7日前の話である。

マーキュリーは、エクソシスト教会の最上階から、移動用魔法陣を使い、セレナイトの“故郷”に来ていた。
どこの国かは秘密だとセレは言う。
「私は田舎者なのでね」
目につくのは草原と空。それだけである。
不思議と色褪せた風景は、どこかノスタルジックで。
広大な土地にどっしり構えた家は、建築様式こそ古いが、素材は貴重なものばかり。
文化財といってもいいくらいの、立派な建物だった。
セレが裕福な育ちだということは容易に推測できる。
「この家には滅多に帰らないものでね。管理は彼に任せてある」
そこには、セレと似た体格の、寡黙そうな執事がひとり。
マーキュリーに気付くと、会釈をしてきた。同じように、マーキュリーも会釈を返す。
「私は子を持ったことがないからね。至らない点もあるかと思うが・・・」
「いえ、お気遣いなく」
「お互い堅苦しいのは抜きにしよう。これから長い付き合いになるのだし」と、笑うセレ。
「長い?」
一週間は“長い”と言えるのだろうか・・・疑問を抱きながらも、マーキュリーは丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願いします」




それから2日・・・例の呼出し事件が起きた。

「食事・・・しないんですか?」
食卓を共にする機会は何度かあったが、セレが食べ物を口にしているのを一度も見ていない。
マーキュリーが食事をしている時も、お茶を飲んでいるだけなのだ。
「どれだけ食べても満たされないのだよ」
「満たされない?何故・・・」
「知りたいかい?それでは、これを君に渡しておこう」
テーブルの上を滑り、マーキュリーの手元に届いたのは、セレの携帯電話。
「?」
不審に思いながらも、マーキュリーは顔を上げ、セレを見た。
「私の体質については・・・」
「聞いています」
「それなら話は早い。数年前に悪魔を替えたのだがね、どうも相性が悪いらしくてね。たまに暴走してしまうのだよ」
悪魔を宿した、副作用。
セレは、常人ならば発狂するほどの空腹感に苛まれていたのだ。
「!?」
その時、突然。まだ昼だというのに、室内が真っ暗になった。
「抑えが利かなくなると、何でも“食べて”しまうから困りものだ」
光さえも―そう語るセレ。まるで・・・怪談だ。
「そろそろ、コハクに連絡をして貰えないかね」
何も見えない暗闇の中に、浮かび出した二つの目。
声はセレのものでも、それは・・・人間のものではなかった。
「・・・・・・」
血が凍る・・・この感覚は、リヴァイアサンを召喚した時と似ている。
冷たくなった指先が、思うように動かない。
それでもマーキュリーは、なんとか父親に電話をかけて。
「もしもし、お父さん?総帥の様子が・・・・・・はい、わかりました」


コハクには、この場からすぐに離れるよう言われた。
・・・が、マーキュリーは立ち止ったまま。
今、此処にいるものの正体を見極めるつもりだった。
「・・・・・・」
息を潜め・・・いくばくかの時間が流れた。
やっと暗闇に目が慣れ、奥を見据えた時だった。
「!!!!!」
象の鼻のようなものに、横から薙ぎ払われ。
「っ・・・!!!」
脇腹に激痛を感じ、表情を歪めた次の瞬間。
勢い良くマーキュリーの体が吹っ飛んだ。
(だめだ・・・ぶつかる)
すぐそこに壁が迫っていた。
歯を食いしばり、ダメージに備えるマーキュリー・・・だったが。
「!!お・・・とうさ・・・」
間一髪で、コハクに抱き止められた。
「大丈夫?」
「はい」
脇腹に鈍い痛みが残っているが、安堵で、体の力が抜ける。
そんなマーキュリーを連れ、隣の部屋に場所を移すと、コハクは鞘から剣を抜き。
「そこで15分待っててね」と。
“何か”のいる部屋に引き返していった。
「・・・・・・」
閉じられた扉に耳を近付けるマーキュリー・・・呪文を唱えるコハクの声が聞こえ、それから一切の物音が遮断された。
被害が部屋の外に及ばないよう、結界を張ったのだ。
その中で、コハクが“何か”と戦っている。わかるのは、それだけだ。



15分が経ち・・・

「お父さん!血が・・・」
「ああ、これ?返り血だから」
コハクはにこやかにそう言って、剣を鞘に納めた。
「総帥は・・・」
「意識は失ってるけど、命に別状はないよ。だいたいいつもこんな感じだから・・・怖い?」
「あれは・・・総帥なんですか?」
「そう、彼の一部だ」
それを聞いたマーキュリーは、まっすぐな瞳でコハクを見上げ、一言。
「だったら、問題ありません」


「お父さん」
「ん?」
「色々とご迷惑をおかけしました」
親兄弟を巻き込んでの大騒動となってしまったことに、マーキュリーが謝罪の意を示す。するとコハクは。
「そんなに気に病む必要はないよ。勿論、君達に非がないわけじゃないけど、僕は・・・」



「すべてが君達の所為というわけでもないと思ってる」



「どういう・・・意味ですか?」
マーキュリーの質問をコハクは笑顔ではぐらかし。
「まあ、理由はどうあれ、お仕置きはするけどね」
と、くすぐりの刑を言い渡した。
「!!お父さ・・・やめてくださ・・・あはは・・・っ!!」
手先が器用なコハクのくすぐりは一級品。涙が出るほど、笑わせられてしまう。
笑って、笑って、笑い転げて数分間。
息も絶え絶えになったところで、やっと解放される。
「少しはすっきりした?」
「え?」
「しばらく笑ってなかったでしょ」
「!!」
確かに、コハクの言う通りだった。
地下倉庫で“あの話”を聞いてから、どうも気持ちが晴れず。笑顔を忘れていた気がする。
ここへきてからも、ずっと。
「・・・・・・」
(知らなかった)


声をあげて笑うことが、こんなにも心を軽くするものだなんて。


(お父さんって、やっぱり凄い)
瞳を閉じて。マーキュリーはしみじみとそう思った。




こちら、コハクとセレ。

「気が付きました?今回は、手加減なしでやらせてもらいましたよ。これでしばらくは大人しくしているでしょう」
「さすがに調教が上手い。いつもながら感服する腕前だ」
「それはどうも」
「まーくんに怪我はなかったね?」
「ええ、まあ。今は隣の部屋で休ませてます」
「嫌われてしまったかな」と、そこで苦笑するセレ。
「ご心配なく」と、コハクも苦笑する。
「あなたは世界を守り続けてきた英雄でしょう。その体を、もっと誇るべきだ」
力強いコハクの言葉に。セレは瞳を伏せ、静かにこう語った。
「初めから世界を視野に入れていた訳ではないんだ。私は、人間として当然のことをしたまでだよ」
「家族や友人、愛する人を守りたい――真の英雄というのは、そういうところから誕生するものなんですよ。あなたのように、ね」
「君の足元にも及ばないがね」
「はは、心にもないことを」
「バレたかね」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
腹黒同士で話をしても、実際、埒が明かない。コハクは早々に切り上げると。
「まーくんのこと、よろしくお願いします」
柔らかな物腰で挨拶を済ませ、“故郷”を後にした。
その足取りは、軽い。
(スモーキーの件は、何故かジンくんが引き受けてくれたって話だし)
この調子なら、思ったより早く問題が片付きそうだ。
「さて・・・っと」


(帰ってヒスイとイチャイチャするぞ〜!!!!!)






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