「ここで一体何をするつもりなんですか?メノウ様」
シンジュは、ヒスイの体を操るメノウと精霊の森に来ていた。
「オパールにバレないように気配消して。シンジュ」
「はい」
「あ!そっか!ヒスイの体だからお前を使役できるんだっけ」
「はい。何なりと」
そう答えたシンジュは、昨晩と同じ青年の姿をしている。
「じゃあ、融合するから、俺の背中に手をかけて」
「はい!」
シンジュは指示に従った。
メノウの背後にまわり、右肩に右手を、左肩に左手をのせる。
すると眩しい光と共に一瞬にして鳥の翼へと姿を変え、メノウの背中に生えた。
天へ向けてまっすぐに伸びる純白の翼・・・。
まさに外見は天使そのものだった。
「こんなヒスイ見たらコハクが泣いて喜ぶだろうなぁ」
「そうですね」
バサリ・・・と静かな羽音をたてて、メノウが上空へと飛び立つ・・・。
二人はメノウの氷壁の少し奥にあるもう一つの氷壁を目指した。



メノウとシンジュは優雅に氷壁の前へと舞い降りた。
シンジュは変身を解き、メノウの隣に立った。
「・・・オブシディアン!?」
メノウ同様、仮死状態で閉じこめられている生き物をみてシンジュは声を呑んだ。
「そ、思い出した?お前、コハクに封印された時、少し記憶飛んじゃったみたいだからね」
「!?そのせいで記憶があやふやに?」
最後の戦いの記憶が途切れ途切れであることに、シンジュはずっと自責の念を抱いていた。
「あいつさぁ、魔力はすごいけどノーコンだから、ちょっと失敗したんじゃない?」
(コハクの奴・・・黙ってたな)
シンジュは内心キレた。
しかしこの世界のどこを探しても存在しない相手に怒りをぶつけようもなく、結局は溜息として吐き出すしかなかった。
「精霊を石に封印するのってね、すごく難しいんだ。あいつにしてはよくやったよ。記憶がちょっと飛んだだけで済んだのは、ホント言うと奇跡に近いんだ」
「そう・・・なんですか・・・」
シンジュは拍子抜けしたような顔で答えた。
「俺も初めは驚いた。あれは一種の魔法音痴だな。あいつが魔法使うとロクなことにならないから、いつだったか試しに剣を使わせてみたんだよ。そしたらさ、強いのなんのって」
メノウは当時を思い出して愉快に笑った。
「ホント面白い奴だよ」
(・・・やっぱりコハクはメノウ様のお気に入りなんだな・・・)
シンジュは微笑みとも苦笑いとも言えない表情で、メノウの横顔を見つめていた。



「それにしたってすごいだろ、これ」
氷壁に閉じこめられていたのは、狼に似た生き物だった。
ほとんどのパーツは狼のものだったが、額からは鋭く長い角が生え、尻尾は四本ある。
全身が銀色の毛で覆われた、美しく獰猛な獣。
「俺のこと憎みすぎてこんなんなっちゃった」
「銀の吸血鬼・・・オブシディアン・・・」
(・・・敵ながら気高く麗しい姿をしていた。髪も瞳も見事な白銀で・・・)
シンジュの残された記憶ではそうだった。
(一体何が・・・思い出せない・・・)
思い悩むシンジュの姿にくすりと笑ってから、メノウは氷壁の正面に立った。
「さて・・・っと、始めますか」
右手を軽くあげた。
そしてメノウは人差し指で軽く氷壁を弾いた。

ピシィィッ!

氷壁に大きな亀裂がはいった。
次の瞬間、氷は粉々になり、粒子は風に乗って消えていった。
「!!!!?」
メノウの圧倒的な力にシンジュは愕然とした。久しぶりに目の当たりにするメノウの実力・・・。
(永久に溶けないと言われる氷も、メノウ様の手にかかればこんなものか・・・。あ、でもヒスイ様の体だから、これはヒスイ様の力!?)
「俺の氷壁を砕くのにみんな随分骨を折ってくれてるみたいだけど、ヒスイがちゃんと自分の力を引き出せれば、こんなに簡単なんだよ」
(でもそれは無理だと思います)
ヒスイとコンビを組んでいるシンジュはそう思ったが、メノウの手前、さすがに口に出しては言えなかった。



