魔 界 ――


「・・・今、最高に機嫌が悪い・・・皆殺しだ」
瓦礫の上に片足を乗せ、コハクが冷笑を浮かべる。
右手にぶら下げた大剣には血がべっとりと付着し、エクソシストの制服も金色の羽根も返り血で真っ赤に染まっていた。
それでもまだ周囲には悪魔がウジャウジャしている。
「・・・弱いなぁ・・・つまんないの。ホラ、まとめてかかってこいよ。一瞬で消してやるから」
余裕たっぷりに挑発。そして剣を構える。


「おい!やり過ぎ!」


コハクの前に姿を現したのは、同じエクソシストの制服に身を包んだ小柄で華奢な美少年だった。
明るい栗色の髪・・・ヒスイとそっくりな顔立ちをしている。
瞳の色も同じ翡翠色で年齢は15歳くらいに見えた。
「大量虐殺は教会の規約違反だろ。何やってるんだよ、お前・・・イライラするのもわかるけどさぁ・・・」
「ええ、それはもう溜まりまくってるんで。スポーツでもして発散しようかと」
「スポーツじゃないだろ、これは。怖い奴だなぁ・・・」
「家にいるとヒスイのことばかり考えちゃうんですよ。ヒスイがいないとコレぐらいしかやることないし」
「お前って、大切なものを無くすとどこまでも堕ちてくタイプなんだな」
「もともと根が腐ってますから」
「まぁ、そうだけど」
少年が相槌を打つ。
「ヒスイを迎えに行かないの?」
「・・・・・・」
「“あなたは誰?”って聞かれるのが怖いんだろ。ならいっそヒスイはオニキスにあげちゃえば?っておい・・・」
少年の前髪がパラパラと落ちる。
瞬間技・・・コハクの剣が空を斬り刃の先が少年の額を掠めた。
「ははは。すいません。手元が狂っちゃいました」
言葉では笑っていても顔は笑っていない。
「冗談に決まってるだろ。ちょっと落ち着けよ・・・」
「これが落ち着いていられるとでも?」
自棄になったコハクが少年に当たり散らす。
少年は辛抱強く付き合い、そして言った。
「お前がこんなに悲観的になってるの、初めて見た。落ち込むなんてキャラじゃないだろ・・・しっかりしろよ」
(殺戮衝動の強い奴だからな・・・ヒスイに向けてたエネルギーが行き場をなくすとこうなる訳か・・・このままじゃホント世界を滅ぼすぞ・・・こいつ・・・)




モルダバイト城。

「お・・・王妃!!?」
城内騒然。メイド達が大騒ぎしている。
「・・・一体何の騒ぎだ・・・」
現場に顔を出したオニキスも言葉を失う。
「・・・ヒスイ・・・」
「ん?何?」
「その格好は・・・何だ・・・」
ツナギの作業着。乱れたおさげ髪。全身泥だらけだった。
「3ヶ月前に発見された遺跡あるでしょ?あそこで掘ってたら作業現場のおじさんがくれたの。気に入っちゃった!」
満面の笑みでヒスイが答えた。
周囲は呆気にとられている。
「はい、これ。男物の作業着」
「・・・・・・」
「手伝って。重い岩があって一人じゃ動かせないのよ」
オニキスの都合を無視してヒスイが微笑む。
「・・・はぁ〜っ・・・ちょっと待ってろ」
「王が・・・見てアレ」
「嘘ぉ〜・・・」
メイド達が笑いを堪えている。
ヒスイに渡された作業着に着替えたオニキス。
「うん、似合うじゃない。さ、行くわよ!」
ヒスイが手を引く。
「いってらっいしゃいませ」
輪になって騒いでいたメイドが一斉に頭を下げ、王と王妃の外出を見送った。そしてまた集合・・・
「ね!見た?見た?王、今、顔緩んだ!」
「うん、緩んだ!緩んだ!信じらんない!」
「王って王妃に弱いよね〜」
「うん!うん!尻に敷かれてる」
「・・・・・・」
(オニキス殿と母上は趣味が合うのだな・・・)
メイドに混じってシトリンも見送る。
(オニキス殿・・・幸せそうだ・・・これで良かったのかもしれん)



