ヒスイは意識を取り戻さないうちに熱をだした。
「しょうがないねぇ・・・今度は熱かい」
カーネリアンはそう言いつつも甲斐甲斐しくヒスイの世話をした。
シンジュとオパールもしょっちゅう首を突っ込み、三人はかわるがわるヒスイの顔をのぞきこんだ。
ヒスイは熱にうなされ、うわ言を言い続けた。
「おにいちゃん・・・おにいちゃん・・・」
「下がりませんね、熱・・・」
シンジュは心配でたまらないらしく四六時中ベットの周りをうろうろしていた。
ヒスイが熱をだして三日目の朝方のことだった。
誰がヒスイに付き添うかで散々モメた末、勝利を勝ち取ったシンジュは一晩中、水枕をかえたり、汗を拭いたりしながら、ヒスイのうわ言を聞き続けた。
「そんなに・・・コハクが恋しいですか・・・?」
シンジュは聞こえるはずもないと思いながら、声をかけた。
「・・・シンジュ?」
ヒスイは弱々しい声で答えた。
「ヒスイ様!!」
「・・・お兄ちゃん、いっちゃったね・・・」
ヒスイは上体を起こした。熱のせいで顔がほんのり赤くなっている。
「ここからが頑張りどころですよ。ヒスイ様」
シンジュはいつになく優しくいたわる様な声で言った。
「・・・少しだけ泣いてもいいかな?」
「どうぞ」
「・・・お兄ちゃんはね、お父さんで、お母さんで、時にはお姉ちゃんで・・・何でも話せる親友で・・・私の最初で最後の大切な恋人。すべてだったの。私の世界のすべて。だから・・・涙が止まらないの・・・きっとまた会える。そう思っても今はやっぱり悲しくて・・・」
ヒスイは大粒の涙を流しながら、とぎれとぎれにそう語った。
シンジュは黙って聞いていた。
そのあとヒスイは泣いて泣いて涙が出なくなるまで泣き続けた。
「もう涙もでないや」
ヒスイはぱちぱちと瞬きをしながら軽く笑った。それを見たシンジュは安堵の表情を浮かべた。
「気が済みましたか?」
そう言って涙を拭くための柔らかい布をヒスイに渡した。
「うん。熱も下がったみたい」
「発散したのが良かったんですかね」
シンジュから笑みがこぼれた。
「初めてみた・・・。シンジュの笑い顔・・・」
「べ・・べつに笑ってなんかっ!!」
シンジュは慌てて顔を引き締めた。
ヒスイは腫れ上がった瞼で細くなった目を更に細くして笑った。
「元気になられたのなら顔でも洗ってきたらどうですか!?化け物のようなすごい顔してますよっ!!」
「・・・化け物は余計よ」
照れ隠しに声を荒げるシンジュにヒスイは口を尖らせて抗議した。
昼になる頃には瞼の腫れも引き、ヒスイの目も元の大きさに戻ってきた。
「今までは別れの時が来るのが怖くてよく泣いたけど、これからは違う。これから訪れるのはもう別れじゃなくて再会だもん。泣く必要なんてないよね」
ヒスイは着替えながら力強く言った。
鮮やかなコバルトグリーンの瞳には強い意志が満ちて、より一層輝きを増していた。
「お兄ちゃんは待っててって言ったけど、じっとしてなんかいられない。行動開始よ!シンジュ!!」
ヒスイはとてもラフな格好をしていた。
コハクといるときはレースの付いたワンピースを着ていることが多かったが、ヒスイが自分で選んだ服は下着と大差ないキャミソール・・・しかも丈が短くお腹が隠れていない。
下はデニムのような硬い生地のハイショートのタイトスカート。
それにロングブーツを合わせて、シンジュのロザリオはブレスレットのように細い手首にぐるぐるときつく巻きつけていた。
「驚いた・・・。ヒスイ様の趣味って意外と・・・」
シンジュは目を丸くして言った。
「ああいうヒラヒラの服はお兄ちゃんの為にしか着ないのっ!」
ヒスイはフイッと横を向いて少し恥ずかしそうにしていた。
「さ!いくよ!!」
二人は連れ立って一階に降りた。
食堂にはオパールをはじめ、カーネリアンとオニキスもいた。
木でできた大きな長机に空のコーヒーカップが3つ並んでいる。
三人はここで朝早くから話し合いをしていた。
三人ともヒスイの服装を見て、今までとのギャップに苦笑いしたが、温かく迎え入れた。
ヒスイは軽く頭を下げて看病のお礼を言った。
「待ってたよ。さぁ、こっちへ来な」
カーネリアンはヒスイを手招きし、自分の隣に座らせた。
ヒスイは開口一番に言った。
「いきなりだけど。私が召喚術を学んで、お兄ちゃんを呼び出せる可能性はある?」
「不可能だ」
オニキスが容赦なくぴしゃりと答えた。
オニキスの言い方をフォローするかのようにオパールが口添えした。
「メノウの血を引くあなたが呼び出す・・・本来ならそれが一番自然な形なのかもしれないけれど・・・召喚術を行ううえで、あなたには致命的な問題がある・・・」
「それは何?」
「・・・あなたがヴァンピールだから」
「!!」
「呼ばれる側なのよ、あなたは」
「そんな・・・」
「基本的に召喚術は人間しか使えない。もちろんあなたは半分は人間だから、それなりに使うことはできるけれど・・・コハククラスの召喚は・・・人間の私でも無理だわ」
「そう・・・なんだ・・・」
オパールの言葉はヒスイのささやかな希望を粉々に打ち砕く程、説得力のあるものだった。
ヒスイは肩を落としながらも納得せざるをえなかった。
「そんなに落ち込むなって。いい話があるんだよ」
「いい話?」
「これからそれを話そうと思っていたのよ、あなたに」
オパールは軽く咳払いをして話を続けた。
