朝早くにシャワーを済ませ、キッチンへと向かうヒスイ。
そこは朝食の場・・・今の時間なら家族が揃っているはずだ。
昨夜は声が掠れるほど喘いで、ぐっすり眠った。
ヒスイの場合、大抵の悩みはこれで解決してしまう。
「とにかくトパーズに“おはよう”って言お」
(それさえちゃんと言えれば、後は何とかなる気がする!)
朝日を見ながら気合いを入れる。ところが。
「え?いないの?」
「兄ちゃん、朝メシ食わないで行っちゃったんだ」と、ジスト。
トパーズは一足先に出勤・・・出鼻を挫かれてしまった。
(学校で頑張ろ)



学校はペンデロークにある。
しかし、理事長室はモルダバイト。
繋ぐのは魔法陣だ。勿論、その存在は一部の関係者しか知らない。
モルダバイト領内の学校はほとんどこれで行き来できた。
学校へ到着するなり“おはよう”を言うため、ヒスイは一路、理事長室へ。
「あれ?」
(カーネリアン、もう来てたんだ)
話し声が聞こえる。先客の存在にヒスイの足が止まった。
扉は完全に閉まってはおらず、軽く指で押すと、丁度いい隙間が出来た。


室内では、トパーズとカーネリアンが机を挟んで向き合っていた。
「朝からそれかい」と、カーネリアン。
煙草を吸っているトパーズに対してだ。
「アタシにも一本おくれよ」
子供に接することの多いカーネリアンは、大酒飲みだが煙草は吸わない。
「どんなものかもわからないのに、やめろって言う訳にはいかないからね」
「・・・・・・」
カーネリアンは心身共に大人の女だ。
吸わせても問題ないと判断したトパーズは煙草の箱ごと投げ渡した。
続けてライター・・・カーネリアンは煙草に火を点けた。
「うまいもんかねぇ、これが」
ふ〜っ・・・煙を吐いて、苦笑い。
「なかなかサマになってるぞ」
「そうかい?そりゃ嬉しいね」
「吸うのは勝手だが、授業には遅れるな」
トパーズは煙草の火を消し、扉に向かった。
言葉通り、そろそろ授業が始まる時間なのだ。
「・・・・・・」
扉は開けるまでもなく、開いていた。
視線を落とすと、そこにはヒスイが。
「あっ!トパーズっ!ちょっとまっ・・・」
トパーズはヒスイの言葉に耳も貸さず、脇を抜けていった。
カーネリアンは煙草を咥えたまま、ヒスイの隣に立ち。
「アンタ達、喧嘩でもしたのかい?」
「喧嘩なんてしてないけど・・・」
“おはよう”を言いそびれたヒスイは、しかめっ面でトパーズを見送った。



鬼畜数学教師、トパーズ。

「“押してもダメなら引いてみろ”か」
(悪くない)と、ニヤリ。
休み時間の度にヒスイが現れ、周囲をうろちょろ。
「トパーズっ!」
「トパーズってば!!」
「トパ・・・」
追いかけると逃げるのに、突き放すと寄ってくる。
メノウのアドバイスは思った以上に的を得たものだった。
愛すればこそ構いたくなるものだが、引く時は引く。
それはたぶんコハクにもオニキスにもできないことで。
飴と鞭を使い分けながら、自分流にヒスイを躾けてみるのも面白いと思う。


ヒスイは、世界に一匹の雌。


(今はまだ、アイツの方が“調教”の腕は上だが)
「・・・そのうち追い越してやる」



そして、放課後。

ヒスイはトパーズより先に理事長室入りした。
「あ、これ・・・」
トパーズの机の上、煙草の箱が目に付くと、今朝カーネリアンが吸っていたのを思い出して。
どんなものなのか・・・そういえば知らない。
丁度そこにライターもあったので、試しに吸ってみようという気になり、ヒスイは煙草を一本口に咥えた。
初めての喫煙。年齢制限はクリアしているが、緊張する。
ごくっ・・・唾を飲み、着火寸前。


「何やってる、チビ」


トパーズに見つかり、ぽろっ・・・手に持っていたライターを落とす。
「・・・さっさとソレを口から出せ」
ヒスイの口元にトパーズの鋭い視線が向けられた。
「お前は飴でもしゃぶってろ。百年早い」
「・・・・・・」
ヒスイは煙草を口から出し。
「別にっ!カーネリアンと張り合ってる訳じゃないからっ!!」
・・・つまり、張り合っているのだ。
動機を訊かれた訳でもないのに、自ら口を滑らせるヒスイ。
愛しさの波が押し寄せる。
「・・・無駄だ、馬鹿」
そう言った後、トパーズはほんの少し優しい気持ちになって。
「何の用だ」
ヒスイの話を聞いてやろうとした、が。
「何の用?あれ?」
ヒスイが首を傾げる。
何を話そうとしていたのか・・・そもそも考えていない。
散々後を付いて回った割に、用という程のものはなく。
「あ、そうだ、これが言いたかったの」


