「・・・また命令違反」
薪で暖をとっているコハクに向かってシンジュが言った。
ヒスイはコハクにもたれかかってうとうとしている。
コハクは濡れてしまったヒスイの長い髪を丹念に乾かしている最中だった。
「うん。わかってる」
「一体いくつ命令を無視すれば気が済むんですか。あなたは」
「う〜ん・・・」
コハクは半分笑いながら唸った。
「まったくもう」
「ねぇ、シンジュ。メノウ様取られたみたいで寂しい?」
コハクはヒスイを抱きしめてみせた。
ヒスイは完全に寝入ってしまったらしく、安心しきった顔ですぅすぅと寝息をたてている。
「なっ・・・何バカなこといってるんですかっ!!!」
シンジュは真っ赤な顔で怒った。
「さっきずいぶんと寂しそうな顔してこっちみてたくせに」
「あれはっ!!昔を思い出して・・・」
「生きうつしだもんなぁ。ヒスイは。メノウ様に。でもあげないよ」
「いりません!!」
青筋を立てて怒るシンジュに冗談だよ、と言ってコハクは笑い、言葉を続けた。
「シンジュは本当にメノウ様を崇拝していたもんねぇ」
「当たり前です!私はメノウ様にお仕えできたことを今でも誇りに思っていますっ!!」
シンジュは憤慨して激しい口調になっていたが、急に静かになってぽつりと言った。
「・・・だけど、守れなかった・・・」
「シンジュ・・・」
「あの戦いに私ではなくあなたを連れて行っていれば・・・メノウ様は生きていたんじゃないかと・・・」
「それはありえないよ。僕は絶対にヒスイを置いて戦いに行ったりしない。メノウ様もそれが判っていたから、僕に何も言わなかった」
「・・・ヒスイ様が産まれてから、あなたは変わった」
「うん」
「ヒスイ様にかかりきりになって戦いを放棄した。あんなに強い力を持っていたのに・・・。やることと言えば料理、洗濯、ヒスイ様のおしめ替え・・・」
「楽しかったよ。とても」
コハクは誇らしげに笑った。
「そしてそれをメノウ様も許していた」
「メノウ様もヒスイを溺愛していたからね、ヒスイの事に関しては取り合いだったよ」
コハクはヒスイの幼い頃を思い出して、鼻の下を伸ばした。美しく整った顔が思いっきり緩んだ。
「過ぎてしまった事を考えていても仕方がないよ。君は昔から少し真面目過ぎる」
「あなたが不真面目過ぎるんですっ!!」
シンジュも昔話をしているうちに落ち着きを取り戻した。
「それよりさっきヒスイ様泣いていたみたいですけど、泣かない、なんて啖呵切ってたの誰でしたっけ?」
シンジュは鋭く突っ込んでくる。
「あ〜・・・。え〜っと・・・それは・・・」
「何ですか?」
先刻のお返しとでも言うようにコハクに詰め寄る。
「・・・僕が泣かせました。すいません」
コハクは少しの間、上の方を見て言い訳を考えていたが最後には素直に謝った。
「ホントに勘弁してくださいよ。ヒスイ様を泣かせるのは」
「気をつけます・・・」
シンジュの厳しい物言いにコハクは語気を弱めて自信がなさそうに答えた。



翌朝。

ヒスイはコハクの腕の中で目を覚ました。
軽く寄りかかってうとうとしていたはずが、気がつけばコハクの腕を枕にして熟睡していた。
瞳を開けるとコハクの顔がすぐ近くにあった。
(お兄ちゃん・・・まだ寝てる・・・)
「起こそうとしても無駄ですよ」
シンジュは薪の燃え残りの向こう側にいた。
「まさかまた・・・」
ヒスイは表情を曇らせた。
「そういうことです」
シンジュが淡々と答える。
「とにかく、コハクが目を覚ますまで動かないほうがいいでしょう」


「うん・・・。でもなんか・・・気配がしない?」


ヒスイは緊張した面持ちで辺りを見回した。
「こんな時に限って・・・。見計らったように・・・」
シンジュは指を噛んだ。
「いいですか!ヒスイ様!私から離れないでください!!」
「戦いになるの!?私戦ったことなんて・・・!!」
「来ましたよっ!!!」
ヒスイの言葉を遮って正面から突風が吹いた。
「きゃっ!」
ヒスイとシンジュはなす術もなく後ろに吹き飛んだ。
「・・・立て」
(あれ?この声・・・!?)
ヒスイの目の前に黒のフードを被った人間が舞い降りた。
男か女かはわからない。全身を黒いマントで覆っている。
コハクよりは小柄だったが、ヒスイからみれば背の高いほうだった。
(村で聴いたあの声!!死霊と出くわした時の!!)
ヒスイは思い出した。今聞いた声とあの時頭に響いた声が一致した。
「あなた誰?」
ヒスイは起き上がりながら、気丈にもそう尋ねた。
「・・・我は森の番人。何人たりともこの森に入ることは許さぬ」
森の番人はそう答えるや否や、ヒスイに向かって手を振り翳した。
そこから真空波のようなものがヒスイ目がけて飛び出した。
「ヒスイ様っ!よけてっ!!」
ヒスイはかろうじて直撃を免れたが、掠った太腿が切れ血が流れた。
「何これ・・・」
「かまいたちです。相手もどうやら精霊使いのようですよ。どうします?」
「とにかくお兄ちゃんの周りに結界を!」
「はい!」
シンジュは言われた通りピクリとも動かないコハクの周囲に結界を張った。
「・・・余裕だな」
それを見て番人は再び手を振り翳した。
番人の攻撃はヒスイに集中していた。今度は連続でかまいたちが飛んでくる・・・。
「ヒスイ様っ!!」
ヒスイは意外にも軽い身のこなしでかわし続けた。
かまいたちはヒスイに一発も命中しなかったが、風圧でヒスイの肌を切り裂いた。
あっという間にヒスイの体は裂傷だらけになった。そこからじんわりと血が滲む・・・。
「身のこなしは悪くない・・・がこれではどうだ・・・?」
突如、ヒスイの足元の地面が盛り上がった。ぼこぼこと人の手のようなものが現れヒスイの足首を掴んだ。
「!!」
ヒスイは体勢を崩し、思いっきりその場にしりもちをついた。そこにかまいたちが飛んでくる。
「ヒスイ様!!」
シンジュは駆け寄りヒスイに手を伸ばした。
「盾をイメージしてください!!」
「盾!?」
ヒスイはとにかく丈夫な盾をイメージした。

バシイッッ!!

