「やっぱりだめ・・・」
ガラス張りの小部屋。
ヒスイは水槽の中で目覚めた。
水はまだ張られていない。
足の鱗は更に増え・・・
(思うように動かせなくなってきた・・・雨が止んだのかも)
水槽のガラス越しに広がるのは、朱い絨毯の敷かれたホール、照明はシャンデリアでゴージャスな雰囲気だ。
「何でこんなに重要な事忘れてたんだろ」
切羽詰まったヒスイが試みたのは、眷族のオニキスへ助けを求める事だった。
思念・・・のようなものを眷族であるオニキスに伝える事ができるのだ。
そうやってこれまでも危機を乗り越えてきた。
オニキス!オニキス!オニキスぅぅぅ!!
強く念じる・・・が、オニキスからの返答はなかった。
なんとなくそんな予感はしていた。
ヒスイ自身、肉体に違和感を持っていた。
人魚病に感染したことにより、体のバランスが崩れ、心の声も届かなくなってしまったのだ。
「そういえば・・・いきなりお尻触ったりして、ちょっと変だったけど大丈夫かな」
ヒスイの脳内で広がる妄想。
「もしかして、アッチコッチでお尻触りまくってるんじゃ・・・」
諦めて座り込み、膝を抱える。
「トパーズ・・・気付いてくれたかな・・・」
だとしても、助けに来てくれるとは限らない。
(とにかく自分で何とかするしか・・・)
「落ち着いて、私にできる事を考えるのよ」
(そうよっ!私だって魔法使いなんだから、こんなガラスの一枚や二枚割ってやるっ!!)
「でも待って・・・ここで逃げても・・・」
人魚病が治る訳ではないのだ。
(特効薬を見つけなきゃ!)
ピンチをチャンスに変えるべく、ヒスイは意気込んだ、が。
急に照明が落ち、水槽の周辺だけが照らし出された。
ゾロゾロと白衣の男達が部屋に入ってくる。
視線は皆ヒスイに釘付けだ。
「な・・・」
(何でこんなに見られてるの!?)
ホールは研究結果発表の場だった。
ヒスイは、最も良い成果の現れた美しき実験体として囚われているのだ。
見られるのは当たり前なのだが、人前に出るのが苦手なヒスイには大変なストレスで、呪文詠唱に集中できない。
(こんなトコいやぁぁぁ!!)
「・・・・・・」
トパーズは別の場所で、もうひとつ落とし物を拾っていた。
ピンバッジ・・・アンデット商会のものだ。
アンデット商会・・・そしてヒスイが消えた。
(魔道具の開発に留まらず、人体実験でも始めたか)
推測の域ではあるが。
人魚を人工的に作り出す研究をしているのかもしれない。
人魚伝承が色濃く残るこの地は、隠密に人魚の研究をするには最適の場所だ。
アンデット商会の仕業だとすれば、かなりの組織であると考えられる。
(ウォーター・ギルドの敷地内に研究施設がある筈だ)
「・・・アイツなら四の五の言わず組織をぶっつぶすだろうが」
怒り狂うコハクの姿が目に浮かぶ。しかし。
「無闇に首を突っ込むと、後々面倒だ」
自分はあくまで高校教師。
組織との戦いなど、馬鹿馬鹿しくてやっていられない。
「・・・手間のかかる女」
さっさと連れ戻して、今度こそたっぷり噛んでやる。
トパーズは歩き出した・・・目指すは港だ。
港には沢山の船が停泊している。
昨日は遠目から眺めただけだが、その辺りが怪しいと思うのだ。
確信に近い勘で、トパーズは迷わず直進した。
すると、一人の若い男が向かいから歩いて来た。
黒のスーツに映える金髪・・・華やかな美形。
「サルファー・・・」
「兄さんっ!?」
お互い動じるタイプではないが、この時ばかりは驚いて。
「お前、何でこんなとこに」トパーズが先に尋ねた。
サルファーのスーツの襟には、トパーズが拾ったものと同じピンバッチ。
色は違えど、アンデット商会のものだった。
「バイトだよ」
・・・と、いうのは表向きで。
教会の潜入捜査だった。
「今、あそこで働いてる」と、サルファーは親指で背後を示した。
見た目は古臭い一艘の大型船、中は最新設備が整っているという。
「総帥がさ、ウォーターメロン・Tのサイン入り原画くれるって言うんだ!」
ウォーターメロン・Tとはサルファーが崇拝する人気漫画家の名前だ。
どういう人脈なのか、エクソシスト総帥セレナイトはサルファーに有効なアイテムを所持、それにより見事サルファーを従えていた。
サルファーは、謂わばスパイ活動中であるが、コソコソする様子もなく言った。
「上玉の人魚候補が入ったらしくて、学者の奴等が集まってんだ」
その為、監視の目がなく、そこそこ自由に動けるのだと。
「それより何で兄さんが・・・」
「・・・ヒスイが、捕まった」
上玉の人魚候補とは恐らくヒスイ・・・トパーズが告げる、と。
「・・・・・・」
サルファーはうんざりという顔で。
(あの女、どんだけヒトの邪魔すれば気が済むんだよ!!)
