「さて、どうしようかな」
コハクが前髪を掻き上げる。
(モルダバイトはいい国だ。だけど国民が十人一様に“良い人間”であるはずがないし、その必要もない)
「だけどこのやり方はどうもなぁ・・・」
コハクの声に不満がこもる。
「“予言の書”なんてくだらない」
現在、神に代わって天使達の頂点に立つ智天使が所有する“予言の書”。
地上で生きる者達のほんの少し先を知ることができるという逸品だ。
(・・・いつか絶対灰にしてやる)
コハクがそう思うのには訳があった。
見てしまったのだ。
“予言の書”が告げるヒスイの未来を。
神が定める“運命”ではヒスイとオニキスが結ばれていることを、天界に戻って間もなく知った。
勿論ヒスイには一言も洩らさない。
ただひとつの救いは“予言の書は万能ではないこと”だった。
神の意志に基づいて生まれた“予言の書”。天使と悪魔の愛の行く末など示すはずもなかった。
本来地上に介入しないしきたりになっている“天使”は当然“予言の書”には含まれない。
(そこから変えてやる)
コハクはまずそう思った。
(公平な“運命”というものをみせてもらおうじゃないか)
しかし、そんなものが予言した未来の為に、今、ここにいる。
モルダバイトの遥か南西にある廃屋。
「まさに無理難題だ。ケルビムの奴・・・」
回想。天界。
「モルダバイト王が狙われています」
ケルビムが“予言の書”片手に、静かな語調で言った。
“予言の書”は万能ではなく絶対でもない。
その為、ケルビムは悪い運命を回避するために使用していた。
「・・・彼は殺しても死なない。ヒスイがここにいるかぎり、地上では無敵だ」
「ええ。彼は死にません。しかしそれが国民にバレたら?」
「・・・それを防げと?」
「そうです。モルダバイト王の健在は国の安定に繋がる」
魔石翡翠の所有権はまだケルビムにあった。
ヒスイが三ヶ月間学校に通いきるまでは、譲り受けることができない。
「・・・わかった」
「オニキスを狙うのは“悪魔憑き”らしいけど、体を乗っ取られたこの国の人間だ」
今日は午後から城下の視察がある。
公式の場で騒ぎになることは避けたい・・・が、それが向こうの狙いだ。
モルダバイトの王が“銀”の眷族と知ってちょっかいをかけてくるのなら、相手は相当な悪魔とみてよい。
目的を達成する前に正体を現すようなマネはしないだろう。
(どうせ上級悪魔の気まぐれなんだろうけど・・・迷惑な話だなぁ・・・)
「地上にいられる時間もあまり長くないことだし・・・アレでいくか」
肉を切らせて骨を絶つ。それが一番手っ取り早い。
「そうと決まれば仕込み、仕込み」
(・・・おかしい。あの夜以来何もないわね・・・)
覗きが趣味になりつつあるインカ・ローズは、いつものように物陰からオニキスとメノウの様子を見ていた。
言葉を交わす二人の間に、あの夜のような甘いムードは流れていない。
インカ・ローズは不思議で仕方がなかった。
(もっと××とか×××とかしてると思ったのに。)
ちょっとがっかりだ。
(そっか・・・オニキス様ってプラトニック派だもんね)
とりあえずそう解釈しておく・・・が、覗きはやめられない。
「・・・何か用か?」
不審に思ったオニキスが、インカ・ローズに声をかける。
「い・・・いえ、何でも・・・あ!今日の視察の時間なんですが・・・」
インカ・ローズはわざとらしく用事を付け足した。
「ああ」
「正午ぴったりの出発になります」
「そうか・・・。時間まではお前も休むといい。王妃が一緒だ。今日も骨が折れるぞ」
ここ最近の王妃の人気で、今日も大層な人出が予想される。
シンジュと二人、押し寄せる人の波を制御するのに毎回苦労しているのだ。
「な〜んか期待してる?」
オニキスの次にやってきたメノウが、インカ・ローズを覗き込んでにやにやと笑う。
「してます」
メノウは冗談をはじめ話の通じるタイプだ。
インカ・ローズははっきりと言った。
「あはは。残念だけどしばらくはないと思うよ」
「どうしてですか?」
「さぁねぇ・・・」
人差し指を唇にあてて意味深に笑うメノウ・・・小悪魔的に可愛い顔だ。
「よお〜し。今日も頑張るぞ〜!」
白々しく気合を入れて去ってゆく・・・。
(・・・ホントによくわからない二人だわ・・・。はっ!それとも男同士ってそういうものなの!?)
