翌々日――モルダバイト城にて。
「シトリン!!」
「・・・ジン・・・か?」
シトリンは“致命傷ではない”と言ったが、この時まで意識不明だった。
シトリンを助けるために、ジンはメノウの手を借りた。借りざるを得なかったのだ。
自分の知る限りの事情を話し、一応口止めはしたが。
孫を傷付けられたメノウが、今後どう行動を起こすのか、考えている余裕もなかった。
とにかく今は、シトリンが生きていてくれたことが、何より嬉しい。
「・・・おい、何も泣くことはないだろう」
ジンはシトリンの手を握り。
「泣くに決まってるだろぉ・・・」
シトリンを失うかもしれない不安をひとりで抱えなければならなかったのだ。
メノウに救われたとはいえ、ジンの心の疲弊は凄まじく。
緊張の糸が切れ、涙腺も緩む。
シトリンは、撃たれる前と同じ人型のまま、傷口はまだ完全には塞がっておらず、あと何日かは絶対安静だ。
メノウ曰く、シトリンの体を貫いたのは普通の弾丸ではないらしく。
猫又の魔力バランスがいささか狂っているようだ。
そのため、変化した姿のまま、元に戻れず、傷の治りも遅くなっているとのこと。
『ま、あと二週間もすりゃ、全快すんだろ』
魔法医師免許を持つメノウがそう言ったので、ひとまず安堵・・・しかしそれも束の間。
シトリンは再び厳しい口調で言った。
「ジン、オニキス殿を呼んでくれ」
間もなく、オニキスが駆け付けた。
シトリンは、ジンに席を外すようそれとなく促し、密談の場を設けた。
「オニキス殿・・・すまんな、こんな格好で」
そう言いながら、ベッドから上体を起こす。
「シトリン・・・何があった?」
「それを今から話す。少しでも早くオニキス殿の耳に入れたくてな」
森の入口で起きた出来事を、シトリンは一部始終オニキスに説明した。
「“奴”は、私とあいつを間違えているようだった」
だとしたら。
そう思い込ませていた方がいいだろうと、シトリンが語る。
「時間稼ぎに丁度いい。できればこの件は、私の手でカタをつけたい」
「・・・コハクの代わりに、か?」
「ああ、そうだ。私があいつのフリをする」
「・・・・・・」
シトリンの案にオニキスは難しい顔をしていた。賛成では、ない。
(だが・・・)
コハクがもしこの件を知り、逆上でもすれば、それこそどうなるかわからない。
「言っておくが・・・」と、そこでシトリン。
「あいつのためじゃないぞ!母上のためだ!」
それから俯き、呟くように口にした。
「母上と・・・折角平和に暮らしているんだ。余計な騒ぎにはしたくない」
「・・・・・・」
「私の傷が治るまでの間、あいつ・・・というか、母上の周辺に危険が及ばぬよう見張って欲しい。そのために、オニキス殿を呼んだんだ」
「・・・・・・」
オニキスはしばらく黙っていたが。
「シトリン、お前はなぜそこまでヒスイを・・・」
お世辞にも、いい母親とは言えない。
するとシトリンは、コハクそっくりの顔でふっと笑い。
「いつだったか、あいつが――」
『遺伝なんだ。つまり、君の中の僕の遺伝子が無条件にヒスイを愛してしまうという・・・』
「――などと馬鹿げたことを言っていたが、どうやらあれは本当だったらしい」
そう話しながら、視線をオニキスに向ける。
「母上はとても可愛いじゃないか、なぁ、オニキス殿?」
否定できないのを前提に、悪戯な挑発。一方、オニキスは・・・
「お前に言い負かされる日がくるとはな」
思いの外元気そうで安心した、と。大人の対応だ。
オニキスのその微笑みに、シトリンは少々赤面しつつ。
「母上を守るということは、オニキス殿や兄上を守ることに等しいと考えている」
「その気持ちは嬉しいが、“娘”のお前に守ってもらうほど、老いてはいない」
オニキスは苦笑いで言った。
シトリンの性格は知っている。そう簡単に説得できないことも。
「とにかくお前は傷を治すことが先決だ」
「それはそうだが・・・」
「こちらでも探ってみる」と、オニキス。
むやみに口外しない約束を交わし、続けて尋ねる。
シトリンを撃った男の特徴を。
「うむ。去り際に一瞬見ただけだが・・・髪も瞳も草の色をしていたように思う」
それと――シトリンが付け加える。
「“奴”の弾は何かが変だ。あの時、確かに避けた筈だったんだ」
弾丸の軌道が途中で変わったとしか思えない、と、神妙な表情でオニキスに告げた。
「くれぐれも用心してくれ」
「ああ、わかった」
コスモクロア――放課後、学園内。
「トパーズ先生」
数学資料室の鍵を開け、中に入ろうとしていたトパーズを呼び止めたのは、物理教師クラスターだ。
女生徒から逃げてきたところだった。
扱いに困り果て。“匿って欲しい”という目でトパーズを見ている。
「・・・入れ」
トパーズは、クラスターを迎え入れ、鍵を掛けた。
「助かりました。自分、まだ女性に慣れなくて」と、クラスター。
控え目で、口数は多い方ではなく、女性が苦手・・・少々無骨な感じもするが、トパーズに対しては、最初からとても友好的だった。
本人はしきりに“尊敬”や“憧れ”を口にする。
トパーズのことをよく知っている風で、懐いていると言ってもいい。
「・・・・・・」
トパーズが煙草を咥えると、火を灯したライターを差し入れするほどに。
「・・・・・・」(表向きの人格は、そんなところか)
ゆっくりと煙を吐くトパーズに向け。
「先日はありがとうございました」
クラスターが礼を述べる。
ぶっ通しの新人研修のことを言っているのだ。
「奥方ともお会いできて――」
「・・・用件は何だ」
クラスターの言葉を遮り、トパーズが言った。
クラスターが自分を探していたことを、生徒から聞き、知っていたからだ。
「トパーズ先生にお話したいことが」
「なんだ」
ここでは少々、と、クラスターは場を濁し。
「どうですか、今夜、酒でも」
「・・・・・・」
スピネルの紹介のあと、握手を交わした際に気付いた。
クラスターの手が、教師らしくないことに。
その手は、長らく武器を扱ってきた者の手であり。何かが引っ掛かった。
ある程度目星をつけて、新人研修期間に探りを入れていたのだが・・・
決定的な証拠が掴めない上、クラスター側からも何かと探りを入れてきた。
つまり、新人研修という名の探り合いだったのだ。
そのクラスターが“話がある”と、言うのなら。応じるしかない。
「・・・いいだろう」
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