(コハクがいないとこうなる訳か・・・)
発掘現場の洞窟で壁画の解読に夢中になっているヒスイ。
髪はボサボサ、服はヨレヨレ、綺麗に整えられていた爪の間にも土が溜まっている。
本人は一向に構う様子がない。
(・・・コハクが見たら卒倒するな・・・これは・・・)
古文書を片手にブツブツ言っているヒスイを見る。
(だが・・・いい表情をしている・・・)
「ねぇ、オニキス、ここなんだけど、どういう意味だと思う?」
オニキスを見上げるヒスイの表情は生き生きとしていた。
「・・・ついてるぞ」
ヒスイの顔を汚していた泥を払い、そのまま頬にキスをする。
「オニキス?」
「・・・そろそろ風呂に入ってこい」
「え?臭う??」
ヒスイがくんくんと作業着のニオイを嗅ぐ。オニキスは笑った。
コハクの隣で完璧に美しいヒスイより、今のヒスイのほうが可愛いと思う。
「ふあぁ〜っ・・・ちゃんとお風呂入るから、その前にちょっとだけ寝かせて・・・昨日からほとんど寝てなくて・・・」
大欠伸でヒスイが腰を降ろす。
オニキスも隣に座った。
「一時間経ったら起こして・・・」
当然のようにヒスイが寄り掛かる・・・そして次の瞬間には眠りに落ちていた。


(・・・ヒスイの記憶が戻る可能性はどれくらいだ?いや、必ず戻す。だが・・・)
くぅくぅと小さな寝息を立てているヒスイを見つめる。
夢がいっぱい詰まった明るい寝顔だった。
(ヒスイにとっての本当の幸せが、ここにあるのではないかと、錯覚してしまうほど・・・)
「・・・いずれあいつが迎えにくる。その時、オレは本当にヒスイを手放せるのか・・・?」


1時間が経過し、2時間・・・3時間・・・4時間・・・5時間・・・


「オニキス!オニキスってば!!一時間で起こしてって言ったのにっ!何よこれ!」
ヒスイに呼ばれて目を覚ます。いつの間にか自分まで眠っていた。
「・・・何時間寝ていた?」
「・・・5時間」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
どっぷりと日が暮れて、空には月が輝いている。
揃って爆睡。あっという間に5時間が過ぎた。
お互いきまりが悪そうに顔を見合わせる・・・そして笑った。
「・・・夜風にでも当たりにいくか」
「うん。眠気覚ましに散歩でもしよ」
二人は手を取り合って、洞窟を後にした。
「わ・・・ホタルだ」
遺跡の周りを飛んでいる。はしゃぐヒスイ。
作業現場にはもう誰もいなかった。
二人きり。別世界。いつもと違う景色。


(・・・ずっとこうしていたい)
「・・・ずっとこうしていたいね」


オニキスの想いとヒスイの言葉が重なる・・・
「・・・そうだな」
「・・・やめちゃえば?王様」
悪戯っぽく微笑んでヒスイがそう口にした。
「世襲制なんかやめて大統領制にすればいいのよ。これだけ安定している国ならそれでも充分やっていけるわ」
「・・・確かに」
出し抜けの案でも説得力があった。
(それなら・・・シトリンやトパーズに重荷を背負わせずに済む)
「でね、オニキスは学者になるの」
オニキスの将来をヒスイが楽しそうに語る。
「地位も名誉もなぁ〜んにもない、あるのは・・・私の愛だけ!」
「・・・それだけあれば・・・充分だ」


愛しい。愛しい。堪らなく・・・愛しい。


犯した罪も受けるべき罰も忘れてしまいそうなくらいに。
「ヒスイ・・・っ・・・」
「オ・・・ニキス?」
気が付くと抱き締めていた。そして・・・強く唇を重ねる。
20年ぶりに触れるヒスイの唇・・・ずっと触れていたい。
「お前がいれば・・・他にはもう・・・何もいらない」