インカ・ローズは更に誤解を深めた。
「はぁ〜っ???」
シンジュに打ち明けると思いっきり馬鹿にされてしまった。
無論シンジュ本人にそのつもりはない。
「頭、大丈夫ですか・・・?」
「・・・失礼ね。正気よ。だってこの目で見たんだから!ヒスイ様を見るような目でメノウ様を見て、キス、したのよ?」
「・・・・・・」
言われてみればシンジュには思い当たる節があった。
メノウの隠し技。
「だとしたら・・・それは本当に・・・」
(ヒスイ様だ)
そしてもう今はいない。
シンジュは説明を諦めた。
「それは本当に・・・“愛”なのね!」
インカ・ローズは勝手に言葉を続けて瞳を輝かせた。
どうしてもオニキスとメノウを結びつけたいらしい。
「もっと二人っきりの時間を作ってあげるべきよね。ブツブツ・・・」
暴走するインカ・ローズを止める術はない。
シンジュは額に手をあてて溜息をついた。
町はカーニバル状態だった。
明るく陽気な人々に囲まれ、馬車はゆっくりと進行してゆく。
サーカスなどの娯楽施設が集まる遊園地の広場で馬車が止まる。
ここまでは打ち合わせ通りだった。
そして、予言どおりの騒ぎが起こった。
王と王妃の姿を一目見ようと集まった中から、転がり出た男。
服装は立派で金持ちそうだが、小太りのハゲだ。
いかにも甘い汁をすっていそうな悪人顔で、王室御一行に襲いかかる。
女性の従者であるインカ・ローズを狙う辺りが小狡い。
助けに入ったオニキスにスキができることを計算した上での行動だった。
「きゃぁ!」
インカ・ローズの悲鳴。そして男の振り回す剣がオニキスの腕を掠めた。
「!!?」
人々は驚きで凍り付いた。
傷を負ったオニキスの腕・・・血を見るよりも早く傷口が塞がっていく。
『瞬間忘却――』
コハクが呪文を唱える。馬車の止まっている場所を中心に半径50mもある巨大な魔法陣が敷かれていた。
それがコハクの声に反応し、人々の足元から一気に光りを放った。
少しの間、時が止まったようになり、その隙にオニキスとメノウを誘導する。
魔法陣は強い魔力を持つ者には作用しない様にしてある。
<・・・思わぬ邪魔が入ったと思えば・・・セラフィムではないか・・・これは収穫だのぅ・・・>
悪魔憑きの男が口を開く・・・。それは悪魔語だった。
悪魔語は天使語よりもはるかに難解で、それはもう言語というものではなく、超音波のような、常人には聞き取れない不可解な音を奏でるものだった。
<・・・サタン>
コハクも悪魔語で返した。
(・・・今回の本命はコレか)
“銀”の眷族であるオニキスを闇の世界に引き込もうとする堕天使。
オニキスを手に入れることはこの国を手にいれることに等しい。狡猾な上級悪魔が狙うのも無理はない。
<お主の噂はよく聞いておる。“銀”の子を育てる為に、翼を四枚も捨てた熾天使・・・愚かで、実に美しい話よ>
堕天使の代表格であるサタン・・・数千年前に堕天してからというもの、悪魔の頂点と言われるほどの力をつけている。
(今の僕ではまともに戦っても勝ち目はない。人間に取り憑いている今がチャンスということか)
想像以上の大仕事になりそうだった。
「サタンが相手となると・・・無傷で帰れそうにないなぁ・・・やれやれ」
ヒスイへの言い訳を考えながら、コハクは流れるような動作で剣を抜いた。始めから手加減する気はない。
<ほう・・・。戦る気か>
