モルダバイト城。
「・・・そうか。父親に会ったか」
「・・・変な男だった・・・が、強かった」
シトリンの言葉にオニキスは苦笑いをした。
「あいつと闘り合える奴はそういない。気を落とすな」
「オニキス殿は戦ったことがあるのか?」
「・・・昔、何度か・・・な」
オニキスといると心が落ち着く。
中庭を並んで歩きながら、シトリンは深呼吸した。
ひんやりとした夜風が気持ちいい。
「・・・あの女性は・・・オニキス殿の妻ではないのか?」
「妻か・・・そんな時期もあったが、少々訳ありでな。ヒスイとオレは事実上の夫婦ではない」
「・・・え?夫婦では・・・ない?」
「形だけだ」
嬉しい反面、理解に苦しむ。
「では、なぜ結婚したのだ?」
「・・・オレが好きだったからだ。あいつが他の男を・・・お前の父親を愛していることを知っていたが、どうしても手に入れたかった。婚姻を結んで国に縛り付けてしまえば、いつかは自分のものになると思っていた・・・あの頃は・・・若かったな」
とても静かな口調だった。
「オニキス殿・・・」
知られざるオニキスの一面・・・シトリンの胸がキュンとなる。
周りの人間が思うほど、オニキスは完璧な男ではなかった。
それこそが愛おしい。
「お前には・・・苦労をかけている」
オニキスは足を止め、シトリンを見つめた。
そこに映るのはオニキスと同じ、黒い髪、黒い瞳の少女・・・
「何を言っている。私がしたくてしていることだ。」
物心がついて、オニキスから実の娘ではないことを聞いた日から、自分の意志で薬を飲み続けてきた。
(単に好きな人と同じ格好をしたかっただけで、オニキス殿が思い悩むようなことは何もないんだが・・・)
シトリンは頭を掻いた。
「私は・・・黒髪が好きなんだ。だから気にしないでくれ」
(な、何を言っているんだ〜!?私は!!これではオニキス殿に好きと言っているようなもの・・・)
ちらりとオニキスを見る。
オニキスの表情は変わらない。が、シトリンの頭をそっと手の平で包み込んだ。
どきん・・・
「オ・・・オニキス殿?」
「・・・宿題、やったか?」
「!!忘れていた!いかん!また廊下に立たされ・・・わわっ!」
学校では問題児のシトリン。
劣等生ぶりがバレてはまずいと慌てて口を押さえる。
「離れに持ってこい。少しみてやろう」
「本当か!?」
シトリンの瞳が輝く。大嫌いな宿題も嬉しい口実だ。
こんな時、頭が悪くて良かったと思う。
(オニキス殿・・・好きだっ!!)
シトリンは心の中で叫んで宿題を取りに走った。
「よく手に入れたわね、こんなに・・・」
離れの宮殿の1階はオニキスの書斎になっている。
全3階。
2階が生活スペース。3階は現在特に使われていない。
オニキスの書斎は町の図書館よりも蔵書が多く、本の虫であるヒスイにとっては魅力的な場所だった。
人目を忍んでやってきては好き勝手に読みあさり帰っていく・・・
「持ち込まれただけだ。すべていわくつきの魔本だぞ」
ヒスイとオニキスは古ぼけた本の山の前に立っていた。
怪しい色合いのものが多い。
「すっかり溜まってしまってな。処置に困っている」
「そういうことならいつでも呼んで!」
ヒスイのテンションがいつになく高い。
「気に入ったのがあったら持って帰っていいのよね?」
「それは構わんが・・・」
ヒスイは本の整理を手伝いにきていた。
「害がありそうなものには封印の札を・・・」
「うわぁ・・・すごいよ!オニキス!」
ヒスイは話を聞いていない。
「光輝の書!死海文書!ネクロノミコンまである!」
「だからそれは魔本・・・」
「呪われてもいいわ!」
「少し落ち着け・・・」
オニキスはヒスイから本を取りあげて溜息混じりに説明した。
「いわくつきなんだ。手に入れた者が不幸に見舞われたり、挿絵が動いたり、ページが増えたり減ったり・・・」
「噛みつかれたり?」
「そうだ。噛みつかれ・・・てるな・・・」
肉食獣の口のような本にヒスイの右手が挟まれている。
「なかなかやるわね・・・結構痛いわ・・・これ」
ヒスイがぶらんとしてみせる。本の間からポタポタと血が落ちた。
「・・・馬鹿」
「どうせなら飲んじゃえば?」
本の口から救出したヒスイの右手には歯形がついていた。
そこからかなり出血している。
「・・・そうさせてもらう」
オニキスがヒスイの手を取り傷口を舐めた。
「空気に触れちゃってるから、あまりおいしくないかもしれないけど」
「いや、これでいい。ついでに止血する」
「うん。よろしく」
「・・・まだ痛むか?」
「ううん。平気。ねぇ、オニキスは何ヶ月ぐらい血を飲まないでいられるの?」
「・・・半年は大丈夫だ」
「半年!?ちょっとそれすごいかも・・・」
「・・・慣れだ」
「“渇き”って慣れるものなの?」
オニキスはヒスイからしか血を飲まない。
会えない時はひたすら我慢するのみだ。
「“渇き”がひどくなれば貧血を起こして倒れることもあるが、波が去ればまた普通に生活できる」
「へぇ〜っ。でも、そこまで我慢する必要・・・あるの?シトリンからもらえばいいじゃない」
「・・・また噛みつかれたいか?」
オニキスがムスッとした顔で言った。ヒスイの前でしかしない顔だ。
「?」
ヒスイにその意味は通じない。
なんでそうなるの?痛いのはもう御免よ?と、軽く首を傾げて笑った。
ヒュッ!
