カーネリアンのところへはヒスイの描いた魔方陣で一瞬にして移動することができた。
移動魔法は得意分野らしく一度行った事のある場所にはほぼ確実に使用できるのだった。
「ヒスイじゃないか!」
カーネリアンはまだ森のなかのアジトにいた。ちょうど仕事がひとつ片付いたところだという。
「おや。この子はまた寝ているのかい」
この子とはシンジュのことだ。
「最高位の精霊様もこれじゃあなぁ・・・」
「そのことなんだけどね、カーネリアン・・・」
ヒスイはカーネリアンに精霊の森での戦いがいかに情けないものであったかを話した。
「あっはっはっ!!まぁ、そんなもんだろうよ!」
カーネリアンはあっけらかんと言った。
「だってアンタ、戦いに関しちゃ素人なんだろ?」
「うん。今まで戦う必要なんて全然なかったもん」
「だろうなぁ。で、少しはマシになりたいって、アタシのところにきたのかい?」
「うん。護身術ぐらいは身に付けなきゃって思って」
「アタシは厳しいぞ。まぁ、アンタには借りがあるからね。いいよ。特訓してやる。明日の朝アタシのところに来な。今日はまぁ、休むんだね」
カーネリアンはいつものようにヒスイの頭をくしゃくしゃに撫でた。
「よぉ!」
「この声は・・・」
コハクは少年の声に振り向いた。
それは紛れもなくコハクの髪を切り落とした張本人ヘリオドールだった。
以前と変わらずヘリオドールの周囲には狼達がウロウロしている。
「この間はありがとな!あれ、すっげ〜いい金になった」
「そうでしょ?」
コハクは笑顔で応えた。
「あれ?この子、お兄ちゃんの髪を持っていった・・・」
ヒスイがコハクの後ろから顔を出した。
「お・・・」
ヘリオドールはヒスイを見るなり瞳を輝かせた。
「スゲェ・・・綺麗な髪だなぁ・・・。超レア」
「・・・自分とその可愛いお友達の命が惜しかったら、変な考えを起こさないように」
コハクはすれ違い様、ヘリオドールを低い声で牽制した。勿論、ヒスイには聞こえていない。
「おぉ、コワ〜・・・。アイツ“何”だよ・・・。お前達もあの銀髪の女にはちょっかいだすなよ」
ヘリオドールは狼達を撫でながらそう言い聞かせた。
その夜、ヒスイとコハクは浴室にいた。
古城の浴室は広かったが寂れていた。
とても使用できるような状態ではなかったものの、コハクが半日がかりで掃除と修理をしてなかなか立派な浴室になった。
コハクは洗髪用石鹸で丁寧にヒスイの髪を洗っていた。
「お兄ちゃん、髪伸ばさないの?」
ヒスイは昼間ヘリオドールに会ったことであの事件を思い出し、くすくすと笑いながらコハクに尋ねた。
「うん。伸ばさない」
「どうして?似合うのに・・・」
「だってヒスイ、髪が長いと男扱いしてくれないでしょ。だからもう伸ばさないよ」
コハクは微笑みながらもきっぱりと言い切った。
ちえ〜っ。といってヒスイも笑った。
「もともとはメノウ様の命令だったんだ」
「お父さんの?なんでまた・・・」
「わからない?こういうことにならない為に伸ばせって言ったんだ」
「・・・なるほどね」
ヒスイは少し赤い顔をして聞いていた。
「お兄ちゃんは髪伸ばすとホント女の人みたいだもんね。しかも絶世の美女。まぁ、今でも大差ないかな。顔が変わったわけじゃないしね」
ヒスイがからかうようにそう言うと、コハクはむぅ・・・と唸った。
「ヒスイに異性を意識させるな、って。メノウ様に散々言われてたから」
「あはは!じゃあ、命令違反だね」
「うん。命令違反・・・しちゃった」
二人の楽しそうな笑い声が浴室に響いた。
翌朝。
ヒスイは半ば泣きそうな顔でカーネリアンの元を訪れた。
「なんだい、そんな顔して」
「お兄ちゃんが・・・また起きないの。ここのところずっとそうなの・・・」
「・・・コハクがあと半年弱って言ったのかい?」
カーネリアンは聞かずとも事情を察していた。
ヒスイは深く頷いた。
「コハクの言っている事は嘘じゃない。だけどそれは力を全く使わなかった場合の話で・・・コハクはたぶんアンタが産まれるまではかなり力を行使してる・・・」
「!!じゃあ、お兄ちゃんは・・・」
ヒスイは不安を隠せないようだった。
「心配すんな。そう簡単に消えやしないさ。さ、行くよ」
カーネリアンはヒスイの頬を軽くぺちぺちと叩いた。