「待て」
サタンに剣を向けるコハクにオニキスが剣を向ける。
もとより犬猿の仲。再会の挨拶などない。
「何か?」
「殺すな」
「はぁ・・・?あなたを斬ったんですよ?こいつは」
「腐っても我が国の民だ。お前の好きにはさせん」
<くっくっくっ・・・慈悲深い王のよぅ>
茶化すようにサタンが言う。
その言葉はコハクにしかわからない。
自分を斬りつけた男に悪の親玉が宿っていることなど知りもしないオニキスには、コハクが一般人に剣を向けているようにしか見えなかった。
「オレが相手をしよう」
オニキスは王らしいセリフを言ってのけたが、その後はかなり私怨が混ざっていた。
(面倒臭いことになったなぁ・・・)
サタンとオニキスに挟まれ、隙を見せている余裕はない。
もはやどちらから攻撃を受けてもおかしくない状態だった。
「しょうがないなぁ。助けてやるよ」
「メノウ様!」
「おい。悪魔。オマエの相手は俺がしてやる」
メノウは両腕を組んで、サタンの宿る小太りの男に言った。
「ほう・・・これは面白い・・・」
サタンはメノウのことを知っている様だった。それはメノウも同様で、両者の間に因縁めいた空気が流れる。
こっちは任せろ、とメノウは目でコハクに合図した。
「恩にきります」
「ちゃんと恩返しろよ」
「はい」
カンカンと刃のぶつかり合う音がする。人目を避けるため、二人はまた森の中で戦っていた。
「ヒスイは元気でやっていますよ」
「・・・そのようだな」
「あなたには感謝しています。半分は寝取られるのを覚悟していたんですけどね」
「・・・・・・」
「あなたは僕が思っていた以上に紳士だった」
交差する剣ごしにコハクが笑う。
「お前と一緒にするな」
「・・・それ、どういう意味ですか」
「・・・自分で考えろ」
二人は睨み合った。
「・・・今、僕をここで殺せば、ヒスイはあなたのものになる。本気でどうぞ」
コハクが余裕たっぷりに挑発する。
「・・・言われるまでもない」
「剣ではなく、得意の魔法で戦ったらどうです?剣の腕は僕のほうが上だ」
パァン!
そう言うなり、コハクはオニキスの剣を払った。
大剣を扱うコハクと片手剣のオニキス。大きさも重量も全然違う。
スピードは互角でも繰り出す一撃はコハクのほうがはるかに重かった。
「!?」
剣が柄ごとオニキスの手を離れ、何回転もしながらザクリと少し先の地面に突き刺さった。
「・・・・・・」
武器を失ってもオニキスは冷静だ。
呪文を唱え、何もない空間から氷の剣を創り出す・・・。
空気中の水分を集め、結晶化したものを硬化した魔法の剣。
「・・・では僕も」
コハクは自分の大剣を地面に突き立てた。
そして何もない空間からオニキスと同じように武器を掴み取ってみせた。
ボッ!!
燃えさかる火炎の剣。
空気を分解し、酸素のみを凝縮させたものに炎と硬化の魔法を付加したものだ。
「いきますよ」
炎と氷。
虎と竜。
二人の戦いはほぼ互角だった。
「・・・強く・・・なりましたね。さすがはヒスイの眷族だ」
“銀”の眷族は吸血鬼一族最強の部類に入る。
眷族は本来“銀”ではない生き物であるため、治癒力の弱さという弱点がない。
絶滅寸前の“銀”・・・その眷族の存在も貴重だった。
「だけど・・・まだ僕には及はない」
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