突然、オニキスに向けて矢が放たれた。
魔本に憑いていた悪霊の仕業だった。
「!?オニキス!危ない!」
いち早く危険を察したヒスイがオニキスを押しのける。
ドスッ!
次の瞬間、ヒスイの背中に矢が突き刺さった。
「ヒスイっ!!!!」
「どうするか・・・」
シトリンは宿題を抱えて宮殿の前をうろうろしていた。
(宿題を何度も口実にするのも・・・しつこいと思われたら・・・しかしオニキス殿ならきっと・・・ブツブツ・・・・)
バンッ!
勢いよく書斎の扉が開いた。
「オニキス殿っ!?」
オニキスは矢に倒れたヒスイを腕に抱いていた。
「シトリン、手を貸してくれ。ヒスイが・・・」
「母・・・上?」
「・・・気付いたか」
「あれ?」
ヒスイは上半身を起こした。
背中に矢が刺さったはずなのに全く痛みがない。
「・・・矢は抜いた・・・この・・・馬鹿!」
「痛っ!」
オニキスのデコピン。ヒスイは両手で額を押さえた。
「何故オレを庇った?」
「そんなこと言われても・・・体が勝手に・・・だってほら!守るって約束したし!」
「・・・あれから・・・何年経ったと思ってる・・・」
ベッドの脇で膝を折り、オニキスがヒスイの手を握った。
瞳を伏せて、握った手にキスをする。
「・・・お前が死んだら・・・オレも死ぬ・・・」
「・・・うん。ごめんね・・・」
「・・・・・・」
(オニキス殿が感情を乱すのは母上といるときだけだ)
シトリンはオニキスと共にヒスイの手当をして、その後は少し離れた場所から二人の様子を見守っていた。
(“お前が死んだらオレも死ぬ”・・・か。そんなに母上のことを・・・)
そう思うと涙が出た。
ごしごしと拳で目を擦る。
(しかし母上にはあの男がいるじゃないか!)
シトリンは俯いて小さく呟いた。
「オニキス殿は片想いだ。そして私も・・・片想いだ」
夜の闇に浮かぶ金色の光。
その光をシトリンはバルコニーから沈んだ心で見つめていた。
だんだんと光が近くなる・・・
「お前は・・・」
光の正体はコハクだった。
背中にシトリンよりもずっと立派な羽根がある。
その姿は“天使”そのものだった。美しい。
「・・・何しに来た」
バルコニーに降り立つコハクをシトリンが睨む。
「ヒスイを迎えに」
コハクは微笑みを絶やさない。外見だけなら文句なく優美で上品。
とてもチャック全開のエロ男とは思えない。
「・・・今、取り込み中だ」
「・・・オニキスと?」
「!!」
(この男、どこまで知っている!?そういえば昔オニキス殿と戦ったことがあるとか・・・まさか母上を巡って!?恋敵というやつなのか!?)
「・・・元気ないね」
コハクがシトリンを覗き込む。
「ヒスイとオニキスのことが気になる?くすっ」
「!!なぜそれを・・・!!」
「・・・大丈夫だよ。あの二人は」
「・・・オニキス殿は母上を心の底から愛している。母上が死んだら自分も死ぬと言った」
「あ〜・・・実際そうだからねぇ。あの二人の関係を教えてあげようか?」
「!!教えてくれっ!」
シトリンがコハクに詰め寄る。
「じゃあ・・・“パパ”って呼んで」
ピクッ、とシトリンの眉がつり上がる。
「ふざけるな!誰がお前など・・・」
「あれぇ〜?知りたくないのかなぁ?」
「くっ・・・!」
(この男!!なんという性格の悪さ!!これは間違いなく兄上に匹敵する!!)
「パ・・・パ、パ、パ、パ・・・・」
抵抗心からシトリンは単語として発音できなかった。
激しく赤面。口をモゴモゴさせている。
「ずいぶん“パ”の数が多いね」
コハクが必死に笑いを堪えている。
「お、お前なんか嫌いだ・・・っ!!」
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