(オニキス殿と母上・・・遅いな・・・)
女の勘・・・妙な胸騒ぎがしてシトリンは二人を迎えに出た。
(遺跡でちまちま掘って何が楽しいんだ?私にはわからん・・・)
城から徒歩40分・・・そこで発見された魔法陣から巨大遺跡へと繋がっている。
世紀の大発見といっても良かった。
(一体二人で何をしているというんだ?そういえば仮設の宿泊所があったな・・・今日は泊まりか・・・?ん?泊まり?まさか・・・そこで夜の営みを・・・ハッ!なんて私は卑猥なことを考えているんだ!!いかん!いかん!)
いつもの如く連想・妄想が止まらない。
シトリンは脳内のモヤモヤを振り切るように全力で走った。

はぁっ。はぁっ。

(オニキス殿がそんなことをするわけが・・・)
木々の間を抜けると遺跡が目前に広がった。と、同時にオニキスとヒスイの姿が目に入る。
「して・・・た・・・」
時が止まって見える程の長いキスでヒスイの唇を塞ぐオニキス。
(い・・・やだ・・・だめだ・・・)

“オニキス殿が幸せならそれでいい”

(・・・なんて・・・思えないっ!!)


泣きながら道を引き返す。
その先にジン。
魔法陣からこちら側へ現れたところだった。
シトリンは慌てて涙を拭いた。
「ジン!奇遇だな」
「いや、部屋に行ったらいなかったんで、ここかなと思って」
「迎えにきてくれたのか・・・」
「うん。この時間の一人歩きは危険だから」
「馬鹿!私を誰だと思ってる!私はお前より強い・・・」
そこまで言ってまた涙が零れた。ぽろぽろと大粒の涙が頬を伝う・・・
「シ、シトリン!?」
「あれ・・・おかしいな・・・なんで・・・涙なんか・・・」
シトリンの涙の理由は簡単に想像できた。
いじらしく儚いシトリン。そっと包んであげたい。
ジンはほとんど無意識にシトリンを腕に抱いた。
「ジン?」
(・・・え?オレ何やってんの〜!!?)
自分の行動に自分でツッコミ。
「ジン?どうした?急に」
ジンの腕の中でシトリンはきょとんとした顔をしている。
「あ・・・えっと・・・もう少し・・・このままでもいい?」
「?いいぞ」
シトリンは涙で濡れた瞳をぱちくりさせてジンを見た後、ジンの背中に手を回してポンポンと叩いた。
「何かあったのか?よくわからんが、元気出せよ。とにかく頑張れ」
(それはこっちのセリフだ・・・)
シトリンの涙が止まってとりあえずホッとする。
(・・・やわらかいな・・・いい匂いだ・・・あれ?今までこんなこと考えたことなかった・・・ような・・・女の子ってみんなこうだっけ?オレ、ホントにやばいわ・・・気分は童貞・・・)
「ジン、どうだ?少しは元気出たか?」
シトリンが見上げる。ジンの身を案じた優しい表情で。
「あ・・・うん」
(もういいや、それでも。どうせしばらくないだろうし。全く相手にされてないもんなぁ・・・オレ)
「訓練を兼ねて走って帰るぞ!」
シトリンが笑顔で喝を入れる。
走る前からジンの心拍数が上がる。
(だけど・・・諦めるつもりはない。シトリンはオレにとって“特別”だから)





「え?コハクさんのところへ?」

翌日、オニキスに呼びだしを受けて王の間に顔を出したジン。
「お前なら殺されることはないだろう」
様子を見てこいと、特別任務を課せられる。
「“殺されることはないだろう”?真顔でそんなこと言われても・・・」
ジンは森の中を足取り重く歩いていた。
(コハクさんって・・・どういう人なんだろう・・・いつも笑顔で人当たりいいし、優しそうだし、気は利くし、ユーモアもある。でも・・・)
ジンはコハクを最後に見た晩のことを思い出した。
(ヒスイさんが記憶を無くしたって聞いた時・・・王に剣を向けた時のあの目は・・・すごい殺気を放ってた。あの人は本物だ。本能を脅かす“何か”を持ってる。シトリンが割って入っていたら危なかったかもしれない・・・)
「オレ、生きて帰ってこれるかな・・・赤い屋根の大きな屋敷・・・ここか」
ごくりと息を飲んで、ジンは屋敷の扉を叩いた。






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