夕方、二人は宿に戻った。

ヒスイは相変わらず不機嫌のまま、どかどかと床を踏み鳴らして歩いた。
コハクはなんとかヒスイをなだめようと、ヒスイの好きなミルクティーを入れて、ソファーでふて腐れているヒスイに手渡した。
甘い香りがする・・・。
「・・・お兄ちゃんだけでも行ってきなよ。行きたいんでしょ?私はいいよ。宝石とか興味ないし、子供・・・だもんね」
「ヒスイ・・・」
「私・・・変な病気なのかなぁ・・・。成長止まっちゃう病気」
「そんなことないよ。ヒスイは病気なんかじゃない」
「・・・だってこんなんじゃとてもガーネットと同じ歳だなんて言えないよ。なんか悔しい・・・」
ヒスイは近くの袖机にカップを置くと、ソファーの上で膝を抱え込み唇を噛んだ。


「・・・ホントはね、ヒスイが望めばいつだって大人にしてあげられるんだよ。お兄ちゃんが」


コハクは隣に座ってヒスイの頭を撫でた。
「え・・・?どうやって?」
「それはヒミツ」
コハクは唇に人差し指を当てて笑った。
「できるんなら、してよ。今すぐ、大人に」
ヒスイは口を尖らせて言った。
外ではツンとしているヒスイもコハクの前では驚くほど表情豊かだった。
「う〜ん・・・。それは多分、今は無理じゃないかと・・・」
コハクは軽く腕を組んで唸り声を上げた。
「何よぉ、いつだってできるっていったじゃない」
「できないことはないんだけど・・・ヒスイに嫌われたくないしなぁ」
コハクは心底困ったような顔で、それでも笑顔は絶やさずに言った。
「なんで?私が?お兄ちゃんを??嫌いになんかなるわけ・・・」
普段から振り回されっぱなしだが、兄を嫌いだと思ったことなどヒスイには一度もなかった。
きょとんとした顔でコハクを見る・・・。


「試してみようか」


コハクはくすくすと笑いながらヒスイに右の手を差し出した。
コハクの右の中指には指輪がはめられている。
燦然と輝く太いシルバーの指輪には見た事もないような文字がびっしりと刻まれており、アクセサリーとしてはお洒落なものとは言えなかった。


「これ、外せる?」


コハクはヒスイに指輪をよく見せて言った。
「この指輪・・・いつもお兄ちゃんが肌身離さず付けてるお守りでしょ?」
「お守り・・・っていうか・・・、とにかく自分では外せないんだ」
「外せない?そんなことあるの??」
「うん。だからもしヒスイにこれが外せたら・・・ヒスイの望みを叶えてあげるよ」
コハクはそう言って静かに微笑んだ。
「やってみるっ!」
ヒスイはコハクの手をとり、指輪に触れた。
そして、力いっぱい引き抜こうとしたが指輪は全く動かなかった。
勿論、コハクの指輪がきついということではなく、何か見えない力が指輪をその場所におしとどめようとしているかのように感じた。
「何これ・・・。何か変だよ・・・?」
ヒスイは指輪をいじりながら首を傾げた。


「外せない・・・ね」


コハクは長い睫毛を伏せ優しい眼差しでヒスイを見守っていたが、ヒスイがどう足掻いても指輪がびくともしないのをみてゆっくりと言った。
「うん」
ヒスイも渋々認めた。
「じゃあ、だめ」
コハクは柔らかい口調ながらもきっぱりと言った。
「何それぇ〜?全然わかんないよぉ〜・・・。指輪とどう関係があるっていうの・・・」
「わかるようになるまでこの話はおあずけ。はい、冷めちゃうよ?」
コハクは話を切り上げ、袖机からカップを取ってヒスイに渡した。
「どうせまたいつもの冗談なんでしょっ!」
ヒスイは両手でカップを持ち、ミルクティーをすすった。
コハクは黙って苦笑いをした。



「・・・一緒に行こう。パーティ」
しばらくしてコハクが口を開いた。
「無理だよ」
「無理じゃない。僕に考えがあるんだ」
「また、どうしようもないこと考えてるんじゃないでしょうねぇ〜?」
ヒスイは横目で睨むようにコハクを見た。
「試してみる?今」
「どうするつもり?胸にパンでも詰めろと?」
「・・・・・・」
コハクは少々バツが悪そうに視線を上にやったが、すぐ気を取り直して言った。
「いや、ちょっとした魔法なんだけどね」
「ま・ほ・う?」
ヒスイは興味が湧いたようだ。
「魔法で大人になれるの?」
「うん。ずっとじゃないけど・・・」
「それ、どうするの?」
ヒスイの表情が明るくなった。期待に満ちた目をしている。
「ちょっと待って・・・」
コハクは大きな旅行用の鞄から白いシャツを取り出してヒスイに渡した。
「まずこれに着替えて」
「これ?お兄ちゃんの?」
「うん。ちゃんと洗濯してあるから大丈夫だよ」
「そういうことじゃなくてぇ・・・これ、ぶかぶかだよ?」
ヒスイは着替えの間、背を向けていたコハクに言った。
「たぶんそれくらいじゃないと・・・ね」
コハクはそう言って独り笑いをした後、次の行動に移った。
「じゃあ、目を閉じて」
「?こう?」
ヒスイはコハクの前に立ち、素直に瞳を閉じた。
「動いちゃだめだよ」
コハクはそう言うと、ヒスイの顎に手をかけ、唇を重ねた。


