「・・・え?」

その質問に、ヒスイはゆっくりと瞬きをして聞き返した。
明らかに、困惑している。
「・・・・・・」
オニキスは質問を繰り返すことはせず。
「・・・冗談だ」
しばらく沈黙した後、瞳を伏せて言った。
「お前に貰った命だ。いつでもお前に返す」
(オレは・・・何を期待していたのだろうな)
ヒスイを困らせるつもりはなかったのだ。
「体は・・・大丈夫か?」
「あ・・・うん。おかげでなんとか」
先刻の乱れ具合を思い出したのか、ヒスイは少し顔を赤くして。
「ごめん、私、お兄ちゃんのこと考えてて・・・」
とにかくありがと。そう、ヒスイが礼を述べると。
「礼には及ばん。オレは・・・」



好きでもない女に、あんなことはしない。



「・・・オレがしたくてしたことだ」
つまり、好きだと伝えているのだが。
「あ〜・・・うん」
いまいちピンときていない、ヒスイのとぼけた返答もいつものことだ。その時。
「ヒスイ!何やってんだい!」
カーネリアンがヒスイを追って宿から出てきた。
「ほらほら!そんな格好で出歩くんじゃないよ!」
そんな格好=バスローブ+便所サンダル。
毎度のことながら、美人の自覚に欠けている。
コハクの声が聞こえたと言って、カーネリアンが止めるのも聞かず飛び出してきたのだ。
「アンタはただでさえ目立つんだから、宿で大人しくしてな」
「ちょ・・・カーネリアン!?」
ズルズルと引き摺られていくヒスイ・・・いくら体が大きくなったとはいえ、カーネリアンには敵わない。
「やだ・・・っ!お兄ちゃん探すんだから・・・っ!はなし・・・」
「お兄ちゃん?アンタまたそんなこと言ってんのかい!?」
いい加減にしな!と、ピシャリ叱るカーネリアン。
「熱が下がるまで外にゃ出さないからね!」


「くすくす。ママはカーネリアンに任せておけば大丈夫だね」
カーネリアンと一緒に出てきたスピネルが、その場に残り。
「オニキスは大丈夫?喉渇いてない?」
軽く下からオニキスを覗き込んだ。
「ああ、大丈夫だ」
嘘はついていない。オニキスは、渇きに耐性があるのだ。
ヒスイに比べ、かなり安定していた。
「そっか」と、スピネルはどこか寂しそうに笑って。
「渇いたら、遠慮なく言ってね?オニキスがパパの代わりになってもいいと思うみたいに、ボクもママの代わりになってもいいって思ってるんだよ?」
するとオニキスは。
「その気持ちだけで充分だ」と、スピネルの頭を撫でた。
「うん・・・」(やっぱり揺るがない・・・か)
「そんなにママがいいの?」スピネルは肩を竦めて苦笑い。
「ああ、そうだな」オニキスも苦笑いで答えた。




こちら、宿屋の一室。

「30分で熱下げるからっ!」
ベッドに押し込まれたヒスイはヤケ寝。
30分経ったら起こして!と、目をつぶる。
「ぜったい・・・お兄ちゃんが近くに・・・Zzz」
・・・寝付きの良さは天下一品だ。
その直後のことだった。
「コハクかい!?」と、窓を開けるカーネリアン。
「やっぱりヒスイの顔が見たくなっちゃって。ははは」
遠くから見るだけでも・・・と、様子を窺っているうちにヒスイが眠ったので、これは好都合と、接触を試みたのだという・・・が。
「これ、どういうことか説明して貰えます?」
コハクは笑顔のままカーネリアンに尋ねた。
巨乳化して寝込んでいるヒスイを見れば、疑問に思わない筈がない。
カーネリアンが事情を説明する・・・ふむふむ、と、コハクは何度か頷き。
「ヒスイの熱冷ましには、これを煎じて飲ませてください」
そう言って、ポケットから木の実らしきものを二つ取り出し、カーネリアンに手渡した。
長年ヒスイの世話をしてきただけのことはある。
コハクは、ヒスイのためのあらゆる物を常備しているのだ。
「カーネリアンさん、ヒスイのことよろしくお願いします」
「何だい、改まって。ヒスイのことはアタシに任せときな」
アネゴ肌のカーネリアンが頼もしい返答をしたところで。コハクは言った。
「あの村は・・・少々面倒なことになっています。ヴァンパイアハンターが動くかもしれない」
「ヴァンパイアハンター・・・だって?」
カーネリアンが険しい表情で聞き返した、その時。
「んぅ・・・おにいちゃ・・・?」
二人の話し声で、ヒスイは目を覚まし、うっすら目を開けた・・・が。
「夢だよ、ヒスイ」と、コハク。
「ゆ・・・め?」
「そう、夢」
低い声で言い聞かせ、唇にキス。するとすぐ。
「むにゃ〜・・・おにいちゃぁ〜・・・Zzz」
ヒスイは再び眠りに落ちた。
「よしよし、いい子だ・・・」
コハクが頬を撫でると、ぴくん!
「ん・・・ンッ・・・」
眠りながらも、ヒスイは感じて。らしからぬ、色っぽい声を出し。
(よくここまで躾けたもんだよ)と、カーネリアンは苦笑した。
他の男を一切受け付けないヒスイ。
こんな場面を目にしてしまうと、さすがにオニキスが気の毒に思えてくる。
「それじゃあ、ちょっと行ってきますね」
“ヒスイには内緒”を強調しつつ、窓枠に足を掛けるコハク。
「どこ行くってんだい?」
「ヒスイが狙われる前に、ヴァンパイアハンターの上層部を叩いてきます。村の方はオニキスが何とかするでしょう」




