「ジル!!?」
至近距離で放たれた矢は防ぎようがなく。
しかしそれは、命を狙ったものではなかった。
ジルの肩を微かに掠めた程度だったのだ。
「大丈夫?ジル」
「なんとかな」
ジルを介抱するスピネルに、フェンネルが身を寄せた。
「スピネル様、これを」
「見て、ジル。矢に・・・」
フェンネルが回収してきた矢には、細く折り畳まれた紙が結びつけられていた。
グロッシュラーからのメッセージが綴られていると思われる。
少年3人、順番に顔を見合わせた後、代表してスピネルが言った。
「一旦モルダバイト城に戻ろう」
一方、精霊の森では。
「わからん!?それ、どういうこと!?」
言及するヒスイに、弁解するオニキス。
アンデット商会との提携以前から、グロッシュラーの悪い噂は度々耳にしていた。
オニキスもグロッシュラーの動向を気にかけていたのだ。
スピネルの外泊先という偶然も重なり、様子を探りに行こうとしていた時の話だ。
「子供に・・・襲われた」
「子供?どこの?」
「恐らく、グロッシュラーの少年兵だ」
軍事国家グロッシュラーには戦闘訓練された10歳前後の少年兵も多くいるという。
「少年兵・・・そう」
ヒスイが瞳を伏せた。後は聞くまでもない。
オニキスが子供相手に本気で戦うはずもなく。
ろくに抵抗しないまま、意識を絶たれた。
「・・・捕まったのは、わざとなの?」
「・・・そのつもりだった」
捕虜になれば、手っとり早くグロッシュラーに潜入できると考えたのだ。
まさかこんなに早く“入れ替わり”が解消されるとは思わず。
「グロッシュラーの何処かかもしれんが・・・そうとも言い切れん」
「わかった」
そこまで聞いたヒスイはスタスタと歩き出した。
「待て、どこへ行く」
「決まってるでしょ。お兄ちゃん探しに行くの」
「だめだ」
みすみすヒスイに危険を冒させる訳にはいかない。
とはいえ、口で言っても聞こうとしないので、仕方なく実力行使・・・
オニキスはヒスイを背後からの抱擁で足止めした。
「離してってば!」
オニキスの腕から逃れようと、もがくヒスイ。
「落ち着け。何を差し置いても、コハクはお前の元へ戻ろうとする筈だ」
「少し待った方がいい」と、オニキスはヒスイに諭した。
「闇雲に動き回れば、行き違いになる」
「・・・・・・」
探すといっても、全く目処が立たないのも事実で。
オニキスの腕の中、ヒスイは大人しくなった。
しばらくスネた顔をしていたが、オニキスの意見を聞き入れ。
「日暮れまで待つわ。それでも戻らなかったら・・・」
「オレも一緒に探す」
「うん」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙の中、重なる鼓動・・・ヒスイを離すのが惜しくなってくる。
ほんの少し、男の欲が出て。
オニキスは、そのまま両腕を解かずにいた。
ヒスイは無防備に背中を預け。
それから、オニキスの胸板に後頭部を押し付けるようにして上を向いた。
「ねぇ、オニキス」
「なんだ」
『眷属になるってことは、人間じゃなくなるってことよね?』
「・・・少なくとも、肉体は人間と呼べるものではなくなる」
オニキスは動じることなく、そう答えた。
「そっか」
ヒスイは軽く息を吐き。
「もし・・・お父さんがずっと一緒にいてくれるって言ったら、眷属にって思ってたんだけど」
「・・・・・・」
「“人間”って、そんなにいいものなのかな」
「・・・・・・」
眷属としてここに在る自分の口からは何も言えない。
オニキスはしばしの沈黙の後・・・
「・・・決めるのはメノウ殿だ」
「うん・・・そうだね」
オニキスの腕の中で、ヒスイはゆっくりと頷いた。そして。
「オニキスは、今幸せ?」
「ああ」
改まったヒスイの質問に少々面食らいながらも。
ヒスイを腕に抱いていれば、幸せに決まっている。
「不幸に見えるか?これが」
上から覗き込むようにして、オニキスが笑う。
「ううん、見えない」見上げるヒスイも笑った。
睦まじい笑顔と笑顔。
恋人同士ならキスを交わすであろう雰囲気・・・だが、やっぱりここでヒスイの口から。
「お兄ちゃん、すぐ戻ってくるよね」
「ああ。あいつのことだ、心配ない」
オニキスはヒスイにモルダバイト城で待つよう勧めた。
いつ誰が狙われるかわからない状況で、一番安全な場所と判断したのだ。
「でも・・・」
「“城で待つ”と、精霊に伝言を頼む」
それなら・・・と、ヒスイも承諾し、二人はモルダバイト城へ向かった。
モルダバイト城。
そこには早くも戦争参加メンバーが招集されていた。
タンジェ、サルファー、更にはエクソシスト教会の総帥セレナイトと、義賊ファントムの長カーネリアン。
いずれも戦闘のプロ集団を率いる強者だ。
張り詰めた空気・・・その中心で猛将シトリンが一本の矢を翳した。
スピネル達が持ち帰った矢、グロッシュラーから放たれたものだ。
「矢文、か」
