翌日。

「・・・ねぇ、ヒスイ。本当にそれ被るの?」
「当たり前でしょ」
ヒスイはその手に長い金髪のカツラを持っていた。
「だってお兄ちゃんが髪染めちゃだめっていうんだもん」
「そのままだって・・・」
「いやっ!オニキスにも言われたでしょ。この髪がまずいの」
ヒスイはいらただしげに自分の髪を指差した。
コハクは不服そうな顔でヒスイの様子をみていたが、仕方がないと大きな溜息をついた。
ヒスイはコハクの選んだ若草色のドレスに身を包み、用意されたアクセサリーを身に付けた。
さらさらとなびく金髪のカツラは若草色のドレスととてもよく合った。
「・・・なんか別人みたい」と、ヒスイは含み笑いをした。
ヒスイはカツラを被っても際立つ美しさだった。
けれどもヒスイにとってはそんなことよりも銀の髪をすっぽり隠せたことが嬉しかったようだ。
一方コハクは上品ながらも実にシンプルな燕尾服をきていた。
「お兄ちゃん・・・意外と地味だね」
コハクは常にヒスイを飾り立てようとする割には自分の服装はせいぜい身綺麗という程度のものだった。
それでも服の組み合わせや着こなしにはセンスの良さが窺える。
「まあ、顔が目立つからそのぐらいが丁度いいのかも・・・」
コハクはヒスイの話を聞いているのかいないのか、黙ってにこにこしている。
「・・・嬉しそうね」
「うん。だってヒスイをエスコートできるんだよぉ」
コハクの顔は緩みっぱなしだ。
目尻が下がって折角の美形が台無しになっても本人はお構いなしのようだった。
「さて、準備はいい?僕のお姫様」
コハクはヒスイの手をとって軽くキスをした。
(もうっ!お兄ちゃんはよくそういう恥ずかしいセリフを平然と言えるわね!!)
ヒスイはそう思いながらも、なんだか悪い気はしなかった。
「さあ、いこう!」
コハクはヒスイの手を握って歩き出した。
「ヒスイ、ドレスは慣れてないでしょ。躓いたり、転んだりすると危ないからしっかり僕の手を掴んでいてね」



会場はそんなに遠くなかった。
例の宝石店のすぐ裏手にあるいかにも豪華な屋敷がそうだった。
しかし道中、コハク一人でも目立つところをドレスアップしたヒスイと連れ立って、しかも二人手を繋いで歩いていたので注目の的・・・どころではなく周囲に人が集まってくる程だった。
「ああ、もう・・・」
ヒスイはすでに疲れた顔をしている。
「大丈夫?」
コハクが心配そうな顔で覗き込む。
「やっぱり馬車で来たほうが良かったかな?」
「いいよ。たかが宝石展で。すぐ近くなんだし」
二人は屋敷の扉の前に立った。
他の招待客はもう皆会場入りしたようだ。外には従者らしき者の姿しか見えなかった。
「あの、僕達ガーネットさんの招待で・・・」
コハクは近くのドアマンに声をかけた。
「あ!はい!聞いております。コハク様ですね」
ドアマンはヒスイに見とれていたらしく、コハクの声に驚いてあたふたと扉を開けた。
「あの・・・そちらの方は・・・?」
妹です、とヒスイが口を開きかけた瞬間、
「僕の恋人なんですけど」と、コハクが躊躇いもせず言った。
「ああ、そうですか。どうぞ・・・」
ドアマンは少しがっかりした様子で二人を中に通した。
「ちょっとお兄ちゃん!何言ってるのよ!」
ヒスイは小声でコハクに詰め寄った。
「このほうが都合がいいんだ。うまく話を合わせて・・・」
コハクも小声で返した。ヒスイはちゃんと打ち合わせをしてこなかったことを後悔した。


