「ヒスイ、あ〜んして」
「あ〜ん」
(う〜ん・・・虫歯だな)
ヒスイの美容と健康は徹底管理している。
(昨日まで虫歯なんて一本も・・・)
ここへやってきてから数時間と経たない内にこの有り様だ。
シュガーランド。響きは甘いが、その実罠だらけの危険な場所だった。
「うぅ〜・・・っ」
あまりの歯痛にヒスイが呻く。
「おにいちゃぁ〜・・・」
「よしよし、すぐ治してあげるからね〜」
ぐずるヒスイをキスであやしながら、治療方法を考えるコハク。
ここが森なら痛み止めの薬草を調合できるのだが、なにせあらゆるものがお菓子で出来ているのだ。
「・・・・・・」
治癒魔法の使えるトパーズを探し出すか。
魔法医師免許を持つメノウの元へ戻るか。
とにかく今の状態では、デートを楽しむどころではなく。
コハクは、一旦屋敷へ引き返すことに決めた。
ヒスイに服を着せ、抱き上げようとした・・・その時。
コンコン。チョコレートの扉を叩く音がした。
予期せぬ来客。コハクが扉を開けると、そこには・・・
アンデット商会代表取締役、カルセドニーが立っていた。
「君は・・・」
噂に聞いたダークエルフの青年で、上物のスーツを品良く着こなしている。
「はじめまして。あなたが“コハク”さんですね」
明るい声。カルセドニーは礼儀正しく一礼したのち、こう切り出した。
「お連れの方が虫歯でお困りかと思いまして、これをお持ちしました」
カルセドニーがスーツのポケットから取り出したのは、エルフ族秘伝の液体塗り薬。
患部に直接塗り込めば虫歯もたちまち治るという、コハクも知っている名薬だった。
「・・・・・・」
あまりに絶妙なタイミング。
偶然にしては出来過ぎだ。ハメられたとしか思えない。
(だとしたら・・・)
「・・・対価は?」
ヒスイの耳に入らないよう、外側から扉を閉め、コハクが言った。
「これは話が早い」と、カルセドニー。
「お連れの方、“ヒスイ”さんと少々お話させていただきたいのですよ」
「ヒスイと?」コハクの美しい顔が微かに歪んだ。
アンデット商会と社員契約をしている今、組織図ではカルセドニーが頂点であり、上司でもあるが、そんなことは頭にない。
「それは、二人きりで・・・ということかな?」
「はい」カルセドニーが答えると。
「ちょっと失礼」
コハクは地面に左膝と右手をついた後、すぐに立ち上がり。
カルセドニーの喉元に柄も刃も真っ黒な短剣を突き付けた。
自然界に存在するものから即席で武器を創り出すことができるコハクは、影を武器に換えたのだった。
「あいにく僕は良識というものを持ち合わせていないんだ」
コハクは作り笑顔でそう告げ。
「薬を渡して貰えないかな」
「っとぉ、ソコまでだ。商売人ナメんなよ」
コハクの言葉に答えたのは、カルセドニーではなくウィゼだった。
タイミングを見計らったように、ウエハースの屋根から飛び降りる。
そしてもうひとり・・・ウィゼには連れがいた。
「アクア・・・」
「あ〜・・・パパ〜」
5歳児の姿に戻ったアクアは、胴体を縄でグルグル巻きにされていた。
薔薇の広場でアクアが発見した店もまたトラップで。
店内で待ち伏せしていたウィゼに捕まってしまったのだ。
無論、抵抗はした。神の戦士ヴァージョンで、しばらくの間互角に渡り合ったが、魔法が解ければ5歳の子供・・・魔剣使いに太刀打ちできるはずもなく、お縄となって現在に至る。
見れば、ウィゼもアクアも傷だらけ・・・相当派手に闘り合ったようだ。
「はなしてよぉ〜、この男女ぁ〜」
人質となっても怯まず、ウィゼに歯向かうアクア。
「あぁん!?誰が男女だとぉ!!?首絞めるぞ!このクソガキ!!」
ワーワー、ギャーギャー、姦しい。が、そう見えて、さすがはプロ・・・ウィゼに隙はなく。
アクアは常に攻撃射程圏内にあった。
「ウィゼ、よくやってくれましたね」
カルセドニーが声を掛けた。すると、ウィゼの顔が露骨に赤くなり。
「な、なんてこたぁねぇよ」
その言動から、ホの字なのが見て取れる。
「・・・・・・」
こちら、黙って様子を窺うコハク。
(成程、それじゃ、頑張っちゃうよね)
善でも悪でも。いつの時代でも。愛の力は偉大なのだ。
「コハクさん、どうでしょう?」
薬+アクアという人質を盾に、カルセドニーは再び取引きを持ちかけてきた。
「・・・・・・」
ヒスイのお尻に施した術式はまだ有効だ。傷を負わされる心配はない。
(けど・・・相手の意図がわからない以上、用心しないと・・・)
コハクが考えを巡らせる最中。
「パパ」と、アクア。
「ん?」コハクが返事をする。続けてアクアは・・・
「とりひき、しちゃだめだよ〜」
「ママはぁ〜、こんなやつらにわたさないも〜ん」
「はは・・・頼もしいね」
強気なアクアの発言に、苦笑いするコハク。
その時だった。
「おにいちゃぁん〜・・・」
甘えたがりのヒスイが、板チョコの扉から顔を覗かせた。
虫歯のせいか、右頬がぷっくり腫れている。が。
「な・・・」(何なの、これ・・・)
一時痛みを忘れるほど、事態は急展開していて。
「え・・・アクア!?」
急展開といえば、赤い屋根の屋敷でも・・・
「んっ・・・!!ヒス・・・っ!!」
ジストが眠りから目覚めた。大きな菫色の瞳が勢いよく開く。
「やばっ・・・またヒスイの夢・・・」
ベッドから体を起こし、頭を掻くジスト。
気付いてしまった恋心は加速するばかりで。
もうどうしていいのか自分でもわからない。
「じいちゃん?いないの?」
ぐるり、散らかったメノウの部屋を見回す。
去勢をするためにここへ残ったのだが、肝心のメノウは不在の様子・・・
「ヒスイ・・・どうしてるかな〜・・・」
キスしたこと、謝らなきゃ。
許してくれるかな。
「・・・・・・」
そんな風にヒスイのことを考えていると。
(なんかすげぇ会いたくなってきちゃった)
「・・・遠くから見るだけならいいよな」
とにかく情熱に歯止めのきかない家系なのだ。
「シュガーランド・・・」
ヒスイがいるであろう場所を、ぽつり、呟き。次の瞬間、体が動く。
ジストはベッドから元気良く立ち上がった。
「行ってみよっ!!」
成功率100%ではないものの、望む場所へと、次元を抜けて移動する神技をジストは持っているのだ。
「ん〜と、ヒスイんとこヒスイんとこ・・・」
目を閉じ、念じる。そして。
パッ・・・消えた。
「あの馬鹿、どこ行った」
誰もいない屋敷に戻ってきたトパーズ。ジストとは完全にすれ違いとなった。
単純なジストのことだ。行き先の選択肢はそう多くない。
トパーズはすぐさま身を翻し。
「・・・手間かけさせやがって」
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