結びつけられた紙を開き、目を通す。
「ほう」
黙読の後、シトリンの表情に笑みが浮かんだ。
「シトリン?」
何事かと、隣のジンが覗き込む、と。
「読み上げろ、ジン」
ジンはシトリンから折り目のついた紙を受け取った。
「えーと・・・なんだ・・・」
紙面には荒々しい文字でこう書き付けられていた。
モルダバイト王との決闘を望む。
そちらが勝てば、アンデット商会のグロッシュラー工場の場所を教える。
「工場って、死人兵を造ってるところだよね」と、スピネルが言った。
「相手は誰なんだよ」続けてもっともな疑問をサルファーが口にする。
一週間後の決闘の詳細と共に示された名は、ファーデン。
するとジルが大きな溜息を洩らし。
「ファーデンは、グロッシュラーの第1王子、俺の兄者だ」
他はすべて腹違いの兄弟だが、第1王子だけはジルの実兄で。
戦闘狂と名高い男だ。
戦では数々の手がらをあげているが、権力には興味を示さない変わり者でもある。
「強い奴と戦えればそれでいいってゆー、ちょっと困ったおヒト」と、ジル。
「いるよな、そういう奴」
サルファーが鼻で笑う。そこでシトリンが息巻いた。
「死人兵の製造工場とやらを潰せば、戦を先送り・・・あるいは止めることができるかもしれん!!」
声高らかにそう言って。
「願ったり叶ったりだな、ジン!頼んだぞ!」
「え?オレ?」
シトリンに肩を叩かれ、ジンの心身にジワジワと現状が浸透してきた。
確かに矢文の文字はモルダバイトの王を指名している。
(モルダバイトの王って・・・オレか!?オレなのか!?)
皆の視線が集まり・・・どっと汗が出る。
(なんでオレなんだよ〜・・・強い相手なら他にいくらでも・・・)
前王のオニキス、後継者候補のサルファー・・・自分より強い人物にはいくらでも心当たりがあるというのに。何とも有難くないご指名だ。
天才魔道士メノウの下で精霊魔法を学んだとはいえ、ジンは素人に毛が生えた程度で・・・対する敵はグロッシュラーの狂戦士。
今鏡を見たら、死相が出ているに違いないと思う。
(どう戦えっていうんだよ〜・・・)
そんな折。
「何の騒ぎだ」と、オニキスが現れた。
「王!!」ジンが歓喜の声を張り上げる。
前王オニキスと前王妃ヒスイ。
モルダバイトの危機に直面した今、何ともありがたい味方の登場だ。
迫るグロッシュラーとの戦いについて、早速オニキスを交え、作戦会議が始まった。
それから間もなく・・・
モルダバイト陣営に加わってしまった、グロッシュラーの第5王子ジル。
(なんだ?)
オニキスの後部ポケットからチラチラ見えるピンクと茶色の物体に気付いた。
そっと手を伸ばし、引き出す、と。
「!!」
それは・・・女物の下着で。
名君と誉れ高い男のポケットから出てきたモノに、女好きのジルでも仰天だ。
「な・・・!!」
シトリンも両目を見開く。
「あ、それ・・・」と、赤面するヒスイ。
作戦会議は中断、場が妙なムードになった。
どう反応すべきか各自迷っている・・・膠着状態だ。
そんな中。気不味いモノを、ジルは素早くオニキスのポケットに戻した。
何事もなかったことにしようという魂胆らしい。
「・・・・・・」
(あいつ・・・ヒトの体で何をやっている・・・)
ポケットに、パンツ。
真面目に修業をしていたとは到底思えない。
はぁーっ・・・オニキスは年季の入った溜息で。
「・・・とにかく、はいてこい」
「うん」
オニキスから返却されたパンツを手に、ヒスイがメンバーから外れるとすぐ。
コホン!咳払いをしたのはシトリンだった。
「あ〜・・・何だったかな」
戦の話をしていた筈だ、が・・・
「なぜオニキス殿が母上のパ・・・パンツを?もしや、ついに、そういう関係に・・・」
「シトリン!?」
内容が大きく脱線し、ジンが驚嘆の声をあげるも、妄想が暴走しているシトリンを止める手立てはなく。
現在の、シトリン脳内。
オニキスの恋愛事情 > 戦争
周囲は苦笑いだ。
「・・・話すと長くなる」と、オニキス。
「構わん!聞かせてくれ!!」
今も昔も“オニキス大好き”なシトリンを見守るジン。
(シトリンにとっては、そっちの方が重要なのか・・・)
皆と一緒に苦笑しながら。
(シトリンってやっぱりコハクさんの娘だな〜・・・)と、思うジンだった。
そして、コハクは。
「・・・・・・・・・」
(ここ、どこだ?)
無事意識を取り戻したものの、監禁状態。
窓も扉もないという完全密室で、両手は強固な鎖で繋がれていた。
(船の中か・・・アンデット商会の研究施設かもしれないな)
「・・・いや、どこだっていい」
元の体に戻った以上、すべきことは決まっている。
(これでヒスイと思いっきり愛し合える!!)
現在の、コハク脳内。
ヒスイとのえっち > アンデット商会への制裁
「ヒスイ・・・今帰るよ!!」
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