「兄さんには悪いけど、僕は協力しない」
断言するサルファー・・・ヒスイよりサイン入り原画だ。
サルファーの特別任務は、アンデット商会の本社と重役を突き止める事。
その上で話し合いの場を設けたい、というのが教会の意向だった。
今回、サルファーのすべき事は、アンデット商会を敵に回す事ではなく、ギルドを救う事でもない。
「一応、護衛として雇われたんだけどさ」
新人なので雑用もこなさなければならず、サルファーが言いつかったのは・・・
人魚製造器、マーメイドメーカーの回収だ。
トパーズは尋問がてら、サルファーの回収作業に付き合った。
居住区の端にある涸れ井戸。
底にマーメイドメーカーが設置されていたのだ。
形状はスプリンクラーに似て。
霧状に噴射されたウイルスは、空気に混ざり人へと感染するという。
ウイルス濃度や感染範囲もある程度調節可能で、この涸れ井戸を中心に、居住区の女がターゲットにされた。
井戸から離れれば離れるほど、濃度は下がり感染確率も下がる。
そもそも感染力は強くなく、何ヶ月も吸い続けなければ発症しないのだが・・・。
サルファーは心底忌々しそうに呟いた。
「あの虚弱女・・・」
(兄さんも結局あの女に甘いしな)
随分前から気付いていた。
似て異なるヒスイへの想い。
ヒスイを母親と思えない理由が、自分とは別のところにあるのだと。
「・・・知ってる事は話すけど」
以後自分は一切関与しない。
場合によっては敵にもなり得る。
そう付け加え、数分間の内緒話。
・・・そして二人は別れた。
サルファーから得た有力情報。
「事業拡大とかで、大々的に社員募集しててさ。新人だらけの強行航海だから、皆、自分の仕事で手一杯で、他の奴が何してるかなんて、気に懸けてる余裕がないんだ」
新人が多く、互いの顔を覚えていない。
役職はバッジの色で判断する。
「素晴らしく都合がいい」
バッジを手に、不敵に笑うトパーズ。
これが役職を証明するものならば。
「落とした奴は必ず探しに戻って来る」
トパーズの考察通り、ギルドに現れたのは例の白髪の医師・・・正しくは研究員だった。
「お前か、ヒスイを攫ったのは」
早速締め上げ、ボコる。
トパーズは・・・ケンカ慣れしていた。
コハク相手に鍛えた体で、白衣を奪い取り、羽織る。
拾ったバッジを襟に付ければ、アンデット商会研究員の一丁上がりだ。
トパーズは正面から堂々と船に乗り込んだ。
バッジの色によると、どうやら管理職らしく、次々と若い研究員が結果を報告しに来た。
適当に話を合わせる・・・今のところ疑われている様子はない。
人の出入りがやたらと多い部屋。
トパーズは真っ先にそこへ向かった。
バッジの特権で人払いも簡単だった。
「あっ!!トパーズっ!!」
「・・・・・・」
ライトアップされたヒスイは人魚でなくても美しい・・・
べったりと、顔が変形するほどガラスに張り付いていなければ、の話だ。
助けて!ここから出して!と、ガラスを叩くヒスイ。
必至な様が愛しくて、意地悪心が疼く。
「その足でどうする気だ?」
「そ、それは・・・あれっ?」
ヒスイはじっとトパーズを見上げた。
白衣を着て・・・アンデット商会のバッジを胸に付けている。
(何でトパーズがアンデット商会なの??)
「・・・大人しく待ってろ」
それだけ言い残し、去りゆくトパーズ。
ヒスイが思った以上に元気そうだったので安心した。
「待って!」
大声でヒスイが呼び止めた。
「指輪、見つけてくれた?」
「・・・・・・」
「返して」と、ヒスイが言い放つ。
「お兄ちゃんとお揃いの大事な指輪なの。だから・・・」
「・・・知らない」
本当はポケットに入っていた。
ヒスイに困った顔をさせたまま、トパーズは部屋を出て行った。
「ちょっと!?トパーズっ!?」
(何がどうなってるの?)
同じ船内。サルファー。
「くそっ!何でこうなるんだよ!!」
マーメイドメーカー回収の次に与えられた仕事は・・・人魚候補ヒスイの見張りだった。
こうなるともうヒスイが疫病神としか思えない。
じき、トパーズがヒスイを救い出すだろう。
アンデット商会側からすれば大きな損失だ。
責任は見張り役のサルファーにある・・・という事になる。
「・・・・・・」
(兄さんには色々手伝ってもらってるしな)
同人活動の面で、だ。
漫画を描く際には、背景担当のトパーズ。
(メカ描くのも目茶苦茶上手いし)
大切な兄弟アシスタントだ。
日頃の感謝の意を込め、協力はしないが、邪魔もしない。
邪魔をしなければ、職務放棄と同じだ。
「ちぇっ。これじゃ、クビだな」
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