「コハク様!!」


中に入るや否やガーネットが早足で寄ってきた。
後ろに何人も招待客らしき人物を引き連れていたが、みんな女性だった。
ガーネットはヒスイには目もくれず、恍惚とした表情でコハクに魅入っている。
「本日はお招きありがとうございます」
コハクは丁寧にお辞儀をした。
「まあ、素敵!この方どなた??」
ガーネットの後ろの集団が色めきだった。
「あの、紹介します。僕のこ・・・」
今度はコハクが言葉を遮られる番だった。
ヒスイを傍に寄せて紹介しようと手を伸ばしたが、それすら届かず、コハクはあっという間にガーネット率いる女性軍に囲まれてしまった。
気がつけばヒスイは完全に蚊帳の外となっていた。



「・・・まったく、何なのよ」
ヒスイはドレスの裾につまづき、何度も転びそうになりながらその場を離れた。
ひとりにされた怒りもあったが、人が苦手なヒスイにはホッとする気持ちもあった。
(お兄ちゃんだって・・・いつも私のお守りじゃ可哀相だもんね・・・。あんなにモテるんだから。でも・・・お兄ちゃんに恋人ができないのってたぶん私のせいなんだよね・・・。いつまでも大人にならない私がいるから・・・)
「!!何て私らしくもないことを!!」
ヒスイははっとしてぶんぶんと頭を振った。


「・・・こんなところで何をしている?」


不意に聞き覚えのある声がした。
ヒスイはギクリとして恐る恐る振り向いた。
「オニキス・・・」
案の定声の主はオニキスだった。偉そうな態度は相変わらずだ。
「お前・・・」
ヒスイはしまった、と思った。この姿では初対面だったはずだ。
それなのに名前を・・・しかも呼び捨てにしてしまった。
慌てて口を押さえたが、その態度がますますオニキスに不信感を与えた。
(大丈夫よっ!ヒスイ!落ち着いて・・・歳も髪の色も全然違うんだからわかりっこないわ!!)
ヒスイは自分に言い聞かせた。
「・・・カツラがずれている様だが」
オニキスは皮肉たっぷりに言った。
「!!」
オニキスの言ったことは本当だった。
先程、強く頭を振ったせいでヒスイのカツラがずれていた。そこからぱらりと銀の髪が覗く・・・。
ヒスイは慌ててカツラを戻したが、明らかに狼狽えていた。
「な、なんのことですの!?」
何故かガーネットのような話し方になっている。
「まだ、シラを切るか・・・」
「シラを切るも何も・・・」ヒスイは必死で頭を回転させた。
「私、ヒスイの姉ですの!!」そして唐突にそう口走った。
「姉、だと?」
オニキスは一瞬呆気に取られたような顔をした。それから笑いをこらえながら口元を歪ませて言った。
「では、そういうことにしておこう。それで・・・名前は何という?」
「名前!?えぇと・・」
「どうした?自分の名前を忘れたか?」
「ぺ・・・ペリドット!!と申しますっ!」
ヒスイは頭に浮かんだ名前を言った・・・というより叫んだ。
「ぺリドットとは・・・変わった名だな・・・」
オニキスはクックッと笑い声を洩らしている。
(・・・絶対バレてる・・・。この人やっぱり性格悪い・・・)
「で、では私はこれでっ!」
ヒスイはそそくさとその場を立ち去ろうとした。
その瞬間、オニキスに腕を掴まれた。
何するのよ!と突っかかる間もなくオニキスが無理難題を吹っかけてきた。


「ペリドットとやら、私と一曲いかがかな?」


オニキスがにやりと笑う。
「ええ!喜んでお相手しますわっ!!」
ヒスイは喧嘩腰になって答えた。
(こうなったらとことんやってやる~!!どうせ私に恥をかかせようとして踊りに誘ったんでしょうけど、目にモノみせてやるわよ!!!)
二人は連れ立って会場の広間に入った。
広壮なフロアにピアノの生演奏・・・。
それは優雅な空間だった。先程は女性客しか目に付かなかったが男性客もちらほらといた。
その真ん中でコハクが女性陣に囲まれ、困り果てた顔をしている。
(なまじ紳士なだけに冷たくあしらうって事ができないのよね、お兄ちゃんは)
ヒスイはそんなコハクの様子を垣間見た。
(・・・なんか、面白くない・・・)
ヒスイはブスッとした顔のままオニキスに視線を戻した。
オニキスも黙っていれば美青年だ。コハクとは正反対の。
(口を開けばただの皮肉王子だけどね)
「・・・手を」
オニキスは瞳を伏せてヒスイの手をとった。
人目のあるところでは驚くほど紳士的だったので、今度はヒスイが笑いを堪えた。