「考えすぎるなよ、ヒスイ」
「わかってる・・・けど・・・」
ヒスイはそのまま黙ってしまった。
その日の特訓は最悪だった。
カーネリアンの得意とする体術の練習だったがカーネリアンの攻撃が全く避けられず、殴られるだけ殴られてしまった。
それだけに留まらず、何もないところで転んだり、魔法を使えば失敗して自分に返ってきた。
ヒスイはあっという間に見るも無残な姿になっていった。
「ああ、もう!しっかりしなよ!」
ついにはカーネリアンも心配になって拳を引いてしまった。
「こんなんじゃ特訓にならないよ。さっさとコハクの所に戻りな」
ヒスイがとぼとぼと部屋に戻ると、コハクは目を覚ましていた。
「ごめんね。また起きられなかった」
コハクは少し寂しそうに笑った。
「お兄ちゃんっ!!」
ヒスイはコハクに駆け寄って強く抱きついた。
「ヒスイ!?どうしたの!?こんなにぼろぼろになって・・・」
コハクは汚れて傷だらけのヒスイを見て驚き、すぐさまヒスイを抱き上げて浴室に連れていった。
コハクは大人になったヒスイも軽々と抱き上げることができた。子供の頃と変わりなく。
「こんなにあちこち傷だらけになって・・・」
コハクはヒスイの服を脱がせて、体中の傷を調べた。
「あ・・・これはちょっと躓いて転んで・・・」
ヒスイは沈んだ声で答えた。
「・・・・・・」
コハクは疑っているようだった。
「ヒスイ、後ろ向いて」
「・・・・・・」
ヒスイは素直に後ろを向いた。
「・・・背中にも傷、あるね」
「ちょっと呪文で失敗して・・・後ろに吹き飛んじゃって・・・木にぶつかったの。それだけだから」
「・・・・・・」
ヒスイの言っている事は本当だった。
しかしコハクはどんな理由にしろヒスイの体が傷だらけというのが気にくわなかった。
「ごめん・・・。ヒスイにばかり大変な思いをさせて・・・」
コハクはいつになく真面目なトーンで言った。
そしてゆっくりとヒスイの傷に指を伸ばし・・・けれども傷口には触れずそのまま両手で後ろからヒスイを抱き締めた。
「自分で決めたことだもん。それにほら、後に残るような傷じゃないし・・・平気!平気!お兄ちゃん大げさだよ」
ヒスイは胸の痛みを堪えながら明るく笑って言った。
ヒスイの傷は本当にたいしたものではなかったが、陶器のような白く滑らかな肌に血が滲んでいるのをみると、痛々しく思えるのだった。
「そうかもね」
コハクは苦々しい顔をして答えた。
「でも・・・いやだ」
「!?」
コハクはヒスイを強く抱いた。身動きが出来ない程強く・・・。
そして強引にヒスイの傷口に唇を押し当てた。するとそこから瞬時に傷が消えた。
「やっ・・・!!お兄ちゃん!何してるの!?やめて!!」
ヒスイは叫んだ。コハクは耳を貸そうともせず、ひとつひとつ唇をあててはヒスイの傷を治していった。
「やめて・・・魔法を使わないで・・・お願い・・・」
ヒスイは必死で抵抗したが、コハクの力はとても強くどうすることもできなかった。
コハクに押さえつけられながら、ヒスイはぽろぽろと涙をこぼした。
「・・・そんなにかわらないよ。たいした魔法じゃない」
コハクはそう言って、どんなにヒスイが暴れても体に傷がひとつもなくなるまでキスをやめなかった。
「また・・・泣かせちゃったね」
コハクはヒスイを解放した。ヒスイは裸のままコハクの前に立った。
「お兄ちゃんのバカ・・・。一秒でも長く一緒にいたいのに・・・どうしてこんなことするの・・・!?」
「・・・・・・」
コハクは口を噤んだ。
「・・・嫌だよ。お兄ちゃんと離れるの」
ヒスイはぽつりと言った。するとずっと我慢していた気持ちがとめどなく溢れてきた。
「本当は・・・すごく怖いよ・・・。また会えるって思っていても・・・やっぱり怖い」
「・・・うん」
「どこへだっていくよ。お兄ちゃんと一緒なら・・・どこだっていい。私も連れていって・・・。やだよ、消えちゃうなんて・・・お兄ちゃんがいなかったら・・・私・・・」
ヒスイはそこまで言うと両手で顔を覆ってわんわんと泣きだした。
「・・・よく今まで我慢したね、ヒスイ。ヒスイが本当はとても寂しがり屋で泣き虫なのは、僕が一番知ってるよ。ごめんね。つらかったでしょ」
「そんなこと・・・」