「!!おにいちゃ・・・何す・・・」


「こらこら、暴れないの。お兄ちゃんを信じなさい。動かないで・・・そのまま集中して・・・」
(集中しろって言われたって、初めてのキスなのにぃ〜!あっけなくお兄ちゃんに奪われちゃった・・・ま、いっか。それにしても睫毛長いなぁ・・・お兄ちゃん、やっぱり綺麗な顔してる・・・なんか女の人とキスしてるみたい。変な気分・・・)
「・・・ちゃんと集中して。ヒスイ」
コハクは少し笑って、瞳を伏せた。そしてもう一度ヒスイにキスをした。
「ん・・・」
ヒスイは触れ合う唇に神経を集中した。
唇を通してコハクから何か温かいものが流れ込んでくる・・・。
それが血管を通って体中を巡っていくような不思議な感覚・・・。
(・・・なんか気持ちいい・・・)

パアァァーッ・・・

強い光が二人を包んだ。コハクがゆっくりと唇を離した。
「・・・成功・・・だよ」
コハクは眩しそうに目を細めてヒスイを見た。
「え・・・?えぇ〜っ!?」
ヒスイはまず自分の胸を見て驚いた。にわかに信じ難いほど豊満な胸になっている。
手も足もすらりと伸び、体全体が一回り大きくなったような気がした。
「ホ・・・ホントに・・・大人に・・・なっちゃった・・・」
(これが・・・私??)
ヒスイは鏡を覗きこんだ。そして鏡に映る自分の姿に息を呑んだ。
「・・・綺麗だよ。とても」
コハクがいつになく静かな声で言った。
いつもとは少し違う響きに、ヒスイの胸がトクンと鳴った。
ヒスイはまるでそのことを意識したくないかのように頭を振り、話だした。
「どんな魔法を使ったの?一体・・・。」
「僕の時間を2年ヒスイに貸したの。言ったでしょ20歳になれば・・・って」
「これが・・・20歳の私・・・?」
「そうだよ」
「・・・自分で言うのも何だけど・・・いい体してるわね」
20歳のヒスイはその優美な顔立ちもさることながらスタイルが抜群に良かった。
出るところは出て、締まるところは締まる・・・。色っぽい腰つきの見目麗しい姿をしていた。
「髪が伸びてうっとおしいけど、まあ、いいわ」
ヒスイは無造作に髪を掻き揚げ笑った。
コハクのシャツはやっぱり少し大きかったが、大人になったヒスイの体に妙に似合っていた。
「それにしても・・・よくこんなことできたね」
「簡単な魔法だよ。誰にでも使えるわけじゃないけど」
「私に2年貸してくれたってことは、お兄ちゃんは2年若くなったってことなの?」
「そう」
「全然変わってないね」
「そりゃあ、この歳になれば2年ぐらいじゃ大して変わらないよ」
そう言って一笑してから、コハクはじっとヒスイのほうを見た。
「な・・・なによ」
「パーティ・・・行くよね?」
(・・・・まあ、これでガーネットにひと泡ふかせてやるのも面白いかな)
ヒスイはそんなことを考え「いいよ」と、返事をした。
コハクは喜々として言った。
「お兄ちゃんがエスコートするからね!バッチリ決めていこう!さて、何を着ていこうか・・・」
そしていそいそと荷物の中をあさり始めた。
「ねぇ、お兄ちゃん?」
「ん?」
「これ、戻るときはどうするの?借りていた時間を返すには・・・」
コハクの動きが止まった。
「ええと・・・」
何か言いにくそうな顔をしながらヒスイのほうを見る。
「効果は半日なんだけど・・・もしその前に元に戻りたい場合は・・・」
「・・・まさか、また、するの?」
「うん。しかも今度はヒスイのほうからしてもらわないと・・・その・・・こちらから時間を吸い出すことはできないんだ」
「私のほうから?もうっ!そういうことは最初に言ってよね!!」
ヒスイは赤い顔でコハクに文句を言ったが、さほど怒ってはいないようだった。
「ごめんね」
「・・・じゃ、するよ」
「えっ!?もう!?」
コハクは慌てた様子で言った。
「だって今この姿でいたってしょうがないじゃない。本番じゃあるまいし」
ヒスイは右手を軽く腰にかけさらりと言った。
「でもほら、ドレスの試着とか・・・」
「し〜な〜い〜!」
ドレスを持って立ちつくしているコハクのもとへヒスイはスタスタと歩いていき、ぐいっとコハクの髪を一束引っ張って言った。
「届かないよ。少し屈んで」
そしてめいいっぱい背伸びをして自分からキスをした。
「・・・じゃ、私、本読むから。邪魔しないでね。お兄ちゃん」
「・・・・・・」
コハクは指で軽く唇をおさえ、ぽかんとした顔をしていた。頬が少し赤い。
「・・・こんなはずじゃなかったんだけどな」
コハクは読書に熱中しているヒスイを尻目にぽつりと呟いた。







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