二人はピアノの曲に合わせて踊りだした。
優雅な空間に相応しく流れるような動作がとても美しかった。その流麗な姿は周囲の視線を釘づけにした。
ひとり、またひとりと視線が注がれていく・・・。
「あ・・・みて!オニキス様よ!!」
コハクを囲む若い女性のひとりが言った。
「まぁ・・・オニキス様がダンスをなさるなんて・・・。初めて拝見しましたわ・・・。なんてお上手・・・」
皆、口々に呟いてオニキスを見た。しかしガーネットだけは目もくれずコハクにべったりだった。
「それであのお相手の方は・・・、まあ、なんて華麗な・・・」
人々の視線はヒスイにも注がれた。
ヒスイは堂に入って美しく、完璧なダンスをしていた。
(当たり前よ。お兄ちゃんにうんざりするほど仕込まれたんだから!)
羨望の視線を無視してツンとした顔で踊り続ける・・・。
「・・・意外だな。ここまで踊れるとは」
オニキスが耳元で囁いた。
「お生憎さま」
ヒスイは作り笑いをして言った。ペリドットのふりをするのをもうすっかり忘れている。
「ところで王子様が何故ここに?」
「・・・少々石に興味があってな。お前の兄と同じだ、ヒスイ」
オニキスはダンスの合間に力強くヒスイを引き寄せ言った。
「肉体を一時的に成長させる術があるのはオレも知っている。こんなところで油を売ってないで、さっさとこの町から消えろ。でないと・・・」
オニキスがそこまで言った所で、曲が終わった。
それと同時に拍手が起こった。いつの間にか人だかりができている。
オニキスはスッとヒスイから離れ、別れの挨拶にヒスイの手の甲にキスをすると、くるりと向きを変えスタスタと去っていった。
(・・・でないと?何だろう??)
ヒスイはオニキスの言葉の続きが気になった。
後を追って聞き出そうと走り出した瞬間、コハクと目が合った。
オニキスの登場でなんとか女性陣から解放されたコハクは真っ先にヒスイの元を目指した。
ヒスイもコハクの元へ一旦戻るつもりで動きを止めたが、コハクの隣にガーネットがいるのを見てなんとなく嫌な気分になり、そのままコハクから視線を外しひとりでオニキスの後を追った。



ジリリリ~!!!

その時だった。屋敷中に警報器の音が鳴り響き、屋敷の警備人達が騒ぎ出した。
広間にガーネットの執事と思われる初老の男が現れ動揺した様子で言った。
「お嬢様!!宝石が盗まれました!!」
「なんですって!?」
宝石は広間の上の階に並べて展示されていた。
上の階へは窓際に設置された階段から気軽に行けるようになっていた。
人々はパーティを楽しみ、時には宝石の鑑賞をして・・・といった具合に自由に行き来していたのだった。
けれども今は会場中が大騒ぎになっている。
「どうやらファントムの仕業のようです!!」
執事の男が大声で言った。
ファントムとは最近巷で話題の義賊の呼び名だった。
その姿を知るものはなく、単独犯か複数犯かさえ謎だった。
誰ひとりとして姿を見たことがない義賊の名は、いつしか亡霊・・・ファントムと言われるようになった。
「コハク様!危険ですからどうかこちらに!」
ガーネットは金切り声で言った。
「すみません。彼女を追わなければ」
コハクはガーネットの制止を振り切り公言した。
「僕の恋人なんです」
唖然とするガーネットを後にし、コハクはまっすぐヒスイの後を追った。
「なっ・・・何ですのっ!?コハク様に恋人!?聞いてませんわよっ!!」
ガーネットにとっては宝石が盗まれたことよりもショックなようだった。
「く・・・くやしいですわっ!!でも私、あきらめませんわよ~っ!!!」






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