セラフィム乱入事件以来、ヒスイに対する嫌がらせはぴたりと止んだ。
同時にセラフィムに恐れをなした一般の生徒達も遠ざかり、ヒスイは孤立したが、以前よりもずっと快適だった。
“勉強”は嫌いじゃない。
ヒスイは真剣に授業を受け、休み時間はダイヤとお喋りをして、学校が終わればまっすぐコハクの神殿へ帰った。
「ねぇ、お兄ちゃん。今度、ここに連れてきたいヒトがいるんだけど」
ヒスイは宿題をやりながら、ふと目を上げてコハクに言った。
「・・・それって、男?」
「あ、うん。そうだけど。お兄ちゃんの大ファンなの。すごくお兄ちゃんに憧れてて・・・」
「僕に?」
「うん。そう」
「・・・ふぅん・・・」
(手なづけるにはちょうどいいか)
コハクはロクなことを考えていない。
「いいよ。連れておいで。ケルビムには僕から話しておくから」
「うんっ!」
ヒスイは嬉しそうに頷いた。
「そのかわり・・・」
「ん?」
「今夜はうんとサービスしてね」
「うんっ!!」
「・・・って言ったけどぉ・・・。恥かしい・・・よぅ・・・」
軋むベッドの音に掻き消されそうな弱々しい声でヒスイが呟く。
「ん・・・はぁっ・・・」
「いいね。下から見るヒスイの顔も」
「やだ・・・よう・・・。こんなの・・・恥かしい・・・」
今夜はヒスイがコハクの上に乗っている。
「その顔が好きなんだ。ヒスイは照れた顔が最高に可愛い」
そう言うコハクの顔は最高にいやらしい。
はあっ。はあっ。
ヒスイの体に浮かぶ甘い汗を手の平で感じながら、鑑賞を続ける。
降り注ぐ銀の髪に指を絡めたりして。
「せめて・・・あかり・・・消して・・・」
ヒスイの頭上に浮かぶ魔法の球。
コハクの魔力を消費して淡い光を放っている。
これがベッドライトの代わりだった。
「だ〜め。もっとよくヒスイの顔が見たいから」
コハクは応じない。
「お・・・ねがい。おにいちゃん・・・」
結合部を擦り合わせ、ヒスイが体をしならせる。
「・・・じゃあ、明かり消したらもっとサービスしてくれる?」
今夜は満月。月明かりでも充分明るい晩だった。
「・・・する・・・よ。何でも。お兄ちゃんの喜ぶこと・・・なら」
「・・・いい子だ」
コハクは明かりを消した。
「あ・・・ぅ。おに・・・ちゃ・・・」
ヒスイがコハクに支配され、染められてゆく様を、月は黙って見ていた――
[ホ、ホントかよ!?いいの?行っても!?]
[うん]
ダイヤは万歳をして喜んだ。
[うっわぁ〜・・・セラフィムに会えるんだ!ホントに!!]
[うん]
[なんかすげぇ緊張してきた!オレ!!]
コロコロと表情を変えるダイヤを見て、ぷぷぷとヒスイが笑う。
[もうすぐここにお兄ちゃんがくるはずだから]
ヒスイがセラフィムのことを“兄”と呼んでもダイヤは驚かない。
とっくに聞いた話だからだ。
ヒスイとダイヤは学校の裏手の丘にきていた。
バサッ・・・。
コハクは約束の時間の5分前に現れた。
[うおっ!!]
ダイヤは驚きと興奮でおかしな声を出した。
[こんにちは。君がダイヤくん、だね?]
[は!はじめましてっ!!]
緊張でカチンコチンになっている。
[ヒスイがずいぶんお世話になっているようで]
コハクは感謝を述べて、右手を差し出した。
ダイヤはごしごしと服で手を拭いてからコハクと握手をした。
じ〜ん・・・。
(オレ、もう手ぇ洗わねぇ・・・)
[君、空は飛べる?]
[あ!はいっ!!]
[じゃあ、ついてきて。“上”の雲、僕が穴を開けるから、塞がる前に通過してね]
[はいっ!]
(セラフィムってすげぇ優しそうじゃん?間近で見ると噂通りの超美形だし。そういや“花嫁”もそうだよなぁ・・・。ヒスイ、っていうのか“花嫁”の名前・・・)
[うっわぁ〜っ!!]
驚きの連続。
[セラフィムの神殿ってもっと神殿っぽいのかと思ってたけど・・・]
物が多い。
ダイヤが見たこともない地上の物でいっぱいだった。
[意外と生活感あるんだなぁ・・・]
こっそりヒスイに耳打ちする。
[でしょ?]
