「良かったのかい?城、出てきちまって」
「うん」
ヒスイはファントムに合流したら、“天使”の情報集めをしようと考えていた。
蛇の道は蛇じゃないが、人外の者のほうが詳しいのではないかと、ふと思いたったのだ。
カーネリアンに誘われて二つ返事でOKした。
(どのみちお城にいても役には立たないもの。シンジュと違って)
そのシンジュもすっかり幼くなり、城務めが困難になった。
盆栽展にも行きそびれ、かなり不機嫌モードである。ロザリオの中で沈黙を決め込んでいる。
「ちょっと寄りたいとこがあるんだけど、いいかい?」
「うん」
カーネリアンに連れられてきた先は海だった。
ヒスイの視界一面に青い世界が広がり、思わず感嘆の声が洩れる。
「うわぁ・・・。海だぁ・・・」
「海は初めてかい?」
「ううん。前に一度だけ、お兄ちゃんと見たことある」
内陸のモルダバイトに住む者からすれば、とても珍しいものだった。
海を見るためには国境を越えなければならない。
「どうだい?いい気分転換になるだろ?」
潮風が気持ちいい。
髪が風に泳ぐ・・・。
「・・・うん」
周囲の気遣いが嬉しくもあり、心苦しくもあった。
それでも海を見ていると気持ちが癒されてくる。
「カーネリアンの寄りたいところって、ここ?」
「いや、こっちだ」
連れ立って砂浜を歩いた。二人とも子供の姿をしている。
「ほら、あそこ」
カーネリアンが示した場所は、沖にぽかりと浮かぶ小さな小島だった。
「?離れ小島じゃない。どうやって行くって・・・え?」

バサリ。

「ちょ・・・ちょっと・・・」
カーネリアンは背中から大きなコウモリのような羽根を出し、ヒスイを抱えて飛び立った。
「お前も、あと100年したら銀色に輝く綺麗な羽根が生えるはずだよ」
そう言って笑いながら。



島は本当にこじんまりとしていて、小さな石碑がひとつだけあることを除けば、他に何もなかった。
(石碑・・・?)
ヒスイは疑問に思いつつも、カーネリアンが口を開くのを待った。
カーネリアンは石碑の前で膝を折って語り始めた。
「アタシはさ、この国の生まれなんだ。親父が吸血鬼だったんだけど、アタシが10にならないうちに死んじまって、その後は教会の孤児院で育った」
「お母さん・・・は?」
「お前んとこと同じ。アタシを産んですぐ死んだ」
「・・・・・・」
「笑っちゃうだろ?悪魔が教会の世話になるなんてさ」
ヒスイは黙ってカーネリアンの話に耳を傾けていた。
余計な言葉をはさむ気はないらしい。
「もちろん、ヴァンピールだってのは隠してた。腹が減ったら動物の血を飲んで、まぁ、たまに孤児院の子の血を頂いたこともあったけど」
今だから笑って話せると、カーネリアンは苦笑した。
(・・・苦労したんだろうな・・・)
ヒスイは自分がお姫様扱いされるのがわかったような気がした。
「・・・この石碑は?」
「あぁ、アタシのオトコの墓」
「・・・え?」
カーネリアンが大人であることは認めていたが、男勝りのサバサバとした性格から、恋愛とは縁がなさそうに見えたのだ。
ヒスイの露骨に驚いた顔を見て、カーネリアンは笑った。
「こ〜んな目の細いヤツでさ」
と、言って自分の目を横に引っ張ってみせる。
「全然カッコ良くなかったけど、気のいいヤツだった」
「へぇ・・・」
「よくある話、だよ。」
カーネリアンはそう念を押して話を続けた。
「孤児の世話をする牧師だった」
「牧師?それって・・・エクソシスト?」
「違うよ。まぁ、そんな感じの力は持ってたみたいだけど」

