「オニキスはヒスイの眷族なんだ」
バルコニーの手すりに寄りかかり、コハクがそう明かした。
「けんぞく?何だソレは。聞いたことがないぞ」
シトリンは両腕を組んで唸った。
「彼は・・・昔一度死んでる」
「死・・・だと!?」
「そう。彼は今、ヒスイと一つの心臓を共有して生きてる」
「一つの・・・心臓で・・・」
「うん。ヒスイの心臓がオニキスに命を与えているんだ。だからもしヒスイの身に何かあれば・・・」
「オニキス殿も生きてはいない・・・と?」
険しい表情をしたシトリンの言葉にコハクが頷く。
「眷族というのはね、血を分けた仲・・・つまり“親族”の意味に近い」
「・・・なるほど・・・な」
“お前が死んだらオレも死ぬ”
オニキスの意味深な言葉の意味は理解できた。
(・・・だが、オニキス殿の気持ちは・・・)
「ヒスイは僕の妻だ。オニキスの妻じゃない」
シトリンの気持ちを見透かして、コハクが強く念を押した。
「オニキスはフリーだよ。頑張って」
朗らかな笑顔でシトリンを励ます。
「・・・ちょっとだけお前がイイ奴に思えた」
「それは良かった」
「お前・・・“天使”なのか?私の背中にもソレが・・・」
神に最も近いとされる最高位の天使、セラフィム。
シトリンはその血を継いでいる。
「うん、まぁ、そんな感じかな」
コハクは苦笑いで曖昧な答えを返した。
「お兄ちゃん!」
窓の外にコハクの姿を見つけたヒスイはベッドから飛び降りた。
「迎えにきてくれたの?」
コハクに抱きついて嬉しそうに笑う。
「うん。一緒に帰ろう」
コハクもヒスイを抱き締めて笑った。
金色の大きな羽根でヒスイの体を包み込み額にキスをする。
(な・・・何なんだ・・・このイチャイチャぶりは・・・)
見ているほうが恥ずかしくなる。
シトリンは呆気に取られた。
「どうも。お久しぶりです」
丁寧な口調・・・コハクの挨拶の相手はオニキスだった。
「・・・ああ」
オニキスとコハク。二人の会話は全く弾まない。
緊張感漂う空間にも関わらずヒスイが気にしている様子はない。
(はっ!私がハラハラしてどうするんだ!!)
気が付けば固唾を呑んで見守っている。
「・・・門限は7時だったな。帰すのが遅れてすまない」
オニキスが近くの置き時計を見て言った。夜の8時半過ぎている。
(門限!?しかも7時!?まるで子供扱いではないか!)
オニキスに決められたシトリンの門限は10時だ。
(今時門限が7時・・・信じられん)
しかしヒスイが不満に思っているようにも見えなかった。
コハクの腕の中で無邪気に笑っている。
(変わった夫婦だ・・・)
「いえ。行き先さえわかっていれば、それ程うるさく言うつもりはありませんから」
コハクはにこやかに微笑んでオニキスに頭を下げた。
「それでは、今日はこれで・・・」
「ああ」
「じゃあ、またね」
飛び立つコハクの腕の中からヒスイが手を振る。
オニキスは黙って二人を見送った。
二人の姿が見えなくなるとオニキスは軽く息を洩らした。
「・・・オニキス殿・・・」
「アイツは・・・オレの元からいとも簡単にヒスイを連れ去る。昔からそうだ」
苦笑いを浮かべるオニキスがシトリンの瞳に切なく映る。
「付き合わせて悪かったな。宿題か?」
テーブルの上に置き去りになっていた教科書とノートに目をやって、オニキスはシトリンを見下ろした。
「・・・ひとつ聞いてもらいたいことが」
オニキスを見上げてシトリンが切り出す。
「何だ?」
「・・・好きだ。今度は私に守らせてくれ。オニキス殿が・・・好きなんだ。もうずっと前から」
「・・・だめだ」
オニキスは冷静に言葉を返した。
「・・・だめだ、というのは告白の返答としてはおかしいと思うぞ・・・好きか嫌いかで答えてくれ」
シトリンは紅潮した顔のままそう言った。“だめだ”と、根本から否定されるのは予想外だったのだ。
「だめなものはだめだ」
オニキスが繰り返す。
「もっと周りに目を向けろ。ジンはなかなかの好青年だぞ?」
「!!あいつはただの友達だ!!私が好きなのは・・・」
言葉を続けようとするシトリンの唇にオニキスの指が触れた。
高鳴る鼓動と共にシトリンの動きが止まる。
「・・・部屋に戻れ」
オニキスはそれだけ言うとシトリンの唇から指を離した。
「・・・っ・・・」
シトリンは更に赤くなり、向きを変えてオニキスの元から走り去った。
(フラれたというのに何をドキドキしているんだ!?私は!!)
