「ヒスイ・・・っ!」


「あ、おかえり。オニキス」
ヒスイは宮殿2階でオニキスの帰りを待っていた。
着ぐるみの中でかいた汗を流し、綺麗に身支度を整えて。
「馬鹿・・・!お前を捜していたんだ!」
オニキスはヒスイの姿を見るなり強く腕に捉えた。
「離して!私もうだめなの!」
「だめじゃない」
ヒスイが抵抗すればするほど抱き締める腕に力がこもる。
「私っ!オニキスを裏切った」
「違う。それは裏切りなどではない」
オニキスの言葉にヒスイは何度も首を横に振った。
「あのヒトと・・・いっぱいキスした。途中何度もオニキスのことが頭に浮かんだのに、だめだったの。あのヒトのすること全部が気持ち良くて止められなくて・・・だからもうめちゃくちゃで・・・」
涙でヒスイの言葉が詰まった。
「・・・ごめん・・・なさい」
「お前が謝ることじゃない」
オニキスが苦悶の表情を浮かべる・・・
自分のものにしようなどと考えていた訳ではなかった。
(失った記憶を戻して、あいつの元へ帰すと決めていたのに)
「止められなくてめちゃくちゃなのはオレのほうだ」



矛盾。支離滅裂。



最初に全てを伝えておくべきだったんだ。

コハクのこと。無くした記憶のこと。

何故話さなかった?



愛していると言われて嬉しかった。

当然のように必要とされることがどれほど幸せか知った。

そして・・・失うことを恐れた。



ヒスイを欺いて、それでも手に入れたくて。



(地上で最も醜く卑しい男になっても。オレは・・・ヒスイが欲しかったんだ)
そこまで考えて、ぷつんと何かが切れた気がした。
「ヒスイ・・・」
「うん?」
「お前を・・・抱きたい」
長年抑えていた感情が溢れ出す。
オニキスは瞳を伏せ、熱い抱擁をした。
(ずっとここで暮らして・・・今度はオレの子供を産め・・・)



(いいのよね・・・これで。夫婦なんだもん)
月明かりの中、お互いに服を脱いで向き合う。
「・・・ヒスイ・・・」
ベッドの中、抱き合ってオニキスと交わす前戯のキス。
「・・・ん・・・」
(間違ってないはずなのに・・・すごくイケナイことをしているような気が・・・)
ヒスイの脳裏を掠める想い。愛し合うことに全く集中できない。
(オニキス・・・すごく優しいし・・・嫌ってわけじゃないけど・・・)
首筋に、胸元に、オニキスの唇が触れる。
ヒスイの肌に繰り返し何度もキスをして、大きな手の平で包み込むようにゆっくりと全身を撫でていく・・・
(何・・・この違和感・・・)
「あ・・・」
オニキスが胸の先端を口に含んだ。
そして右手が足の付け根に伸びる・・・
愛液を求める指先がヒスイの割れ目に触れ、その輪郭を軽くなぞった瞬間だった。