墓前での話だ。

この話の結末はたぶんハッピーエンドじゃない。
そう知りつつも、カーネリアンの恋の話は新鮮で、惹きつけられた。
ヒスイはせがむような目でカーネリアンを見つめた。
「ちょっとヘタ打って、ヴァンピールだってバレたときも、あいつは何一つ変わらなかった。そのうえ血まで飲ませてくれるようになってね。単純にそれが嬉しくて好きになっちまった。な、よくある話だろ?」
ヒスイは首を横に振った。
「恋する理由なんてそういうものでしょ?」
当然とばかりにヒスイが言うので、カーネリアンは笑ってしまった。
「で、その人とはいつ・・・」
「13の時」
「ええっ!?それってちょっと・・・まずいんじゃ・・・」
ヒスイは激しく動揺した。何故か自分が赤面している。
「あはは!アンタじゃないけど、早く大人になりたくてなぁ。ひとまわり歳が離れてたから、それは犯罪だとかって言って、あいつ、ずいぶん渋ってたんだけど、ねだって、ねだってやっと大人にしてもらったんだよ」
「そ・・・っかぁ」
カーネリアンの横顔から微笑みがこぼれて、ヒスイの心までもあたためた。
その笑顔は当時の幸せをこれでもかというほど物語っていた。
(でも・・・)
その男は墓の下だ。
「この国は、悪魔が多いんだ。好戦的な国だからさ。血の臭いにつられて集まるんだよ。のんびりとしたモルダバイトとは大違いだね」
「・・・・・・」
「そのくせ悪魔に対する弾圧が凄くてね、ここではエクソシストより、フリーのハンター・・・私怨で悪魔を狩るヤツラが幅を効かせてたんだ」
「ハンター・・・」
「アタシもそれに引っかかってさ、全部終わり。アタシを庇ってあいつが死んで、今もここで眠ってる・・・もう百年近く前の話さ」
「どうして眷族にしなかったの?」
ヒスイは、オニキスが死んだと聞いてすぐさま眷族にした。迷いはなかった。
「眷族にすればずっと一緒にいられるじゃない。両想いならなおさら・・・」
ヒスイらしい意見だった。
「お前と違ってさ、アタシは吸血鬼を忌むべきものだと思っていたから、迷って、決められなかった・・・。それにあの時は、共に生きることより、共に死ぬことしか考えてなくてさ。けど、簡単には死ねないカラダだろ。後を追うこともできずに、何十年も一人で生きて、腐りきってた。そんな時、オニキスに会ったんだ」
「オニキスに?」
「そ。あいつはアンタを・・・銀の吸血鬼を探していた。人外の者に理解を示し、決して差別したりはしなかった。そして、生きる場所を与えてやると言って、アタシにファントムをくれたんだ。あいつには感謝してる。それこそ、言葉にできないくらいにさ」
「・・・・・・」
「いい男だよ。コハクのように器用じゃないけど。お前のこと、きっと何よりも大切にする」
「・・・・・・」
ヒスイは無言で表情を歪ませた。
誰に何と言われようと気持ちは変わらない。が、答えに困っている風だった。
「・・・なぁ、オニキスの幸せって何だと思う?」
「・・・わからない」
「お前が幸せになること。たぶんそうだ」
「私が?」
「お前の幸せは何だい?」
「・・・お兄ちゃんと生きること」
「・・・頑固だねぇ」
カーネリアンは溜息混じりに笑った。
「でも、まぁ、そうしたきゃ、そうすればいいさ」
「そうするわよ」
ヒスイはふて腐れ気味だ。
「アンタみたいにさ、何不自由なく育った子は幸せであることが当然だと思ってる。だから逆に幸せに貪欲だ。幸せがどういうものか知っているから、失うまいと躍起になる。アタシはアンタのそういうところが好きだよ。アンタにはそうであって欲しい。人間じゃなくたって幸せになれるんだって、皆に教えてやってくれ」
「・・・うん」
ヒスイは力一杯頷いた。
オニキスを勧めつつも、強制はしないでいてくれる。
ヒスイは心のなかでカーネリアンに感謝した。




