静まる会場。

トンッ・・・

ジンの放った矢が的の中心を貫いた。

ワァァーッ!

沸き起こる歓声。
「武術大会、弓道の部優勝!ジンカイト!」
アナウンスと同時にシトリンが飛びついてきた。
「やったな!ジン!正直お前がここまでやるとは思わなかった!」
「オレも、ここまでいけると思わなかった」
自分が弓の名手であることをこの時知った。
しかしそんなことよりも、シトリンの喜ぶ顔が嬉しい。
「逸材を見つけたな、シトリン」
「オニキス殿!」
ジンの幸せ気分は長くは続かなかった。
オニキス・・・モルダバイト王の出現でシトリンに置いてきぼりをくらったのだ。
抱き合って喜んでいたシトリンは疾風の如くオニキスの元へ駆けてゆき、ジンは一人残された。
学問の国、モルダバイトの王、オニキス。
妻が神隠しにあった後、第二王妃を迎えることもせず、男手ひとつで双子を育てた。
それが国民の好感を更に高め、歴史に名を残す名君としての呼び声も高い。
これだけの国を担う男だ。見た目は若くてもやはり貫禄がある。
精悍な顔立ち・・・見た目の年齢で言えば二十代半ばぐらいだ。
(男のオレから見ても・・・かっこいいと思う・・・)
ジンは素直に認めた。
(シトリンが惚れ込むのも・・・わかる)
入団して3ヶ月・・・だいぶ親しくなってから知ったことだった。
シトリンの言う“国”とは“王”そのものの意味に近い。
自分でもそれを認めた。


「“オニキス殿の役に立ちたい”きっかけはたぶんそんな気持ちからだったと思う。無論今はそれだけではないが、もとをただせば不純な動機だ」


ジンがデートのつもりで誘った喫茶店でシトリンはそう話した。
シトリンはオニキスを決して父とは呼ばない。
人前では“王”。そうじゃなければ“オニキス殿”だ。
「・・・王のどんなところが好きなの?」
「・・・私はあまり勉強が得意ではないからな。机に座っているよりは体を動かすほうが好きだ」
シトリンの話し方はオニキスそっくりだった。
「ここの学校はどこもレベルが高いだろう?兄上は頭が良いからストレートで合格したが、私は試験に落ちまくってな。ハイスクールに入学できるかどうかの瀬戸際だったんだ」
シトリンはケラケラと笑った。
今日は騎士団服ではなく、ハイスクールの制服を着ている。
学校帰りなのだ。
「オニキス殿にはずいぶん勉強をみてもらった。忙しい時間を割いて頭の悪い私に夜通し付き添ってくれて・・・」
ぽっ・・・とシトリンの頬が染まる。
「好きなんだ。あの声も。仕草も。ずっと見ていたいと思う。ジンにもあるだろう?そういう経験」
「まぁ普通に・・・」
今、まさにそうだ。
しかし、打ち明けたところで相手にもされないだろう。
ジンは言葉を濁した。
「宮殿に肖像画があるんだ。銀の髪の女性の。オニキス殿はずっとその女性を想い続けている。だから私は100%片想いだが・・・肖像画を見るオニキス殿の横顔、瞳、私も幼い頃からずっと見てきた。あんな風に私を見てくれたら、想ってくれたら・・・そんなことを考えているうちに好きになってしまった」
一気に話して一気に照れる。
「柄にもない話をしてしまったな。さぁ、城に帰って訓練するぞ!」