ヒスイは歯を食いしばって涙を止めようとしたが、すべてを見透かすようなコハクの視線の前には無駄な努力で終わった。
「う〜っ・・・」
コハクは泣きじゃくるヒスイを優しく抱擁した。
そしてヒスイの髪に顔を埋めた。
「お兄ちゃん・・・顔、見せて」
しばらくして、ヒスイが口を開いた。
「お兄ちゃんに・・・こんな顔させたくなかったのにな」
ヒスイは赤く腫れた目を細めて弱々しく笑った。
「・・・するに決まってる。僕だって・・・ヒスイと同じだよ」
コハクは苦しそうな表情で瞳を伏せた。
「お兄ちゃん・・・」
「おいで・・・。安心させてあげる」
コハクはヒスイが落ち着いたのをみると大きなバスタオルでヒスイを包み込んだ。
そしてまた軽々とヒスイを抱き上げ、そっとベッドまで運んだ。
「僕はまだ消えない」
コハクはそう言ってヒスイの頬にキスをした。
「さっきはごめんね。無理矢理だったから・・・怖かったでしょ」
「お兄ちゃん・・・私・・・」
「ん?」
「いっぱい泣いてすっきりしちゃった」
ヒスイは絶え間なくコハクのキスを受けながら、一生懸命話しだした。
「あのね、私、幸せだよ。この胸の痛みも全部、その幸せの一部なの。私は泣き虫だから、泣くこともあるけど、それは決して不幸なことじゃない。泣くだけ泣いたら、きっとまた笑えるようになるから。だって、いつだって幸せなのには変わりないもん。大丈夫だよ」
「大丈夫」
ヒスイはコハクの耳元で繰り返した。
「・・・これじゃあ、どっちが慰められているのかわからないな」
コハクはヒスイの肌に唇を当てたまま苦笑いした。
雨が降り出した。まだ昼過ぎだったが、外は薄暗い。
ヒスイはベッドの脇のランプに火を灯した。
(雨って嫌いじゃない。外の空間が閉ざされてこの部屋がたったひとつの世界みたいに感じるから。誰からも、何処からも、干渉されない二人だけの世界・・・)
そしてヒスイは再び眠るコハクの隣に横たわった。
ヒスイは隣で眠るコハクの頬を指で軽くつついた。
「・・・コ・ハ・ク」
一度言ってみたかった言葉をこっそり呟く・・・。
「え・・・?今なんて・・・」
コハクはひどく驚いた顔をして何度も瞬きしながら起き上がった。
「!!お兄ちゃん、起きてたのっ!?」
ヒスイは火を噴きそうな勢いで顔を真っ赤にした。
「ひょっとして今、名前で呼んでくれたの?“お兄ちゃん”じゃなくて・・・」
「知らないっ!!やっぱりお兄ちゃんはお兄ちゃんでいいもんっ!!」
「ヒスイっ!」
破顔一笑。コハクは顔をほころばせてぎゅっとヒスイを抱き締めた。
ヒスイはますます赤くなった。
「だ・・・だってお兄ちゃんとはこんなことしないでしょ。だから・・・呼んでみたのっ!!」
「うん。うん。もう一回呼んで」
「やだよ。恥ずかしいもん」
「お願い。ヒスイ」
コハクは甘えた声でヒスイにねだった。
「ヒスイにとってはずっと“お兄ちゃん”なのかな、と思っていたから・・・。実はすごく嬉しい・・・。だから呼んで・・・もう一度・・・」
「コハク」
ヒスイは大きく息を吸ってから、はっきりした声で呼んだ。顔はまだ赤いままだった。
「・・・なんか好きって言ってもらった時と同じくらい嬉しいかも」
コハクは口元を押さえて赤くなった。
「好きって言った時より恥ずかしいかも」
ヒスイも両手で顔を隠した。
「ヒスイ、牙でてる」
コハクはくすくすと笑った。
「ヒスイは感情が高ぶるとでるんだよね、牙が」
「え?そうなの??」
「うん。あれ?気が付いてなかった?いつもでてるよ、牙。でね、最後はすごぉく可愛い顔するんだ。あの顔が見たくてつい羽目を外しちゃうんだよなぁ・・・」
コハクは含み笑いをした。
「知らないよっ!そんなの!!」
ヒスイはまた耳まで赤くなった。
「絶対、人には言わないでよ!それ!!」
ヒスイは牙を剥き出しにして怒鳴ったが、いつもの如く本気ではなかった。
「うん。勿体無いから誰にも言わない」
「なら、いいよ。お兄ちゃんの好きな顔いっぱい見せてあげる」
二人は額を合わせ指を絡めた。
そのあとお互い少し照れたような顔でとても幸せそうに笑った。
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