“村まで同行したい”スピネルの強い要望を受け、改めてそれを許可したオニキス。
女達を宿に残し、男二人で村に赴く・・・。
しばらくして、シロツメクサの咲く丘陵に差し掛かり、オニキスの足が止まった。
そこはとても静かで。花の白が眩しい。
この地に来てから、それほど時が流れたわけではなかったが、思い出深い場所だった。
「・・・・・・」
オニキスは目を細めた。
シロツメクサの花がヒスイの姿と重なるのだ。


小さく、可憐で・・・しぶとい。


ヒスイの本質に近いと思う。
「ママみたい?」
隣に立つスピネルが言った。
「よくわかったな」
「ママを見る時と同じ目で見てたから」
「そうか」
「少し摘んでく?」
「いや、摘んでも枯れるだけだ」


どんなに近くで咲いていても。摘んでは、いけない。


ヒスイという花がそうであるように。手に入れられるものではない、と。
シロツメクサに別れを告げる。
「ねぇ、オニキス」
「何だ?」


ママみたいな花は、案外、咲く場所を選ばないと思うよ?


「・・・だといいがな」
スピネルの思いやり。オニキスは穏やかに笑って。
「行くぞ」
「うん」



丘を抜けると、村はすぐそこだった。
二人は間もなく閑散とした墓地へ出た。
例の棺桶は昨晩と変わらずそこにある。
あの夜は周囲を見渡す余裕もなかったが、こうして今墓地に立つと、同じような棺桶がいくつもあることにオニキスは気付いた。
「・・・・・・」(コハクは“意図的に隠された村”と言っていたが・・・)
どういうことか、まだわからない。
スピネルと手分けして村の内部を探ったが、誰ひとりとして出会うことはなかった。
「みんな寝てるみたいだよ」と、スピネル。
「この村の人達って・・・夜、吸血鬼と戦うためだけに生活してるみたいだよね」
鋭く削られた木の杭が、村のあちこちで山のように積まれていた。
軒先にはニンニクと十字架が吊るされ。
扉には魔除けの護符。家の前には塩まで撒かれている。
吸血鬼に対する警戒心が尋常ではないのだ。
「こんなに吸血鬼を恐れているのに、逃げないんだね、この村の人達」
「・・・そうだな」
吸血鬼を畏怖しているのは確かだが、一方で底知れぬ戦意を感じる。
村に巣食う謎。家に押し入って、村人の口を割らせることもできるが・・・
(それでは吸血鬼への恐怖を煽るだけか)
村人を刺激しないよう、息を潜め、調査を続ける二人。
小さな村のわりには、軒数が多く・・・しかしその半数は何故か空家だった。
ほとんどの空家は開放されていたので、二人は手がかりを求め、一軒一軒回っていった・・・そして、夕暮れ間近。
「オニキス?何か見つけたの?」
「ああ」
村外れの格段に古い空家・・・その一室にある机の上に置かれた、一冊の本を手に取るオニキス。


ハイパースシーン 作


「この本は・・・」
その名に覚えがある。
吸血鬼の力を増幅させる土地、ホーンブレンドについて書かれた本の作者だ。
あの本に、この村の記述はなかったが。
手元にあるもう一冊の本を開き、ざっと内容に目を通すと、どうやらそれは対になるものらしく。
あの本が吸血鬼の生態について書かれたものならば、この本は吸血鬼と戦う術について書かれたものだった。
それがここ、ホーンブレンドにあるとなれば、単なる偶然とは思えない。
オニキスは次々とページを捲り、かなりのスピードで読み進め・・・ひとつの結論に達した。
「・・・・・・」
(この本に書かれていることが概ね真実だとすれば・・・)




「ここは・・・」







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