「オニキス・・・」
「・・・ヒスイか」
「誰もいない?」
「いないぞ」
中庭の渡り廊下を歩いていたオニキスの前に姿を現したのは、ヒスイという名の小柄な女だった。
膝まである長い銀髪。その名の通り翡翠色の瞳をした美しい女だ。
頭に葉っぱがついている。
「森を歩いてきたのか?」
オニキスが葉っぱを払う。
「うん。最近運動不足だから。たまには歩こうかと思って」
ヒスイがオニキスを見上げて笑った。
「お前の場合はいつもそうだろう・・・」
「確かに・・・そうかもしれないわね・・・」
オニキスは優しく微笑んでヒスイの頭を撫でた。
「今日はどうした?」
「借りてた本を返しに」
ヒスイは抱えていた分厚い本をオニキスに渡した。
「ありがと。いい勉強になったわ。長い間借りっぱなしでごめんね」
「・・・いや、またいつでも」
二人は連れ立って人目につきにくい木陰へ移動した。
「トパーズもシトリンも元気?」
「ああ、二人とも国の為によくやってくれている」
「へぇ・・・私とは大違いね・・・」
ヒスイはピンクのキャミソールに黒いミニスカート、ロングブーツを履いている。見た目はかなり若い。
10代に見える。
そして左手の薬指に指輪。首筋には明らかにソレとわかるキスマークがついていた。
オニキスは見ないふりをして話を続けた。
「親が不真面目な分、子供は真面目だ」
「う〜ん・・・それを言われちゃうと・・・」
ヒスイは腕を組んで唸った。
「アイツはどうしてる。最近顔を見ないが・・・いや、見たくもないが」
「元気だよ。もう元気すぎて困るくらい元気」
ヒスイは首のキスマークを押さえて苦笑いした。
「エクソシストに復帰したと聞いたが・・・」
「うん。そう。私もエクソシストやってるの、今」
「・・・そうか」
「ねぇ、それより・・・どう?シトリンは?」
「?シトリンがどうした」
「とぼけちゃって。随分仲がいいって聞いたんだけど?ひょっとしてもう・・・」
ヒスイが含み笑いをする。
清楚な顔立ちに似合わないリアクションだ。
「・・・なぜそうなる・・・」
オニキスは溜息をついた。
ヒスイの短絡的な考えには毎回呆れる。
「シトリンは“娘”だ」
「また・・・そんな堅いこと言って・・・もったいないよ?」
「何がだ・・・はぁ〜っ・・・」
溜息の連続・・・。昔からヒスイには振り回されてばかりなのだ。


「・・・オレがお前以外の女に触れるとでも?」


「え・・・ちょっと・・・痛っ!!」
突然オニキスがヒスイの首筋に噛みついた。
残されたキスマークの上から深く牙を潜り込ませる。
「・・・い、痛いってば!オニキス!聞いてるの!?一度舐めてからじゃないと・・」
ゴクン、ゴクン、オニキスの喉が鳴る。
「だめ・・・って・・・あ・・・」
間もなくヒスイは貧血で意識を失った。


オニキスはヒスイを宮殿へ連れ帰り、ベッドに寝かせた。
城の離れになっている宮殿はオニキスの私室のようなもので、使用人は一人もいない。
(吸い過ぎた・・・何をやっているんだ・・・オレは)
自己嫌悪。いつもならこんなヘマはしない。
ヒスイの無神経な言葉と、他の男がつけた首筋のキスマークに腹が立った。
(オレは・・・全く進歩していない・・・むしろ退行している気さえしてきた・・・)
前髪を掻き上げ、また溜息・・・


「・・・ん・・・」
ヒスイがうっすらと瞳を開けた。
「・・・すまん」
「別にいいけど・・・そんなに喉が渇いてたんならもっと早く言ってくれればいいのに」
少しだるそうにヒスイは体を起こした。
「傷口は塞いだが・・・シャワーを浴びた方がいい」
肌にも服にも血が付着している。
「だね、これじゃちょっと・・・家に帰れない。シャワー借りるね」
「ああ、着替えは用意しておく」


「あれ?おかしい・・・」
蛇口を捻ってもお湯が出てこない。水滴ひとつ落ちてこなかった。
「ねぇ、オニキス、なんかこれ壊れてるみたいよ?」
バスタオル一枚体に巻いてヒスイがオニキスを呼び付ける。
「・・・どうした?」
「これ、これ」
ヒスイが蛇口を捻ってみせる。
「あ・・・取れちゃった・・・」