「・・・それで彼をどうするんですか?」
冷たい氷の世界から解放されても、オブシディアンと呼ばれる獣はぴくりとも動かなかった。
メノウの足元でぐったりとしている。
「殺しはしないよ。血を吸うだけ」
メノウはつま先で軽くオブシディアンを蹴った。やはり何の反応もない。
「ホントは殺してやるつもりだったけどさ。“銀”はただでさえ数が少ないから・・・。サンゴも悲しむだろうし。やめた」
メノウはヒスイの長い髪を掻き上げながら、銀の獣・・・オブシディアンを見据えていた。
「“銀”はね、他の吸血鬼とは全然違うんだ。力自体が強いわけじゃないし、回復能力に至っては人間よりも遅いぐらいだ。だけど“銀”は恐ろしい悪魔と言われる。なぜだかわかる?」
メノウはシンジュの回答を待たずに話を進めた。
「血を吸った相手の能力を自分のものにできるんだ」
「・・・ヒスイ様はご自分の力の使い方を全くわかっておられないようですが」
言われるまでもなく、ヒスイを取り巻く者達は“銀”の能力を知っていた。
そのうえでヒスイにセイレーンの血を飲ませたのだ。
「そうなんだよねぇ。何で誰も教えないの?ヒスイに」
「言われてみれば・・・」
ヒスイ自身が自分のことに無関心なせいだろう。口を開けばコハクのことばかりで、自分のことは顧みない。
「セイレーンの血は飲んでおいて正解だよ。あの能力はなかなか使える。普通に考えればさ、血を吸った相手の力を100%モノにするわけだから、その相手に負かされるってことはありえないんだけどね」
「普通に考えれば・・・」
シンジュは思わずそう漏らした。
(ヒスイ様は実戦経験が足りない。致命的に。百戦錬磨の相手なら、格下であってもまず勝てないだろう・・・)
「ここでこいつの血を吸う。そうすれば仮にこいつが襲ってきてもヒスイがやられるはずないからね」
メノウは得意顔だ。
「そう・・・ですね・・・」
シンジュは(そうでしょうか?)と、聞き返したいのを堪えて、メノウの親馬鹿に付き合った。




「え・・・?お城に帰るの?」
ヒスイはこれでもかという程、嫌な顔をしてみせた。
「ええ。そうです。帰るんです。オニキスには私から説明しますから」
「・・・・・・」
頬を膨らませてヒスイはシンジュに反論した。
「すっかりオニキスの手先になっちゃって!帰りたきゃ、一人で帰ればいいじゃない!」
「・・・・・・」
解放されたオブシディアン。そのまま、あの場所に残してきてしまった。
今頃は意識を取り戻しているかもしれない。
シンジュは胸騒ぎがした。ここは精霊の森からは相当離れている。
とはいえ、同族を求めてオブシディアンがヒスイの前に姿を現す可能性は高いように思えた。
メノウはヒスイが負けるはずないと断言していたが、シンジュには到底そうは思えなかった。
なにせ触れられればコハクになってしまうのだ。
これでは戦えない。
(できるだけ早く、オニキスと合流しなくては・・・。彼ならヒスイ様を守れる)
しかしヒスイは頑として動こうとしない。
一体どうすればこの意地っ張りなお姫様を動かすことができるのか。
(コハクの奴にもっとよく聞いておくんだった・・・)
シンジュは困り果てた。



「・・・いい加減、戻ってこい。ヒスイ」
シンジュに心強い味方が現れた。
オニキスはヒスイの正面に立ち、真摯な口調で言った。
「あの晩のことは・・・オレの不注意だ。もう二度とあんなことにならないよう、今後注意する。だから戻ってこい」
(!!オニキスが・・・一方的に罪を被った・・・)
シンジュは仰天した。
「あ・・・えっと・・・」
オニキスが驚くほど素直に罪を認めたので、ヒスイはオニキスを責めることができなくなった。
自分も謝るべきなのではないかと迷いはじめたのが見てとれる。
(これが大人の対応というやつか・・・。なるほど・・・。ヒスイ様にはこれが効く。そういえばコハクもやたら謝っていたような・・・)
シンジュはこの二人に感心せずにはいられなかった。
「そういえば・・・」
オニキスがダメ押しとばかりに付け加えた。
「書斎に本が増えたぞ」
「えっ!?」
これまでの怒りはどこへやら、ヒスイは瞳を輝かせてオニキスを見た。
「あそこは月に一度、まとめて新刊が入るシステムになっていてな。お前がこの間読んでいた、怪しげな天使の本の続きもあったような気がするが・・・オレは興味がないし、町の図書館にでも寄付するか・・・」
「ま・・・待って!!」
(読みたい!すぐに!)
ヒスイは思わず右手を前に伸ばした。
「・・・戻るか?」
「・・・うん」
軍配はオニキスに上がった。
「シンジュ。ローズが待っているぞ。山のように仕事を抱えて・・・な」
オニキスはシンジュにも声をかけた。
「はいっ!」
帰ったら大量の仕事が待っていると宣告されたも同然なのに、シンジュは喜々として返事をした。
こうしてオニキスは無事ヒスイとシンジュを城に連れ帰った。






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