ヒスイ達はオパールの家に戻った。
そして全員で長机を囲んだ。
事情をよく知るオパールとカーネリアンが並んで座り、その向かいにオニキス、ヒスイ、シンジュの順に腰掛けた。
「・・・メノウを目覚めさせるわ」
静かな声でオパールが言った。
「お父さんに渡すものがあるの。私も」
ヒスイはポケットに手を突っ込んでぎゅっと指輪を握った。
(お父さんに会ったらこの指輪を渡してって、お兄ちゃん言ってた。それってお父さんに会えってことだよね。お兄ちゃんは知ってたんだ。いつも肝心なこと言わないんだよね・・・もうっ・・・)
ヒスイは溜息を漏らした。
「・・・一体どうするつもりだ?考えはあるのか?」
オニキスは机に肘をついて両手を組みながら口を開いた。
「そう簡単には壊せんだろう。仮にそうできたとしてもその後の問題が山積みだ」
「そのほとんどは・・・これで解決できると思うわ」
オパールは暖炉の上に置いてあった宝石箱から無色透明な石を取り出した。
石は驚くほど強い輝きを放っていて、オパールが箱から出した瞬間から周囲が明るくみえる程だった。
「うわっ・・・!?何だよそれ!!だめだ!失礼するよっ!」
カーネリアンは石の光を嫌がり逃げるように部屋を出ていってしまった。
「・・・闇を退ける力・・・か」
オニキスもまぶしそうに目を細めた。
「ヒスイ、持ってみて」
オパールは片手でやっと握れるくらいの輝く石をヒスイに持たせた。
眩し過ぎて見ているだけではわからなかったが、それは大きな雫の形をしていた。
「それが何だかわかる?」
オパールはヒスイに質問した。
「・・・お兄ちゃんの匂いがする・・・」
「そう。それはコハクの涙よ」
「お兄ちゃん・・・泣いた・・・の?」
「ええ。泣いてもらったのよ。あの時・・・あなたは気を失って見ていなかったでしょうけれど、コハクが立っていた場所にはこれが残されていたのよ」
「そうだったんだ・・・」
「涙を結晶化して欲しいと頼んだの。彼は快く引き受けてくれた。涙を流す丁度いい口実ができたって、笑って」
「お兄ちゃん・・・」
ヒスイは涙の結晶を両手で包み込んでキスをした。コハクにするように優しく、甘く・・・。
「・・・具体的に説明してもらおうか」
オニキスは姿勢を崩さず、淡々と言葉を発した。
「氷壁を壊す・・・その為に必要なものが3つあるわ。ひとつはこれ。天使の涙。これは、長い間仮死状態だったメノウの体を一瞬にして回復し、更にメノウと同時に復活してしまう“彼”を牽制することができる。ヒスイの力を引き出すのにも役に立つはずよ」
「・・・なるほど」
「そして二つ目・・・。それは銀の髪の吸血鬼・・・ヒスイ。あなたよ」
「え・・・?」
ヒスイは聞き返した。
「あなたの吸血鬼としての能力が絶対に必要なの」
「私・・・の?」
「そうよ。何も難しいことはないわ。あなたはただ血を飲めばいい。もっとも・・・その血を手に入れるのが極めて困難なのだけれど。それが三つ目・・・。セイレーンの血」
オニキスはその言葉に反応し、眉をひそめた。
「セイレーンって、とても歌が上手な種族なんでしょ?」
セイレーン・・・伝承では人間の女性の上半身に水鳥の下半身、背中には翼が生えていて、美しい姿をしてはいるが歌で船乗りを誘惑する海の魔物と言われている。
「だけど・・・絶滅してしまったって・・・。その血をどうやって手に入れるの・・・?」
ヒスイはオパールに答えを求めたが、先に回答したのはオニキスだった。
「・・・ある」
オパールがそれに続く。
「そう。存在するわ。この大陸にひとつしかない王立図書博物館に。各国の王族のみで運営し、使用も一部の王族にしか許されていないという、難攻不落の建造物・・・」
「おい!そろそろアタシも中に入れておくれよ!」
カーネリアンがドアの隙間から顔を覗かせていた。
「ヒスイ。しまってやれ」
オニキスが顎で宝石箱を指した。
「うん」
ヒスイはコハクの涙を宝石箱に戻して蓋を閉めた。溢れんばかりの光が一瞬にして閉じ込められた。
カーネリアンがほっとした顔で入ってきた。
「ドアの外からじゃ盗み聞きしてるみたいで落ち着かないよ」



「あそこにゃぁ、さすがにアタシらでも盗みに入れないよ。噂じゃメノウが手を加えたんだろ?だったら無理だ。危険すぎる」
カーネリアンは椅子には座らず、ぶらぶらしながら言った。
「何も盗んでこいとは言ってないわ。これとすり替えるだけよ」
オパールは血の入った瓶を机に置いた。何の血かは謎だった。
「・・・・・・」
オパールの大胆な案に一同沈黙した。
「何とかならないかしら?オニキス」
オパールは祈るような瞳でオニキスを見た。
「・・・それは今のオレでは無理だ。あそこには夫婦でなければ入れない。そういうしきたりになっている。そこで得た知識を悪用させない為に“夫の責任は妻に。妻の責任は夫に。”というふざけた契約書にサインさせられる」
「あ、でももうすぐ結婚するって・・・」
ヒスイは何気なく言った。
「バカ!ヒスイ!それは禁句だよ!オニキスはここに逃げてきたんだからさ・・・」
カーネリアンは後ろから両手でヒスイの口を塞いだ。
オニキスはよくも喋ったな、と言わんばかりにカーネリアンをギロリと睨んだ。
カーネリアンはもごもごをしているヒスイの口を塞いだまま口笛を吹いて誤魔化した。



