「オニキスの結界・・・簡単には破れそうにないわね・・・」
難しい顔でヒスイが呟く。
使う機会はめっきり減ったが、魔術の腕は落ちていないようだ。
暗証番号らしきものが組み込まれていて、それを読み解かない限り、この壁は崩せない。
「ママ、体が冷えるよ。そろそろ中に・・・」
「スピネル!」
手がかりを求め、スピネルを見上げる。けれども。
スピネルは、ヒスイの頬にそっと手を添え言った。
「ごめんね、出してあげられない」
(ボクは・・・オニキスの味方でいたいんだ)
「あーくん、ほったらかしじゃ可哀想だよ」と、スピネル。
「あっ!!そうだっ!!あーくん!!」ヒスイが大声を出す。
いまいち状況を理解しきれていなかったが、まず一番に謝らなくてはいけないと思った。
置き去りにしたバスルームに、慌てて引き返すヒスイだったが・・・
そこに、アイボリーの姿はなかった。
「あーくんが・・・いなくなっちゃった」
日没を迎え、校内に蛍光灯の明かりが燈る。
居残ったマーキュリーが、ひとり廊下を歩いていると。
「それでは、今日はこれで」
感じのいい挨拶をして、校長室から出てきたコハクと鉢合わせた。
「お父さん?」
眼鏡をかけているいせいか、いつもと少し雰囲気が違う。
「まーくん、どうしたの?こんなに遅くまで。ヒスイとあーくんは・・・」
「2人とも用事があると言って先に帰りました。僕は直談判に」
「直談判?」コハクが聞き返す。
「はい。ここのオカルトクラブは、女子の入部を認めないらしくて。何とかならないかと交渉をしに行ったんです」
ところが。根暗な男子部員達が妙に弁論に長けていて。苦戦を強いられているのだという。
「“部長”には会った?」
「いえ、不在でした」
「そう」コハクは少し考えてから。
「規則に従っておいた方が良さそうだよ」
「え・・・でも・・・拗ねますよ、お母さん」
「だろうね」
愛らしい膨れっ面が目に浮かぶ。蛍光灯の下、コハクは苦笑いで。
「もし、クラブの部長がレムリアンシードだとすれば、彼にも“相手にしたくない相手”というのがいるんだよ。ヒスイを巻き込めば、トパーズが動くからね」
「・・・・・・」(先輩は、神の血族との接触を避けたいのか)
“女子、立ち入るべからず”は、ヒスイを遠ざけるための文言。
部室の入口に立て掛けられた看板はまだ新しく、急ごしらえの印象を受けたが、それなら納得がいく。
「まーくん、君はどう思う?これまでの彼の行動について」
「・・・リヴァイアサンを喚び出すことが目的なら、無駄が多すぎます」
リヴァイアサンを召喚できるほどの魔力と才能を持つ者はそういない。
「過失前提で召喚を行っているとしか考えられません」
「その通りだよ。教会から、上級のエクソシストを引き摺り出すために、各地で事件を起こしてる」
でもね、と、コハクが続ける。
「それすらフェイクである可能性が高い。彼がこの学校にいたとしても、次の事件は恐らく別の場所で起こると思うよ」
「別の場所?」
今度はマーキュリーが聞き返したが、いつもの如く笑顔ではぐらかされてしまう。
「一応手は打ってあるから、君達はそう気負わず、学園生活を楽しむといい」
「・・・はい」
「ところで、君にお願いしたいことがあるんだけど」
そう言って、コハクはあるものをマーキュリーに託した。
「・・・何ですか、お父さん、これは」
「デジタルカメラだよ」
「これで何を撮ればいいんですか?」
「ヒスイ」と、即答され、返事に困る。
「3年生は自習が多いって聞いたから。色々とよろしくね」
「・・・盗撮しろというんですか」
「ははは、盗撮だなんて、人聞きが悪いなぁ・・・僕は、“妻”の“自然体”の“制服写真”が欲しいだけだよ。違法性はないはずだけど?」
「・・・・・・」
(お父さん、“コレ”がなければ完璧なのに・・・惜しい人だな・・・)
「それじゃあ、帰ろうか」
「はい」
コハクとマーキュリーが揃って校門を出た時だった。
「コハク」
オニキスに名を呼ばれ、足を止める。
佇まいはいつもと変わらず、だが、その声はどこか厳しい響きを持っていて。
「ごめん、まーくん。先に帰っててくれる?」
「・・・わかりました」
マーキュリーと別れ、オニキスと共に外灯の下まで移動する。
「何か御用ですか?」と。そこで愛想良く尋ねるコハク。
「・・・ヒスイとアイボリーを預かっている」
「それはお世話になりました。すぐ迎えに・・・」
「その必要はない」
オニキスは間髪入れずに言った。
「アイボリーは“銀”だな」
「ご名答です」
「どういうつもりだ。お前は・・・15年もの間、欺いていたというのか?最愛の妻と、子供達を」
「そういうことになりますね」
コハクの返答に怒りを露わにしたオニキスが拳を向けるも。
コハクがそれをくらう筈もなく。空振りに終わる。
「・・・何故だ。何故こんなことをした」
「やってみなければ、わからないこともあるでしょう」
「必要悪とでも言うつもりか。くだらん」
オニキスはコハクを睨みつけ、こう告げた。
「ヒスイは“私がやった”と言っている」
「!!ヒスイは無関係だ」
「わかっている。お前を庇ってのことだろう」
「ヒスイが、僕を・・・?」
バキッ!!2発目の拳は、避けることができなかった。
オニキスに顔を殴られ、眼鏡が落ちる。
「お前のような奴に、ヒスイは返さん」
『自分がどれほどの罪を犯したか考えろ』
最後にそう言い残し、オニキスは去った。
“どれほどの罪か?”
「そんなこと、初めからわかってるよ」
眼鏡を拾い、吐き捨てる。
「でもまさか、こんなことになるなんて・・・ね」
(そうか、あーくんの今朝の髪型・・・隠してたのか・・・)
当然コハクも、例のパイナップル頭が気にはなっていた。
(薬を切らした訳じゃないんだけどな)
何らかの理由で、毛髪の一部に本来の色が戻ったのだろう。
「後はなるようにしかならない、けど・・・」
「ヒスイに嘘をつかせるつもりなんてなかったのになぁ・・・」
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