間一髪、シンジュは純白の丸い小さな盾となりかまいたちを防いだ。
「シンジュっ!!痛くないの!?」
「何暢気なこと言ってるんですかっ!!直撃の瞬間に風の精霊魔法を中和したんですよ!だから大丈夫ですっ!!」
「さすがは光の精霊だ」
番人はすぐ近くまできていた。
「だが・・・主人のほうは全く使い方がわかっていないようだな・・・」
「余計なお世話です。ヒスイ様、構えて」
番人の言葉にシンジュが返答した。
ヒスイは言われるがままシンジュの盾を構えた。
「火・水・風・土属性の攻撃ならこれで殆ど防げます。ただし、正面のみです。コハクが目を覚ますまでこれで時間を稼いでください!」
「・・・甘いな」
番人はパチンと指を鳴らした。
ボッ!と音をたてて番人の人差指に炎が灯った。
その炎を吹き消すようにフッと息を吹きかけると、逆に炎は大きくなりたちまち燃え上がる四本足の肉食獣の姿になってヒスイに襲いかかった。
シンジュの盾で防げたのは正面から獣がぶつかってきた最初の一回だけだった。
メラメラと燃える獣は素早い動きで盾を構えるヒスイの背後をとり、ヒスイが振り向くより早くその炎の牙でヒスイの肩に噛み付いた。
ヒスイはシンジュの盾を落とし、飛びかかられた勢いで地面に倒れ込んだ。
そのとき・・・一筋の光が炎の獣を真っ二つにした。
獣はギヤァ、と短い悲鳴をあげ跡形もなく消え去った。
「お兄ちゃん!?」
「ヒスイ!!」
コハクは剣を放り投げ、片膝を付いてヒスイを抱き起こした。
「いてて」
ヒスイは肩を押さえた。傷口はひどい火傷になっていた。
「それよりシンジュは・・・」
「私なら大丈夫です」
シンジュは元の姿に戻っていた。
「さっきから言っているでしょう?本来、四大精霊など私の相手ではないんですよ!私のことより御自分の心配をなさってください・・・まったく情けない・・・」
シンジュは憎まれ口を叩きながらヒスイの傷口に手を翳した。ヒスイの傷口がみるみる塞がっていく・・・。
「・・・気の毒に。天下の光の精霊殿もこの有様か。無様だな。弱き者に、この先へ進む資格はない。退け!!」
森の番人はそう言い残すとフッとその場から消えた。
「ごめんね、ヒスイ」
コハクはがっくり肩を落としてうなだれた。
「こんなときに目が覚めないなんて・・・」
「お兄ちゃんのせいじゃないよ」
ヒスイはきっぱりと否定した。
「でも私・・・このままじゃ足手まといになるね。今まで自分が戦うことなんて考えたこともなかったけど、せめて自分の身を守れるぐらいにはならないと・・・」
「全くです。格下相手にあんな目にあわされるとは・・・心外です」
シンジュはとても悔しそうに肩を震わせて言った。
「シンジュって負けず嫌いなのね・・・」
ヒスイがボソッと言葉を漏らした。
「ええ!そうです!負けるのは大嫌いです!!だから早く何とかしてくださいよっ!!」
シンジュは自暴自棄になって叫んだ。そこにコハクが割って入る。
「まぁ、まぁ、そんなにカッカしないで・・・ね?シンジュ」
「誰のせいだと思ってるんですか!!そもそもあなたがちゃんとヒスイ様に戦い方を教えておかないから・・・」
「そうだ!お兄ちゃん!教えてよ!」
ヒスイは期待に満ちた眼差しでコハクを見た。
コハクはぶんぶんと首を横に振った。
「無理だよ。ヒスイに剣を向けるなんてできない。もし怪我でもしたら・・・」
「ほほぉ・・・。そういう理由で今まで避けてきたんですか」
シンジュはぴくぴくとひきつった顔でコハクを責め立てた。
「でも魔法理論は教えてもらったよ!ちゃんと!」
ヒスイはコハクを弁護した。
「そうだ!カーネリアンに頼んでみようかな?」
ヒスイの脳裏にカーネリアンの姿が浮かんだ。
「そうですね。コハクはあてになりませんからね!彼女にお願いして少し鍛えてもらったほうが良いと思いますよ」
「うん。じゃあ、行ってみよう!」
シンジュの怒りが静まって、ヒスイもコハクも胸を撫で下ろした。
「そうですね。ヒスイ様の傷口も塞がったことですし・・・ね」

ドサッ!

シンジュはいきなり倒れた。
「あ・・・。寝ちゃった・・・」
「だろうね。相当力を使ったはずだから・・・。しばらく目覚めないかもしれないよ」
コハクはひょいとシンジュを背負った。
「シンジュには迷惑かけてばっかりだなぁ、私・・・」
「大丈夫だよ。何だかんだ言っていてもシンジュは世話好きだから」







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