唇に残るオニキスの感触。
「・・・そうだ・・・フラれたんだ」
シトリンは立ち止まって自分に言い聞かせた。
指で制止され飲み込んだオニキスの名。
想いを告げる事さえ許されない・・・厳しい現実。
「オニキス殿は今も母上を愛している。私など眼中にない。はじめからわかっていたことだ」
自分の言葉で自分が落ち込む。
下を向いたまま中庭を歩き、噴水の水面に姿を映して溜息。
「私も・・・母上や兄上のように銀の髪をしていたら、少しはオニキス殿に愛されただろうか・・・」
バンッ!
「ジン!今夜は付き合え!とことん飲む!」
シトリンは騎士団の宿舎に乗り込んだ。
片手に酒瓶を持っている。
「制服では酒場に入れんからな。ここで飲む!明日はここから学校に行くぞ!」
そのつもりで入浴を済ませ、わざわざ制服に着替えてきたという。
「え・・・?泊まるの・・・?」
ジンはシトリンの勢いに押されっぱなしになっている。
何かと付き合わされるのはいつものことだった。
「迷惑か?」
「いや、迷惑とかそういう問題じゃないと思うけど・・・」
「一晩中飲む。寝床は必要ない」
シトリンは床に座り込んで一升瓶を開けた。
ジンがグラスを手渡す。
「・・・何かあった?」
「・・・フラれた。オニキス殿に。好きとか嫌いとか、それ以前だ。全く女として見られていない。相手にもされなかった」
「・・・付き合うよ。今夜はとことん」
ジン的には複雑な心境だった。
チャンス到来。
しかし、シトリンの沈んだ顔を目の当たりにしてしまうといまいち盛り上がれない。
罪悪感すら覚える始末だ。
(シトリンと王がうまくいけばオレは失恋だけど・・・やっぱりシトリンには笑顔でいてもらいたい)
「オニキス殿ぉ〜・・・」
シトリンはジンの枕を抱き締めて泣き出した。もはや素面ではない。
(シトリンは悪酔いするタイプじゃないんだけどな。お酒強いし)
床に転がり、半分夢の中。寝言でオニキスの名を繰り返し続けている。
ジンはシトリンを抱き上げ、自分のベッドに寝かせた。
無防備に寝返りをうつシトリン。
制服のミニスカートからすらりとした太股がのぞく。
ジンは捲れたスカートを直して、上からタオルケットを掛けた。
「・・・・・・」
(・・・性欲はそれほど強いほうじゃないと自分でも思う。すれば普通に気持ちいいけど、しなくても別に・・・大丈夫かな・・・オレ・・・まだ23歳なんだけど・・・)
コンコン。
深夜0時。誰かがジンの部屋のドアをノックした。
「・・・シトリンは来ているか」
ドアの向こうから聞こえてきたのはオニキスの声だった。
(王・・・!!?シトリンを迎えに!?)
タラリと冷や汗が出た。王であり父親でもある男。
この状況下ではプレッシャーも2倍だった。
ジンは慌てて酒瓶とグラスを隠し、緊張した面持ちでドアを開けた。
「部屋に戻っていないようなのだが・・・」
「あ、はい。来てます」
「・・・寝ているのか」
膨れているジンのベッドを見てオニキスが言った。
「・・・何もしていないだろうな?」
「もちろんです。シトリンにとってオレはただの“友達”ですから」
「・・・・・・」
ジンの言葉にオニキスは黙った。
(まずいこと言ったかな・・・)
内心ドキドキしながらもジンはオニキスの言葉を待った。
「・・・これを」
オニキスが差し出したのは教科書とノート・・・シトリンが宮殿に忘れていったものだった。
「明日提出の課題を終わらせてある」
「王が?」
「ああ。あそこは課題が多すぎる。たまにはいいだろう」
この優しさにまたシトリンの熱が上がる・・・ジンはそう思った。
「・・・だが、お前がやったことにして欲しい」
「え?」
「オレがここに来たことはシトリンに言うな。これは“命令”だ」
「はい・・・わかりました」
オニキスに凄まれ、ジンはそう答えるしかなかった。
(筆跡でバレると思うけど・・・)
オニキスが帰った後、こっそりノートを開いてみる。
「あ・・・」
シトリンとオニキスは字まで似ていた。
(シトリン・・・そんなに王のこと好きなのか・・・)
シトリンの黒く染めた髪も話し方も筆跡も、全てオニキスを意識したものだった。
何年もかけて習得した愛の集大成・・・
「・・・ホント健気だな」
ジンは頭を掻いた。
何も知らないシトリンはぐっすり眠っている。
「むにゃむにゃ・・・・オニキスどの・・・すき・・・だ・・・」
「・・・旧時代の教育体制というがこれは・・・」
翌日。学校の廊下でシトリンは両手にバケツをぶら下げていた。
中には水がたっぷり入っている。
(筋力はこれで鍛えたと言っても過言ではないぞ・・・私の場合・・・)
『学年最下位のあなたが全問正解などありえません!他の人にやってもらいましたね?』
課題を提出したものの、あっさり教師に見抜かれ結局罰を受けた。
もう3時間も立っている。
(やってくれたのはいいが・・・出来過ぎだ!!ジン!!)
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