「ただいま」
ヒスイはオニキスの正面に立ち、笑顔で言った。
城から逃げ出してばかりだったヒスイが、自分から戻ってきたことに意表を衝かれ、オニキスは驚きを顔に出した。
「・・・なぜ、戻ってきた・・・」
「渡したいものがあったから」
「?」
「いいから、屈んで、屈んで」
小さなヒスイはオニキスの腕を下に引き、自分に近づくよう促した。
「動かないでね」
ヒスイがポケットから取り出したのは無色透明のピアスで、それをオニキスの右の耳に取り付けた。
「イグって石、知ってる?人工的に作られたものだから、石としての価値があるかどうかわからないけど、このままじゃ、オニキスの穴が塞がっちゃうでしょ?だからこれしてて」
「別に塞がっても・・・」
オニキスはヒスイからのプレゼントが嬉しい反面、その意図を察して気が滅入った。
「だめだよ。穴は塞いじゃ。誰かに貰ったとき、穴がなくちゃ困るよ」
(やはりそうきたか・・・)
ヒスイは優しく、残酷だった。
「私、世界がひっくり返ってもお兄ちゃんのところへいく」
「・・・好きにしろ」
「・・・ごめんね」
ヒスイのその言葉はどこに結びつくのか、とても曖昧だった。
オニキスを眷族にしたことか、オニキスの気持ちに応えられないことか。
「・・・幸せになってね」
「それには及ばない」
「え?」
「今、幸せだからだ。人を勝手に不幸にするな」
オニキスは平然としている。
「ええと・・・どのへんが?」
ヒスイからすれば、オニキスは不幸を一身に背負っているような男だった。
そのため、ついそう口にしてしまった。
「お前が生きてここにいるから」
オニキスは言い切った。
「・・・だけど・・・」
代わりにオニキスが死んだ・・・ヒスイはその言葉を声にできなかった。
自分の罪を認めてしまうようで恐かったのだ。
「・・・心臓などお前にくれてやる。心はもとよりお前のものだ」
オニキスは、ヒスイを責める気など全くないことを言葉に込めた。


「・・・ごめんっ!私っ・・・!!」


ヒスイは懸命な表情でオニキスを見上げた。
それからオニキスの右手をとって、唇を寄せた。
ヒスイの唇がオニキスの指先に触れる・・・。
ヒスイからの初めてのキスだった。
「・・・・・・」
オニキスの右手を包み込む、ヒスイの温かい両手。触れる柔らかい唇。
味を確かめた訳でもないのに、何故だかとても甘い気がした。
オニキスは右手を自分のほうへ引いた。ヒスイの両手と共に。
そして、ヒスイが口づけした場所にゆっくりと唇を重ねた。
「・・・これで充分だ」
オニキスは瞳を閉じた。
「お前がどんな姿をしていようが構わない・・・好きだ」
とくん・・・と、ヒスイの胸が脈打った。
鈍い痛みが混ざってはいても、ときめきの一種に違いなかった。
オニキスの胸も同じように鳴った。
(・・・・・・!?)
オニキスは瞳を開けた。
二人の視線が交わり、同じ鼓動を刻む・・・。
「・・・お前が好きだ」
オニキスは繰り返した。
今度はオニキスがヒスイの指先にキスをする。
「・・・あ・・・」
例えるならそれは、大人になる魔法のキスをコハクとしたときに似ていた。
指先から流れ込む、得体の知れないあたたかなもの。
「え・・・?あれ??」
窓から吹き込む風がふんわりとヒスイの体を包み込み、去っていった。
・・・後には大人に戻ったヒスイがいた。



(やってくれるじゃん)
メノウは机に伏して寝たふりをしながら、二人の様子を窺っていた。
(ヒスイを抱かないで大人に戻すなんて)
「もたもたしてると、ヒスイ取られちゃうよ。コハク・・・」
とても小さな声でそう呟やいてから、窓越しに空を眺めた。
「早く戻っておいで」




「・・・いい天気ねぇ・・・」
ヒスイは中庭に面した渡り廊下を歩いていた。
天気のいい日はいつも洗濯物を干すコハクの背中を思い出す。
(ターコイズ・・・また会えないかな・・・。お兄ちゃんと同じ、天使・・・)

バサッ・・・。

ヒスイがそう思った瞬間、頭上で羽音が聞こえた。
ヒスイはバッと空を仰いだ。
「イズっ・・・!?」
しかし、ヒスイの前に降り立ったのはターコイズではなかった。
六枚の羽根をもつ、智天使ケルビム。
「!!!あなたは・・・」
ヒスイはその顔に見覚えがあった。
過去で、コハクに殺されかけていた天使。
「初めまして・・・ではありませんね。その節はどうも」
ケルビムは微笑んだ。とても紳士的だった。
どことなく雰囲気がコハクに似ている。
(この人・・・お兄ちゃんと同じニオイがする・・・)
「あなたは・・・何という名前なの?」
ヒスイはケルビムにとても興味が湧いた。手始めに名前を尋ねる。


「・・・ラリマー」


にっこりと笑ってケルビムが答えた。
「コハクの同僚です。以後お見知りおきを」





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