「あとは・・・本番にとっておく」


そう言って、トパーズがヒスイから手を離した途端。
「“親子”って言ったのに!トパーズの嘘つき・・・っ!!」と、ひと吠えして逃げるヒスイ。
裸のまま、バスルームから飛び出した。
「バカ」トパーズは一言吐き捨て。


「・・・お前にとっては済んだことでも、オレにとっては違う」




一方、ヒスイは。不意の来客と対面していた。
「あれ?スピネル?」
「ごめんね、何回かノックしたんだけど」
バスルームで取り込み中だったため、聞こえなかったのだ。
「鍵が掛かってなかったから、勝手にあがらせてもらったんだ」
ちょうどそこに裸のヒスイが現れて。驚いたのはむしろスピネルの方だ。
(ママ・・・なんで裸なんだろう・・・)
とりあえず座って〜などと勧めてくるが、自分が裸なのは忘れている様子・・・
「ママ・・・」
「ん?」
「服、来たら?」と、スピネルは苦笑した。
「あ、そっか。ちょっと待ってて」


そして・・・数分後。


「ママならすぐ覚えられると思って」
スピネルは呪文を書き記した紙をヒスイに見せた。
先日、王立図書博物館で仕上げたものだ。
「あ・・・これ、お父さんに渡された呪文と似てる」
紙に目を通すなり、ヒスイが言った。
「おじいちゃんの?」
「うん、これ」と、今度はヒスイが一枚のレポート用紙をスピネルに見せた。
「すごいや・・・やっぱりおじいちゃんて、天才」
絶賛するスピネル。アンデットに対する同系統の呪文でも、ランクが違う。
(ちょっと変わった配列だけど、この呪文が成功すれば・・・)
アンデットの軍隊など敵ではない。
「うん、でもちょっと・・・」と、ヒスイ。
頭にはしっかり入っているのだが、口達者な方ではないので、時々かんでしまうのだ。
やたらと長い呪文。一言でも詰まれば、失敗となる。
それで毎晩、特訓させられているのだという。
「そういえば、兄貴は?」
「あ、今お風呂に・・・」ヒスイはチラッとバスルームの方を見て。
「ねぇ、スピネル。親子でお風呂入るのって、変かな?」
「変じゃないけど・・・もしかしてママ、兄貴と入ったの?」
「ううん、入ろうとしたけど、なんか変かなって思って・・・」
「うん。その方がいいよ」
(ママはまだ、兄貴との距離が掴めないんだ)


ママが兄貴とお風呂に入るのは、パパが姉貴とお風呂に入るのと同じことでしょ?兄貴との関係に迷ったら、そうやって置き換えてみるといいよ。


(そう、教えてあげれば・・・)
ヒスイは少し賢くなるかもしれない。
(だけど・・・兄貴には不利になる)
「・・・・・・」どうしようか迷うが。
(・・・言うのやめとこ。ごめんね、ママ)
スピネルの思惑知らず。
「今夜泊っていかない?雨降ってるし。お父さんもまだ帰って来ないし」
久しぶりに一緒に寝ようと、ヒスイが言った。
10年もお腹に抱えていた子だ。気心は知れている。
「いいよ」(兄貴と二人きりじゃ気まずいだろうから)


こうして、トパーズとは顔を合わせないまま、夜は更け・・・





決戦の朝は、普通にやってきた。
昨晩の雨が嘘のように、本日は晴天だ。


「おはよう。ヒスイ、いる?」


社宅に次なる来客。コハクだ。
「おはよう。パパ」と、スピネルが出迎える。
「ママは出掛けたよ」
「出掛けたって・・・どこに・・・」
「会社」
朝、シャワーを浴びて、慌てて出ていったという。
ちなみにトパーズも、職員会議があると言って、早くに出勤した。
仕事は仕事。戦は戦。トパーズは朝から晩まで本当によく働くのだ。
「・・・・・・」(何もこんな日に・・・)
「二人とも真面目だよね」と、スピネルも笑った。
「そういえば、今日はフェンネルと一緒じゃないんだね」と、コハク。
喧嘩でもしたの?と、さすがに鋭い。
「うん・・・ちょっと怒らせちゃったみたいで・・・」
肩を竦めるスピネル。理由がいまいちわからないまま、現在に至っていた。
「怒らせた・・・ね」コハクは苦笑し、言った。


「君は、ヒスイの周りをよく見ているけど・・・自分の周りはどうかな?」


ヒスイの周り、とは、暗にトパーズやオニキス、カーネリアンのことを指している。
「僕が言うのも何だけど・・・身近にある大切なものを見落とさないようにね?」
そう言われ、スピネルは何かに気付いたようで。
「・・・うん。ありがとう。パパ」素直に礼を述べた。
「じゃあ、僕はヒスイを迎えに行ってくるね。なにせ今日は・・・」



