「シンジュっ!!いくわよっ!」
「え?あの?ヒスイさま??」
「出て行くのよ!こんなとこ!!」
わなわなと震えて、ヒスイは喚き散らした。
「オニキスなんか大嫌いっ!!」
ヒスイはシンジュを拉致して強引に城から連れ出した。


「うっ。うっ」
ヒスイはいつもシンジュの前で泣く。
シンジュはハンカチをヒスイに渡した。
夕べの予感が的中したのではないかと、シンジュは思った。
「ヒスイさま・・・夕べ何があったんです?」
「・・・それがよくわからないのよ・・・」
「・・・一時的に魔力が上がったみたいなんです。それはもう段違いに」
「!?」
「吸血鬼化とか・・・しました?」
「し・・・してないわよ!たぶん・・・」
シンジュは疑いの眼差しでヒスイを見た。
ヒスイはしゅんとして、さっきあったことを正直に話しはじめた。
「覚えてないのよ、本当に。朝、目が覚めたら私もオニキスも服着てなくて・・・」
「ではやはりオニキスと・・・」
「してないわよ!するわけないでしょ!」
ヒスイはムキになって否定したが、段違いに魔力が上がったというシンジュの言葉が気にかかって仕方がなかった。
「確かに・・・興奮して吸血鬼化すれば魔力も上がるけど・・・。ね、お兄ちゃんの時はどうだったの?私どのくらい魔力上がってた?」
「そこなんですよ。私は今のところ十四・十五歳ぐらいに見えますよね?」
「うん」
「で、コハクがいた頃は、夜になるとだいたい二十歳ぐらいの姿になってたんです。まぁ、一瞬ですけど」
「へぇぇ〜っ」
二十歳のシンジュ・・・ちょっと見てみたいかも、と、ヒスイは思った。
(だけどきっとその仏頂面は変わらないわね・・・)
「ところが・・・夕べは三十超えました」
「!!?」
「例えば・・・メノウ様ぐらいの膨大な魔力だと、もういくつにみえるかというレベルではなくて、自分でしたい姿を選べるんです。まともに反映させたらそれこそ老人になってしまいますから」
「へ・・・へぇ・・・お父さんってそんなに凄いんだ・・・」
「当然です」
(・・・お父さんは老人で私は少年かぁ・・・)
ヒスイは改めて格の違いを見せつけられた気がした。
それと同時にシンジュに対して申し訳なくも思った。
「メノウ様や、コハクといた頃は二十代後半ぐらいの姿を保っていたんです。夕べは・・・それに近かった」
「え・・・?それってどういう・・・」
ヒスイは困惑した。シンジュも首を傾げた。
「でも、それだったら・・・その・・・アノ時の吸血鬼化とは関係ないかもしれないんでしょ?」
「そうですね。何かもっと他の要因があったのかもしれません」
シンジュの言葉にヒスイは心底ほっとしたような顔をした。
「それで城を飛び出してきたんですか?」
「うん・・・まぁ・・・」
「だけどそれでは彼も被害者なのでは・・・」
「そんなの知らないわよっ!」
ヒスイは退くに退けなくなり、ぷいっと顔を背けた。
「私っ!お兄ちゃんの部屋に行ってるね!」
そしてそそくさと逃げてしまった。



「ええと・・・お兄ちゃんの洋服は・・・っと」
ヒスイはコハクのタンスをあさった。
怒りに任せて城を飛び出したので、寝間着のまま、ろくに下着もつけていない。
「くん。くん。お兄ちゃんの匂いだぁ・・・」
匂いに敏感なヒスイはタンスに顔を突っ込んで深く息を吸った。
「ん?何これ」
タンスの奥に一冊のノート。
(お兄ちゃんの・・・スケッチブック?描いてるとこなんて見たことないけど・・・何描いてるんだろう・・・?)
ヒスイはノートの表紙をめくった。
そして一枚目から赤面した。
コハクのスケッチブックはヒスイでいっぱいだった。
趣味の洋裁で使っていたのか服のデザインなどもたくさん描き込んである。
(うわ・・・恥ずかしい・・・。でもお兄ちゃん、絵上手いなぁ・・・)
「でも、でも、お兄ちゃん・・・」
ヒスイはコハクがここにはいないことがわかっていても、ひとこと言ってやりたい気持ちになって、声に出して言った。
「私・・・こんなポーズしたことないよ・・・」
紙の上には人差し指を唇に当てて、色っぽく微笑むヒスイや、ぴんと伸ばした両手を前で組んで、後ろにお尻を突き出したヒスイの姿が、とてもリアルに描かれていた。
「もうっ・・・。お兄ちゃんってば」
ヒスイは恥ずかしさに耐えられなくなり、ノートを閉じた。