ザアアァァーツ・・・

蛇口の取れた瞬間に二人の頭上から温水が降り注いだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「ごめん〜」
「・・・とにかく放水を止めなければ・・・」
もうかなり浸水している。
オニキスはずぶ濡れの上着を脱いで、工具片手に修理を始めた。
その様子をヒスイが隣で見ている。
「昔はこんなことなかったのにね・・・」
「・・・20年も前の話だ・・・」




「オニキス殿・・・週末の遠征の件で・・・」

シトリンが宮殿を訪れた。
(水の音?入浴中か?こんな早くに?)
午後2時・・・バスルームに向かう。
「オニキス殿?」
バスルームから湯気が洩れている。扉が少し開いていた。
「!!!!」
(肖像画の女性!!?)
実物は絵よりも遥かに美しかった。その隣にはオニキスがいる。
(なぜバスルームに!?オニキス殿と一緒にいるのだ!?)
(しかもバスタオル一枚!?オニキス殿は上半身裸!?びしょ濡れ!?一体何をしている!?)
シトリンの連想は止まらない。
(!!く・・・首筋が赤くなっているのは何だ!?あれはオニキス殿が付けたのか!?)
「オニキス殿っ!!」
思わず扉を全開にして叫ぶ。

「!!!」
「!!!」

シトリンの乱入にオニキスとヒスイが目を丸くする。
モルダバイトの王と王妃・・・
「ふ・・・不純だっ!!」
シトリンは真っ赤な顔で走り去った。
「いいの?追いかけなくて・・・なんか誤解してるみたいだけど・・・」
「・・・この状況をどう説明しろと・・・」
「・・・まぁ・・・そうかもね・・・」




「・・・銀髪の女?ああ、あいつか」
「兄上は知っていたのか!?」
シトリンは双子の兄トパーズのところへ駆け込んだ。
シトリンの報告を受けてもトパーズは全く動じない。
「あの女なら、昔から時々来ていた」
「なぜ教えてくれなかった!?」
「・・・別に。興味がない」
無関心。無感動。トパーズは何に対してもそうだった。
直情型のシトリンとは正反対の冷徹な現実主義者だ。
「兄上、常々疑問に思っていたことが」
「何だ?」
「肖像画の・・・あの女性は我々とどういう関係なのだ?」
「母親だろう」
「しかしずいぶん幼い・・・」
「人間じゃない。オレ達だってそうだ」
「では、オニキス殿の妻であるはずの彼女が産んだ我らが、オニキス殿の子供ではないのは何故なんだ・・・?」
「そんなの簡単だ。浮気でもしたんだろ。母親のほうが。そして他の男の子供を身籠もった。それがオレ達」
「な・・・っ!?」
シトリンは驚きと共に逆上した。
「オニキス殿というものがありながら他の男と通じ我らを産むなど、不届き千万!成敗してくれる!!」
愛用の武器を片手に部屋を飛び出す。
「・・・何熱くなってるんだ、あいつ・・・母親が他の男と通じてなかったらオレ達産まれてないぞ・・・馬鹿か?そういえば馬鹿だった・・・」



「オニキス殿っ!一つ聞く!!」
シトリンは宮殿に引き返した。
王妃・・・ヒスイの姿はなく、オニキスもちゃんと服を着ている。
「先程の女性は我らの母親なのか!?」
「・・・そうだ」
「今、何処にいる!?」
「・・・会いたいか、母親に・・・」
「当たり前だ!!」
オニキスとシトリンの心の内は見事に食い違っていた。
シトリンが全く別の意味で母親を求めていることにオニキスは気付かない。
そんなに会いたいならば・・・と17年目にして初めて母親の所在を明かした。
「オニキス殿の無念は私が晴らす!!首を洗って待っていろ・・・母上!」






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