そう答えたヒスイの顔がとても幸せそうだったので、ここでの生活はきっと充実しているのだろうとダイアは思った。
[今、お茶の用意をするから。ちょっと待っててね]
コハクはいそいそと奥へ引っ込んだ。
[・・・セラフィムがいれるの?お茶・・・]
[そうよ?]
[“花嫁”ってすげぇな・・・]
[お兄ちゃんのいれるお茶、すごくおいしいのよ。楽しみにしてて]
ヒスイは自慢気に言った。
[優しそうだよな、セラフィムって]
優美で穏やかな見た目からは、到底殺しのプロとは思えない。
[うん。普段はすごく優しいよ]
夜以外なら、文句なく優しい。
ヒスイは苦笑した。
[あ!じゃあ、私片付けるよ!]
ヒスイは気を利かせたつもりで、自ら片付けを申し出た。
コハクのいれたお茶は極上の味がした。
ダイヤはお茶菓子として出された地上のお菓子・・・苺のタルトを夢中になって食べた。
その様子をヒスイとコハクが楽しそうに見守っていた。
[・・・君はどう思う?]
ヒスイが奥に姿を消してから、コハクが尋ねた。
[え?]
[ヒスイ]
[は?]
[ちょっとツンとしたとこあるけど、可愛いでしょ?]
ダイヤは驚いた。憧れのセラフィムがでれっとした顔で話しはじめたからだ。
セラフィムは思っていたよりもずっと気さくで話しやすい、と思った矢先だった。
[そう・・・ですね]
[怒るとここに牙がでるんだ]
コハクは犬歯の辺りを指さして笑った。
[それがまた可愛いの。わかる?]
[はい。わかります]
ダイヤは例の集団との喧嘩の最中にヒスイの牙を何度も見た。
そして“花嫁”に対して不謹慎だとは思いながらも、その牙がちょっとかわいいと思っていた。
ダイヤの回答を受けて、コハクの声のトーンがほんの少し下がった。
[・・・君は“悪魔”をどう思う?]
さっきまでとは打って変わった真剣な表情。
ダイヤは正直に思っていたことを答えた。
[・・・当然のように、悪魔は忌むべきものだと思ってました。セラフィムが“花嫁”を連れ帰るまでは]
[うん・・・たぶん天界にいるほとんどの天使がそうだろうね]
[けど!今は違う!!]
ダイヤは敬語を使うのも忘れて否定した。
[オレ、“花嫁”と話すの楽しいし!“花嫁”のこと知れば知るほど、悪魔って言ったってオレ達と何一つ変わらないって・・・そう思うんだ!]
[そう。その通りだよ。彼等は僕等と変わらない]
コハクは優しく微笑んだ。
[悪魔のなかには確かに悪い奴もいる。だけどそれは天使だって同じだ]
ダイヤは強く頷いた。
[天使は触れただけで悪魔を消滅させることができる。だから、自分達が優位だと思いがちだ・・・が、実際は違う。彼等のほうがずっと“生きてゆく強さ”を持ってる。種族として今、最も脆弱なのは天使じゃないかと、僕は思う]
[セラフィム・・・]
ダイヤはコハクの話に聞き惚れている。
[ここ、女の子少ないでしょ]
[はい]
[下にはいっぱいいるよ。まぁ、ヒスイほど可愛いコはいないけど]
コハクの口からヒスイの名が出ると場の空気は一気に軽くなった。
[人間・精霊・そして悪魔。みんな地上で生きてる。ここに閉じこもっているのは僕等だけだよ]
[地上・・・]
ダイヤは夢見る瞳で呟いた。
[興味沸いた?]
くすりとコハクが笑う。
[はいっ!!]
もともと好奇心旺盛な性格だ。ヒスイから地上の話を聞く度に、ウズウズしていた。
地上に降りてみたいと何度も思ったが、神の喪失以来、天界の門は閉ざされたままだ。
上級天使ならともかく、いち天使の力ではどうにもならない。
[天使のなかには、オレの他にも地上に興味を持っている奴がたくさんいるはずです]
[それを聞いて安心したよ]
[え?]
どういう意味かと聞き返したが、コハクは美しく微笑んだきり、それ以上一切語らなかった。
(・・・厄介だな。今回は)
コハクはふわりと瓦礫の上に降り立った。
鞘に収まった大剣でトントンと肩を叩く。
(・・・モルダバイト・・・か)
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