そこからぱらりと一枚のメモが落ちる・・・。

「?なに?これ」
ヒスイはメモを拾った。
「え・・・?読め・・・ない。何語?これ。間違いなくお兄ちゃんの字・・・なのに・・・」
今よりずっと昔に使われていた、古代文字のようにも見えた。
(何て書いてあるのかな・・・?気になる・・・)
「あとで調べてみよう」
ヒスイはメモをポケットにしまった。
それからコハクのシャツに着替えてベットに倒れ込んだ。
「このまま昼寝でもしようかな・・・」
コハクの枕に顔を埋めて、ヒスイは瞳を閉じた。



「ヒスイ様?」
ヒスイが寝入ってすぐ、シンジュがドアをノックした。
「ヒスイ様?開けますよ?」
シンジュは遠慮がちに中へ入った。
(・・・寝てる。また随分と立ち直りの早い・・・。ここへきたときはメソメソしてたくせに・・・)
幸せそうなヒスイの寝顔を見ながら、シンジュは苦笑いを浮かべた。
「・・・ちょっとやりすぎだったかな」
ヒスイの口が動いた。寝言とは思えない、はっきりとした発音だった。
「え・・・?」
シンジュは耳を疑った。
眠っていたはずのヒスイが起きあがる・・・。
「俺だよ。シンジュ」
「メ・・・メノウ様!!?」
「そう。久しぶりだね。元気にしてた?」


「少し前にさ、俺んとこきたでしょ?その時ヒスイが氷壁に触れたせいだと思うんだけど、意識だけ目覚めちゃってさぁ。あの中でぼ〜っとしてるのもつまんないから、ヒスイに同調して意識を潜り込ませてたんだ。んで、ゆうべヒスイが寝付いてから体を借りてみたワケ」
「なるほど。そういう事だったんですか」
シンジュはニコニコしている。最高に上機嫌だった。
「まぁ、親子だからできる技だけど」
と、言ってヒスイの体を乗っ取ったメノウは実に美しく笑った。
メノウが意識を支配しているときは、いつものヒスイがしないような表情をみることができた。
妙に色気のあるその表情にシンジュは見とれっぱなしだ。
「そしたらさぁ、なんか面白いことになってるじゃん。あの時のガキが一丁前にでかくなって、ヒスイを妻に娶ってるんで、ちょっとからかってやったんだ」
メノウの言うあの時とは、国王たっての頼みでかつての王妃を氷付けにした時のことだった。
メノウはその時すれ違ったオニキスのことを覚えていた。泣きながら母親の骸にすがる子供。
幼いオニキスは国一番の術者が十五の少年だとは思いもしない。
そんな相手とすれ違っても、当然記憶には残らない。
「それで・・・オニキスと・・・?」
「やってないよ。あ、でもキスはしたかな。特別サービスで、うんと濃いのしてやったよ」
ヒスイの唇を舐めてメノウはにやりと笑った。
(・・・かわいそうに・・・。ヒスイさま・・・)
この時ばかりはシンジュもヒスイに同情した。
「やっちゃっても良かったんだけどね。俺も男だし、精神衛生上、ちょっとどうかななんて思ってさ」
メノウはケラケラと笑った。
「あれはもう一押しで落ちた。絶対」
「・・・・・・」
「ヒスイのカラダがあればどんな男だってイチコロだよ。俺に似て超美人じゃん」
「・・・あの・・・メノウ様・・・あまり無茶なことは・・・ヒスイ様は、意外なほど純粋な方なので・・・」
「わかってるって。そんなことしたらコハクの奴にエライ目に合わされるよ。さすがの俺もあいつは敵にしたくない」
(そうなんだ・・・。なぜかいつもメノウ様はコハクに一目置くんだ。コハクは戦いに関しては確かに強い・・・だけど性格はただの能天気馬鹿じゃないか)
シンジュは納得がいかない気分になりながらも話を続けた。
「メノウさま、コハクとヒスイ様のことは・・・」
「うん。知ってる。なにせ今、体を共有しているわけだし。あいつ、ヒスイが自分のものになったのをいいことに色々手の込んだことしてるよ、この体に」
メノウはヒスイの体をまじまじと見た。
「あ〜あ。俺の知らない間に、心も体もみぃんなあいつのものになっちゃってさ」
「阻止・・・すべきでしたか?」
「しても無駄だよ。あいつが相手じゃ」
「ですね」
「コハクはさ、ヒスイの事に関してはアホとしか言いようがないけど、それ以外の事なら頭がキレる。本気にさせちゃうとマジでタチ悪いよ」
「・・・あまりそういう場面に出くわしたことありませんけど。タチが悪いのは認めます」
あはは!メノウは明るい笑い声をあげた。
「お前は相変わらずだなぁ・・・。コハクと違って分かり易くていい」
メノウに褒められたシンジュは頬をピンクに染めて俯いた。
「少しの間、ヒスイの体を借りることにするから、オニキスには上手く話しておいて。あ!もちろんヒスイには内緒だよ」
「はい」
シンジュは顔を上げて快く返事をした。
「ヒスイ様の体で何かなさるんですか?」
「ちょっとヤボ用。あとでお前も連れて行くから」
「はい!」
「おっ・・・早速迎えがきたようだね。じゃあ、またあとで」
メノウの意識が引っ込んだ。
ヒスイの体から力が抜け、どさりと崩れ落ちる。
もともとベッドの上で話をしていたので、ヒスイは何の違和感もなく昼寝の続きをした。