「・・・取引だ」
オニキスは席から立ち上がってヒスイを見下ろした。
「?」
ヒスイは座ったままオニキスを見上げた。
「オレの妻になれ。ヒスイ。セイレーンの血を飲ませてやる」
「はぁ〜っ???」
ヒスイはオニキスの突飛な発言に目を白黒させながら間の抜けた声を出した。
「もちろん、偽造だが。そうすればオレも意に沿わない結婚をさせられずに済む。王立図書博物館に入りたいのだろう?オレとなら堂々と入れるぞ」
(!!王立図書博物館に入れる!?)
ヒスイの目の色が変わった。
「あとのことは心配には及ばない。お前の父親を復活させ、コハクを呼び戻した暁にはどこへなりとも。病死したことにでもすればいい」
「ホント?」
「ああ、本当だ。悪い話ではないと思うが?」
ヒスイの心はオニキスの言葉に激しく揺さぶられた。
オニキスの言葉はヒスイが思い描いていた理想のシナリオそのままだった。
ヒスイのなかで“メノウの復活=コハクとの再会”という実に単純で都合の良い構図が出来上がっていたのだった。
(よくわからないけど、とにかく私がセイレーン血を飲めばお父さんが復活する。お父さんが復活したら・・・お兄ちゃんに会える!!)
それに加え、王立図書博物館に自由に出入りできれば他にも役立つ知識が得られるかもしれない・・・。
ヒスイにとっては甘すぎる誘惑だった。
「シンジュはどう思う?」
「ヒスイ様のお好きなように」
シンジュはかつての主人が死んでいなかったことに歓喜したが、何やら思うところがあるようで、ずっと押し黙ったまま、ヒスイの質問にも短く答えただけだった。
ヒスイはそんなシンジュを気にかけながらも結論をだした。
「・・・私から2つ条件を出してもいい?」
「なんだ?」
「シンジュと私を引き離さないこと。私たちはいつでも共にあるわ。それともうひとつ・・・お腹が空いたらあなたの血を飲ませてもらう」
「・・・いいだろう」



「かわいそうに・・・すっかり騙されて・・・」
ヒスイが荷物をまとめる為にシンジュを連れて部屋に戻った後、オパールが頬に手をあてて言った。
「本当は手放す気なんてないくせに・・・」
「けしかけるようなことを言ったのはそっちだろう。そもそもこういうことは騙されるほうが悪い」
オニキスはオパールに鋭い指摘を受けても顔色ひとつ変えなかった。
「切実な問題だったのよ、かなり。セイレーンの血が入っている瓶の形がわからないから、これごとすり替えることはできない」
オパールは瓶を持ち上げて軽く振った。
「一番いいのはヒスイがその場で血を飲み干して、もとの瓶にこれを注ぐという方法。安全にそれを行うにはあなたたちが夫婦になるしかないじゃない。コハクには悪いけどね。まぁ、彼もわかっているでしょう。こうなることぐらいは」
「・・・何でもあいつの思うようにさせてたまるか」
「お前もいい性格してるよな。コハクと張るよ」
カーネリアンはケラケラと笑ってオニキスの背中を叩いた。
「それにしてもタチの悪いのばっかりだね、ヒスイのまわりは」
「本当にねぇ・・・」
オパールもほほほと笑った。



ヒスイは意外にも早くコハクを呼び戻すチャンスをつかんで上機嫌だった。
今にも鼻歌を歌いだしそうな明るい表情をしている。
(いける!これはいけるわよ!!)
ヒスイは心の中でガッツポーズをした。
(お兄ちゃん以外の人と結婚するのはさすがに気が引けるけど・・・お兄ちゃんに会うためなら何だってやってやるわよ!)
「・・・ねぇ、シンジュ。どうしたの?さっきから」
ヒスイは腰を低くして神妙な顔をしているシンジュを覗きこんだ。
「あ・・・いえ・・・」
歯に衣着せぬシンジュにしてはめずらしく言葉を濁した。
「シンジュはずっと一緒だからね」
ヒスイは真顔で言った。
「ロザリオ、肌身離さず付けてるから。ちゃんと傍にいてね。ひとりは寂しくて嫌。シンジュがいてくれて良かったよ」
「ヒスイ様・・・」
シンジュは長い夢から覚めたようにはっと我に返った。そして急に思いつめた表情になって話しだした。
「ヒスイさま・・・あの・・・」
「ん?」
「すみませんでした」
「何が??」
「オニキスに言われるまま王室に入るのは危険です。本当は・・・感心できない手段だと思いました。あの時止めるべきだった。だけど・・・」


「お父さんに早く会いたい、でしょ?わかってるよ」


シンジュの言葉の続きはヒスイが引き受けた。
「私はお父さんのことを何も覚えていないから、あまりピンとこないけど・・・シンジュは違うでしょ?しかも私はお兄ちゃんのことばかりを考えている親不孝者だから、せめてシンジュは親孝行してあげて」
「ヒスイ様・・・」


「リスクが高いのは承知の上よ。ハイリスク・ハイリターン!!望むところよ!」


ヒスイはバンと机を叩いて笑った。
「・・・ヒスイ様ってよく泣く割にはタフですよね。コハクがいなくなってもっと落ち込むかと思ってました。」
「それはね、お兄ちゃんが私にたくさんのものを残してくれたからだよ。もし気持ちを伝えられないまま、兄妹として別れていたら、きっと今の何十倍も悲しかったと思う。だから平気だよ。両想いの喜びがあるから、私は幸せ」
「・・・・・・」
ヒスイの笑顔にシンジュは少しの間見とれた。
ヒスイにこんな顔をさせることができるのはコハクだけだろうと思いながら。








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