「違うっ!!この指じゃない!」


そう叫んでヒスイが両脚をぴったり閉じた。
「あれ・・・?私・・・何を・・・」
自分の行動に驚くヒスイ。
ヒスイの脚に右手を挟まれたオニキスも驚いている。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
そのままの姿勢で沈黙。
「・・・気が済んだ。もういい。力を抜け」
「あ・・・うん・・・」
オニキスが手を引いて離れた。
(・・・なんとなくこうなるような気がしていた・・・)
その手で髪を掻き上げて苦笑い。
「やっと目が覚めた。お前はあいつのものだ。さっさと帰れ」
「はぁ?」
ヒスイは状況が理解できない。目をぱちくりさせている。
「・・・オレとお前は夫婦でもなければ、こういう関係でもない。お前の相手・・・本当の夫はコハクだ」
「コ・・・ハク?」
「そうだ。お前を攫ったあの男だ。わかるな?」
「わかる・・・けど・・・それがなんでこんなことに・・・」
二人は裸のままベッドの上に並んで座り、真っ直ぐ前を向いて言葉を交わした。
「オレが飲もうとしていた薬を・・・お前が飲んだ」
「薬?何の?」
「・・・一番大切なものの記憶を消す薬だ」
「・・・・・・」
ヒスイが訝しげな表情をした。
「それで?オニキスは何を忘れようとしたの?」
「・・・お前」
「・・・ヒトに馬鹿、馬鹿言うくせに・・・自分が一番馬鹿じゃない」
「・・・すまん」
その通りだと思う。オニキスは項垂れた。
「オレはコハクのように強くない。矛盾と過ちを繰り返してばかりだ」
「・・・逆にそういうヒトだからこそ持っている強さもあるわ。愛のカタチがひとつじゃないように強さにも色々あるのよ」
ヒスイが膝を抱えて笑う。
「強さを比べるなんて馬鹿らしいわ。オニキスは弱くなんてない。話してくれてありがと」
「ヒスイ・・・」
「なあに?」
「また・・・矛盾だ・・・」
「え?」
矛盾。小さくそう呟いてオニキスはヒスイを抱き締めた。
そのままベッドの上に押し倒し、腕にしっかりとヒスイを抱く。
「・・・明日コハクのところへ帰してやる。だから今はこのままで・・・」
「・・・うん。いいよ・・・でも・・・」
腕の中でヒスイがクスクスと笑う。
「・・・下は気にするな」
「そんなこと言っても・・・あたるし」
「・・・オレだって男だ。お前が認めようとしないだけで」
溜息混じりの赤い顔。長い付き合いでも初めて見る顔だった。
「うん。ごめんね。私、あのヒト以外だめみたいだから」
(自分でもビックリなんだけど。他のヒトには体が反応しない・・・)
触れられても感じない。体は乾いたまま、シーツを汚す心配もない。
「わかっている」
オニキスは繰り返し言った。
「気にするな。そのうち落ち着く」
「・・・ん」

とくん。とくん。とくん。

「・・・聞こえるか?」
「うん」
全く同じ鼓動。
二人を繋ぐその音に耳を傾ける・・・
(これが・・・オニキスと奏でる音・・・)
ヒスイは瞳を閉じた。
(帰ろう。もうひとつの音を奏でるために。あのヒトのところへ)


「・・・ヒスイ?寝たのか?」
ヒスイからの返事はない。
代わりに聞こえてくるヒスイの寝息。
オニキスの体はまだ落ち着かない。
(こうしているうちはたぶん無理だ・・・)
触れ合う肌。伝わる温もり。心だけが・・・遠い。
自業自得とはいえ、こんな目にあうのはもうこりごりだと思う。
(それでも・・・好きだ)
「・・・矛盾してるな」
自分に呆れて溜息。
(だが・・・この愛しい温もりをもう二度と忘れようとは思うまい)
共に朽ち果てる・・・その時まで。
「願うのはお前の幸せだけだ」




「・・・・・・」
(・・・鍵が・・・・)
シトリンが扉の前に立っている。

宮殿2階。

(今までこんなことなかったのに・・・)
胸にじんわりと広がる痛み。
(オニキス殿と母上はこの扉の向こうで肌を重ねているのか・・・)
「・・・っ・・・ぅぅ・・・」
(オニキス殿の心も体も・・・母上のもの・・・)
その場にしゃがみ込んで、涙。
(どんなに欲したところでオニキス殿は私のものにはならない・・・)
「わかっているのに・・・好きだ」
「シトリン?」
「・・・ジン・・・」
毎回同じタイミングで現れるジン。
「・・・また泣いてるのか」
「・・・・・・」
シトリンは立ち上がり、服の袖でゴシゴシと涙を拭いた。
「何故ここに?」
「・・・なんとなく・・・シトリンが泣いてるのわかるんだ。ホントにただの勘なんだけど」
ジンが申し訳なさそうに肩を竦める。
シトリンが何処で泣いているのか不思議とわかるのだ。
シトリンの居場所を外したことは今まで一度もない。
「・・・おかしな特技だな・・・」
笑うはずのところでも涙。
歯を食いしばって堪えているのに、扉の向こうを想像するとどうしても泣けてくる。
「・・・行こう」
見かねたジンがシトリンの手を取った。
「?何処へだ?」
「オレの温室」