「帰るぞ」
メノウの予告どおり、オニキスが迎えにきた。ヒスイの居場所をどこでどう突き止めたのかはわからない。
ヒスイが城を飛び出して、二時間ほど経過していた。
「・・・帰らない」
ヒスイは寝起きのせいかオニキスの偉そうな態度が気にくわなかった。
昨晩の件は大事には至らなかったという結論に達しても、今はまだ顔を合わせる気にはなれなかった。
何もなかったとはいえ、二人が何故裸だったのか・・・問題は何ひとつ解決していないのだ。
二人にとっては謎は謎のままだった。
「あのですね・・・」
シンジュはメノウの事を説明しようと口を開きかけたが、ヒスイの前で話をするわけにはいかなかった。
ましてや、それよりも早くヒスイとオニキスの両者は険悪なムードになった。
オニキスが目を細めてヒスイに問う。
「・・・お前はオレの言うことがそんなに信じられないのか」
「・・・・・・」
ヒスイは答えない。
腕を組んでツンと横を向いただけだった。
「・・・勝手にしろっ!」
オニキスが声を荒げた。感情的になるのはとても珍しいことだった。
ヒスイもシンジュも驚いて、何も言えなくなってしまった。
オニキスはヒスイ以上にツンとした顔でくるりと向きをかえた。
そして振り返ることなく、玄関から出て行ってしまった。
「・・・あそこまで怒ることないじゃない・・・」
ヒスイは静かに怒っていた。体から怒りのオーラを発している。
「まぁ、いいわ。だってもう目的は果たしたも同然なんだから。オニキスこそ勝手にすればいい」
「ヒスイ様・・・」
メノウに口止めされているからとはいえ、この状況を放っておくわけはいかない。シンジュは頭を悩ませた。
「・・・とりあえず嫌なことは寝て忘れたらどうですか?」
苦し紛れの提案だったが、ヒスイはあっさり同意した。
「それもそうね。怒って無駄なエネルギーを使うことないわ。こういう時は寝るに限る!」
シンジュに「おやすみ」を言ってヒスイはコハクの部屋へ引き返していった。



「よっ!ヒスイはいるかい?」
カーネリアンがオニキスの元を訪れた。
「何の用だ・・・」
オニキスはすこぶる不機嫌だった。もちろん表には出さないが。
「可愛い妹分の顔を見にきたんだよ。けど・・・いないみたいだね。どうしたのさ?」
「・・・・・・」
「まさか、もう逃げられたとか・・・」
オニキスは無表情・・・を装っている。カーネリアンは横目で見て、くくっと笑った。
「いつになく動揺してるね、アンタ」
「・・・別に」
オニキスはカーネリアンの視線から逃れるように体を横に向けた。

・・・別れ際に見たヒスイの姿が瞳に焼き付いて離れない。

素肌の上に男物の・・・コハクのシャツを着ていた。
その姿が当たり前のように美しかった。
(・・・で、腹が立った、と)
「・・・馬鹿か、オレは」
オニキスは眉間に深い皺を寄せた。今になって降って湧いた幼稚な感情に自分を蔑むしかない。
「・・・まぁ、いいんじゃないの?たまにはバカになるのもさ」
カーネリアンは事情こそ知らなかったが、笑顔でそうオニキスを激励した。






‖目次へ‖‖前へ‖‖次へ‖