会社、お休みだから。





アンデット商会。グロッシュラー支店前。

「あれ??今日お休みなの??」
会社入口で立ちつくすヒスイ。
魔導式自動扉には“本日休業”のプレートが掛かっている。
創業記念日ということで、一般社員には特別休暇が与えられたのだ。
「カルセドニー、何も言ってなかったわよね?」※居眠りして聞き逃しました。
自動扉を手動で開け、中を覗くと、人ひとり。
「あ・・・あの人」
眼鏡をかけた栗毛の男=大人メノウだ。
「お!ヒスイじゃん!何?間違って来ちゃったの?」
大人メノウはヒスイを見つけるとすぐ寄ってきて。屈託ない笑顔を見せた。
「・・・・・・」
(相変わらず、馴れ馴れしいヒトね)
とはいえ、初対面ではないので、ヒスイの態度もいくらか柔らかい。
それ以前に・・・この男が自分の父親だということにまだ気付かないのが問題だ。
「夕べ、トパーズに泣かされなかった?ん?」と、ヒスイの頭に手をのせる大人メノウ。
もういい加減気付いていると思ったのだ・・・が。
「なんであなたがそんなこと知ってるの?」
訝しげな顔のヒスイ。と、そこに。


「メノウ!ここにいたのですか!」


明朗快活な声が響く。カルセドニーだ。
しかしそれよりも。
「え・・・?メ・・・ノウ??」
ヒスイは大きな両目をぱちくりさせて。
「お・・・とうさん?」
「お、やっと気付いた?」
「えぇぇぇぇー!!!」
あまりの驚きに大声を出して後ずさる・・・が、すぐにそれどころではなくなった。
「休日出勤とは!素晴らしい心がけです!ヒスイさん」
勘違いをしたカルセドニーに褒めちぎられ。拍手を受ける。
「・・・・・・」(そうじゃないんだけど・・・)
間違って出社したとも言えず。
大人メノウと別れ、カルセドニーと共に社長室へ。
渋々仕事に取り掛かる。
「ヒスイさん、今度秘書検定を受けてみませんか?」などと、カルセドニーはご機嫌だ。
「今夜なのに、余裕ね」ヒスイが言うと。
「我々の仕事は終わりました」
グロッシュラーに与えられるものはすべて与えた。
「後は、結果が出るのを待つだけです」
「あ・・・そっか」
カルセドニーと直接戦う訳ではないのだ。
敵はカルセドニーではなく、カルセドニーが造り出した“商品”だ。
「魔力がなくても、これだけのものを築いたんだから、劣ってるなんてことないと思うけど」
6階の窓ガラスから外を眺め、ヒスイは何気なくそう口にした。
「魔力があったって、私、何もできないし」
家事も仕事もダメダメだ。一応、自覚はあるらしい。
「魔力のあるなしで生き物の価値が決まるってわけじゃ・・・あ!!お兄ちゃんだ!!」
ビタッと窓に貼り付くヒスイ。
最愛のコハクが会社に入ってくるのが見えたのだ。
(お兄ちゃん、迎えにきてくれたんだ!)
そう思うと、いてもたってもいられない。
「私っ!帰る!!」
「あ・・・」
ヒスイの勢いに押され、ただ見送るだけとなったカルセドニー。
「いいでしょう・・・本来は休日ですし。面白い話も聞かせて貰いました」


“魔力のあるなしで、生き物の価値は決まらない”


「それは主観の問題なのですよ、ヒスイさん」



今夜、楽しみにしています。





・・・こちら、オニキス。

戦の前に愛する女の顔を一目見たいと思う。
不老不死の体でも、心はまだ人間なのだ。
(女々しいものだな)
そう思いつつ、足はヒスイの元へ向いていた。そして。
「あれ?オニキス?」
「ヒスイ・・・」
アンデット商会の社宅前で、愛しいヒスイとばったり出会う。
嬉しい偶然。コハクも一緒だが、この際贅沢は言っていられない。


それから、社宅室内にて。
「夜、眠くなっちゃうといけないから、ね」
コハクは、愛用の枕を持って、ヒスイを寝かしつけにきたのだ。
昼前だが、ヒスイを寝間着に着替えさせ。
「時間が来たら起こすから、それまでゆっくり眠って」と。
ヒスイの唇に、純度の高いキスをした。
「ん、おやすみ〜・・・」
ヒスイはすぐ寝付き。
「・・・・・・」「・・・・・・」
コハクとオニキスは、ヒスイの眠るベッドの端に並んで腰掛けた。
「社員契約書、あれ何だかご存じですか」
コハクからオニキスに問いかける。
「ああ。どうやらメノウ殿はオレ達の魔力を使って、何かをするつもりらしい」
名目上は社員契約書だが、その紙面には精巧な術式が施されていて、サインをすることにより“魔力を貸す”契約を交わしたのだ。
「守りを重視した陣形で戦況を窺うつもりだが、それにも限界が・・・」


「ん・・・」


その時、ヒスイが大きく寝返りを打って。上掛けが捲れた。
それを掛け直そうと、コハク、オニキス、両者同時に手を伸ばす・・・
すると。ヒスイの前で、男同士、手が重なり。
「・・・・・・」「・・・・・・」
「僕が」と、現夫の権限で、オニキスを振り切るコハク。
上掛けを戻した後、続けて言った。
「メノウ様が演出した舞台に、役者として出演するようなものでしょう。実質そう被害は出ない」
「・・・だといいがな」





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