「ヒスイ。あなたのお父さんは・・・死んではいないの」
「ええっ!?」
ヒスイは飛び上がりそうな程驚いたが、それ以上に驚いたのはシンジュのほうだった。
「メノウ様がっ!!!?」
「だけど・・・生きてもいないの」
「それってどういう・・・」
「これからそれを見せるわ。ついてきて・・・」
オパールはヒスイ達を森の奥深くまで誘った。
「・・・18年・・・この森には何人たりとも立ち入らせなかった。その理由はこれよ」
オパールが示した先には、それはそれは大きな氷の塊があった。そこから強烈な冷気が漂ってくる・・・。
「これはっ!?永久氷壁!!?」
シンジュが大声をあげた。
「まさか・・・!!」
シンジュは氷に駆け寄って両手をついた。
「メノウ様!!」
「永久氷壁・・・決してとかすことのできない氷の壁。そして・・・その中にいるのがあなたのお父さんよ。ヒスイ」
「おとう・・・さん?」
ヒスイは氷壁を覗きこんで首を傾げた。
「私より小さいし、随分若く見えるんだけど・・・?」
「ええ。彼があなたの父親になったのは15の時ですから」
オパールはにっこり笑って言った。
「15!?」
驚くヒスイの様子を見てカーネリアンも後ろで笑った。
「この中には・・・時間の流れが存在しないの。だから年もとらない。そして・・・死んではいないけれど、生きてもいない・・・」
「仮死状態に近いというわけか」
オニキスが顎に手をあてて言った。
「・・・なんか実感わかないなぁ・・・。皆が口を揃えて、偉大だ、天才だって言うからもっと貫禄あるカンジのお父さんを想像してた」
「まあ、そう言わないで。彼も色々と苦労をしたのよ」
「どうしてこんなことに?」
「やりあったんだよ、アンタの・・・母親の一族とさ」
カーネリアンが吐き捨てるように言った。
「認められなかったの?二人の仲・・・」
「そういうことね。メノウは自分の血を引いた子供を欲しがっていた。けれどあなたを産んで、サンゴは息を引き取ってしまった。とてもつらかったと思うわ・・・」
「どんなに偉大な術者で天才的な頭脳を持っていたとしても、15年しか生きてないんだからな、アイツは。そのなかで・・・色々ありすぎた」
「これはあなたを守る為に戦った結果よ」
「たいしたもんだろ。たった一人で吸血鬼の一族とやりあって・・・完全に命を落とさなかっただけでもすごいことさ」
オパールとカーネリアンが交互に話した。
「その戦いは・・・どうなったの?」
「相打ちよ。向こうにもうひとつ大きな氷壁が見えるでしょう?あのなかにメノウが最後に戦った相手も・・・。見にいく?」
「ううん・・・。今はいい」
「・・・あなたにとても似ているのよ、メノウは・・・いいえ。あなたがメノウに似ているの。瞳を閉じているから今はわからないけれど綺麗な翡翠色の目をしているのよ」
「そう・・・」
「性格はまぁ・・・良いとは言えなかったかもしれないけど」
「そんなカンジするなぁ・・・15歳の天才なんて」
オパールとヒスイは笑いあった。
「あいつはさ、天才というか、それすら超えちまった神がかり的な才能があったよ。一人で一国を軽く相手にできる力を持ってた」
「その力を悪魔祓いに使ったのは賢い選択だったわ。人間を敵にまわさない為には、人間に味方するしかない。その代わり・・・悪魔という悪魔を殺した。徹底的に。その時に従えていたのがコハクよ」
「お兄ちゃんが・・・」
ヒスイは耳を疑った。複雑な想いに駆られながらも、コハクのことを思えばやはり愛おしかった。
無意識に琥珀のピアスに触れながらヒスイは呟いた。
「昔の話だもんね。今のお兄ちゃんはきっとそんなことしない」
「そう。昔の話さ。メノウもコハクも変わった。大丈夫だ」
カーネリアンがヒスイの背中をポンと叩いた。
オパールの昔話は続く・・・。
「エクソシストとして教会に属し、人間に尽くす・・・フリをしていたけれど、結局メノウは巻き込まれてしまったの。人間同士の醜い争いに」
「まぁ、それでさすがに嫌気がさしたんだろうな。突然姿を消しちまってさ。皆、血まなこになって探したが、結局誰にも見つける事はできなかった」
カーネリアンが再び話に加わった。
「・・・一年ぶりに戻ってきたと思ったら吸血鬼のサンゴを連れていた。あなたと同じ銀の髪に真紅の瞳・・・本当に美しい生き物だったわ・・・」
「戻ってきた・・・ってここに?」
ヒスイはオパールの言葉を聞き漏らさなかった。
「いいえ。ここには挨拶にきただけよ。サンゴを連れて」
「オパールさんとお父さんって・・・」
ヒスイはふと疑問に思って尋ねた。
「・・・メノウも私も親に捨てられて、この森で育った。心優しき精霊たちが私達を守り育ててくれた。だから・・・ここがメノウの故郷よ。彼がどう思っているのかはわからないけれど・・・ね」
オパールがヒスイの質問にそう答えたところで二人の語り部による昔話は幕を閉じた。
(つくづく親不孝だなぁ・・・私。だってお兄ちゃんとの毎日はとても楽しくて、寂しいなんて思ったこと一度もなくて・・・だから両親がいないことについて深く考えたこともなかった。いなかったから、死んじゃったんだ、って思ってた。ごめんね、お父さん、お母さん)
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