“おはよう”


「・・・・・・」
外はもう陽が傾いている。
「・・・言いたい事はそれだけか」
ヒスイがどんな言い訳をするのか、内心楽しみにしていたのだが、拍子抜けもいいところだ。
それがヒスイらしいといえば、ヒスイらしいのだが。
呆れるやら。愛しいやら。
「やっぱりお前は馬鹿だ」
トパーズがそう言い放つと、ヒスイはバツが悪そうに頷いた。
「うん、私もそう思う」
「・・・こっちへこい」
自分からは動かず、ヒスイを呼ぶトパーズ。
「うん」
返事をしたヒスイは、トパーズの元へ。
するといきなり顎を掴まれ。


「・・・お前は母親じゃない」


「そんなの・・・わかってるよ」
ヒスイが視線を逸らした。
「・・・・・・」
ヒスイの指先が止めるのを、いつもは待っている。
けれども今日は待ちきれず、唇を求めて。
「だめっ!」
ヒスイの声がキスを阻んだ。
「・・・・・・」
「だめだよ」
遅れて指先がトパーズの唇に触れ。
「キスは・・・お兄ちゃんとしかしない」
「・・・・・・」



お互いに、なりたいものには、なれない。



恋愛は数学のように簡単ではなく、答えの出ない関係をこれからも続けていくしかないのだ。
「!?ちょっ・・・なにす・・・」
トパーズはキスを封じる指先を振り切り。
「腹いせ」と、言って。
ヒスイの首筋に口付け、そのまま肌を吸った。
後が残るまで、強く。
「ちょっ・・・こらっ!トパーズっ!!」
抵抗するヒスイとじゃれ合い、笑う。
親子でお揃いの牙が見えた。



「ったく、コッチが恥ずかしくなるよ」
朝とは一転、今度はカーネリアンが扉の前で立ち止まっていた。
報告書を持って来たのだが、邪魔をするほど野暮ではない。
「ヒスイの前では男の顔するんだねぇ・・・」
懐かしく、昔を思い出す。
(ガキの頃からヒスイを欲しがってたからね。今も、欲しくて、欲しくて、しょうがないんだろうよ)
「だったら・・・いくらだって協力してやるさ」
昨日同様、入室せずに去る。
託せる相手がいないので、報告書は壁に立て掛け。
「そういや、今日はスピネルの顔見てないね」




もうひとつの、放課後。

「わたしの後をつけて、どうするつもり?」
茜空の下、女装少年ジルが言った。
学校からは随分と離れた、交易で賑わう市場の雑踏の中。
「・・・・・・」
フェンネルはジルに腕を掴まれていた。
優秀な杖だが、自身に術者としての力は備わっていない。
主人に使われてこそ初めて真価を発揮するのだ。
従って、現在の力量は16歳の一般男児と同等だ。
対するジルは、それなりに体を鍛えているようで、思った以上に力が強い。
「仲良くしたい、って事なら歓迎しちゃうけど」
フェンネルを引き寄せ、尻肉を掴むジル。
「・・・女遊びは大概にした方が宜しいかと」
いつもの淡々とした口調で、フェンネルが言った。
昨日も同じようにジルを追跡したのだ。
国境を超え、隣国の遊郭に消えるところまで見届け、当初の疑惑は確固たるものになった。
「なんだ、知ってたの」
それなら尚更このまま帰す訳にはいかない、と。
ジルは制服のポケットから小さなスプレー缶を取り出した。
「!?」
プシュッ!警戒する間もなく顔面噴射され、意識を失ったフェンネルの体はジルの腕に崩れ落ちた。
スプレー缶には“アンデット商会”の表示。
人魚候補としてヒスイが捕獲されたとき使われた物の試供品だ。
ちなみにこのスプレーは人外の者に対して、より効果的である。


「フェンネル!!」


そこに飛び出した、スピネル。
晴れて学生になったというのに、転入初日からフェンネルはジルのことばかり気にかけていた。
昨日も帰りが遅かったので、心配になり、後を追ってきたのだ。
「ジル・・・どうして・・・」
友達を疑いたくはない。
ジルとは今年4月からの付き合いだが、休日にはよく遊んだりして、とても仲良くしていたのだ。
「一緒に来てもらおうか」ジルが言った。
「・・・・・・」
フェンネルを人質にされては、従うしかなく。
スピネルは同行を承諾した。
「わたし・・・いや、俺は」と、ジルは本来の口調で。


「グロッシュラーの第5王子、ジルコンだ。よろしくな。モルダバイトの姫君」




そして・・・災いはここにも。


「・・・・・・」「・・・・・・」
オニキスとコハク。互いの顔を見遣って、愕然。


「・・・おい、これは一体どういうことだ」
「・・・そんなの僕が聞きたいくらいですよ」





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