あの、オニキス?」
ヒスイはコハクに尋ねた。
「うん。やっぱりそうだったみたいだね」
「それにしてもこの建物随分静かね。護衛の人とかいないんだ?王子様なのに」
ヒスイは独り言のように言った。
「ここは城の離れになっておりまして。オニキス様専用の建物ですので、オニキス様の命で人払いをしております」
「へぇ〜」
ヒスイは城と呼ばれる建物に入るのは初めてだった。何だかんだ言いつつも、興味深げに辺りを見回している。
そんなヒスイの様子をコハクは優しく見守っていた。
「着きました」
三人は大きな扉の前に立った。
「この国は他国ほど身分階級に厳しくはありませんが、オニキス様はいずれこの国をしょって立つお方です。くれぐれも失礼のないようにして下さいね」
インカローズは少し緊張した声で言った。
そして大きく息をすってから扉を2回ノックした。
「インカローズです!!」
「入れ」
「うわぁ・・・図書館みたいだねぇ、お兄ちゃん」
「ははは、ヒスイは本が好きだからねぇ」
「ほら、お兄ちゃん!お菓子づくりの本あるよ」
「えっ!?どれどれ・・・」
「・・・あの、ですから、失礼の無い様にと申したはずですが・・・」
インカローズは呆れたような声で二人をたしなめた。
「まぁ、いい」
そびえ立つ巨大な本棚の間からオニキスが現れた。
「・・・来たか」
「来ましたとも」
コハクはインカローズを差し置いてオニキスの前に歩み出た。
どことなく喧嘩腰な発音をしつつも「ご招待にあずかりまして」と、得意の笑顔でヒスイと共に正式な挨拶をした。
もちろん、お菓子づくりの本は持ったままだった。
「なんだ・・・やればできるじゃない。全く礼儀を知らない訳でもないのね。一体何なのこの兄妹・・・」
インカローズは目つきを悪くしてボソリと呟いたが、もちろんそれは誰にも聞こえなかった。
「それでどのようなご用件で?」
「ローズ。話してやれ」
「へっ?あ!はい!」
インカローズは急に話を振られて驚いたようだった。
「え・・・と、コンテスト優勝者のその後の待遇と致しまして、王宮画家による肖像画が描かれることになっており・・・まぁ、これはコンテストの記念ということで深い意味はないんですが・・・」
インカローズは一旦そこで話を切って、軽く咳払いしてから続けた。
「そもそもこのコンテストの意図は、オニキス様のお相手を探す為のものでして・・・」
「は?」
ヒスイはきょとんとした。
「何それ?」
「周りが勝手に決めたことだ。オレの意志とは全く関係ない」
オニキスは強くそう言ってから、ヒスイをまっすぐに見た。
「お前はまだ子供だ」
そう言って、なぜかため息をつく・・・
「しかし・・・その髪がまずい」
「・・・・・・」
髪のことを言われてヒスイは黙った。
「・・・この国では銀そのものが貴重で、金よりも価値があるとされているのです。それ故、銀に関しての伝承も多く銀の髪を持つものは国を災いから退けるとか・・・そういう言い伝えが・・・」
ヒスイが黙り込むとインカローズが気遣うようにそう話した。
「銀色の髪を持つ乙女とあれば、オニキス様のお相手としては申し分ないと大臣達も大いに乗り気になってしまって・・・。ヒスイ様が拘束されるのも時間の問題かと・・・」
「まさかこの国に銀の髪を持つ者が現れるとはな・・・」
オニキスは皮肉な笑いを浮かべた。
「・・・それで我々にどうしろと言うのですか?」
コハクが口を開いた。
ヒスイを庇うようにしてオニキスの前に立つコハクには、もうその答えが判っている様だった。
「まだ、この国を出るわけにはいきません」
「・・・オレは妻をめとる気などない。ましてやこんな子供など・・・。早々に姿を消してもらいたい。そのほうが互いの為だと思うが?」
「ちょっとっ!子供、子供って失礼なこと言わないでよ!私これでも18・・・って、お兄ちゃん!?何やってるの!?」
ヒスイの言葉は時すでに遅しだった。
コハクはオニキスの頬を平手打ちしていた。
そして、美しい表情を何ひとつ乱すことなく言った。
「ヒスイを子供扱いしないでください。貴方が熟女好みなのはよくわかりましたから。・・・ご忠告には感謝します。でもご心配なく。城からの使いは皆、返り討ちにして差し上げますから」
くるりと向きを変えオニキスの元から去ろうとしたコハクの腕をヒスイがぐぃっと引っ張った。
「馬鹿!何やってるのよっ!!逃げるよ!お兄ちゃん!!」
「・・・待て」
オニキスは叩かれた頬をそのままに、まるで何事も無かったかのように落ち着いた声で二人を呼び止めた。
「その本は・・・置いていけ」
「・・・バレて・・・ましたか」
コハクはしっかりと脇に抱えたお菓子づくりの本をしぶしぶ本棚に戻した。
「うちのコックが泣くんでな」
「お兄ちゃん!だめでしょ!そういうことしちゃ・・・」
ヒスイは大人びた口調でコハクを叱った。
「オニキス様!」
それまで呆然と事の成り行きを見守っていたインカローズが突然何かに気付いたように声をあげた。
「わかっている。外が騒がしくなってきた。早く行け」
「二人ともこちらへ・・・、裏口がありますので・・・、今ならまだ誰にも見つからずに外へ出られます」
インカローズはすばやく二人の退路を確保した。
二人はオニキスに背を向けて走り出したが、途中でコハクは足を止め振り返った。
「ひとつ聞いてもいいですか?」
「・・・なんだ?」
「何故わざわさ僕たちを呼んだんですか?警告の手段なら他にもあるでしょう?」
「・・・お前たちが聞き分けがなさそうだったから」
オニキスは短く答えた。
「それ、当たってます」
コハクは笑った。
「お兄ちゃん、早く〜!」少し離れたところからヒスイが手招きしている。
「・・・それでは。いずれまた」
コハクは軽やかに身を翻し、ヒスイのもとへ走っていった。
「・・・何が、いずれまた、だ。本でも盗みにくる気か・・・」
オニキスは近くにあった椅子にどっかりと腰を下ろした。
そしてコハクに叩かれた頬に軽く触れた。
「このオレに平手打ちをくらわせるとは・・・な。女みたいな顔をしている割にはなかなかやるじゃないか・・・」
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