その晩、オニキスはヒスイを宮殿から連れ出した。
二人は今、長い階段を下って薄暗い通路にでたところだった。
実際通路には全く光が差しておらず、先を歩くオニキスが火の魔法でたいまつのようなものを作りだして通路を照らしていた。
「驚いたなぁ・・・まさかあそこからこんなところに繋がっているなんて。ねぇ、ところでどこに向かっているの?」
「・・・行けばわかる」
「そりゃぁ、そうだけど・・・」
ヒスイは首を傾げながらオニキスの後を追った。
オニキスは歩くのが早かった。ヒスイが後ろにいようがいまいが関係ないというスピードで前進してゆく。
二人の間はどんどん開いていった。
「オニキス・・・歩くの早いよ・・・」
「これが普通だ。むしろお前が遅い」
「え?そうなの?」
「・・・そうだ」
「だってお兄ちゃんと歩いてる時はこんなことないのに・・・」
「それはあいつがお前に合わせて歩いていたからだろう」
「そ・・・っかぁ。そうだったんだぁ・・・」
コハクとは並んで歩くことが多かったが、コハクがほんの少し先をゆく時は、何度も足を止めて、その度に後ろを振り返っていたことをヒスイは思いだした。
(そう。そう。それでいつもお兄ちゃんと目が合って・・・お兄ちゃんがにっこり笑って。その笑顔がとても綺麗だから、なんだか嬉しくなって・・・その笑顔に吸い寄せられるみたいに、お兄ちゃんの後を追うんだ、いつも)
「待っててくれたのかぁ・・・。なんか嬉しい発見しちゃったなぁ」
ヒスイは下を向いて嬉しそうに笑い、それから目を細めてコハクの姿を思い描いた。


柔らかな光の中から、コハクがヒスイの名を呼ぶ・・・。
いつもの笑顔・・・いつもの声で・・・。


「ヒスイ・・・」


「おい。ヒスイ。」
「・・・ん?」
ヒスイのなかのコハクの声を掻き消すようにオニキスがヒスイを呼んだ。
(・・・お兄ちゃんの声のはずだったのに・・・)
オニキスの声の強い響きに、ヒスイは否応なく現実に引き戻された。
残念に思いながらも顔を上げると、その先でオニキスが待っていた。
ヒスイの足は完全に止まっていて、オニキスとはかなりの差が開いている。
「何をしている。さっさと来い」
「あ・・・。うん」
ヒスイは小走りでオニキスの後を追った。
オニキスは再び歩き出した。ほんの少しだけ歩く速度を緩めて。


「う・・・わぁ・・・」


ヒスイは感嘆の声をあげた。
通路を抜けた先はどこか古い建物の屋上のような場所で、周りに何もないため、見晴らしが良かった。
屋上から見上げた夜空には満天の星が見える。
「城下町からこんなに星がよく見えるなんて思わなかったぁ」
「条例を布いている。深夜一時以降、町の街灯は消すようにと。勿論、厳しく取り締まっているわけではないが、皆自主的にそうしている」
「へぇ・・・」
「この時期は特に星が多く見える。なかなかの眺めだろう」
「うん!すごく綺麗。オニキスはよくここに?」
「・・・昔はな。子供の頃の話だ」
「なんだぁ。もったいない。私だったら毎晩ここに来ちゃうのに」
ヒスイは声を弾ませて言った。この場所が大いに気に入った様子だった。
「・・・それなら来るといい。毎晩でも。星が好きなのだろう?」
「うん。でも何で知ってるの?私、話してないよね」
「よく本を読んでいる」
オニキスはぶっきらぼうに言った。
「あ・・・そっか」
「さすがに毎日閉じこめられていては息も詰まるだろう。そういうときはここに来るといい。昼間なら町が一望できる」
(一応、気を遣ってくれているのかな。意外といいところもあったりして・・・)
ヒスイはオニキスを少し見直した。
「ねぇ。ねぇ。ここってオニキスの秘密の場所?」
上機嫌で星空を仰ぐヒスイが尋ねた。
「ああ。そうだ。ここなら誰もこない」
「オニキスも時々くれば?公務で忙しいんだろうけど、こういう時間って意外と大切だよ?あんなに天体関係の本があるくらいだから、オニキスだって好きなんでしょ?星が」
「・・・そうだな」
それからしばらくの間、二人は黙って星空を見上げていた。



「・・・私も人のこと言えないかな」
沈黙を破ったのはヒスイだった。
「お兄ちゃんがいなくなってから、気持ちばっかり焦って・・・余裕なかったかも」
今もだけど。と付け加えてヒスイは笑った。
「あぁ、なんか久しぶりだぁ・・・。前はよくお兄ちゃんと見たのにな。お兄ちゃん神話とか詳しくて、星を見ながらよく話してくれたんだよ」
「・・・あいつなら心配には及ぶまい。お前が右往左往しているうちに自力でひょっこり戻ってくる」
「そうかも」
ヒスイは大きく伸びをしながら、オニキスの言葉に笑った。
日頃ツンとした表情をしていることの多いヒスイが、コハクの話をするときだけは、とても柔らかい表情を見せることをオニキスは知っていた。
(ここに連れてきて正解だったな)
「でもね・・・」
ヒスイは笑顔のまま続けた。


「いつもお兄ちゃんに驚かされてばかりだから、今度は私が驚かせてやろうと思って!」


「なかなかいい心がけだ」
オニキスは苦笑いした。
「出発の日が決まったぞ。明後日だ。」
「ホント!?予定より早いね!!」
「ああ。しっかり準備をしておけ」
「うんっ!!」
そう返事をしてからもヒスイは屋上で粘った。
流れ星に願をかけると言って、壁際に座り込みひたすら上を見上げている。
オニキスも黙ってそれに付き合った。
「オニキスはいいよ。疲れてるでしょ」
ヒスイは隣に座るオニキスに声をかけたが、返答はない。
かわりにぐらっとオニキスの体が寄りかかってきた。
「・・・ねてる」
ヒスイは呆気にとられた顔でオニキスを見た。
不自然な姿勢にもかかわらずオニキスは熟睡している。
(このヒトって・・・こういうヒトだっけ?もっと警戒心が強いと思ってた)
「よっぽど疲れてるんだなぁ・・・。そういえばここんとこロクに部屋にも戻ってこなかったし・・・」
「あ・・・」
(ひょっとして・・・予定を詰める為に・・・?)
「まさか・・・ね」
ヒスイはオニキスの寝顔を覗き込んだ。
「・・・ま、とりあえずここに連れてきてもらった訳だし、お礼は言っとかないとね」
そして小さく咳払いしてから、丁寧な語調で言った。
「ありがとう・・・ね」
「ちょっと重いけど、肩貸すよ」
ヒスイはくすりと笑って、俯くオニキスに小さな声で言った。


「・・・おやすみ」






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