誰も入れたことのない自分専用の温室にシトリンを連れ込む。
外気を遮断した暖かい空間。瞳に優しい緑。甘い花の香り・・・
癒しスポットとしては最高だった。
シトリンは鼻を啜って植物の観賞を始めた。
「おお!何だコレは!初めて見るぞ!」
新鮮な反応が可愛い。
慰め役もすっかり板についてきた。
シトリンの笑顔の為ならどんなことでもしてやりたいと思う。
(“頭の悪い女は嫌いだ”ってトパーズは言うけど・・・逆にオレは好きだな・・・)
微笑ましい気持ちでシトリンを見守る。
「ジン?」
ほんわかムードのジンをシトリンが覗き込んだ。
(あ・・・天道虫・・・)
シトリンの鼻の頭に止まっている。
「じっとしてて」
顔を近づける・・・そして天道虫を自分の指に移らせた。
そこまでは良かった。
間近で見るシトリンの顔。
(・・・綺麗だな。こいつが止まりたくなるのもわかる)
甘い蜜の香り。
(だけど・・・目が赤い。シトリンは王のことで泣いてばかりいるから・・・)
勿体ないと思う。シトリンの沈んだ表情を一番近くで見きたのだ。
「オレなら・・・シトリンを泣かせたりしないのに」
唇が吸い寄せられる・・・
温室に差し込む月明かりの下、二人の影が一つになった。

バチンッ!

「・・・この・・・馬鹿者っ!!」
ジンの頬を叩いて、シトリンが怒鳴る。
「手の早い男は嫌いだ!!見損なったぞ!ジン!」
そう吐き捨ててシトリンは温室を走り去った。
(あ〜・・・やっちゃった・・・。最近自分でもおかしいと思ってたんだよな・・・)
ジンは断じて手の早いタイプではなかった。
むしろ相手を苛立たせるほどに欲がない。
(それなのに・・・何やってんだ、オレ。まだ気持ちも伝えてないのに・・・)
「・・・支離滅裂・・・だな」



はぁっ。はあっ。

シトリンは宮殿の前まで戻った。
(オニキス殿・・・)
寝室には鍵が掛かっている。
会えるはずもないと思いながらシトリンは2階を見上げた。
「!!?オニキス殿!?」
オニキスが部屋から出てくるところだった。
シトリンは勢いよく外階段を駆け上がった。
「シトリン・・・今、お前のところへ行こうと思っていた」
「え・・・?」

どきん・・・

「・・・試験勉強は大丈夫なのか?」
無駄なトキメキだった。一気に現実へ引き戻される・・・
(しまった!!忘れていた!!まったくやっていないっ!!)
試験はまだ1日目だった。あと2日続く。
「その様子だと・・・やっていないな?」
「う・・・」
「・・・まぁ、無理もない。オレ達の問題に巻き込まれては勉強も手につかんだろう」
「い、いや・・・そういうことでは・・・」
「来い。一夜漬けだが、なんとかしてやる」
「・・・母上・・・は?」
それこそ気になって勉強に身が入らない。
シトリンは少し躊躇いがちに訊ねた。
「いつも通りだ。寝ている」
「そのうち弟か妹ができるかな。可愛がるぞ。私は」
(あわわ・・・私はなんて嫌味な言い方を!!)
言ってしまってから良心が咎める。
「・・・いや。それはない」
オニキスは表情一つ変えずに答えた。
「お前の考えているようなことはしていない」
「え・・・?」
「・・・しようとしたができなかった。ヒスイは明日、家に帰す。お前達には悪いが・・・」
「オニキス殿・・・」
「・・・さぁ、始めるぞ」
書斎に向かうオニキスの背中にシトリンが身を寄せた。
コツンと額を当てて呟く。
「・・・好きだ。私が傍にいる」
「・・・・・・」
オニキスは足を止めた。
「今はただ・・・この気持ちを知っていてくれるだけでいい」
「・・・お前の気が済むまで・・・好きにするといい」
そう口にしてオニキスが再び歩き出す・・・
(オニキス殿・・・)
「ああ!そうさせてもらう!」
シトリンは顔を綻ばせてオニキスの後に続いた。




翌日。

ヒスイが扉を叩いた。赤い屋根の大きな屋敷。

「は〜い」

コハクはすぐに扉を開けた。
「・・・毎日ミルクティーが飲みたいから・・・帰ってきた」
照れて横を向くヒスイ。コハクは愛おしさで目を細めた。
「うん。おかえり。ヒスイ」
「・・・ただいまっ!」







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